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宇宙の騎士の物語:個人の前歴;停止中  作者: 荻原早稀
レイ・ヴァン・ネイエヴェール
3/28

3. 助走期間

 ヤンが見るところ、常識を置き去りにした桁外れの強さを持つレイという幼児には、その強さを人に見せようという気が毛ほどもないらしい。

 養護院に戻って、脱走に気付いたばかりの職員にしこたま怒られ、それを周囲の子供にからかわれているときも、レイはうすぼんやりした顔で突っ立っているだけだった。

 おかげでヤンだけが集中的に怒られることになるのだが……そもそもレイを一方的に連れ出したのだからそれが当然ではあるのだが、自分が見たものがあまりに現実離れしていた上に、正直に話そうものなら絶対に怒られる燃料投下になるだけだと察したヤンは、レイのいじめっ子瞬殺の場面については一言も漏らさなかった。

 瞬殺した張本人は、もうヤンに誘われてもついて行っちゃだめだぞ、と職員に言い聞かせられているときにも、聞いているのか聞いていないのかわからないような、聞いていても理解できているのかどうか疑問を持たれるような顔をしている。

 ヤンはレイが積み木遊びに異常なほど熟達していることは知っていたが、もっとほかの遊具で遊ぶことに慣れている彼にとってはどうでもいいことだったし、ほかの子と比べて鈍そうな顔をしているレイを、明らかに自分より劣った存在だと思っていた。

 体術にしてもそうだ。

 ヤンはやんちゃなりに先輩たちが格闘技をベースにした体術で体を鍛えていることに憧れを持っていたし、自分もキレのある素早い動きで敵をなぎ倒せるようになりたいと思っていた。

 子供向けヒーロー番組の敵を自分の手で倒す想像をしては興奮していたし、ごっこ遊びで同じ年頃の子を泣かせては怒られるのも彼の日常だ。

 だから、まだ自分同様道場に入れてもらえないレイが、帰ってきた先輩たちが動画を見ている後ろで、やけにのろのろとした動きで体術のまねごとをしているのを「だせーな」と思って見ていたし、やせっぽちで小柄なレイが、どこに意志があるのかわからないような生気のない顔で型を繰り返していても、ほんのわずかな脅威も感じたことはなかった。

「……お前、さっきのなんなんだよ」

 夕食の時間が終わり、追い立てられるようにシャワーを浴びさせられ、寝る前の読み聞かせの時間が始まったあたりで、ヤンはレイを捕まえて部屋の隅の壁に向かい合うようにして並んで座った。

 レイはいつものうすぼんやり。

「なんであんなに強いのに、かくしてるんだよ」

 顔を寄せながら小声でヤンが聞くと、レイは小首をかしげた。

「かくしてないよ」

「だってお前、あんなにすげー強いのに、誰も知らないだろ。自分から絶対いわないだろ」

「聞かないからでしょ」

 はっきりしない発音でぼそぼそとレイがいう。

「よく見てれば気付くよ。見てないから気付かないんだ」

 さびしいとか、見てほしいとか、そんなことは微塵も考えていないという、いつも通りの顔である。

 ヤンがのちに「少なくともあいつの話し方聞いててあいつの頭の程度が見抜けるような奴はいなかった」と評する、少なくとも知性のきらめきだけは一切感じさせない話し方だ。

 ヤンという子供は、養護施設から地区の幼年学校へ進み、高い知能と身体能力を見込まれて特殊な学校に進学、養護施設出身者には珍しく高等教育課程に入る前の教養課程に進み、士官学校に進学。その後さらにオーステルハウト陸軍勤務を経て軍大学に選抜入学。軍のスーパーエリートとして累進し若くして将軍になるという、孤児たちの夢を体現したような存在になっていくのだが、その彼が「人生で初めて出会った絶対に超えられない壁」だったと評する相手がレイである。

