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宇宙の騎士の物語:個人の前歴;停止中  作者: 荻原早稀
レイ・ヴァン・ネイエヴェール
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4. 農業計画

 次にレイが着手したのが、第7児童養護院の周辺地区の再生、らしい。

 本人が何も語らないので類推にしかならないし、時系列的には他の事と同時進行である部分も多いはずだが、とりあえず成果が上がる順番からいえば、周辺地区の再生である。

 これまでにも触れてきたとおり、オス第7児童養護院は、オーステルハウトの首都オスで最貧困層が暮らす地区に隣接している。

 スラム街と表現して、間違いはない。

 完全に人工物のみで出来上がっている宇宙都市ならばともかく、テラフォーミングの優等生といわれるこの惑星で、わざわざ人工物のみに頼った都市計画などなされるはずがない。

 もちろん社会インフラは敷かれていて、上下水道や熱交換については万全の態勢がとられている、はずだったが、人類社会が「社会」になって以来解消されたことがない貧富の差はこの都市でも顕著に表れている。

 最貧困地区は人口集中地域でもあるから、どこの路地に行っても人があふれている。それだけの人口を支える上下水道やゴミ廃棄システムはそもそもの設計条件に入っていないから、許容量を超えた廃棄物などがあふれ出ることになる。

 衛生条件が下がったところに、不景気が来たり、他国の戦争で難民が流入したりすれば、食い詰める者も増えるし、感染症も増える。

 病原菌と戦う体内の抗体をあらかじめ備えさせる医療技術はごく一般的なもので、普通の市民階級の子供ならば当たり前に済ませているものだが、貧困とはそういう前提を壊すものだ。

 最貧困地区の子供たちは、貧困であるがゆえにそのような医療行為を加えられたこともないし、教育の程度が低い親たちは無理してでもそれを受けさせるべきという思考がない。

 やがて老いて、抗体が弱ってくる年代になれば、抗体を活性化させるなり対症療法を行うなりの処置が必要だが、そんなことができる経済力があれば貧困とはいわない。

 気候が良いのが救いだが、雨が続いたり、暑熱が襲ったりすると、地区は悲惨な光景になる。たちまち感染症が猖獗を極め、様々な腐臭がたちこめ、白昼堂々の強盗沙汰など珍しくもなくなり、死体が街路に転がるようになる。

 宇宙都市のような完全管理の概念がないから、そういった地区ができたら根こそぎ住民を追い出して再整備する、という手法は取らないし取れない。富裕者は貧困層の再生に力を貸すことを拒み、貧困層は自助努力の仕方を学ぶ機会もない。

 負のスパイラルに陥ったスラムは、大規模火災で完全に消失でもしなければ再生の契機はなかなかつかめない。かといって本当に大火災が起きれば富裕者層が住む地区も無縁ではいられないし、記録的な死傷者が出て市政はおろか国政もパニックに陥るだろう。

 この環境を再生していく、と、いうのは簡単だが、実行するのは大変なことなのだ。それに、レイは手を付けたらしい。

 スラム街の再生には、いくつかのパターンがある。よほどの覚悟があれば、できないことはない。そのよほどの覚悟というものを持つことと、支える資金を生み出すことが大変なのだが、レイも短期間にそれが可能だとは思っていなかったらしく、事態は誰の目にも触れないままに進み始める。

 どのようにしてか、いずれ合法的手段ではないに決まっているが、レイはそのための莫大な資金を作り上げつつあった。その資金の一部を早々に解放し、養護院の資金不足が解決する頃合いとほぼ同時期に、ひっそりと土地の買収が始まっている。

 人が火薬も知らない古代の昔から、都市の土地は高いものと決まっているし、権利が複雑に絡み合って誰のものかわからなくなり、買収そのものが難しくなっている例もあまりにも多く転がっている。

