婚約破棄された没落令嬢は自由気ままに世界旅行する
「レベッカ・フォン・ジャーヴィス! 今日この時をもって、私は貴様との婚約を破棄する」
ハドック家の領主、アリスターは元婚約者レベッカにそう宣告した。
完全に不意打ちが成功したと思っているのだろう。
彼の顔は得意げだった。
それもそのはず。
第三者から見れば、普段着のレベッカは何の気なしにやってきたところ突然婚約破棄を突きつけられたようにしか見えない。
一方、アリスターの方はというと準備万端。
今日この日のために着々と準備を進めてきたのだろう。
傍にはおそらく新たな婚約者と見られる女性、そしてハドック家の執事、メイド長、顧問弁護士までいる。
自分を裏切った婚約者と泥棒猫、そしてこれだけの偉い人々に囲まれて詰められれば、レベッカのような若い娘は、ただただ狼狽え取り乱し、ショックもおさまらないうちに不利な条件を飲まされてしまったとしても無理はない。
すぐ側の机には離縁に際しての契約書らしきものが山のように積まれている。
レベッカはアリスターのことを無言でじっと見つめた。
アリスターはますます得意げな顔になる。
「ふん。突然のことに言葉も出ないか? だが、後悔してももう遅い! 婚約破棄に必要な証拠は全て揃っているんだからな!」
「レベッカ、どうしてアリスターのことを裏切ったの?」
傍の新しい婚約者らしき女性が純粋そうな目をレベッカに向けながら言った。
こんな純心そうな娘に責めるような目を向けられれば自分が悪者だと錯覚しても仕方がない。
「アリスターはあなたのことをあんなに愛していたのに。ウソを吐くなんて」
「言うな。シルヴィア。もはや過ぎたこと。この女に何を言っても無駄だ。さあ、顧問弁護士。レベッカの罪状を述べたまえ」
「はい。まず、第一に実家の財政が傾いていたのを隠していたこと。第二に……」
「ちょっと待った!」
それまで黙って聞いていたレベッカが初めて口を挟んだ。
「アリスター様、あなたのおっしゃりたいことはわかりました。つまり、私との婚約を破棄したいと、そう仰るのですね?」
「……そう慌てるな。まずは罪状を一つずつ読み上げてから……」
「では、わかりました。私、実家に帰らせていただきます」
「ま、待て。ヤケになったか? 実家に帰るための路銀は工面してやらんぞ」
「ご心配なく。そのくらいの費用は自分でどうにかしますので。では」
「お、おい。待て」
アリスターの制止を無視して、レベッカはさっさと屋敷から退散した。
(まったく。気付いていないとでも思っていたのかしら)
婚約者としてこの屋敷に迎えられて以来数ヶ月。
アリスターの心が自分以外の女性に向かっているのはすぐに分かった。
婚約破棄するつもりなのも分かったので、レベッカはそれに備えて準備していたのだ。
レベッカが財産庫の前に来ると、衛兵が腕を組んでしかめ面をしている。
ここは通さんぞ、と言わんばかりであった。
倉庫にはレベッカの輿入れのために持ってきた財宝が入っている、レベッカはそんな衛兵をスルーして屋敷の出口に向かう。
意気込んでいた衛兵は、肩透かしを食らってポカンとする。
実際、レベッカは倉庫に入る必要などなかった。
数日前までその倉庫には、レベッカの輿入れのために供出された財物が入っていたが、レベッカはすでにそれを処分して路銀に変えていた。
まったくアリスター、あの男は婚約破棄するのに飽き足らず、ジャービス家が持参金代わりに持ってきた財物まで取り上げようとしていたのだ。
屋敷を出るとすぐに馬車に乗り込んで、街の外へと向かった。
屋敷の方から怒鳴り声が聞こえてくる。
おそらく倉庫を守っていた衛兵をアリスターが叱り付けているのだろう。
レベッカの持ってきた財物が無くなっている?
何をしている!
レベッカを倉庫に通すなとあれほど言ったはずだろう?
誤解です、ご主人様。
私は確かにレベッカ様をお通ししていません。
バカな。
それならばなぜ財物が無くなっている?