 この後、ヤンは自分の半分強しか生きていないレイに、しかも5歳児にして、相手を師として奉ることになった。

 といっても、敬語表現などまだ知るはずもない彼のことだから、言葉遣いは変わらない。結構エラそうな態度も取るし、レイのうすぼんやりした態度にイライラしてきつい態度になることもある。

 だが、大ベテラン職員のカリスなどは目敏く翌日には気付いていたが、ヤンはレイの真似をするようになっていた。

 レイが型のけいこを始めれば、「だせーな」といっていたはずののろのろとした動きを、必死でまねている。積み木遊びを始めれば、そんなものは卒業だと嘯いていたはずのヤンが神妙に隣で積み木を積み上げている。

「どうした、急にレイのまねなんかはじめて」

 カリスが何気ない口調で尋ねると、いつも生意気な口しか叩かないやんちゃなヤンが、神妙に答えた。

「やってみるときついんだよ、積み木も体術も」

 実際、ヤンがやってみると、どちらもきつい。

 積み木遊びは、遊びなどというレベルではないことがすぐに分かった。

 どうしてああも無造作に正確に置けるのか。寸分の狂いもなく置かれたレイの積み木は、置いて手を離したら修正が一切いらない。

 ぎりぎりのバランスを狙って置かれる積み木の、その置き方がどう見ても適当で、手に持った積み木をただそこに置いているだけにしか見えないのだが、やってみるととてもまねができない。即座に崩れる。

 型のけいこも、レイと同じ動きをしようとすると、バランスが取れずに腰砕けになったり、どうしても片足にだけ体重がかかって耐えられずに倒れてしまったりする。

 ダサいどころではなかった。

 レイは、凄まじく高度なことをしていた。うすぼんやりという形容しか思い浮かばない、いつもの表情で。

 自分の四肢の動きを最適化し、思い通りに動かすこと。極めて細やかな力加減を意思の通りに実現すること。ミリ単位、グラム単位の力加減や位置の調整を絶えず行えるようになること。体幹を鍛えてバランス感覚を育て、まったく乱れずに一本の糸の上を歩いて渡るような体術を身につけること。

 一流の工芸家やアスリートが持つそのような感覚、技術を、レイは日々淡々と積み木を積み上げ、地味な動きを繰り返すことで体に叩き込んでいたのだ。

 驚くべき3歳児だった。

 それに気付き、まねようとし始めたヤンもまた、ただの子供ではなかった。

 やがて、ヤンが一通りレイのやっていることについていけるようになった頃、ヤンが幼年学校に通い始める直前から、レイやヤンの周囲でいくつか変化が見られるようになった。

 大まかに3つ、その変化を挙げられる。

 まず、4歳になった(もちろん誕生日は不明だが細胞内のテロメア解析などから役人が決めた)レイが、教育用のAIパネルに興味を持ち始めた。

 幼児でも扱えるよう、軽くて薄くて丈夫なパネル状になったタブレットで、二次元表示の画面上で様々な画像や動画を見ることができる。絵本などはこのタブレットで読み聞かせをするのだから、興味を持つのが遅すぎるくらいである。

 製品として値が張るものではなく、幼児が上に乗ろうが壁に投げつけようが壊れない、とにかくタフに作られている幼児用のタブレットは、お下がりを我慢しさえすれば独り占めしても何ら問題がない。

 日がな一日タブレットとにらめっこされても困るのだが、レイは日課の体術は欠かさなかったし、食事や入浴や読み聞かせや遊戯など、同年代の子供と一緒に動かなければいけないところでは、今まで通り動いていた。何を考えているのか、本当に興味があって見ているのかも謎といういつものうすぼんやりした顔でタブレットを見ている様子は、どう見ても特別なものではない。

