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まとも

「ちゃんとした人間って、なんだろねえ」


 うちの猫様に話しかけてみる。猫様はすべてを知った鋭い目線でこちらをどきっとさせた後、あくびをしてピンと張った空気を発散させた。


 わたしが『ちゃんとした人間』『まともな人間』になるにはどこをどう修理して部品を付け足したり削ったりしたらいいのかな。

 でも、わたしのどこがだめで直すべきで、普通から外れていておかしいのかをご丁寧に長々と語る人たちの肌はくすんでいて目の輝きは失われている。少なくとも、『ちゃんとした人間』になった結果あの人たちになるならば、わたしはその努力はしない。

 じゃあ、わたしがなりたい人間って、どんな人だろうか。どんな人だったんだろうか。たまに思い返す。


 そういう回想をした後わたしは大抵気分がよくない。なぜかって?


 嫌いな人間のリアルタイムも好きな人間のリアルタイムも簡単に見つけられるようになったけれど、わたしが大好きな人たちのリアルタイムはあんまりよくない。

 よくないっていうのは、わたしが大好きな人間の輝かしくてうつくしいところは今も変わらない強度で輝かしくてうつくしいのに、その人たちは苦しそうに生きている。たまに苦しくて泣いたりするんだろうな。生きづらいって思いながらもまた立ち上がって戦って生きてるんだろうな。そして大好きな人間たちはそれを隠さない。偽りの仮面に偽りの幸せをプリントすることをしない。そこまでも大好きな人間のうつくしさのままなのだ。


 だから、気分がよくない。わたしがなりたい人間たちは苦しんで生きている。苦しんで生きてなおいまだ誰よりもうつくしい。どんどん気分がよくない。


 だからわたしは戦って生きます。わたしの心に水を与えられるのはわたしの生き様だから。

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