一体誰が取り出したというのだ。
レベッカはハドック家の領地からその日のうちに出てしまう。
アリスターと出会ったのは数年前。
アリスターは出会ったばかりのレベッカに一目惚れして、その場で婚約を申し込んできた。
この婚約話は没落しつつあるジャービス家にとって僥倖と言えた。
レベッカは正直に告白した。
ジャービス家は没落しつつある。
なので、ハドック家にとって何の得にもならない。
しかし、アリスターはレベッカの言葉を遮って言った。
ジャービス家の財産など気にしない。
あなたと結婚できればそれでいい。
当時、レベッカは思ったものだ。
何ていい人なんだろう、と。
そうしてレベッカはなけなしの持参金を手に遠国であるハドック領へと向かった。
レベッカはアリスターと共に彼の用意した馬車と隊商に連れられて、ハドック領へと向かった。
気分はまるで新婚旅行。
道中、2人は和やかな雰囲気ですべてが上手くいくかのように思われた。
ところが、道を進むに連れてアリスターの態度が変わってきた。
どうやらレベッカが賢すぎたのがお気に召さなかったらしい。
彼女はうっかりアリスターよりも早く道中の危険に気づき、資金を節約する方法に気づき、同伴している護衛に的確な指示を送ってしまうのであった。
途中からアリスターが不満そうなのに気付いたレベッカは、多少の不便は我慢して口をつぐむことにした。
自分で仕切れるようになってアリスターの機嫌は直ったが、レベッカに隠れてこそこそ何かするようになった。
表向きアリスターはレベッカに対して何も不満はありませんよという顔をしていたが、レベッカは彼の行動をすべて見透していた。
ハドック領に辿り着くと、案の定アリスターは何かと理由を付けて、結婚を先延ばしにした。
その辺りから、アリスターに女性の影がチラつくようになった。
どうやらレベッカの実家と違い、財産の面でも不備がないようだ。
レベッカは彼の下を離れる決意をした。
難儀したのは、彼がなかなか婚約破棄を言い出さないことだった。
レベッカがさりげなく探りを入れても、お茶を濁すばかり。
一体どういうつもりなのかと動向を探ってみると、彼はなんと婚約破棄するつもりなのに持参金だけは受け取ろうとしているようなのだ。
レベッカは呆れ果てた。
ジャービス家が遠いのをいいことに、こんな道理にかなわないことをしようとは。
レベッカはかろうじて残っていた彼への愛着も消え果て、持参金代わりの財物を売り払い、先手を打って逃げることにしたというわけである。
ハドック領の外に出た。
婚約は踏みにじられたが清々しい気分でもあった。
こうして自由の身になれたのだから、ずっと夢だった世界旅行ができる。
手持ちの路銀でどこまでやれるか分からないが、まあなんとかなるだろう。
いつからだろう。
世界旅行に憧れるようになったのは。
記憶をたどればその原点は遠い昔。
彼女がまだ幼い少女だった頃にまで遡る。
ジャービス家に少しの間だけ滞在した旅人がいた。
彼は砂漠を越えてこの国にやって来たのだという。
旅人は見せてくれた。
この国では決してお目にかかることのできない珍しい品々。
砂漠を越えた先にあるその世界の片鱗を。
旅人はレベッカの父親の相手をするのに忙しかったため、あまり彼女に構ってくれなかった。
その代わり、旅人に付き添っていた少年、おそらくレベッカと同じ年頃の少年が代わりに話に付き合ってくれた。
自分のことについて多くを語らない少年だった。
おそらく訳有りで身分を明かせないのだろう。
「ねぇ、教えて。あなた達はどうやって広い砂漠を越えて来たの?」
マルクはその歳に似合わぬ大人びた口調で話してくれた。
砂漠にはオアシスが点在して、そこでは常に市場が開かれている。
旅人達はその市場で手に入る商品を売り買いし、交易することで旅費を稼ぎ、オアシスからオアシス、街から街へと渡り歩いている。
もし、交易に失敗すれば死ぬ。
少年はたくさんの商人が道半ばで朽ち果てるのを見てきた。
しかし、その分成功した時の見返りは大きい。