 だから見過ごされた。

 次に、ヤンが学齢に達したということで道場に通い始めたのだが、瞬く間に同世代はおろか、8歳児まで通じて最強の存在に上り詰めてしまった。

 体術訓練でみっちりと鍛えた成果だ、ということは、たとえばカリスのように注意深く観察している大人にはわかっていたが、それにしても極端な効果だった。正直、カリスにも少々信じがたい。あんなのんびりした型の繰り返しで、あんなにも強くなるものなのだろうか。

 動作を習って体を鍛える体術ではなく、防具を付けて打ち合う武術の方で施設内の世代最強になったヤンは、幼年学校に通い始めたばかりにもかかわらず、低学年のリーダーと目されるようになっていた。

 最強の6歳児ヤンは、やんちゃ坊主ぶりは相変わらずだが、見違えるほど責任感が強い子供になっていた。

「俺たちが孤児だからいじめるような連中に、何の遠慮がいる」

 などと吠えつつ、養護院の子供たちがいじめられている場面では容赦なく助けに入り、ケガだらけになろうとも身を挺して守ろうとした。一方で、養護院とは関係ないいじめにも敏感で、「まとめて面倒見てやらあ」とばかりに親分肌を見せ始めていた。

 もともと持っていた資質が、少なくとも同年代相手なら大抵の相手に勝てる実力を手に入れて、表に出てきたのかもしれない。

 そのヤンが、実はレイのいうことには素直に従っているという事実を、ほとんどの人間が知らなかった。

 何しろレイが子供らしくないほど無口で、レイからヤンに何かを告げている場面など誰も見たことがないから、「やけにあの二人が仲がいい」と思っている人間でも、ヤンが何かに迷うとレイのアドバイスに従っている、などとは想像もしなかった。

 レイが「僕がめだつのはいや」というので、ヤンは年下の親友を「仲良し」ということにして接していたが、付き合えば付き合うほどすごい奴だということがわかり、二人のときは「師匠」と呼んでいる。

 そして、養護院に訪れた変化の中で、もっとも表立って見え始めていたのが、二人とは何の関係もないようだが、経済状況の好転だ。



 オーステルハウトという国の、あるいはその首都オスの景気が良くなったわけではない。

 当然、養護院に回す予算が急増するという奇跡は起きるはずもなく、貧困地区の救済なり再開発なりもまったく進む見込みが立たない中で、経済状況など良くなるはずがない。もっとも貧困地区に近い位置にある養護院がレイたちのいる第7児童養護院なのだが、周囲の最貧困世帯の子供たちと比べれば多少はまし、という生活レベルだし、ほかの児童養護院も水準は似たり寄ったりだ。

 善意の寄付、というもので孤児のための施設が運営できる世の中ならいうことはないのだろうが、少なくともオスという都市でそれはありえない。寄付文化が根付いた街ではないし、とりあえず機能している養護院を救うより先に救うべきところが、ほかにいくらでもある。

 その第7児童養護院に急に福音が訪れたのは、ヤンが通い始めた幼年学校にも慣れたころだ。

 公開されている行政記録を見ると、この年の初めに匿名の篤志家から、第一から第十一まである児童養護院を対象に寄付があった。オーステルハウトにはめずらしい多額の寄付ということで、報道もされている。金額は首都オスの一般労働者の年収十人分というところで、これはレイやヤンが所属する養護院ではない養護院の緊急改善工事などに使われた。

 税金以外の資金で水回りの改良工事ができた、というのはオスの養護院を監督している首都政庁の歴史上でも稀有のことで、養護院関係者は「それが可能なのだから善意の寄付を求めるための行動をもっととるべきだ」という見当はずれの議論まで起きたという。

 これが第一の矢。

 その年の半ばころに、今度は養護院も属する市の福祉公団の財務管理部門で、基金運用を行っている担当課が凄まじい大当たりを引いた。

 ローリスクローリターンの資金運用で、インフレに資産の目減りが生じないようにするという、いかにもお役所的な消極的目的で行われている運用だから、本来大当たりなどというものは起こりようがないのだが、それが起きた。

