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宇宙の騎士の物語:個人の前歴;停止中  作者: 荻原早稀
レイ・ヴァン・ネイエヴェール
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1. ルールモント

 ルールモントの街に雨が降り始めたのは一昨日の夜からだが、断続的に弱く降り続けてやむ気配がない。

 街だった、というべきだろうか。

 降り始めのころにはルールモントの街の至るところに火の手が上がっていて、水滴が落ちてくるたびに煙を上げていた。

 今では火も収まり、しつこく降り続ける雨のおかげで煙も上がらなくなっていた。

 人の姿はほとんどない。かつては賑わっていたはずの中心市街地はがれきの山と化し、旧市街から少し離れた住宅街などはがれきすら残らずに破壊されきっているところもある。

 その景色を小雨がおぼろにし、ほとんど見えない距離の焼け残った林の中に、かろうじて生き残った人々の群がある。その中に、今回の主人公である赤ん坊がいた。

 さほど特徴もなく、近くの大都市の衛星都市として地味に生きていたルールモントの街は、その位置が大都市攻略の橋頭保づくりの邪魔になるという理由で砲火を浴び、わずか30分で壊滅した。

 事前通告により市民の大部分は逃げ出してはいたものの、家財道具一式を運び出して近くにお引越し、というわけにはいかなかった。攻撃開始は、通告から5時間後でしかなかったからだ。

 それまでも戦火に巻き込まれ、焼き討ちされた周辺の村落や近郊都市の難民も流入していたルールモントは、それらの人々どころか、元の住民たちも焼け出されてしまった。

 物資の輸送が滞ってその日の暮らしも行き詰っていた人々にとっては、とどめを刺されたも同然だった。逃げるといっても周辺一帯どこの都市も村落も焼け野原の状態だったし、時代錯誤も甚だしい絶滅戦争の様相を呈してきたこの戦いの最中、助けに来てくれる勢力がいるなどとは誰も期待していなかった。

 けがをした家族を抱きかかえながら悲嘆に叫ぶ、という光景はすでに見られない。そういう段階は過ぎた。泣く体力があれば生き永らえるための努力をしなければいけなかったし、泣く体力を失った者から、冷たい雨の中で死体になっていった。

 ネイエヴェール、という病院が、数日前までは存在していた。

 ルールモント旧市街の一角にあったこの病院は、ルールモントを中心とした地域の中核病院として機能する大型の病院で、戦争が始まって以来日々傷病者が膨れ上がり、とっくに医療体制は崩壊していた。救える命と救えない命の選別が日々行われ、救えない命は容赦なく見捨てられる地獄が毎朝毎晩繰り広げられていた。

 その病院も、破壊された。

 ネイエヴェール病院の責任者たちは、攻撃通告からの数時間で選択を迫られた。

 人的資源が限られる中、誰を救えるのか。そもそもどうやって救うのか。第一、自分たちだって逃げ出せるのか。

 逃げ出す先すら見当たらない中、病院のスタッフたちは結局組織立った救助活動などはできなかった。救急車両どころか、まともに動く車両など、院長ら幹部の自家用も含めて存在しない。次の病院まで運ぶ間の医薬品もない。

 今いる患者たちのほぼすべてを捨て、身一つで逃げ出す以外に、選択肢など残されていなかった。

 だから、「彼」が生き残ったのは、ほとんど奇跡という他ない。

 のちに病院名のネイエヴェールを姓とする彼は、この時おそらく生後半年。

 おそらく、というのは、彼の個人情報は戦乱の中で完全に失われ、両親の生存どころか、本人の名前すらわからなくなったからだ。

 戦災孤児として生きていくことになる彼の幸運は、まず彼が健康だったということ。病に冒された赤ん坊など、真っ先に死んでいる。

 なぜ健康な彼がネイエヴェール病院にいたのかは定かではない。記録が残っていないからだ。

 次の幸運は、彼の担当看護師が逃げ出す直前に、一人だけでも救えないかという気を起こしたこと。そしてその時に生き残れそうな体力を残した赤ん坊が彼くらいだったことだ。

 それまでに見捨てざるを得なかった多くの命、そのためにひどく傷つけられた看護師の魂が、小さな命を救うことでほんのわずかでも自分の魂が鎮められることを望んだのかもしれない。

