第11話 婚約者となるはずだった人
その日、フィオレンサはいつもよりも早く、マリーやローレン伯爵夫人に起こされていた。まだ眠いフィオレンサは何が起こっているのかよく分かっていない。されるがままになりながら顔を洗われたり、髪を結われたりしていた。
(なにが……あるの……?)
皇帝と会う時と同じように普段とは違うドレスを着て、フィオレンサは念入りに支度を施される。フィオレンサがしっかりと目が覚めたときには大方の支度が既に終わっていた。
「……ねえ、今日はなんでこんな格好なの? なにか予定あったかしら?」
「お忘れですか? 今日は殿下のお話し相手としてアイメルト公爵家のご子息が来られる日ですよ。そしてもし殿下が気に入ればそのまま婚約者となられるお方でもあります」
「───え?」
フィオレンサはまだ夢の中なのかと現実逃避しなくなった。けれど、信じられないという顔をするフィオレンサにローレン伯爵夫人とマリーは分かりやすくもう一度説明すると、フィオレンサはいやでも理解してくる。
(まってまって! アイメルト公爵家の子息ってまさか、原作でシエルの後の婚約者となるランスロット!!!?)
原作のアイメルト公爵家の長男であるランスロットは皇女であるフィオレンサに気に入れられ、婚約者となる。
ランスロットはフィオレンサを尊重していたが、そこに愛情なんてものはなく、ただ皇女という身分で大切にしていただけだった。
イツワリ皇女であるフィオレンサに徐々に不満を募らせていったとき、皇宮に来たシエナと出会い、恋に落ちる。ただフィオレンサと婚約していたせいでシエナとは愛し合えず、フィオレンサに対して憎しみが生まれていった。
フィオレンサがシエナを殺そうとした罪で処刑される時は、これでようやくシエナと婚約できると、元婚約者であるフィオレンサに薄笑いをしていた。
(絶対にそんなのと婚約なんてしたくない! ランスロットと婚約した時点で死亡ルートに近づくやつじゃない!)
フィオレンサは頭を抱えたくなったが、ローレン伯爵夫人たちがせっかく綺麗にしてくれた髪型を崩しかねない行動は避けたかった。けれどフィオレンサの悶々とした気持ちは募っていくばかりである。
「───ねえ、ローレン伯爵夫人。もし、私がアイメルト公爵家の子息を気に入らなければ、婚約しないのよね?」
「おそらくは。これは殿下の意思で決まることですので。これに関しては陛下も殿下の意思を尊重すると仰っておりましたので」
「そう。……わかった。とりあえず会ってみるわ」
「ご子息はもう既にいらっしゃると思うのでご案内いたします」
(気に入らないっていう態度を全面的にアピールしてやるわ!! 婚約なんて絶対にしないんだから!)
フィオレンサはある意味闘志を燃やしていた。けれどその闘志はローレン伯爵夫人やマリーからすると、緊張からのものだと勘違いされていた。全くの見当違いであるのに。
ランスロットが待っているとされる部屋まで着くとフィオレンサは扉をノックし、中に入った。その部屋は応接室として利用されている部屋で、丸いテーブルとソファー2つしかない。
ソファーに座っていたランスロットはフィオレンサが入室してきたのと同時にソファーから立ち上がり、フィオレンサに挨拶をした。
「帝国の永遠の星、皇女殿下にランスロット・アイメルトがご挨拶申し上げます」
「……どうも。私はフィオレンサ・ディオネ・ロヴィルディ。今日はよろしくね」
ランスロットの丁寧な挨拶に対して、フィオレンサは冷たいまでとはいかないが最低限の礼儀のみを守る、固い返事しかしなかった。そのせいか開始1分でこの部屋は殺伐とした空気となる。
しかし、それを取り持つのは大人の役目なのか、ランスロットの後ろに控えていたアイメルト公爵がフィオレンサのご機嫌を取りにかかった。
「ささ、皇女殿下。いつまでも立っていてはお辛いでしょう。こちらにお座り下さい。本日は殿下のための日なのですから」
「───誰も辛いなんて言ってないけど」
ぼそっとフィオレンサが吐いた言葉はすぐ後ろにいたローレン伯爵夫人にしか聞こえなかった。だからローレン伯爵夫人はフィオレンサの言葉を聞いてフィオレンサが今回の集まり自体を不快と思っているのだとわかった。
「……殿下は普段何をしてお過ごしになられているのですか?」
「後継者として相応しいようにヘイリー侯爵夫人から勉強を教わっているわ。あとは部屋から出ないから勉強の復習」