 担当者もいちいち覚えてはいない取引の中で、ある新興物流企業の未公開株の取引があった。どのような経緯でそれが購入されていたのかはわからないが、少なくともその購入は正規の手続きを経た合法の購入だった。

 その公開を間近に控えたある日に、その企業のライバル会社に粉飾決算と労務管理に関するスキャンダルが発覚、経営陣が総退陣を余儀なくされる騒ぎが起きた。某大手流通企業がその騒ぎを嫌って契約を解除、担当者が株式を買っていた新興企業に巨大な契約が回って来る結果になった。

 しかも、その株式は購入数を誤発注していて、福祉公団の資産運用で基準になっている株式購入数からふた桁も上がっていた。購入金額は担当者たちが運用を許可されている年間予算の倍をはるかに超える。本来なら罰則物の凡ミスである……といいたいところだが、そもそも購入数に間違いが起こるような取引ではない。株式を発行している会社と直接取引をするのだから、時間もかかるし確認作業もそれなりにある。数字だけを設定して「えいや」で取引が成立するような契約ではない。

 が、とりあえずそのことは忘れられた。

 なぜなら、公開されるとその株式が大化けし、そのいち取引で公団全体の平年の運用益の6倍を超える金額が転がり込む結果になったからだ。この金額は、先だって寄付された篤志家からの金額の3倍以上。

 市の福祉施設経営は苦しい状況だから、その穴埋めをしていけば消えてしまう金額ではあったが、それでもオス市内どこの養護院や老人施設でも一息付けたと安堵の声が上がった。

 その余喘というべきか、レイやヤンの生活レベルも向上した。

 といっても、服が一部新しくなったり、遊具が少し増えたり、週に一度のごちそうのレベルが少々上がったり、というささやかなものではあったが、それに伴って職員たちの士気が上がり、対応が良くなったのが一番ありがたかったかもしれない。

 貧しければ気が立つ。富めば気が大きくなる。どの時代のどの地域でも、これは揺るがない。子供たちにとってはありがたい限りだ。

 これが第二の矢。

 この経済状況の好転という現象には、年末近くなってさらに最後の矢が来た。

 福祉の部門というものは、行政にとって欠いてはならないが重荷になる部門だ。社会には必ず支援を必要とする層があるし、その層を金がないから切り捨てるといえば必ず社会は破綻する。かといって手厚く支援するには大層な資金がいる。

 限られた予算の中から福祉政策にどれだけの金額を振り分けていくかは、政治家たちの思惑や世論の動向に大きく左右される。景気がいいからといって福祉予算が増額されるとは限らないし、緊縮を余儀なくされる局面で真っ先に削られるのは福祉分野である場合が多い。

 恒久的な財源などというものがあれば、それに越したことはない。

 施設によっては、行政の予算に左右されない恒久的財源を持つところがないわけでもない。貴族制の国などにはよくあることだが、裕福な貴族が施設や農園を含む荘園を寄付し、例えば農園の収入をそのまま施設の運営維持に回してしまう場合などがそれだ。

 オーステルハウトはそのような制度を持つ国ではないが、恒久に近い支援事業がないわけではない。

 特許権や商標権などの商業的パテント収入の寄付がそれにあたる。

 商業的な利益を生むそれらの権利は、恐ろしいほどの利益を生むということはないが、まったく利益も出さず処理が必要なだけお荷物になる、というものはあまりない。わざわざ慈善的に寄付を行うくらいだから、その程度のことは考えて行われる。

 首都オスの児童養護院を指定したそれらパテント収入の権利はそれほど多くはないが、大事な固定収入だ。それら権利の収益は一定ではないが、少なくとも赤字になる性質のものではない。前述の投融資と比べれば、リスクはないのだからありがたい。

