001 少女とクマのぬいぐるみ①
━━まっくらはきらい。何も見えなくなるから。
━━まっくらはきらい。とても寒いから。
━━まっくらはきらい。一人ぼっちだから。
━━まっくらはきらい。みんな…………いなくなるから。
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大きな街の中央に位置する大聖堂。それに連なる、とある建物の一室。
昼間でもひんやりとする石造りの床……高い天井を支える四隅の柱……
時間帯の所為もあってか、あまり人が訪れる事のないその場所で……柱を背に、少女は足を投げ出す様にして座っていた。
「━━!」
……何かが聞こえる。
「━リー!」
パタパタと短いリズムで近づいてくる足音。馴染みのある……いつものあの声。
「リリー! ああ、やっと見つけました……。もう、ダメでしょう?」
その言葉と共に扉を開けて入ってきたのは、修道服を着た一人の老女だ。
困ったような、安心したような……そんな顔をみせたまま彼女は真っ直ぐこちらに向かってくると、持っていたクマのぬいぐるみごと私を抱きかかえる。
「お昼のお祈りの時間ですよ? みんな待っているんですから……」
「……ロッコと一緒にお話してたの」
「ロッコ? あら、その子にお名前をつけてあげたのね」
「ううん、つけてないよ?」
「……? ……さあさあ、はやく行きますよ」
修道服姿の老女は私を抱きかかえたまま、すれ違う人々に軽く会釈をしつつも廊下を足早に歩いていく。
そのまま大聖堂を抜け、他の建物と同様に廊下で繋がっている礼拝堂へとたどり着くと……そこには既に街の人々が集まり、並べられた長椅子に着席をしていた。
それを見て急ぎ壁際を進む修道服姿の老女は、最前列まで来ると私をそっと長椅子の上に降ろし、準備のために背を向ける。
ここは、私の特等席だ。
正面の壁を彩る、三人の天使様が描かれた大きな大きなステンドグラス。そこから差し込む光が、いつもきらきらと輝いては私を優しく包み込んでくれる。
……昔から変わらない、私の特等席。
「なあ! 今日はどこに隠れてたんだよリリー!」
修道服姿の老女が離れたのを見計らい……後ろの席に座っていた少年がそう言いながら長椅子の背もたれに手を付き、こちらに身を乗り出すようにして私にそのやんちゃそうな顔を見せる。
「召喚室。でも、隠れてたんじゃ……」
「ちぇっ! リリーはすげーなぁ! 俺、すぐみつかっちまうもん! なあ、隠れるコツとか教えてくれよー」
「だから、隠れてたんじゃ━━」
〈パンパン!〉
準備を終えた修道服姿の老女が、私達の話を遮るように手を叩く。
「ほら、静かに。始めますよ」
それを合図に、ざわざわとしていた礼拝堂内が徐々に静まっていく。
そして、正面で光を湛えるステンドグラスへと向き直り……口から、捧げの言葉を紡ぎ始める。
「天に坐します御使い様……どうか我らの罪を赦したまえ……何卒我らに贖罪の機会を与えたまえ……」
………………。
修道服姿の老女が祈りを終えると、続いて始まる説教を静かに聞く。そして、最後に黙祷を捧げ……お祈りは終わりとなる。
私達はこれを一日三回。礼拝堂に並べられた長椅子の前列に纏まって座り、朝昼晩と行う。
このお祈りには必ず参加しなくてはいけないが……参加さえすれば後は自由。これがここの、私達のルールだ。
「──ありがとうございました、シスタースズシロ」
お祈りが終わり、街の人々が徐々に礼拝堂を後にしていくなか……修道服姿の老女にそう感謝を示しながらも、一部の人はステンドグラスの前に設けられた祭壇へと足を運ぶ。
礼拝堂内の祭壇には´気持ち´を置く場所があり、街の人々からの´気持ち´……所謂お布施だが、それらは全てこの礼拝堂を含むバジリカ全体の運営費用に充てられていた。