砂漠を踏破して東の果ての品物を西の果ての国に持っていけば、それだけで大金持ちになれるという。
世界中の商人が一攫千金を夢見て、砂漠を踏破することを目指している。
ゆえに、商人達が通るその砂漠の道は『宝石の道』と呼ばれている。
レベッカはもっと少年のことについて知りたかったが、何を尋ねても彼は悲しげに首を振るばかりだった。
ただ、彼が立ち去る最後の日、レベッカにだけ名前を教えてくれた。
少年は名をマルクと言った。
『宝石の道』を辿っていけば、マルクにもまた会えるかもしれない。
『バル市場』。
『ジュエル・ロード』の入り口でもあるこの市場は、レベッカの実家にもその名が伝わる近辺でも屈指の栄えた市場である。
世界中から集まった珍しい品が取引される活気のある市場だが、その一方で海千山千の商人達が競りで日夜狐と狸の化かし合いをしている。
アリスターからの追手を逃れるため、馬車を乗り継いで『バル市場』に辿り着いたレベッカは、早速、宝石を売ろうと商談に取り掛かっていたが、のっけからつまずいていた。
「買えない? 一体どうしてだ?」
「決まってるだろ嬢ちゃん。あんたが信用ならないからさ」
太々しい面構えの商人は、パイプをふかしながら言った。
「私は嘘なんて言っていない。これは確かに本物の宝石だ。この輝きをよく見てくれ!」
「そういうことじゃねぇんだよな。その宝石どうこう以前の問題なんだよ、あんたは」
「なに?」
「ここは『バル市場』。海千山千の商人が日夜同業者の裏をかこうと悪知恵を巡らせている市場だ。ここで迂闊なものを買えば、命取りだ」
「……」
「この市場に店を構えて長く生きていくコツは1つ。品物の見た目に騙されず、人間を見ること。すなわち取引相手を慎重に吟味して選ぶことだ。そんな風に生きてきた身からすればね。あんたは論外なんだよ」
商人はジロリとレベッカの身なりに視線を走らせる。
「質素な服装をしているつもりか知らないが、俺の目は誤魔化せないぜ。あんた相当な身分のお方だろう」
「だったら、どうした? 私が高貴な身分の人間だとしたら、なおさら信用してくれてもいいじゃないか」
「どこぞの貴族のお嬢様がこんなところで護衛も連れず、宝石を売ろうとしている。いったいどんないわくつきの商談か分かったもんじゃないぜ。その宝石もどこから持ち出して、なぜ市に売り飛ばそうとしているのか。どういった経緯で手に入れたものか。トラブルはごめんだな」
「失敬な。私はこれを自分の目で見て、自分の判断で購入したんだ」
「なおさらダメだな。一体どんな悪徳業者に掴まされたものか分かったもんじゃねぇ。とにかく、あんたのような小娘と取引きしたとあってはこっちの沽券に関わるんだよ。同業者からどんな目で見られるか分かったもんじゃねぇ。帰ってくんな」
(くっ。まさかこんなところで躓くとは)
この宝石は道中の露天商でたまたま見かけたものだった。
埃だらけになって、端っこに転がっていたものを、これは素晴らしい品に違いないと思い、その場で購入した。
案の定、燻んでいた石ころは少し布で磨くだけでキラキラと輝きを取り戻した。
これは市場で高く売れるに違いないと思って、その売値を期待して少々高価な馬を買ってしまった。
おかげで今、レベッカの財布の中身は素寒貧で、この宝石を売らなければ今夜の宿代もままならないほどだった。
「なあ、頼む。半額でもいいから、この宝石を買ってくれないかな」
「いいや。ダメだ。悪いことは言わん。実家に帰りな」
「では、その宝石、僕が買いましょう」
突然、入り口の方から声がしてレベッカと商人はハッとした。
見ると、いつの間にか1人の冒険者らしき男が店に入ってきていた。
後ろには黒衣の魔女を伴っている。
レベッカがマジマジと見ると、その男は微笑む。
「兄ちゃん。冒険者か?」
商人が胡散臭げに聞いた。
「ええ。テリネへと向かう途中なんです。仕事ではなく、旅行みたいなもので」
「……なかなか修羅場を潜ってそうだな」
商人は冒険者を一目見て、すぐに見抜いた。