 そのパテント収入が、最後の矢だった。

 オスの児童養護施設を対象として寄付されていた工業特許のうち、ほとんど忘れ去られて収益もまるで上がっていなかった3つの特許が、突然莫大な利益を上げたのだ。

 事情が分からずに戸惑った市公団の財務担当者たちが調べたところ、一昨年からそれらの特許にかかわる裁判が行われていたことが分かった。

 訴訟そのものには市は一切かかわっておらず、そもそも誰もそんな訴訟の存在自体知らなかった。とうより、自分たちがそれらの特許の権利を保有していること自体、誰も把握していなかった。

 特許訴訟は、市が寄付されていた特許の関連技術を巡って争われていた。市の保有特許は、その訴訟で扱われている特許の付帯技術なので、直接かかわりはない。直接かかわっていないから、市に裁判所から通知が来ることもなかったし、原告も被告も市に何ら連絡することはなかった。

 だから知らなくて当然だったのだが、審理が進むうち、市の保有特許の技術を利用しないと、争われている技術が完成しないことが明らかになってきた。訴えている側も訴えられている側も大手製造メーカーで、不利益は被りたくないから、どうせ誰もが忘れている技術特許など上手くごまかして審理を進め決着をつけよう、という暗黙の了解で事を進めようとした。

 よくある話ではある。権利者が申し立てをしない限り、いろいろと論理をこねくり回して既存特許の網をかいくぐり、本来権利者に支払われる利益は忘れ去られ、葬られていく。

 今回の例の場合、なにしろ権利者である市はその存在すら知らなかったし、もともとその技術特許を取った技術者はすでに死亡している。亡くなった時点では大した利益も生んでいなかった特許を、遺族は故人が寄付に熱心だったことからその遺志を継ぐため、孤児を保護する施設に寄付した。市はそれを児童養護院全体の資産に組み込んだ。

 特許権が侵害されようとしていた時、市も遺族もそれに気付かなかった。

 裁判所も、訴訟そのものにかかわりがない技術特許までは触れない。それがその事案に不可欠な技術であろうと、事案そのものでない特許権については、裁判結果にかかわりがないからだ。

 気付いたのは、争われている特許の別の付帯特許について調べていたという、自称大学生だった。

 最後まで匿名だったため、誰なのか、その大学生という自称が本当なのかどうかもわからないが、彼/彼女が告発した、原告被告がグルになって周辺特許を侵害しようとしている裁判の一件は、一部マスコミに取り上げられることになった。

 折悪しく、被告企業は汚職事件とのかかわりを報じられて苦境に陥りつつあった。

 特許権裁判などは常時行われていることだから、勝とうが負けようが企業としてのイメージに何の瑕瑾もないのだが、不当に特許権を侵害しようとしている、という報道を許すわけにはいかなかった。

 汚職事件に特許権侵害事件が重なれば、企業イメージの大幅ダウンは避けられない。特に特許権侵害は、裁判審理の中で法を無視しようというのだから、まともにニュースとして取り上げられてしまうと、汚職という非常に分かりやすい悪事と比べても遜色のないスキャンダルになりかねない。

 被告企業はあっさりと手のひらを返した。

 裁判そのものをとっとと終わらせるために大幅に譲歩した和解案を提示し、原告と速やかに和解。さらに周辺特許にもしかるべき金額をぱっと支払ってしまい、事件が事件にならないうちに終わらせてしまった。

