1 「まずい」ばかりの婚約者
「ああ……ひどい。これはひどい味だ」
フィンセントは開口一番、そう言った。
ジーナ手製の菓子を呑みこんだ直後の発言である。
秀麗な眉をひそめ、ゲテモノを口にしたかのような顔をしている。更には手を口に当てて、えずく動作までした。
一連の行動を、ジーナは冷めた目で眺めていた。
ジーナが何の反応も示さないからだろう。フィンセントはこちらの様子を、ちら……ちら……と、窺ってから、菓子をまた口に含む。
(美味しくないなら、無理して食べなくてもいいのに)
ジーナは心の底からそう思った。
「ごほっ、うおっほんっ!」
フィンセントの反応は先ほどよりも大仰だった。
えずきながらも、それを無理やり咀嚼している。
何度も咳込んでから、ジーナの顔を、ちらり……と、窺った。そこで不審そうに眉を寄せる。
ジーナの対応が冷ややかだったからだろう。普段とちがっているのだ。
具体的には――
悲しそうな顔をしない。「申し訳ありません……!」と頭を下げもしない。泣きそうな声で「フィンセント様、もうそちらは召し上がらなくて結構です……」と、言い出すこともしない。
ジーナは微動だにせず、表情1つ変えずに、ただフィンセントの姿を見つめ続けているのだった。
ジーナの態度は普段と異なっているのに、フィンセントはいつも通りの台詞を吐いた。困ったような笑顔を浮かべて、
「心配しなくていい。君が一生懸命に作ったものを無駄にはしたくない。これは私が全部、食べるから」
「……そうですか」
ジーナはようやく言葉を発した。
そして、先ほどからずっと思っていた本心を口にした。
「フィンセント様のお口に合わないものを、無理に召し上がっていただく必要はありません」
「そんなわけにはいかない。いくら独創的な味とはいえ、君がわざわざ私のために手作りしてくれたものだ。最後までいただくよ」
「そうですか」
ジーナは同じ調子で続けた。
フィンセントがえずく動作を続けながら菓子を食べるのを見て、言葉を足す。
「もう二度とお作りはいたしませんが」
「…………え?」
フィンセントはきょとんとした。
そんなことを言われるとは予想外だったのだろう。それからフィンセントは「仕方がない」という様子で肩をすくめた。
彼はどうやら、ジーナが「ただすねているだけ」だと思ったらしい。
――そんな過程は、もうとうの昔に過ぎ去っているというのに。
フィンセントは苦笑しながら言葉を継ぐ。
「気に病むことでもあるまい。誰しも向き不向きがあるものだ。それで人から何か言われることもあるだろう。しかし、私は君の作った物を今まで残したことはないじゃないか」
「人から何か言われる、とは? 具体的にはどのような? 例えば、男爵家のエリデさんが『フィンセント様にお出しする物が、そんな貧相な物なんて信じられない』とか、『私の方がもっと美味しい物を作れるのに』とか、言ってらっしゃることですか?」
「どこでそれを……!」
ジーナが滔々と告げると、フィンセントは顔を青くする。
「それに対して、フィンセント様はこう答えたそうですね。『その通りだ。私も本来ならば、あのような吐き気を催すような代物を口にしたくはない』と。そして、エリデさんがお作りになられたお菓子を美味しそうに召し上がられていたそうですね。その話を聞いた皆様は、フィンセント様に大変、同情的な様子だったそうですが……」
「ちがう、それは言葉の綾だ! 君は勘違いをしている!」
フィンセントは次に顔を真っ赤に染めた。対するジーナはあくまで淡々と答える。
「そうですか。勘違い」
「ああ、そうだ。現にこうして、私が君の作った菓子を残したことはないだろう? ちゃんと全部、食べているのだから」
「毎回、えずきながら召し上がっておられますが。その上、私が作る菓子を散々けなして、笑いものにしているという噂を耳にしております。それも私の勘違いなのでしょうか?」
フィンセントは口をパクパクと開いて、何かを言おうとした。しかし、言葉にならないらしい。
その隙にジーナは畳みかけた。
「これ以上、フィンセント様に『とても人が口にするようなものじゃない』『吐き気が止まらない』『醜悪な』代物を、召し上がっていただくわけにはいきません。昨日、婚約解消の手続きを行わせていただきました」
「なっ……わ、私はそんな話、聞いてないぞ……!」
フィンセントは蒼白になる。それでもなぜか、手に握りしめた菓子だけは離さなかった。あれほどけなして、「美味しくない」と、えずいていたにも関わらず。