 街の外に逃げだし肩を寄せ合って過ごしていた住民たちの証言によれば、雨が降り始めた翌々日になってようやく周辺の砲声が止み、兵士たちが乱射する銃火も大体収まったこの日、彼を抱いた看護師たちは徒歩で避難を開始した。

 戦況はわずか数日で劇的に変化していて、彼らの街を襲った軍団はその直後に奇襲を受け、あっけないほど簡単に敗走した。ルールモントの母都市ともいえる大都市は、その敗残兵の散発的な抵抗や、敗残兵を追い回す部隊の横行でとても近づける状況にない。

 別の方向に歩いていくしかない。

 ルールモントがあるこの地域は、緩やかな丘が連なる大きな平原で、テラフォーミングの見本例と言われるこの惑星でも珍しいほどに気候が良い。多くの惑星で、人は住むために巨大なドーム状の天蓋をかけたり、大規模な地下空間に都市を築き上げたりしているのだが、この星ではその必要がないばかりか、地軸の傾きが緩いおかげでさほど季節の気温差もない。この地域の緯度はその中でも理想的とされるのが、避難民にとっては救いであったろう。

 とはいえ、いくら気候が良くても、この時期は最も気温が下がる時期でもあるし、治安は最悪である。20人ほどの集団で歩いている病院関係者たちは、避難民同士で起こる略奪の騒ぎを避けつつ、兵士の体の一部であるらしい焦げた肉片や歩兵用装甲のかけらを避けつつ、無言で、青ざめて凍てついた表情のまま歩き続けた。

 すでに何日もほとんど食事らしい食事をしていない大人たちの群にあって、唯一の赤ん坊であった彼は、どうして栄養をとれていたのか。それも記録がない。

 一人減り、二人減り、あるいは飢えのため、あるいはケガのため、あるいは略奪者の襲撃を受け、あるいは不発弾の爆発に巻き込まれ、最終的に彼が次に記録に残されることになる病院に入った時には大人の生き残りは二人しかおらず、その二人も戦後の混乱の中で行方不明になってしまったからだ。

 ただ、ルールモントの生き残りたちによる後年の証言によれば、降りしきる雨の中出発した看護師たちは、どうあってもこの子だけは守る、という思いだけを共有し、これだけは豊富にあった飲料水と、乏しいながら最後まで取ってあった非常用の携行食を担いで出発したらしい。

 ルールモント攻撃が開始されて11日後、赤ん坊は野戦病院に入った。

 二人しか残っていなかった病院関係者からネイエヴェール病院の名を聞いたのは、野戦病院の護衛をしていた兵士たちだった。彼らは赤ん坊の名前も当然ながら聞き出そうとしたが、あいにく生き残りの二人はそれを知らなかった。赤ん坊がどこの誰で、なぜここにいるのか、この時点でわからなくなっている。

 衰弱しきっていた赤ん坊は、すぐに処置用のテントに運ばれた。

 彼が「レイ」という名を与えられたのは、この処置室であったらしい。

 誰が名付けたかははっきりしない。

 記録上、彼の名前が初めて出てくるのがこの野戦病院の書類であり、そこにその名が仮のものであることは記載されていた。だが名付け親が誰なのかまでは記載がなく、後世様々な人間が調べようとしたが、結局わからない。

 もちろん、本人の記憶にもあるはずがない。

 いずれにしろ、戦災孤児であるレイ・ヴァン・ネイエヴェールの名が初めて公式の記録に現れたのは、この野戦病院だった。



 ルールモントが属していた国をフリジアといい、19の州が集まる共和制の連合国家だった。

 惑星最大の大陸の一角を領するフリジア連邦共和国、その領域の端に存在するルールモント近郊は、国境近くということでご多聞に漏れず紛争が多かった地域でもある。それでもここ数十年は小競り合いもなく平和な時期が続いていたが、政治情勢の複雑な力学の変化と、経済構造の激変に伴う格差の拡大などが原因でその平和も一気に瓦解し、戦争になった。

