019 中庭に響く音色⑥
「━━わわ、すっごいキレイになってる!」
まるで人の気配がなく、周囲は壁に囲まれ、見上げた先では空の青さに小鳥が舞う。
外界から隔絶されてしまったかのような錯覚すら覚える……そんな静かな中庭へと足を踏み入れた若いシスターは開口一番、驚きの声をあげた。
「だいぶ前に来た時は草がボーボーだったのに! すごいすごい!」
以前の姿と比べているのか、キョロキョロと中庭を見回しては感嘆の声を漏らし続ける若いシスター。
その様子が、この場所を作った´彼´の事も一緒に褒めてもらえているような気がして……少女の顔は自然と綻ぶ。
「さってそれじゃあ、噂のあの子はどこにいるのかな〜?」
「……あっち。大きい花壇のほう」
遠くを見るように額へ手をかざし、右へ左へと視線を移す若いシスターに少女が指し示した方向。そこに配される、一台のベンチ。
そして、ベンチと向かい合うように倒れた……
「ん、どれどれ…………おっ、いたいた!」
そう言って若いシスターはベンチへと駆け寄り、地面に横たわっていたのが古びた案山子だったのを知ると……人知れず、ボソリと呟いた。
「そっかそっか、この子だったかぁ。……すっかり忘れちゃってたなぁ」
その場で両膝をつき、抱き寄せた案山子に付いた土や乾ききった泥を優しく手で払いながら……目の前のベンチに腰を下ろした少女へ、若いシスターは語りかける。
「……あの光はどこへ行くんだろうね。それに……どこから来たんだろう」
「…………」
「知ってる? あの光の事をね、´魔力´って呼ぶ人もいるらしいの」
「……´まりょく´?」
「そう。御伽噺に出てくるような……魔法みたいな力だから、´魔力´。不思議なチカラが宿ってて、それが切れちゃうと元の依代に戻っちゃって……
動ける時間もバラバラで、同じ依代を使っても全く同じにはならなくて……
ほんと、魔法みたいだよね。不思議不思議……」
話を終えた若いシスターが自身の膝に付いた土を払い、ヨイショと案山子を起き上がらせた拍子に……ハラリと落ちる麦わら帽子。
「よ〜し! じゃあ戻ろうか、リリー」
「うん」
「よっ……と。……うぐ。そ、そうだった……この子、意外と重いんだった……」
地面に落ちたそれを、少女は見つめる。
何かを思い出すかのように、じっと見つめる。
「す……すっかり、忘れちゃってた……なぁ……うぐぐ」
ひいひいと音を上げ重そうに案山子を運んでいく若いシスターの後を、少しの間を空けて少女はついていく。
お気に入りのクマのぬいぐるみと……草臥れた麦わら帽子を、胸に抱いて。
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いつもの朝。いつもの静けさ。いつもの中庭。
膝の上にクマのぬいぐるみを乗せる少女は、花壇の近くに置かれたベンチに座り……風で揺れる草花や、歌声を響かせる小鳥達へと静かにその意識を向けていた。
時たま体を動かそうと立ち上がるクマのぬいぐるみを抱きしめてみたり、暇そうに両の足をぶらぶらとさせたりしながら。
「━━なあ、リリー。そろそろ来るよな?」
「…………たぶん」
空を見上げて何やらそわそわとしはじめたクマのぬいぐるみに返される、少女からのどこか曖昧な答え。
来るでもなく、来ないでもなく…………たぶん。
そんな言葉に込められた思いなど露知らず、ベンチの上を行ったり来たりとしながら後方にある入口へクマのぬいぐるみが何度も繰り返し視線を送っていると……
その先の通路から現れる、よくよく見知った姿。
「お、大丈夫だったのか? 心配したん━━」
麦わら帽子を浅くかぶり、手には園芸用の道具を抱えたいつもの若い男性の姿を確認し、嬉しそうに話しかけようとしたクマのぬいぐるみの口を……少女が閉ざすようにして抱き上げる。
「(……リリー?)」
口に人差し指を当て、胸に抱くクマのぬいぐるみへ何も言わず沈黙を促す少女。
行動の理由は……すぐに訪れた。
「やあ、お嬢さん。´はじめまして´」
近くまでやってきた若い男性が、そう言ってベンチに座る少女へにこやかに笑いかける。
「お嬢さんじゃなくて、私はリリーよ。…………スコップさん」
「では、改めて。はじめまして、リリー」
「……はじめまして」
少女の返答にも丁寧に対応し、会話を続けながらも若い男性は花壇の脇へ自身が運んできた道具を下ろしていく。
「先客が居るなんて思ってもみなかったから、少しだけ驚いちゃったよ」
「…………」
「誰かと一緒に来たのかい?」
「ロッ…………ううん、ひとり」
「へえ。それにしても……リリーはよくこんな場所に来ようと━━」
「……! ……こんな場所じゃないっ!」
言葉少なに返事をする少女であったが……若い男性が口に出そうとした言葉を遮る形で、ベンチからその声を荒らげる。
「ここには花がいっぱい咲いてる。草や木だってある。葉っぱで音を出すことだって……花で´かんむり´を作ることだって出来る!
……こんな場所じゃないっ! ここは立派な……立派な世界なの! まだ知らないだけっ! みんなも…………´あなた´もっ!」
口から出たのは……この場所で芽生え、育んだ、確かな想い。
小さな少女が見せる、精一杯の主張。
若いシスターが、礼拝堂で言っていた言葉……´前と同じ´。
´前と同じ´、草臥れた麦わら帽子。
´前と同じ´、土で汚れた作業服。
そして、´前と同じ´……顔。声。姿。
だけど…………それは´彼´じゃない。
何故そうなるのかは、ドール召喚を業務の一つとしているバジリカ側ですら分かってはいなかった。
ドールについての研究を行っている都市も中には存在するが、そのほとんどが雲を掴むような内容であるために……何れも、遅々《ちち》として進んではいないというのが実際のところである。
━━声を大にした勢いのまま少女はベンチから立ち上がり、若い男性に背を向ける。
……´彼´と同じ姿をした若い男性に、何かを言ってしまうより先に。
クマのぬいぐるみを胸に、少女は足早に中庭を後にする。
……´彼´の作った´世界´が、自分を振り返らせてしまうより前に。
「リリー……」
通路を駆ける少女の耳に届く、クマのぬいぐるみからの呟き。
「……また、あの花を見に行こうな」
「…………うん」
それ以上の言葉は交わさず。
大聖堂へ着くまで、少女がその足を止める事はなかった。