 買収の噂があれば、そうでなくとも複雑な権利関係がさらに面倒になる。利権に敏感な地主が買収価格を吊り上げようとするし、ギャング組織もすぐに絡んで来ようとする。

 レイが進める土地の買収は、凄まじいほどに多数の名義を利用して、驚くほど非効率に進められていた。

 名義の細分化は手続きの煩雑さを級数的に上げていくし、そもそも複数の名義で土地取引をすることにリスクがある。実在する人物の名義ならば本人確認が生じた場合に手間がかかるし、その本人が何も知らなければ偽装がばれて取引は停止される。実在しない名義ならば、その疑いがある時点で取引は法によって停止されてしまう。

 それらの障害を越えて取引を成立させるには、非合法な手段によるしかない。関係する手続きのプロセスに電子的な干渉……つまりハッキングを仕掛けるか、政治家でも使って力業で合法に見せかけるか。どんな方法をとるにしても、コストがかかる。

 そういったコスト意識が、レイにはまるでなかったらしい。

 どこから湧いてくるのか、膨大な資金を使い、非効率に、だが着実に、オス市旧市街区域の西端にあるスラム街は、買収が進んでいった。

 同時進行で進んだのは、最貧困地区の就業率向上である。

 貧困層最大の問題は、食えないことではない。食う手立てがないことである。

 食うだけなら寄付や行政サービスで食えないことはない。だが、食う手立てを持たない人間は、ごくわずかなプライドすら持たないから、持てないから、次のことが考えられない。子供たちをより良い環境で育てるためとか、自分たちがもっと良い暮らしをするためだとか、そのような目的意識が持てない。

 向上しようという意識を持とうとしない、あるいは持てずにいる彼らに、貧困をどうすることもできないのは当然である。ただ与えるだけの支援活動が、結局貧困問題の解決にはつながらない理由がここにある。

 ならば働く場を作ればいいわけだが、それにも金がかかるし、貧困層をしっかり教育していく人間と仕組みが必要になる。

 教育を満足に受けていない人間が就業するには並大抵でない努力がいるし、職に就いたとしても高給はとても望めないうえ、危険だったり差別を生む職だったりする。職につけたからといって浮上できるほど甘くはない。

 努力して這い上がった人間がいたとしても、それを見習って努力すればいいと考えるのは、想像力が足りない証拠だ。成功者のみを取り上げてそれを見習えというのは、苦労の何たるかを知らない幸せな人間の言い草以外の何物でもない。

 すぐ近くにいて最貧困地区の現状を知っているレイは、自身が戦災孤児でもある。差別が比較的少ないといわれているオーステルハウトでも、もともとオーステルハウトに属さない、他国から流れてきた戦災孤児などというものは、まず間違いなく差別の対象になる。

 養護院に入れられただけ、彼は幸いだった。一定の年齢になれば幼年学校には入れるし、その卒業までは食っていけるし、医療も最低限受けられる。

 なまじ保護者がいて、オーステルハウトに逃げ出すことに成功した後に死ぬか行方不明になっていたとしたら、レイはすぐに衰弱死するか人身売買の対象になって売り飛ばされ、養護施設に入ることはなかっただろう。

 たまたまメディア帝国という第三国が絡んでいたおかげで彼は養護施設に収容されることになった。そのために、最貧困層と比べれば恵まれた環境にあった。

 その彼が、最貧困地区の子供なら持つこともできないショボいタブレットを片手に、誰にも気付かれず、誰も気付こうともしない中で、ひっそりと「職」を作り始めていた。

 いくつかあるのだが、のちのヤンの証言によれば、レイがヤンに説明したことがあるのは、農園についてだったという。

 農産物は工場で衛生的かつ効率的に作ることが当たり前という時代、たとえば露地で有機農業を行うなどということは、環境を悪化させると考えられ忌避されていた。

「だって不衛生な肥料を使って細菌だらけの土で作物を育てるんでしょう? そんなもの誰が口にするの?」

 ということを正気でいう人間が大半を占める時代である。虫など発生させれば環境問題の元凶扱いになる。

 オスの市街を外れ、田舎の地域に出ていけば、露地栽培の農作物を作る農村地帯も存在する。工場産ではない植物の貴重さを知り、菌類や虫のもたらす恵みを知っている者も富裕層にはいたし、安い工場産にはない価値を知る者たちの間で高額取引もされている。

