私の好きな物
時系列→シストと二人でお昼を過ごすようになった直後。
(そのため、クレリアやヴィートは不在です!)
「シスト様の好きな食べ物って何ですか?」
ある日の昼下がり。中庭のガゼボで、ジーナは尋ねていた。
シストとお昼を共にするようになってから数日が経った。料理を作るのにあたって、シストの好みを知っておきたいと思って訊いたのだ。
シストは「ん?」という顔を上げてから、当然のように答えた。
「ジーナの作る物なら、何でも」
「そ……っ、ういうことを聞いているわけでは……」
ジーナは言いながら、じわじわと赤くなる。
「お好きな物や嫌いな物があるのなら、覚えておこうと思ったのですが……」
「全部美味いから、問題ない」
「ええっと……」
これまた当然のように言われた。
ジーナの胸はそわそわと落ち着かなくなる。まだ自分の料理を『美味しい』と言ってもらえることには慣れない。
いつもは昼食だけ作っているが、その日は初めてデザートも付けてみた。エマに「リンゴがたくさん余っているから持って行くかい?」ともらったので、それでアップルパイを焼いてみたのだ。
シストにおずおずと「今日はこちらも焼いてみたのですが……」とパイを差し出すと、シストはぱっと顔を輝かせて、「パイか? 美味そうだ」と喜んだ。
「シスト様は、甘い物がお好きなのですね」
「ああ。菓子類はたいてい好きだな」
その時、ジーナの脳裏をよぎるものがあった。
『少し甘すぎるね』
フィンセントに初めて手作りの菓子を渡した時のことだ。彼は残念そうに言った。その言葉はジーナの胸を深く突き刺した。
初めて渡す料理だったから、丁寧に作った物だったのに。フィンセントは喜んではくれなかった。
彼とのことを思い出す度に、ジーナの心には影が落ちる。早く忘れたいのに、ふとした時に思い出してしまうのだ。そして、のどに刺さった小骨のように、ちくりと苦しくなる。
ジーナは、ぎゅっ、と膝上の掌を握りしめた。
「今まで食べたどんな菓子よりも、ジーナが作る物が一番美味い」
優しげな声に、ジーナはハッと顔を上げた。シストは美味しそうに、アップルパイを口に運んでいる。
胸の中の霧が一気に晴れていくように、息苦しさはなくなった。
ジーナはかっと頬を熱くする。
「…………ありがとうございます。では、お嫌いな物はありますか?」
「あったと言えばあったが……」
シストは迷うように視線を散らしてから、
「グリーントマトは少し風味が苦手だ」
「え!?」
ジーナは顔を青くする。
それは今日の昼食に含まれていた食材だった。グリーントマトのフライを添え物にしていたのだ。
「申し訳ありません……! 私、知らずに今日の……!」
「だが、美味かった」
その言葉にジーナは目を見張る。
「ジーナの作った物は美味かった。だから、今日、好きになった」
心臓が変な音を立てた。ジーナは落ち着かずに視線をさ迷わせる。
「お前はどうなんだ」
「え……?」
「好きな物はあるか?」
ジーナは目をぱちくりとさせる。
(…………わたし……?)
好きな食べ物。
前はあった気もする。フィンセントと婚約する前は――。
でも、今はなぜか思い出せない。
「…………よく、わかりません」
ジーナは無表情で答えた。
その後もジーナは考え続けていた。
私の好きなもの。
私の嫌いなもの。
――そんなもの、あったっけ?
フィンセントと婚約してからは、料理が苦痛だった
すると、何を食べても美味しいとは思えなくなっていた。味見をしては、『これじゃあ、ダメ』と胸が苦しくなった。この味ではフィンセントは満足してくれない。
だから、もっと美味しく作らないと。
もっと。
もっと――。
それだけを考えながら、キッチンに立つ日々だったのだ。
ジーナは頭を悩ませながら、寮室に戻る。
すると、ダダダッ!
元気な足音が寄ってくる。ベルヴァがしっぽを振って、嬉しそうに跳ねていた。
ジーナはしゃがみこんで、子犬と目線を合わせる。
「ベルヴァの好きな物って何?」
ベルヴァは答えずに、くるくる。その場で回っていた。
ジーナは小さく笑うと、用意していた夕食をとり出す。
今日の夕飯は、フォカッチャとオムレツだ。
お皿に並べてやると、ベルヴァは嬉しそうにそれにかぶりついた。
「――ベルヴァは、何でも好きなのね」
ジーナは固くなっていた面持ちを緩める。
そして、自分もテーブルについて、夕食と向かい合った。
緊張した眼差しで、自分の料理を映す。
――これも、美味しくないんじゃないかな。
そう思うと、きゅ、っと胸が苦しくなる。
でも、
『美味いな』
ふと、シストの言葉が脳裏に浮かぶ。
その言葉に背中を押されて、ジーナはオムレツを口に運んでみた。
卵のとろりとした食感が口の中に広がる。
じわりとした幸福感が全身を満たした。
(………………美味しい)
じんと美味しさに浸っていると。
頭の中で、幼い頃の思い出がよみがえった。
――ああ、そうだ。思い出した。
昔、ジーナが菓子作りにはまっていた時のこと。
屋敷のキッチンでチョコレートのタルトを焼いた。幼いジーナは張り切ってそれを作った。というのも、その日の朝、仕事に向かう父に約束をしたからだ。
『帰ってきたら、とびきり美味しいお菓子を食べさせてあげるね』
と。
父・ジークハルトは嬉しそうに、「それは楽しみだ」と笑っていた。
タルトを焼くのは初めてのことだったので、苦戦した。
侍女に手伝ってもらいながら作った。チョコレートに熱を加えすぎて駄目にしたり、生地をこぼしてしまったり――たくさん失敗をして、ようやくタルトを焼き上げた。
ジーナは味見のためにタルトを切り分けて、食べた。
それはびっくりするくらいに美味しかった。
――もっと味見しよう!
そう思って、更にタルトを切り分けた。
あともう一切れ――もう一切れくらいいいかな?
そうしているうちに、焼き上がったタルトをすべて食べてしまった。
その日の夜、ジークハルトはジーナの焼いたタルトがすでにないことを知ると嘆いた。
『ジーナの手作り菓子と聞いて、仕事を早めに切り上げてきたのだが……』
まだ料理が楽しかったあの頃。
自分の作ったお菓子を、夢中で頬張っていた時のこと。
「…………ふふ」
その時のことを思い出して、ジーナ笑った。
「私――チョコレートを使ったお菓子が好きです」
次の日の昼食の場で。
ジーナはそう告げることができていた。
シストはジーナの顔を見る。そして、
「そうか」
興味がなさそうに一つ、頷いた。
――次の日。
夕方、ジーナは食堂で驚いていた。
仕事が終わったので、昼食に使った食器を片付けようとしていた。そして、バスケットの中を確認した時、それに気付いたのだ。
(…………え?)
それはチョコレート菓子の箱だった。
こんなものいれた覚えはないけど……?
と、ジーナは首を傾げる。
その直後、すぐに気が付いた。
(あ! シスト様……)
いつの間にいれてくれたのかわからないけど、彼しかいないだろう。
ジーナが「チョコレートの菓子が好き」と話した時には、興味なさそうに聞いていたのに。
ジーナは小さく笑って、箱を開けた。
チョコレートを一つつまんで、口の中に入れる。
(…………美味しい)
とろりとした甘さが、口内に広がった。
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