 人が生存可能な惑星の環境を破壊することは、人道上の罪などと比ぶるべくもない大罪とされているこの時代、大規模破壊兵器は使えない。かといって敵に勝る兵装を持たなければ勝てないのも当然で、戦いはいかにして効率的に拠点を押さえ、効率的に敵を殺せるか、というところに集約されてくる。

 ただ破壊するのであればともかく、効率性が重視されるのであれば、戦争は専門性がより高まり、技術は高度化が進み、戦術も洗練されて人死には少なくなる。はずだった。

 だがそんな戦争ができるのは資金力なり資源力なりの体力がある連中の話で、フリジアやその周辺国家のような「列強」ほどの力も持たず、あるいは持たせてもらえていない国や地域の戦争は、中途半端な戦力が消耗を繰り返す愚劣なものになるのが一般的だった。

 政治の延長線上ではもはやない、ただの暴力の応酬。

 なまじ殺傷力に優れた兵器を持つが故の殲滅戦。

 生後半年のレイを襲った苦難は、超大国同士の戦いではなかなか起こらない、だが第三世界では掃いて捨てるほど起きては消える、いつの時代でも繰り返されてきた性質のものだった。

 彼が野戦病院に収容された時点で、すでにフリジアという連邦国家は倒れている。いくつかの州同士が連合を組みなおして、同じような州連合と戦いあう。そこに隣国などの勢力が複雑に協力し合い、攻撃し合い、裏切り、手を組みなおし、また裏切り、という際限ない混沌の状況に陥っていた。

 野戦病院を作ったのは、それらの勢力とは関係がない、いわゆる列強のひとつメディア帝国だった。

 彼らはフリジア周辺に権益を持たない。平和だった時代のフリジアとは、国交はあっても薄い関係しか持たず、今もいかなる勢力とも手を結んでいない。そもそもこの惑星に領土的野心も持っていないし、これを機会に食い込もうという下心も持っていない。

 メディア帝国はあくまで中立国の立場で、人道支援として難民キャンプを設置し、その周辺に小規模ながら戦力を配置していた。

 これも国際政治の奇怪な現れ方の一つ、といっていいかもしれない。

 人道支援という名の国際貢献を行っている、という姿勢を見せなければ列強としての発言力が失われるが、かといって自分が権益を持っている地域への人道支援は覇権主義の表れではないかと非難される。ならば、特に関係もない地域に小規模の貢献を行い、体面を取り繕うのが落としどころになるだろう。

 そのような意図のもとに派遣された部隊が、難民キャンプを作り、その中に野戦病院を設置し、その警護のため兵力を展開していた。

 レイ・ヴァン・ネイエヴェールがメディア帝国派遣部隊の野戦病院に入った時点での、彼の体調などを示すデータはない。この野戦病院は患者を長期間管理することがなく、病歴を民間に受け継いでいくという発想もないことから、カルテを作らなかったからだ。衰弱していた、というごくわずかな記載が残っているだけ。

 証言者もほとんどいない。記憶に残るほどのこともなかったのだろう。ただ、ネイエヴェール病院からの避難者として姓名不明の赤ん坊が保護されたこと、旧フリジア地域では今後の育成は不可能なため移動が検討されたこと、本国では引き取る気が皆無であること、などが資料として残っている。

 結果、彼の身柄は同じ惑星上の国、オーステルハウトが引き受けることになった。彼が幼少期を過ごし、青年期をも過ごすことになる国である。

 のちに、このメディアという国の歴史に巨大な足跡を残すことになるレイという赤ん坊だが、運命的に見えるこの出会いも、特に何かエピソードを残すわけでもなく、淡々と事務的に受け入れられ、治療を受け、難民キャンプを短期間で去ることになった。

 メディア帝国軍からオーステルハウトの首都オスの養護施設に入った日は、小雨であったと記録に残っている。この後もそうだが、レイ・ヴァン・ネイエヴェールの前半生には、小雨の風景がついて回る。

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