≪バジリカ≫とは……三人の御使い様を讃える教会、礼拝堂、大聖堂等の同じ敷地内に連なる建物群の総称でこの世界の主要都市にそれぞれ存在している。
また、バジリカは御使い様に関連する様々な事柄を請け負っており、この街のバジリカではリリーと呼ばれていた少女や他の子供達が共に暮らしていける様な場所も用意されていた。
少女を抱きかかえてきた女性……
シスタースズシロは高齢だが街の人々からの評判もよく、信頼も厚いようで本来の職務以外にも事ある毎に意見を求められ……バジリカの内と外とを行ったり来たり。そんな多忙な日々を過ごしているようである。
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「……ねえ。もう大丈夫だよ」
昼のお祈りが終わり……バジリカの敷地内にある中庭にて、ベンチに腰を下ろした少女は周りに人がいない事を確かめてから抱きしめているクマのぬいぐるみへと声をかけた。
「……ねえ。……ロッコ? お話しても平気だよ?」
「…………」
……もちろん、返事はない。
「ロッコ……」
「…………」
「む……」
それが気に入らなかったのか、少女は頬をぷくりと膨らませると無言でクマのぬいぐるみをくすぐり始める。
「…………!! ……あはは! あはははは……!」
すると、どうだろう……!
突然、まるで生きているかのようにクマのぬいぐるみは身を捩らせ……喋りだしたではないか。
「……あははは! ごめん! ゆるして! あはは……!」
「次……やったら、怒るからね!」
「はぁ、はぁ……わ、わかったよ……」
少女にくすぐられ、ぐったりとなりながらもクマのぬいぐるみはそう言葉を返す。
「……ん。さっきの続き」
「さっきの……?」
再度、くすぐろうとする少女に慌ててクマのぬいぐるみは続ける。
「わ、わかったって! まったく……
じゃあ、改めて……俺はロッコ! 続きも何も……君が呼んだんだろ?」
「…………?」
「ん……?」
「うん……?」
どことなく……会話が噛み合わない。
少女とクマのぬいぐるみは顔を見合わせる。
「ちょ、ちょっとまってくれ……」
クマのぬいぐるみは少女の腕から抜け出すと、その隣でベンチの上に立ち……腕を組んで考え始めた。
「うーん…………ん?」
クマのぬいぐるみの視界の端に、なにやら黒いものがちらちらと映りこむ。
「……えっ。…………!? な、なあ……悪いんだけどさ…………あ、あの窓まで持ち上げてくれないか?」
恐る恐るといった体で言葉を出すクマのぬいぐるみ。
「君……じゃなくて、私はリリーよ」
そう言いつつも少女は望み通りにクマのぬいぐるみを抱きかかえると、近くの窓まで行き……そこに映るよう、クマのぬいぐるみを持ち上げてみせた。
「ああ。リリー、ありがと……」
……クマのぬいぐるみの言葉が止まる。
暖かな日差しの下、中庭に隣接する窓に映し出されたのは……可愛らしい少女に抱きかかえられた、これまた可愛らしい、黒いテディベアの姿だった。
「な……なんだってー!!」
叫ばずにはいられなかったのか、人通りの少ない中庭にクマのぬいぐるみの声が響き渡る。
後に残るは、驚きのあまり少女の腕の中で石のように固まったその姿。
「元気出して、ロッコ……」
そんなクマのぬいぐるみを抱きしめ、黒くふわふわな頭を撫でながら少女は言葉をかける。
「こんな……小さい…………こんな……可愛い……あ、ああ……」
「ちっちゃくて可愛いロッコ、リリーは大好きよ? ふわふわだし……」
何故かがっくりと肩を落とし、項垂れるクマのぬいぐるみを一生懸命に慰めながらも……少女は呟くように言葉を漏らす。
「リリーはね、あなたとお話出来るようになって……すごくうれしいの。ひとりぼっちは……つまらないから……」
「…………ひとり? ここにはシスターもいるし、他の皆だっているんじゃないのか?」
少女の言葉に、項垂れて聞いていたクマのぬいぐるみが顔をあげた。