冒険者は曖昧な笑みを浮かべる。
「さしずめどこぞの冒険者ギルドの幹部ってことろか。若いのに大したもんだ。だが、商いに関しては経験不足のようだな。悪いことは言わん。この宝石だけはやめときな。この取引は高く付くぜ」
「でしょうね。この宝石は然るべき場所に持って行けば高値で売れるでしょう」
「違う。そうじゃない。この娘から買うのがマズいと言っているんだ」
「僕の考えは逆ですね」
「なに?」
「彼女だからこそ買うんです」
【レベッカ・フォン・ジャービスのスキル】
『相場観』:C→A
商人は呆れたような顔をした。
「初めまして。僕は冒険者ギルド『金色の鷹』のロラン・ギル」
「……レベッカと申します」
「レベッカさん、僕はその宝石を買い取ってくれる人に心当たりがあります。話に乗っていただけますか?」
ロランの言うことは本当だった。
彼の連れて行ってくれた店で宝石を見せると、そこの店主はすぐに目を見開き、高値で買い取ってくれた。
レベッカはお礼にロランと魔女リリアンヌに夕食をおごることにした。
「いや、ありがとうございます。おかげで旅費を調達することができました。なんとお礼を言えばいいか」
「気にしないでくれ。僕達も冒険者の端くれ。困った時はお互い様さ」
レベッカは曖昧な笑みを浮かべた。
「あれ? 君も冒険者なんじゃないの? これから『宝石の道』を探索するんだろう?」
「ええ。まあ、そうです」
まさか、婚約破棄されて自由の身になったのをいいことに、世界旅行しようとしているなどと言えるはずもない。
ロランとリリアンヌは、レベッカに何かのっぴきならぬ事情があることを察して、深く立ち入らなかった。
「それにしても凄いですねロランさんは。あんなすぐに宝石を買い取ってくれる店を見つけられるなんて」
「ああ。なんのことはないよ。僕の鑑定スキルであの宝石を買ってもらえそうな店主を探しただけだ」
「鑑定スキル?」
「そう。僕の鑑定スキルは、対象人物の現在備えているスキルとその成長余地を見ることができるんだ。それであの宝石の価値を判定できるスキルを持った商人を探し当てられたというわけさ」
「なるほど。そんなことが」
レベッカはロランのスキルに感嘆した。
一目見ただけで他人のスキルを見抜く鑑定士がいるとは聞いていたが、ここまで鑑定スキルを使いこなしている人に会うのは初めてだった。
「僕とリリアンヌはテリネに向かっているんだ」
「テリネというと、『混沌の神殿』があるという?」
「そう。僕達は結婚するつもりなんだけど、互いの宗派が異なっていてね。他宗派同士の結婚も認めてくれる『混沌の神殿』で婚約の儀を執り行うことにしたんだ」
『混沌の神殿』はどんな宗派の人間でも受け入れてくれる場所として有名だが、『宝石の道』の途中にあり、たどり着くのに多額の費用がかかるため、多くの他宗派カップルが目指したものの断念するのが例年のことだった。
一介の冒険者でありながらそこまでするのだから、ロランは相当リリアンヌのことを愛しているようだ。
レベッカは、恋人にそこまでしてもらえるリリアンヌのことが素直に羨ましかった。
「愛する人とはいえ、そこまでするなんて。羨ましい限りですわ」
「そんなことはないよ。むしろ、僕の方がリリィに沢山助けられているんだ」
ロランがそう言うと、リリアンヌは恥ずかしそうに頬を染める。
「私がロランさんのためにしたことなんて……、ロランさんが私にしてくださったことに比べれば大したことありませんわ。今の私があるのはロランさんのおかげですもの」
「それは僕も同じだよ。リリィ」
ロランはリリアンヌの手をそっと握る。
2人が互いに支え合っているのが見て取れた。
レベッカはますますリリアンヌのことが羨ましくなった。
リリアンヌはふと我に帰ると、レベッカに向き直った。
「レベッカさんは宝石にお詳しいようですね。『宝石の道』へは何か宝石を求めて?」
「いえ、別に私は宝石の取り扱いに詳しいわけではないんです」
「あら、そうなのですか? あんなに素敵な宝石を取引できるのだから、てっきり宝石についてお詳しいのかと」
