当摩大地①
自己評価をすると僕は元来、特別何かに秀でている人間ではない。
身長、顔、学力または運動能力その何もかもをクローズアップしても平凡だろう。
客観的には分からないが主観的には普通なのだ。
強いて言うのならば、物心つく前に母親が病死し、医師である父親一人に育てられてきたということ。
しかし一抹の寂しさがあっても決して不幸だと感じたことはない。
尊敬できる父、そして何かと世話焼き役に回ってくれていた兄妹がいたからだ。
(そう言えば小学生低学年時代は母親がいなくてよく虐められていたな、、)
まだ母親の存在に執着していた時の話だ。
そんな時はいつもこう考えるようにしていた。
性格はおろか顔も似ていない兄妹なので実は自分には別の母親がいて今も生きていて、いずれ会えるのではないかなどと幼い心を支えるためのあり得ない言い訳に縋りついて自分を慰めていた。
今更思うと馬鹿馬鹿しいことだが。
「お前は父さんにも死んだ母さんにも、ちっとも似ていないな。」
父さんからそう言われると実は内心嬉しかった。
そのたびに現実から遠ざかることができる。
普通、実の子供なら嫌な気分になるのだと思う。
それを代替してくるかのように心優しい兄さんはその発言に大して不機嫌そうな表情をしていたのだが。
そして母親という存在を僕の中で消化する事が出来た頃。
(妹は母に似ている、、)
父さんからそう聞かされる。
親子なのだからさながら当たり前といえば当たり前である。
それ故僕はあまり月を得意とはしていなかった。
なのに幼いころから妙に懐くので、正直疎ましい存在だったかもしれない。
数日の忌引き休みを消化し、僕は普通の生活へと戻った。
学校へ行くとクラスメイトが興味本位で質問をしまくり人の心へ土足で入ってくるのだろう。
薄っぺらな言葉で慰めや同情をしてくるはずだ。
(名前も変わったし仕方がないのだが、、)
案の定、その一時的なもてはやしは登校と同時に始まった。
数少ない友も中に加わる。
「名前が変わるなんてすげぇーなぁ!けどよ、何かと大変だろ?力になれることがあったら言ってくれよ。」
(前者はいらない。後者はありがたく頂戴しよう。悪友よ。)
僕はいちようその言葉を素直に受け止めた。
高校生にもなろう年齢ならば幾人かは他人の懐事情を気にする輩の声が耳に入る。
余計なお世話なのだが現実を気にし始める年齢だから仕方がない。
「あっ、そうそう高収入の良いバイト!今度紹介するぜ!」
(ありがとう、悪友よ。もっと助力をもらえれば友人に格上げするかもな。)
当摩家に入らせてもらう為の条件2 【持参金をすべて渡し、出来る限りの生活費はバイトで稼ぐ】
財産と呼べるものはすべて金銭に変え、僕ら兄妹の人数分で分配。
そしてお世話になる家族へ渡す。
兄さん、月のお世話になる家族は兄妹にと譲渡してきたが、一度手にわたってから各々考えてもらうように伝えた。
僕はと言えばすべて当摩家に収めた。
これなら老夫婦も悪い条件ではない。
娘の医療費もばかにはならないだろう。
僕は当面の小遣いや少額の必要な教育費についてはアルバイトで稼ぐとも伝えている。
今は、自分の身分、身元の証明。
そして雨風凌げる場所さえあればそれでよかった。