「勤勉なのですね。俺も公爵家の一員として勉学に励んでいます」
「そう、貴方は将来、アイメルト公爵となるものね。お互い背負うものがあると思うけど、貴方は公爵家の後継者、私は皇帝の後継者として頑張りましょう」
ランスロットの質問にフィオレンサは言外に「貴方と婚約関係なんて結ばない」と告げた。もちろん、この部屋にいる人間は聡い人ばかりなため、フィオレンサの言葉に直ぐに気がついた。
「───あら、どうしたの? なにか間違ったことなんて言ったかしら?」
「い、いえ……」
「ランスロットも大変だと思うけど、公爵の後継者として頑張ってちょうだい。───そういえば、お客様にお茶を出していなかったわ。ローレン伯爵夫人、お茶の準備をお願い。茶葉はシェルナティアで」
シェルナティアの茶葉。皇族が客に出す最上級の茶葉のひとつ。主に他国の重鎮や自国内の高位貴族を相手に出す茶葉であり、その茶葉に込められた意味は「現状維持を望む」。
つまり、フィオレンサはランスロットとは公子と皇女という関係性を望んでいると伝えているのだ。明らかに顔が強ばるランスロットとアイメルト公爵。しかし、フィオレンサは無視をした。
「かしこまりました。シェルナティアは焼き菓子が合うので合わせて持ってきます」
「お願いね」
ローレン伯爵夫人がお茶のために退出すると、そこにはフィオレンサとランスロット、アイメルト公爵、マリーと残りの侍女だけが残った。ランスロットはただ静かにフィオレンサを見つめているのと同様にフィオレンサもランスロットのことを眺めていた。
(ランスロット・アイメルト。別に今の貴女に問題があるわけじゃない。原作とは違い、まだ幼い貴方は私に対しての負の感情は少ない。けれど、不安分子をそのままにしていては私の平穏は守られないのよ。───それに金髪にエメラルドの瞳は似合っていると思うわ。まさに王子様って感じで。でも私の好みは黒髪なの。前世の記憶のせいかしらね。だから貴方が私の婚約者となることはないわ)
フィオレンサは足を組み直して、後ろにいるアイメルト公爵を見ると、どうやらフィオレンサとランスロットが婚約することを望んでいるという表情を表に出していた。
事前情報によるアイメルト公爵は野心は少なく、皇家に忠誠を誓っている由緒正しい公爵家の当主だ。だからただ単にフィオレンサとランスロットが婚約を結ぶことで、皇家の力は増すという皇家を思っての行動だろう。
(けれど、シエナが現れた時、ランスロットとフィオレンサの婚約を解消しようと真っ先に進言したのも貴方だったわ。私にはロヴィルディ皇家ではなく、フィオレンサ個人を大切に思ってくれる人だけが必要なのよ)
フィオレンサが物思いにふけっていると、ローレン伯爵夫人がティーセットとともに入室してきた。シェルナティアのお茶は滅多に出されるものでは無いため、フィオレンサとしてはこれで勘弁して欲しいものである。
ローレン伯爵夫人がお湯の温度や蒸す時間を正確に計り、フィオレンサやランスロットにお茶を全て注ぎ終わると、フィオレンサは目の前に置かれたティーカップを持ちながら、後ろに控えるアイメルト公爵に声をかける。
「公爵もどうぞお座り下さいな。せっかくローレン伯爵夫人がいれてくれたのですから。シェルナティアは淹れたてが美味しいのよ」
「……お心遣い感謝します、殿下」
フィオレンサはアイメルト公爵がランスロットの隣に腰かけている間に、ティーカップに注がれたシェルナティアを飲んだ。フィオレンサは皇族のため、いつでもこのシェルナティアを飲むことができる。シェルナティアはフィオレンサのお気に入りの茶葉のひとつなのだ。
「どうですか、シェルナティアのお味は。私はこれが好きなのです」
「そうなんですね。俺も初めて飲みましたが、後味がはっきりしているのに茶葉の甘みが感じられて好きになりました」
「それは良かったです。公爵はどうでした?」
シェルナティアが注がれたティーカップをじいっと見つめていたアイメルト公爵にフィオレンサは声をかける。公爵は静かに顔を上げてフィオレンサの質問に答える。
「私も初めて飲みましたが、もう一度飲みたくなる味です」
「あら、それは嬉しいわ。帰りにお土産としてプレゼントするからぜひ受け取ってちょうだい」
「ありがとうございます。……ところで殿下のお気持ちはシェルナティアということでしょうか?」
公爵の核をついた質問にフィオレンサはにこりと微笑んだ。