「あの宝石はたまたま露天商で売られているのを見かけただけです。埃かぶっていたので、磨けば高値で売れるんじゃないかと思ったんです」
ロランの黒い瞳の奥が鋭く光った。
レベッカはロランからの関心が強くなっているのを感じた。
「でも、まったく知識がないのにそんな掘り出し物を見つけられるなんて凄いですね」
「なんとなく高値で売れるような気がしたんです。昔から掘り出し物を見つけるのが上手かったんですよ。だから、『宝石の道』に点在する市場で掘り出し物を見つけて、売り買いしながら路銀を稼いで世界旅行できるんじゃないかと思ったのですが。少々甘かったようです。まさか宝石を売るだけであんなに苦労するとは」
「でも、物を見る目があるのは確かですよね?」
リリアンヌがそれまでの控え目な態度から一転、身を乗り出しながら言った。
レベッカはついつい気圧される。
「鍛えれば、一級品のものになるのでは?」
「リリアンヌさんにそう言ってもらえると励みになりますね」
「一度の失敗でめげてはいけません。次はもっと上手く取引できるはず。ファイトです!」
なんて前向きな人なんだろう、とレベッカは思った。
彼女がロランからの愛情を一身に受けるのも分かる気がした。
「ちなみに……」
ロランが探るように聞いた。
「なぜ『宝石の道』に? 理由も目的もなく行くにはあまりに壮大な計画のように思えるけど」
「そうですね」
レベッカはすぐには答えず考えを整理してみた。
その間もロランの全てを見透すような瞳は向けられたままだ。
怖かったがその一方で温もりのある瞳だった。
下手な嘘を言っても見抜かれるだろう。
「子供の頃、『宝石の道』のことを聞いて、ずっと自分の目で見てみたかったというのもあります。ただ、本当のところは、自分がどこまで行けるか試してみたかった、ってところです。おかしいですかね?」
「いや。そんなことないよ」
ロランはレベッカの観察を解除して視線を外した。
彼のテストは終わったのだと、レベッカは思った。
「では、どうかな」
ロランが口を開いた。
「僕が君に出資するというのは」
「えっ?」
レベッカは思わぬ申し出にぎょっとした。
「僕の所属しているギルド『金色の鷹』も『宝石の道』の交易ルートを確立したいと思っていたところなんだ。もし、君が『宝石の道』の交易ルートを開拓してくれるなら、100万ゴールドほど支援してもいいよ」
「100万ゴールド……」
レベッカの実家でも、ハドック家でもポンと出せるような金額ではなかった。
「あの、ロランさん、そんな金額をポンと出せるなんて。相当お偉い方なのですか?」
「僕は『金色の鷹』の執行役だよ」
「執行役……」
レベッカは改めてロランのことを見た。
執行役ということは、ギルドの実質上のトップだということだ。
只者ではないとは思っていたが、これほどとは。
荒くれ者の集う冒険者ギルドで鑑定士がギルドの頂点まで上り詰めるなんて聞いたこともなかった。
「面白そうですね。では、私もレベッカさんに一口投資します」
「リリィ。いいのかい?」
「はい。ちょうど手許資金が余って何に使おうか悩んでいたところですから。それにもう少しレベッカさんと一緒に旅行したいですしね」
「もしかして、リリアンヌさんもギルドの偉い人だったり?」
「私は『金色の鷹』執行役及び『魔法樹の守人』のギルド長です」
(うっ。ロランさんより偉い人だった……)
「どうかなレベッカ。君さえよければ早速、詳細を詰めたいんだけれど」
「私にとってはまたとない話ですが、本当によろしいんですか?」
「うん。短い時間だったが、君の人柄についてはだいたい分かった。信頼に値する人物だ。何より……」
また、ロランの瞳の奥に光が宿った。
「僕の鑑定スキルが言っている。君のスキルが成長したがっているって」
ロランとリリアンヌから出資を受けたレベッカは、市場を歩いていた。
交易のための品物を探さなければならない。
レベッカはロランの言っていたことを思い出す。