 が、それらの農家は先祖伝来の土地に根付いていたし、新規参入は簡単なことではない。知識や経験が必要だったから、貧困層がそこに職を得たとして、地味で単調で苦労ばかり多いこの仕事に定着するのは至難の業といってよかった。それに、高額な農産品は市場規模が小さい。

 貧困問題の解決策として農業に目を向ける知識層もいたが、資金不足で頓挫するか、理想に走りすぎて挫折するかでなかなか定着しない。

 レイはここに目を付けた。

 必要なのは、農業の指導者と、土地と、資金と、労働力と、売り先。

 指導者は、そうなりたいが様々な事情で手を付けられない人間がいる。

 土地は、後継者がおらず放置されている農地がある。

 資金はレイが謎の手段でかき集めている。

 労働力は貧困地区にいくらでも存在する。

 売り先が一番難しい問題だったが、そのはずだったが、レイは簡単に解決して見せた。

「欲しがってる人はいるんだよ。どうしてそれがわからないのか、ぼくにはわからないけど」

 レイは、未公開株式の買い付けから始まる新興物流企業との関係をより深めていた。

 そもそもは彼ではなく市の公団の担当者が未公開株式を買い付けた、ことに当然なっているのだが、そのつながりから、公団を通じて、新たな農産物流通網の構築を開始していた。

 目を付けたのは、オーステルハウト国内ではない。パイが少ないところで戦う愚を、レイは冒さない。

 地表面があまりに快適なために、外宇宙に出ていくことはおろか衛星軌道上に進出することすら考えもしなくなったこの惑星の住人には想像もつかないが、外宇宙から恒星系に入り、惑星やその軌道上の都市群を結ぶ航路で商売をしている人々にとって、工場産でない露地栽培の作物などは贅沢以外の何物でもない。

 たいていの場合、軌道上のステーションに付属した農業モジュールで作られた生鮮野菜や、畜産モジュールで作られた食肉が取引される。いくらこの惑星が恵まれているといっても、地上から運ぶのではコストがかかりすぎるし、地上から搬入した土壌をもとに作られる作物を手に入れられるというだけでも、宇宙で暮らす人々にとっては立派な贅沢品だった。

 どのようにして交渉をまとめたのか、ヤンはレイが突然施設内で姿を消し、気が付くと平然として現れているという姿を何度も見ているから、そのタイミングで加工しまくった姿や声で交渉をしていたのかもしれない、と類推しているが、確証はない。だいいち、彼が持っているショボい道具でそのような加工が可能なものだろうか。

 いずれにしても、新興物流企業は、「公団担当者の代理人」を名乗る人物から買い手として外宇宙航路の商船や旅客船相手に商売をしている港湾公団を紹介された。自治体に属する公団同士、稀薄ながらもつながりはあり、そのつてで販路を切り開いたらしい。

 販路があれば、物流企業としてギャンブルに乗り出しやすくはなる。コストをかけてもそれを上回る利潤が狙える、とみれば、初期投資で多少の損害が出ても、継続することで償却できる。

 そのためには、売り先の安定性はもちろん、生産側にも継続性と品質の安定が求められる。

 レイはとりあえず現在露地栽培されている作物を買い漁った。オーステルハウトだけではない。隣国も合わせ、取引できそうな農家には片っ端から声をかけたのではないかと思えるほど、産地は多岐にわたる。

 当然ながら恐ろしい額の資金が投入されているはずなのだが、詳細は相変わらず不明。

 この動きは農家たちの間でもすぐに噂になった。どうもあの買い手は惑星全土のレベルで農産物を買い求めているらしい、優良な売り先を抱えていて商品はあればあるだけ売れるらしい、増産するなら資金協力もしてもらえるらしい、などなど。

 それならば、とごく一部の農家は増産のための土地取得に走り、目敏い農家は労働力の確保にも動き始めた。

 そのタイミングで、オス市福祉公団は、市の若手有力政治家の提言を受けて農業支援対策も兼ねた人材育成計画を開始した。

 ごく単純にいえば、貧困地域の人々を就農させようという計画だ。

 先述の通り、スラム街の人々を就農させるのは容易なことではなく、これまでも試したことすらない計画だった。もっとも難しいのは受け入れ先の問題であり、受け入れ先がちゃんと指導できるのかという問題もある。