 鮮やかな手際は、さすがに国際的な製造メーカーだけはあった。リスクマネジメントの手本といえる。

 その支払先の一つに、オス市の児童養護施設を所管する公団があった。

 最後の矢は、このような棚ボタもいいところという理由でもたらされた。

 まったく自称大学生様々だったが、振り込まれた金額に公団担当者だけでなく、福祉予算に関係する市会議員なども瞠目した。

 向こう十年にわたり、毎年、未公開株上場に伴う利益と同等の金額が振り込まれることになったのだ。

 これは関係者にとって衝撃的なまでの財政支援で、瞬間的な支援ではなく十年にも及ぶ収入源であることが何といっても大きい。

 安定的に大きな収入があるということが、どれほどありがたいか。



 レイ・ヴァン・ネイエヴェールという存在が、人間世界の常識をはるかに超越したものである事実は、このあたりから顕現してくる。

 助走期間が終わったというべきか。

 ヤンは、その唯一の目撃者であり、協力者だった。

 のちにその一部を語ったヤンだが、「到底全部は話せない」とも言い残している。

 内容が膨大すぎて語れないのか、黒すぎて語れないのか。

 浅黒い肌の小柄な少年は、終生「覇気がない顔」「ぱっとしない」「醜くはないが美しくもない」などろくな形容をされなかったその顔で、毎日をつまらなさそうに過ごしていたが、5歳にもならない時点で、周囲の誰もがやりたくてもできないようなことを平然と行い始めていた。

 ヤンにはまだその意味は少しも理解できなかったが、幼時の記憶を手繰ると「そういうことだったのか」と後日驚く、という経験を何度もしている。

 代表的なのが、この経済状況を好転させた「三本の矢」だ。

 ある日、部屋の片隅で子供用のタブレットを眺めているレイにヤンが近付いた時、レイが眠そうな目を向けてヤンに告げた。

「僕がタブレットでやってることは秘密だよ、ぜーんぶ」

 どういうことかわからないまま、ヤンはうなずいた。師匠のいうことは絶対だ。

 隣に座り、彼自身のタブレットを点灯させながら、ヤンはそれとなくレイのタブレットを見た。

 彼らに渡されているタブレットは、幼児教育用のソフトや動画のデータなどは入っているが、外部と接続はできないようになっている。子供の機器なのだから通信機能の制限は当たり前だ。

 まったく接続できないのでは新しいデータが取り込めないし、機器同士を接続してデータ移管をするなどという面倒なことはもちろんしないから、ダウロードやアップロードの機能は備わっている。

 だが、大人が扱う機器のように、一つの大きなシステムに所属するインターフェイスとしてのタブレット、という考え方ではない。どちらかというとタブレット一つ一つが独立した機器として機能し、他の機器やシステムには干渉しないようにできている。

 スタンドアローン(孤立型)に近い。

 当然、仮に外部と接続したとしてもその接続速度は遅く、機器の性能自体低いから、大したことが出来るわけでもない。

 レイのタブレットも、普段は絵本のような画像や動画が表示されているにすぎないし、養護施設で配給される安物のタブレットでは三次元動画の表示機能すら制限されていて、使用者が没入できるようなダイナミックな動画など期待すべくもない。

 そんなタブレットに、ヤンが見る限りなにひとつ理解できない、異様な文字の洪水が表示されていた。

 正確には、文字と図の洪水。

「……なに見てんだ?」

 眉を顰め声を潜めてヤンが尋ねると、ようやく字が読めるようになってくる年代のはずのレイは、ごく短く答えた。

「新規公開株式の銘柄情報」

「……聞いた俺がバカだった」

 ここのところ、レイの口から大人からも聞いたことがない異次元の言葉を聞くことがよくある。気にするのもばかばかしいし、どうせ説明してもらったところでわからないし、レイも面倒くさそうだから、ヤンはいちいち突っ込まないことにしている。

 それでも、わからないなりに記憶をつなぎ合わせていくと、どうもこのすぐ後に訪れる「第二の矢」である「新興物流企業の新規公開株誤発注丸もうけ事件」に深くかかわる場面、だったらしい。

 レイは、性能が著しく劣るタブレットで、勝手に外部と接続し、勝手に商業取引をし、勝手に利益を上げ始めていた。

 何度もいうようだが、この時点でレイは4歳児である。

 商業取引をしようにも、4歳児のIDでは閲覧すら難しい。

 ましてレイは孤児であり、家族というバックボーンがないのだから、口座の開設どころか信用情報の取得がそもそも不可能である。

 どこをどうしたらできたのか、成人して以後のヤンにも全く理屈はわからなかったが、ただのやんちゃ坊主から周囲のリーダーに育ちつつあった6歳児ヤンは、理解しがたいところのある天才幼児を、このあともそばから見つめ続けることになる。