「出資をするにあたって3つほど条件がある。まず1つ。取扱う品物は宝石以外にすること。宝石の取扱いが難しいのはもう分かったよね? 彼らは独自のネットワークを持っており、新参者を嫌う」
「はい。身をもって思い知りました」
「よろしい。では、2つ目だが、それは……」
(2つ目の条件。商談に当たってはリリアンヌさんを同席させること)
レベッカはリリアンヌと一緒に市場を回っていた。
「どうですかレベッカさん? よい品物は見つかりましたか?」
「いえ、ただ目星はつけています。香辛料です」
「ふむ。香辛料ですか」
「はい。この2つは必需品なので。たいていの商人が取引に応じてくれるのではないかと」
「なるほど。それはいい案ですね」
2人は香辛料を売っている店へと向かった。
「すみません。香辛料を売って欲しいのですが」
「はいよ。どれだけいるんだい?」
「荷車3つを一杯にするくらいだ」
それを聞くなり商人は胡散臭げにレベッカのことを見た。
「嬢ちゃん。そんなに沢山の品物をもってどこに行く気だい?」
「カルスだ。そこに行けば香辛料を買ってくれるはず」
「悪いが売れねぇな。どこの馬の骨とも知れねぇ奴とそんな多額の取引を……」
「馬の骨とは聞き捨てなりませんね」
リリアンヌが進み出た。
そして紋章を見せる。
店主はぎょっとした。
「なっ。これはダブルAの紋章。まさか『雷撃の魔女』リリアンヌ?」
「いかにも。彼女は我々『魔法樹の守人』が特別に交易を依頼した商人です。品物を売っていただけますね?」
店主は平謝りしながら、香辛料の倉庫を開けてくれた。
店の外に出ると、荷車と用心棒を調達したロランが待っていた。
(ロランさんの提示した3つ目の条件。用心棒はロランさんが選ぶこと)
「その様子だと、購入は上手くいったようだね」
「はい。リリアンヌさんのおかげで。それはそうと……」
レベッカはロランの調達した用心棒の方をチラリと見る。
彼らはいずれも痩せ細っていて、イマイチ頼りなかった。
「あの、大丈夫でしょうか。あまり強そうな用心棒に見えませんが」
「任せてくれ。これに関して僕はプロなんだ」
全ての準備が整ったので、一行は街を出て砂漠を進んだ。
砂漠地帯はダンジョン同然で、盗賊やモンスターがわんさか出てくる。
旅人は砂漠を抜けるために盗賊やモンスターを退ける用心棒か、煙に撒くためのお金かエサを用意しておく必要がある。
ロランの雇った用心棒は、当初こそ頼りなげに見えたが、きちんとした食事を取らせればすぐに体は太くなったし、ロランが彼らに合った適切な装備を与えたおかげですぐに戦闘能力を向上させていった。
剣スキルの才能があるものには剣を、弓矢スキルの才能があるものには弓矢を、盾スキルの才能があるものには盾を。
それぞれ与えれば、鈍かった動きはすぐに機敏になり、戦闘を重ねるごとに腕を上げていき、強いモンスターも撃退できるようになった。
(凄い。これがロランさんの鑑定能力の力……)
やがて、一行はカルスの街へと到達する。
街の人々は荷車一杯に詰め込まれた品物と護衛の少なさに目を丸くした。
これだけの商品を載せて砂漠を渡ってきた冒険者など今まで誰も見たことがなかった。
しかもちょうど街では香辛料が不足しがちだったのだ。
街の人々はさぞや凄腕の商人に違いないと思ったが、まだ新人の女商人だと聞いてますます驚いた。
レベッカは一躍有名となり、商品は飛ぶように売れた。
(まさかここまで上手くいくとは。ロランさんとリリアンヌさんのおかげだな)
レベッカは次の街での交易に備えて、また市場に出た。
(商品が飛ぶように売れたおかげで元手が増えたが、その分、どう使うかが難しくなってくる。次の街エルネは大都市だ。その分競争は激しくなってくる。取扱う品物の選択は慎重に吟味しなければ、うっ……)
ふとレベッカが店に並べられた鎧に目を留めると、眩暈とともに奇妙な数字が現れるのが見えた。
【鎧の相場】
カルス:5万ゴールド
エルネ:7万ゴールド
(これは!? 街ごとの品物の相場が見える?)
