017 中庭に響く音色④
「スコップさん……?」
「ん、大丈夫大丈夫」
「本当かよ……」
ベンチから心配そうに視線を送る少女達の前で、ふらつく足に苦労をしながらも若い男性はどうにかして立ち上がるが……そこから先には進む事が出来ず、まるで力が急に抜けたかのようにヘタリとその場で座り込んでしまった。
「なんだか……体を思うように動かせないんだ……」
そう言って苦笑いを見せる若い男性の体が、淡く、仄かに。…………光り始める。
「あっ……」
口から漏れ出た小さな声。僅かに曇る、少女の横顔。
「え? …………えっ? ほ、本当に大丈夫……なんだよな?」
「…………」
「お……おい! 黙ってちゃ分かんないだろ……! なあ、リリーも……」
目の前で起きている光景に対し、何らかの答えを求めるクマのぬいぐるみが自身を抱く少女へと振り返るも……
そこにあった少女の表情に、言葉は自然と音を失う。
地面に座り込んだ若い男性をベンチの上から虚ろに眺める少女のそれは……どこか諦めにも似た、ひどく寂しげなものとしてクマのぬいぐるみの目には映っていたのだから。
「…………。なんで……」
やがて、纏った光は徐々にその強さを増し……
そのうちの幾つかが白色の粒となって、若い男性の体から離れ始める……
「ああ…………そうか。そうだったな、うん」
体のあちらこちらから抜け出るような形で天へと昇っていく光の粒を見つめ、若い男性は一人頷く。
「ごめんね、本当はもっと色々な遊びを教えてあげたかったんだけど……」
「だからっ……そんな事は今はいいんだって! 具合が悪いなら他に誰かを━━ リリーが行かないなら俺だけでも━━」
クマのぬいぐるみからの矢継ぎ早な提案にも少女は立ち上がる事がなく、それを見る若い男性もただすまなそうな顔をするばかり。
白き光の粒が周囲に漂うなかで、少女の膝の上で可愛らしい小さな腕をぶんぶんと振り回し、動かぬ二人に呼びかけ続けるクマのぬいぐるみの必死な声だけが……静かな中庭で響き渡る。
「なんでだよ……なんでなんだよ…………」
そうこうしている間にも、空に向かう光の粒はどんどんと大きくなり……若い男性を覆う淡い光が、こちらに向けたその表情すらをも朧気とさせていくのだ。
「リリーも……! あんたも……っ! どうして━━」
焦燥に駆られ再び声を荒らげようとしたクマのぬいぐるみに、少女はそっと手を伸ばし……優しく抱き寄せる。
慌てて振り向いては何かを言わんとするクマのぬいぐるみを、言葉なく物憂げに見つめる少女。その首は小さく、横へと振られていた。
「リ…………リリー……」
何も言わず、戸惑いを見せるクマのぬいぐるみの腕を使い……少女は目の前の光に向かってバイバイをする。
既に幾つもの光の集まりへと変わっていたそれは、手を振り返すかのように一度だけ確かに輝き……そして、緩やかに天へと昇っていった。
……若い男性の姿はもう、どこにもなかった。
少女達が座るベンチの前では麦わら帽子をかぶった一体の古びた案山子が倒れ、淡く光を放っていたが……それもいつしか消えていく。
「あんたも…………だったのかよ……。言われないと気付かないじゃないか、こんなの……そうだろ、リリー? 誰がどう見たって……」
胸元からポツポツと聞こえてくるクマのぬいぐるみの声に耳を傾けながら……少女はどこまでも広がる、いつもと変わらぬ穏やかな空を見上げる。
光が向かった先……あの青い空の向こう……
自分の知らない沢山の不思議で溢れていそうな、そんな場所へ……少しだけ、思いを馳せるかのように。
「━━こっちにもいないなら……次は礼拝堂の方に行ってみようぜ」
「うん」
大聖堂の二階や、一階にある食堂、通路で繋がる大図書館。
中庭で倒れたドールの事を伝えるべく、少女はクマのぬいぐるみを胸にバジリカの主だった建物内を歩いてまわる。
きょろきょろと辺りを見回しながらも礼拝堂に足を踏み入れると……奥でその姿を見つけ、駆け寄った少女は目の前で揺れ動く修道服の裾をぎゅっと掴んだ。
「それは片付けても大丈夫よ、代わりは倉庫から持ってきて頂戴。あとは…………あら?」
午前の部の召喚業務が終わり、続く昼のお祈りに向けての準備を複数のドールと共に行っていたシスタースズシロは自身の服を引っ張られる感覚に手を休め、後方へと視線を動かす。
人々の暮らしに欠かすことの出来ないドール……それは広大な敷地を持っているバジリカでも同様であり、一般的な家屋と比べてもその数は膨大である。
ドール達は役目に応じた様々な姿・衣服で身を包んでいるが唯一、修道服だけは御使い様に直接仕えるシスター達との違いを、デザインで以て誰の目でも分かるよう明確にされていた。
「どうしたの? ……リリー?」
「…………。行っちゃった……」
……行っちゃった。
お気に入りのクマのぬいぐるみを左手に抱え、伸ばした右手で修道服を握り締めるように掴む少女が……俯きながらに発した、たったの一言。
ただのそれだけで、長年の友であるかのようにシスタースズシロは全てを知り、全てを理解する。
「…………そう。リリーは伝えにきてくれたのね」
「……うん」
「ありがとう、リリ━━」
下を向いたままこくりと頷く少女の頭に、シスタースズシロの暖かな手がそっと触れた時……
礼拝堂へと入ってくる一つの足音が聞こえ、その場の空気なぞ丸ごと吹き飛ばしてしまいそうな快活な声音が後に続く。
「はい聞こえました! しっかりとこの耳に聞こえましたよ! お師匠様……いるんですね? そこに……! リリーが……っ!」
「!!!」
前が見えないほどの荷物を抱え、言葉と共にずんずんとこちらに向かってくるのは…………もはや、説明する必要も無いだろう。
「私を見捨てた罪はまだまだ消えてないんだぞっ? 今日こそ……ぎゅー&ぶちゅーの刑だっ!」
運んできた荷物を祭壇横にある台へと置き、そう言ってくるりと振り返った若いシスターは素早く腰を落とし、臨戦態勢となる。
そしてシスタースズシロの陰に隠れ、こちらの様子を窺う小さな姿をその目で捉えると……慌てて逃げ出そうと背中を向けた所を流れるような動きで抱え上げ、じたばたと藻掻く少女へ´ひょっとこ´のように唇を突き出した。
焦る少女、迫りくる´ひょっとこ´……!