016 中庭に響く音色③
「本当にそこが、お花でいっぱいになるの?」
硬い土には大小様々な石が混ざり、所狭しと生えた雑草達がその場の所有権を悉く主張している地べたを見て、少女が若い男性に疑問をぶつける。
「ああ…………必ず!」
スコップを突き立てる度、ガチリと音を鳴らしては次々に石を吐き出す目の前の土。
それに一切めげることなく、黙々《もくもく》と己の作業を続ける若い男性からの力強い答えが……はじめは興味なさげとしていた少女の表情に、徐々に変化をもたらしていく。
「……ふうん。お花はね、好き。いろんな形があって、いろんなニオイがあって。おっきいのも、ちっちゃいのも、みんな好き。でも、お花が土から出てくるところは見たことがないの」
「おっ、そりゃあいい。じゃあ……天気の良い日には、お花達が元気な芽を出せるように声をかけて応援してあげないとね」
「……うん!」
しばしそのまま……会話もなしに手を動かし続けていた若い男性だったが、隣でただ見ているだけでは何もすることがなく暇だろうと思い、胸に抱いたクマのぬいぐるみに時折気を向けている様子の少女へ声をかける。
「……そうだ、草笛って知ってるかい?」
「ううん」
「えーっと……うん、これなら良さそうかな」
近くに生える緑の中から手頃なものを見繕い、若い男性はそれを自分の口へとあてがうと……少女の方に顔を向け、そっと息を吹いてみせた。
〈ピーーィ……〉
中庭に響き渡る高音に、少女からは驚いた様子の声があがる。
「……音! 葉っぱから音がでた!」
その音を鳴らしたのは……普段からそこいらで見かけるような、何の変哲もないただの葉っぱ。
しかしそんなただの葉っぱが思いもよらない音を出したことで、少女の目はすっかりと輝き、音の出処である若い男性の口元に視線は釘付けとなる。
〈ピーッ……ピピーーィ……〉
音を鳴らせば鳴らすだけ、何かしらの反応を見せてくれる少女の姿がなんとも微笑ましくて……
知らず知らず笑顔となっていた若い男性の口からはつい、それが声となってこぼれ落ちた。
「ふふっ。……ふふふっ。草笛の面白い所はね、使う草によって音が微妙に変わってくるところなんだ。リリーにも吹き方を教えてあげるから、一緒にいるお友達に聞かせてあげるといい」
最後の一言で、少女の動きがはたと止まる。
「……お友達?」
明らかに声色が変わり……腕の中にいるものを隠すかのように、ぎゅっと抱きしめる力を強める少女。
「あれ? 違ったかな?」
「…………」
「そのクマさんはお友達じゃないのかい? 僕が来る少し前まで、楽しそうにお喋りをしていたじゃないか」
「そ、そんなこと……ない……。リリーは誰とも喋ってなんか、ない……よ?」
急に態度を変えた少女を見て、若い男性は何かを察したように幾度か小さく頷く。
「もしかして……そのクマさんは、他の皆には内緒だったのかな?」
そして、何かを探る用にちらちらと視線を投げかけてくる少女に……優しげな口調で、若い男性は言葉を続けた。
「……大丈夫。ここには僕達以外は誰も居ないし、誰かが来ることもない。僕の……いや、僕達だけの世界さ。
この狭い世界の中で、僕はずっと一人だった……。別に、それをどうこう言うつもりはないよ。そもそも、土をいじるのは嫌いじゃないし……一人でいるのにも慣れていたからね。
…………でもね?