ロランもレベッカの成長を敏感に感じとった。
【レベッカのスキル】
『相場観』:A(↑2)
(レベッカのスキルがAクラスに。大きな取引経験を積んで一気にレベルアップしたか)
「レベッカ。追加の出資と荷車の増加、必要ならいつでも言ってくれ」
「えっ? いいんですか?」
「ああ。君はそれに相応しいクラスになった」
こうしてロランから追加の出資を受けたレベッカは、市場に出されている武器を可能な限り買い込んだ。
次の街、エルネに着くと案の定、武器の需要が高まっており、また飛ぶように売れた。
次の街、その次の街でも同じように品物を売り買いしていって、レベッカはどんどん資産を蓄えていった。
荷車もどんどん増え、他所の商人までレベッカの率いる隊商に加わりたがった。
いつの間にかレベッカの率いる隊商は、『宝石の道』でも有数の規模となっていた。
そして、いよいよ『混沌の神殿』のあるテリネまであと少しのところに来る。
「婚約破棄!? レベッカさんが!?」
「ええ。そうなんですよ」
幾日もの旅を共にした今、レベッカとリリアンヌは何でも話し合える間柄になっていた。
レベッカから婚約破棄の話を聞いたリリアンヌは、驚きに空いた口が塞がらなかった。
「それは酷い話ですね」
「ええ。私もまさかあんな人だとは思わず驚きました」
「行為自体も許せませんが、よりにもよってレベッカさん相手にそれをしたというのが一番許せませんね」
リリアンヌは憤慨して言った。
「貴方のように有能な女性、2人といませんよ。いったい何を考えているんだか」
「アハハ」
ふとレベッカは沈んだ顔になる。
「リリアンヌさんが羨ましいです。ロランさんのように互いに信頼し合える人がいて。私にも……」
レベッカが次の言葉を言おうとした時、突然、後ろからラッパの音が鳴り響いた。
にわかに護衛が騒ぎ出す。
「なんだ!? 敵襲?」
「盗賊か? いや、違う。あれは……軍隊!?」
それは盗賊というには余りにも装備が均一化された集団だった。
しかも、その装備はこの辺りでよく見かける形態のものではなく、レベッカの住む地方においてよく見られるものだった。
極め付けにはハドック家の紋章があしらわれた旗を掲げている。
レベッカは真っ青になった。
(あれはハドック家の紋章。まさか、アリスター!? ここまで追いかけて来たの? 持参金のために?)
リリアンヌはレベッカの青ざめた顔を見て事情を察した。
「ねぇ。レベッカさん。あれって、例の婚約破棄されたっていう……」
「……そのようです」
レベッカは額を手で押さえながら言った。
「アリスターさんはもうレベッカさんと婚約破棄したのでしょう? なのに、なぜここに現れるんです?」
「私を追いかけて来たんだと思います」
「レベッカさんに用があるのなら、なぜ攻撃態勢を取っているんです?」
「そういう人なんです」
「……そうですか」
リリアンヌも頭が痛くなってきた。
「リリィ、レベッカ」
ロランが2人の馬車に乗り移って声をかけた。
「事情はだいたい分かった。今は彼らを振り切ることだけに集中しよう。レベッカ。彼らに攻撃を仕掛けても構わないかい?」
「……はい。むしろ、痛い目に合わせていただけるとありがたいです」
「よし。スピードアップするよ。一番安い商品を捨てよう。リリィ。こっちで敵の注意を引きつけるから、あの岩陰から敵の上空に回り込んで」
「分かりました」
ロランは荷物の3分の1を捨てると、スピードアップして陣地を張れそうな場所で敵を待ち構える。
アリスター達はロランの捨てた荷物に足を取られてスピードダウンした。
ロランが注意を引いているうちに、リリアンヌは箒に跨って空を飛び、敵の上空へと回り込んだ。
幸い彼らは頭に血が上っており、リリアンヌには気づいていないようだった。
(敵は正規兵。まともにぶつかれば不利です。一撃でアリスターを仕留めないと)
リリアンヌはアリスターの居場所を見極めようとした。
すぐに一際、豪華な鎧を着込んだ男が見つかる。
隣には婚約者と思しき女性を引き連れている。
リリアンヌは岩陰に隠れながら、アリスターの上空に飛行した。
アリスターとシルヴィアの声が聞こえてくる。
「レベッカ! なぜ逃げるんだ? 話し合おう」
「レベッカさん。お願いです。話し合いましょう。私謝りたくってぇ」
(怖っ)
リリアンヌは青ざめた。
彼らは攻撃準備と和解申立てを同時にしていた。
自分で自分のやっていることに違和感がないのだろうか?