 実際にタブレットの非力極まる諸元でどうやって外部接続したのか、接続先の膨大なデータや演算をどうやって処理していたのかは謎だが、レイはオス第7児童養護院の幼児たちが押し込まれた遊戯用広間の片隅で、日々世界経済との戦いを始めていた。

 前述の「第二の矢」は、仮に彼が主導していたとしたら、市公団の名を騙って契約行為に及んだ犯罪行為だし、それができるとしたら相当強力な力を持つハッカーの犯罪である。痕跡も残さず、後日の内部監査や証券監視団体の厳しい監査でも一切不審点を発見されずに済んでいるのだから。

 ヤンの語るところによれば「十中九までレイの犯行」らしいから相当確信を持っているようだが、証拠は見つかっていない。

 その後、「第三の矢」が訪れ、彼らの属する養護院も充分にその恩恵に浴することになる。

 パテント訴訟の尻馬に乗って利益を上げた、と言えなくもない「第三の矢」は、ある大学生の告発から始まったというのが定説である。少なくとも関係者は全員そのように思っていたし、状況証拠がそれを実証している。

 大学生の正体がわからないだけだ。

 ヤンは、この一件に関しては後日はっきりと証言している。

「大学生はレイじゃない」

 彼自身将軍になり、かつての師匠が宇宙の歴史を動かすような大物として活躍している当時のことで、彼の証言も公開を意図したものではなく、後世に事実を残しておく必要があるという彼の思いから遺された談話である。

 その中で、ヤンは述べている。

「告発したのは間違いなく大学生だ。せっかくの告発は被告企業がさっさと動いて根っこから刈り取っちまったからまったく目立たないで終わったがね。そして大学生はレイじゃない」

 匿名を貫いたということは、この件にレイが絡んでいるとしたらこの大学生がそうではないか、と疑いたいところだが、違うらしい。

「なぜなら、養護院にボランティアで来ていた大学生をそそのかして告発させているレイを見ているからだ」

 とヤンはいう。

 もちろん、うすぼんやりした幼児が大学生を篭絡できるはずもなく、レイは直接大学生をそそのかしたわけではない。すきを見て大学生のIDを探り、少々時間をかけてその大学生に「情報提供者」がいるように見せかけ、その情報提供者からの「パテント情報と裁判の進行経緯について」の情報を世間に告発させるよう仕向けた。

 大学生に情報提供したのは、被告側メーカーの「良心ある技術者の一人」であるとされていたが、そのようにレイが偽装していただけだとヤンはいう。

 個人IDを持たず、通信手段も持たないはずのレイがどのようにして大学生に連絡を取っていたのか、良心ある技術者とやらにどのようにして化けていたのか、すべて謎である。当時のヤンがそんなことを覚えていられるほど知識を持っていなかったからだ。

 ただ、レイが「あの人は便利そうだね」と大学生を指していい、学生IDを盗み見るようヤンに指示し、しばらくしてから「情報がどこから出て、どんな意図で出てきたかをちゃんと知っておかないといけないんだよ」と4歳児とは思えない教訓話をヤンにしてきたのを覚えている。そのほかの記憶もつなぎ合わせると、レイが大学生を思うように操って証言者とし、パテント料をかっさらっていった実態が浮かび上がる。

「第一の矢」として知られる篤志家の寄付なども、こうなってくるとレイの犯行である可能性が高い、と考えるのが自然だろう。

 彼は、常軌を逸したその能力で、自分が入所する養護院の環境を良くするべく、回り回って自分の暮らしを良くすべく、まずは資金面を万全に整えた。

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