ジーナはその様子を一瞥すると、キッパリと告げた。
「もう二度と、私の料理をフィンセント様にお出しすることはありませんので、どうぞご安心を」
そうして、ジーナは席を立った。
毅然とした表情を一切崩すことなく、彼の元から立ち去った。
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ジーナは原っぱに腰かけていて、ぼんやりと空を見ていた。
学校からの帰り道。使用人に無理を言って、馬車を止めてもらったのだ。彼女の膝には、フィンセントに渡した菓子と同じ物がある。アマレッティ――アーモンドを混ぜて作る焼き菓子だ。
ラッピングも自分でやった。包装をいかに美しくできるかということは、貴族令嬢の嗜みとされている。リボンは婚約者の髪の色に揃えるのが慣例だ。何百もある金のリボンの中から、フィンセントにもっとも合うだろうと思うものを時間をかけて選んだ。
ジーナは綺麗に包まれた菓子を手にとる。それを思い切り投げ捨てようとして――できなかった。指先がぷるぷると震えている。ジーナは静かにその手を下げた。
悲しいはずなのに、心がマヒをして何も感じない。涙の1つも流れなかった。ジーナは表情を変えないまま、その菓子を膝の上に戻した。
今までたくさんの菓子をフィンセントに貢いできた。だが、そのどれもがフィンセントの舌には合わなかった。フィンセントはいつも眉をひそめて、時にえずいたり、むせたりしつつも、ジーナの菓子を食べていた。
『美味しくないのでしたら、残してください』
ジーナは何度も告げた。しかし、フィンセントは口では「まずい」と言いつつも、いつもジーナの菓子を残すことはなかった。
ものすごくまずそうにしながらも、完食するのだ。そして、『次の菓子には期待しているよ』と言い添える。ジーナが菓子を持って行かないと、『今日はないのかな?』と催促してくるのだった。
彼と会う日、ジーナはいつも手作り菓子を持参した。それをフィンセントはことごとくけなした。
その様を見る度に、ジーナの心は蝕まれていった。
――フィンセント様は口に合わない菓子を最後まで食べてくださる。私が悪いんだ。私が彼に美味しいと言ってもらえるだけの物を作れないから……。
寝る間を惜しんでジーナは菓子作りの勉強をした。
ここ、フェリンガ王国は美食の国と呼ばれているほど、食文化を大事にする国家だ。そのため、「菓子作り」は貴族令嬢の嗜みとされている。ジーナも幼い頃より菓子作りを学んできた。
令嬢が婚約者に手作り菓子を渡すのは、フェリンガ王国では当たり前の光景だった。公爵家のジーナと、第一王子フィンセントの間でも、それはしかりだ。
フィンセントは甘いものが苦手なようだった。だから、甘さを控えた菓子作りの研究をした。
試作品を何日も何日も焼き続けたこともある。
『次こそはフィンセント様に美味しいと言ってもらいたい……』と、ジーナはその一心で頑張った。彼に渡す菓子は必ず味見をした。使用人や父にも「美味しい!」と、太鼓判を押してもらっていた。
でも、ダメだった。
フィンセントの反応はいつも変わらない。
――ああ、これはひどい。ひどい味だ。
その言葉がジーナの心を深く突きさした。
フィンセントが散々、社交の場でジーナの菓子をけなしていたから、自分の名前は悪い方に広まっている。
――エメリア家の娘は、料理が下手だ。
――フィンセント殿下も大変だろうに。そして、何てお優しい方なのだ。婚約者のまずい料理を、健気に完食なされるなんて。
そして、男爵家のエリデが、自分を陰でこう呼んでいることも知っていた。
――『ゲテモノ作りの』ジーナ・エメリア。
ジーナ・エメリアといえば、料理が下手で、それにも関わらず、まずい料理を作ってはフィンセント王子に無理やり食べさせる、傲慢な女。
そんな噂が広まっていた。
そのことを思い出しながら、ジーナは原っぱでぼんやりとしていた。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。
ジーナは菓子を手にとる。そして、咄嗟に走り出した。
「お嬢様……!?」
使用人たちが焦った声を上げる。
それを振り切って、ジーナは森の中へと駆けていく。
特に宛てがあるわけではない。
しかし、もう「ジーナ・エメリア」としてここにはいたくない。誰も自分のことを知らない場所に行きたい。
ジーナはそれだけを願った。
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