こんな男をまだ傷の癒えていないレベッカに会わせるわけにはいかない。
なんとしてもここで仕留めなければ!
リリアンヌの杖に魔力の光が灯ったかと思うと、雷鳴が轟いた。
雷撃はまっすぐアリスターの頭上に落ち、周囲の戦士達を吹き飛ばした。
軍勢に混乱が広がる。
「うわっ。落雷だ」
「アリスター様がやられた!」
「くそっ。一旦止まれぇ」
リリアンヌは見つからないうちに隊商の方へと戻る。
やがて、アリスターの部隊は元来た道を引き返していった。
その後は追っ手が来る様子もなく、レベッカ達はテリネの街へと無事たどり着いた。
『混沌の神殿』に夕陽が差し掛かろうとしていた。
祭壇の前に立つのはロランとリリアンヌ。
2人は神父の導きに従って、祭壇の前に進み出て、指輪を交換し、誓いのキスを交わした。
レベッカと隊商に加わった商人、護衛はその様子を見守っていた。
2人とは知り合ったばかりの人達だったが、誰もが2人を祝福するため式に立ち会った。
レベッカは感動で涙が出そうになった。
なんて素晴らしい結婚式だろう。
互いに愛し合う2人が、みんなの祝福を受けながら結ばれる。
これ以上ない結婚式だった。
レベッカは胸が痛くなった。
2人が決して離れることのないように神様に祈った。
そしてきっと自分にもいつかロランのような素敵な男性が現れますようにと。
式が終わると、酒宴が張られた。
その日はみんな夜遅くまで2人を祝福するために飲み明かした。
翌日、レベッカはテリネの街の領主に呼ばれていた。
これほど大規模な隊商がこの街に来たのは久しぶりであり、しかも率いているのが女商人と聞いて、是非とも会ってみたいと領主たっての希望だった。
レベッカはイマイチ気が進まなかったが、領主の希望とあれば仕方がない。
今後の商売のためにも領主の機嫌を損ねるのは得策ではなかった。
レベッカは領主の間へと通された。
彼女はその部屋で不思議な感覚に襲われた。
初めて来るはずの部屋なのに、どこか懐かしい。
しばらく既視感に戸惑ったが、その原因が観葉植物にあることに気づいた。
自分はこの植物を見たことがある。
いったいどこで?
やがて長い通路を抜け、領主の前に進み出た。
現領主は若くして父を亡くし、まだ領地を引き継いだばかりの若者だという。
レベッカは玉座の前に進み出ると跪いた。
「君があの隊商の頭領か」
低いがどこか優しげな声が頭の上から降り注ぐ。
「はい」
「名を何という?」
「レベッカ・フォン・ジャービスと申します」
すると一瞬領主の息が詰まるのを感じた。
「……レベッカ!? まさか君はレベッカだって言うのか?」
領主の動揺した声が聞こえたかと思うと、玉座から立ち上がって近寄り、彼女の手を取ってくる。
「その顔をよく見せておくれ」
レベッカは戸惑いながらも顔を上げた。
すると、領主の顔が近くに見える。
「おお、レベッカ。僕のことを忘れてしまったのか?」
レベッカはしばらくマジマジと見たが、ついにハッとした。
この目鼻立ち。
もしかして……。
「あなたは……マルク?」
「そうだよ。僕はマルク。まさかこんな形で出会えるなんて」
レベッカは完全に思い出した。
あの時、ジャービス家を訪れた旅人。
その旅人に付き添っていた少年。
まさか彼がエルネの領主だったなんて。
マルクの瞳には単に客人や懐かしい思い出の人に向ける以上の熱烈な輝きが宿っていた。
「こうして君に再び出会えるなんて、神のお導きに違いない。レベッカ、どうか僕と結婚しておくれ」
このあと、2人はナブラ王国の王位を巡る陰謀に巻き込まれ、レベッカがマルクの戴冠を助けることになるのだが、それはまた別のお話。
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