いつもの場所に向かう通路の先から……いつもとは違う、誰かの声が聞こえてきた時。いつもとは違う、君達の姿があった時。
ふと……思っちゃったんだ。
ああ、今日は一人じゃないんだな。ひとりぼっちじゃ……ないんだな、ってね」
「…………」
「だから、そんな僕だから…………是非とも、君達の仲間に入れて欲しかったんだけどな」
「ずっと……一人……」
ぼそりと呟いた言葉を、頭の中で繰り返しなぞり……
やがて少女は胸に抱きしめるクマのぬいぐるみを持ち直し、少しだけ寂しそうに微笑む若い男性の前へとその手を伸ばした。
「……ロッコ。クマさんじゃなくて、この子はロッコ」
「…………。……よ、よぉ」
両脇の下を抱えられ、足が宙ぶらりんなクマのぬいぐるみは少しばかりの様子見を経て……少女以外の誰かが近くにいる場合にはいつも欠かさず行っている例の´ふり´を止めると、そう言って目の前の若い男性におずおずと右腕を上げる。
「こうやって一緒に喋るのは……あんたで二人目なんだ。まあ、その、よろしく……な?」
「こちらこそ……よろしく、ロッコ。リリーも本当にありがとう……とても光栄だよ」
こくりと頷く少女にニコリと笑い、若い男性は再び一枚の葉を自分の口へとあてがう。
「それじゃあ改めて……いいかい? 葉っぱを使って音を出すにはね━━」
〈カツリ……ガツッ……〉
若い男性が自身の作業を続ける傍ら……逆さまにしたバケツに腰を下ろした少女が様々な葉を手に取っては口に当て、そこに息を吹きかける。
ヒューヒューと息だけが抜ける音……
ビー、ブーと濁りの強い音……
それらが聞こえるたび、少女とクマのぬいぐるみの楽しそうな笑い声が後に続く。
そして……
〈ピーーーッ……〉
「……でた!」
「おっ、やったなリリー!」
時たま流れるその澄んだ高い音色は、他に訪れる者の居ない静かな中庭で柔らかく風に揺られ……ゆるりと周囲を巡っては……暖かな日差しをもたらす、大きな青空へと飛び立っていった。
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「━━だいぶ……様になってきたんじゃないか?」
中庭で一人、立ちながらに作業をしている若い男性の後ろから……少女に抱きかかえられてやって来たクマのぬいぐるみが言葉をかける。
目の前に広がる地面は、既に立派な花壇へと変貌し。
ふかふかなその土には何かを植えた後なのか、若い男性がジョウロを用いて水を撒いているところであった。
「いい感じだろう? 雑草も生えていない、石も転がっていない、これで漸くスタートラインさ! それに、もう見えちゃってると思うけど……」
そう言って振り返る若い男性は、花壇の近くに置かれたやや古臭いベンチに少女達の視線を促す。
「倉庫の奥で埃をかぶっていたベンチを、綺麗にしてからここまで運んでみたんだ。まあ……それなりには骨が折れたんだけどね」
「へえ……あるだけで雰囲気も変わってくるもんだなあ」
「もう、座ってもいいの?」
「もちろん! これは僕達だけのベンチ。僕もまだ座っていないから、今なら一番乗りになれるよ」
「聞いたかリリー? 一番だってよ、一番! ほら、早く座ろうぜ!」
「……うん!」
さっそくベンチに腰を落ち着けた少女の腕の中から、居ても立っても居られない様子でスルリと抜け出るクマのぬいぐるみ。
そのまま少女の隣に座ったり、立ち上がって背もたれを触ったり。
ベンチの下を覗いてみたり……それとは逆に、空を見上げてみたり。
終始ソワソワと体を動かしていたクマのぬいぐるみだったが、そんなこんなで充分に´一番´を堪能し終えると……満足そうに定位置である少女の膝の上へと戻り、一息をついた。
「…………ふう。あとは花が咲くのを待つだけかあ」
「他にもやりたいことはあるにはあるけど……やっぱり、まずは色が欲しいよね。風に揺られるいろんな花を見るのが、今から……」
〈ガランッ〉
その言葉を言い終えるのを待たずして……若い男性の手から、持っていたジョウロが落ちた。
水を吸った地面が、どんどんと黒くなっていく。
「……? どうしたの?」
「うーん…………。たまになんだけど、体が言うことを聞いてくれない瞬間があるんだ……」
動かしにくそうな右腕を左手で支え、確かめるように自身の前で手のひらを握ったり開いたりとさせる若い男性は……足元に転がったジョウロを見つめ、少し困ったような表情を浮かべる。
「なんだよ、それって何ともないのか? 花壇が完成するの……俺もリリーも、楽しみにしてるんだからな!」
「ハハ、ありがとう。そうだね、頑張らないとね! 取り敢えずは……もう一度、水を汲んでくることにするよ」
「いってらっしゃい、スコップさん」
クマのぬいぐるみからの遠回しな励ましに笑顔で答え、ベンチに座ってこちらに顔を向ける少女に軽く手を振り、若い男性は空となったジョウロを片手にゆっくりとした足取りでその静かな中庭を後にした。
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