 タイミングが、完璧だった。

 新興物流企業が運んだ作物は、宇宙港の港湾公団が見事に売り切った。

 だけでなく、農産物の評価が高く、次の注文が引きも切らない状況になった。

 運搬自体は赤字で、売値もそれほど強気に設定できたわけではないのだが、やり方次第で利益の出しようがあるという道筋が見えた。作物が安定供給できれば、の話だ。

 安定供給のためには、農家側の労働力不足が大問題として立ちはだかる。土地は遊休地を転用すればどうにかなるが、労働力は簡単に解決できる問題ではない。機械をうまく使おうとしても、工場生産に特化している現代の農業ロボットは露地では役に立たない。新たに開発するくらいなら、人を育てた方がコストが少なくて済むうえ、失業問題の解決にもつながる。

 このタイミングで貧困層の就農計画を動かし始められたのは、まさに幸運だった。

 農家は、急に開けた自分たちの未来を確実につかむため、指導に本気で取り組んだ。

 貧困層は自分たちの暮らしを成り立たせるために必死だったし、根気が続かなかったり、すぐ悪徳に流されてしまう部分は、福祉公団の職員たちが支えた。

 営農支援は農業技術にばかり偏るために、貧困層の就農にはつながらない場合が多いのだが、福祉の専門家たちが直接支援に入る事業計画を立てたのは正解だった。貧困層の本音を引き出し、意識の向上につなげていくことが、農家の人々より格段にうまいからだ。

 労働力として数をそろえられる福祉公団側と、単純労働してくれる労働力さえあれば力業で増産ができる農家側とで利害が一致した。それを、物があれば売れると確信した新興物流企業が後押しし、その物流企業を新規株購入で投資家が支えた。

 農業には時間がかかる。とはいえ、資金と人海戦術で多少は前倒しができるし、それが可能な気候条件の穏やかさが、オーステルハウト周辺の地域にはある。

 農産物販売の第二波は、計画通りに黒字を出した。

 これで、計画遂行の条件は盤石になった。

 貧困地区の大人たちは、公団が準備するバスで毎日早朝出勤する。夕方には大挙して戻ってくる。公団は就農者にはその家族への食糧支援なども積極的に行ったから、働く人々は心置きなく働きに出られたし、ギャングの斡旋で働くことと比べればはるかに安定し安心できる。

 仕事はつまらないものでも、働いていれば自然に自尊心も生まれるし、いくらか続けていると命を扱う農業の尊さ、素晴らしさにも気付く者が現れる。

 周囲の大人たちが働いて稼ぐようになると、子供たちも変わる。就学率はほとんどゼロに近かった最貧困地域でも、学校に通える子供が増えたし、子供たちの取り組みもより積極的になった。

 すべてがうまく回る、ということはもちろんない。公団の思わぬ伸張で、裏家業の労働力斡旋に支障が出始めたギャングなどは、公団職員を陰に陽に脅したり、貧困層のリーダー的な存在をさらって拷問にしたり、労働者を運ぶバスを襲撃して死者を出したり、妨害や嫌がらせを公然化させていた。

 それでも、このようにしっかりと貧困問題や失業問題に一つの回答を示せた例が珍しかったから、注目もされたし、支援の手も揺らぐことがなかった。

 就農支援の計画がうまく運んでいる、というニュースが流れるようになったのは、やんちゃ坊主ヤンが幼年学校の3年生になり、その師匠レイがついに学齢に達したころのこと。

 幼年学校の1年生として学校通いが始まったレイは、相変わらず同年代の中でも小柄な子供だった。うすぼんやりとしてとりとめもない表情をしているのは相変わらずで、どこをとっても目立つ児童ではない。

 その彼が、じっと報道を見つめながらつぶやいた言葉を、ヤンは覚えている。

「……こんなにうまくいくとは思わなかったな……まあ、せっかくの勢いには乗らなきゃ損か」


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