第二話 孤高の少女
秀一の視界の先には、孤独に座る金色の髪の少女がいた。先日、このクラスへと転校してきた少女、マリアである。この教室にいる女子生徒の誰もが、その存在を無視していた。
「あれから二週間。それにしても、やっぱり孤立しちまったなぁ」
秀一の視線を察した信一が、そんな言葉をかける。そして、購買で買ってきたパンを手に、秀一の前方の席のイスの方向を変え、秀一と向かい合うと腰をおろす。
「まぁ、仕方ないわよ」
秀一の隣にいた奏が、信一の言葉に賛同する。その手にはお手製のお弁当をつめた弁当箱の入った巾着が握られている。
「……だよなぁ」
二人は秀一の席を囲み、昼食の準備を進める。信一はパンの袋に手をかけ、奏は巾着から取り出したお弁当の包みをほどく。そんな二人の様子を横目に、秀一は再び一人で昼食をとるマリアを盗み見る。
「秀、彼女が気になるの? また、お得意のお節介?」
奏が秀一の態度に怪訝そうな視線を寄せる。
「いやいや。気になるというか……あれは衝撃的だったから」
「確かに、あれにはさすがの俺も驚いた」
「そうよね……」
それぞれが同意の声をあげると、三人は、“あの日”――金色の髪の少女が転校してきた日のことを思い出していた。
◇◆◇◆◇◆
「えーと、柊。他に自己紹介はないのか?」
誰もが口を閉ざした教室で、意を決して口を開いたそんな担任の言葉がその緊張を壊す。
「特にありません」
「……そうか」
彼女の無情な言葉に切り捨てられた担任は気を取り直して、席に座る生徒たちに向き直ると、コホンと一息ついて調子を整える。
「えー、柊は英国出身だそうだが、訳あって4年ほど前から日本に住む祖父の家でお世話になっているそうだ。もともとは他の学校に通っていたんだが、事情があって本校に転校してきた。みんな仲良くしてやって欲しい」
柊と呼ばれた少女が、教師の言葉に続き会釈をする。その横顔は、終始一貫して無表情である。
「じゃあ、柊はあの空いている席に座ってくれ」
教壇からふわりと降りた彼女は促された席に向かい、彼女に物珍しげな視線を向ける机の間を抜けていく。手に持つ鞄を机の脇にかけると、イスに静かに腰を落ち着ける。そんな他愛もない所作からも、彼女の気品が伝わる。
「ねぇ、柊さん……でいいのかな? 柊さんはどこの高校に通っていたの?」
HRが終わると、彼女の席の近くに座る女子生徒が、思い切って彼女に話しかける。
「その髪の色、綺麗だね? 染めていない金色の髪って初めて見たよ」
これ幸いに、他の女子生徒も彼女に続く。
「本当だな。まるでファッション誌のモデルみたいだ」
マリアの魅力にあてられた馬鹿な男子生徒も、なんとかこの美少女にお近づきになろうと無謀な特攻を敢行する。
こうして、彼女の周りには黒山の人だかりが出来ていた。彼女を中心にその人ごみはどんどん大きくなっていく。この物珍しい金色の髪の美少女の素性は、誰にとっても重大な関心事であった。
「す、すごいな……」
その様子に秀一は素直な感想をもらす。しかし、その中心にいるマリアからはいまだに何の反応もない。
「ねぇ、柊さんって……」
「……さい」
「えっ?」
マリアの発した言葉を聞き取れなかった女子生徒が彼女の言葉を聞き返す。
「うるさいと言っているんです。私に構わないで下さい。こうやって集まられても、はっきり言って迷惑です」
瞬間、彼女を囲んでいた和やかな空気が凍りつく。何を言われたのか理解できなかったのだろう。誰もが困惑の色を隠せない。お互いに顔を見合わせている。
「聞こえなかったのですか? もう一度だけ言います。こうして話しかけられるのは迷惑だと言っているんです。早くどいて下さい。これでは周りが見えません」
ようやくマリアの言葉を理解した生徒たちが彼女の周りから、一人、二人と離れていく。
「……何よ、あれ?」
「いくらなんでも、態度悪すぎるでしょ?」
「あり得ないって……ちょっと可愛いからって調子に乗ってるんじゃない?」
先ほどまで、彼女を誉めそやしていた口々から愚痴や悪態がこぼれた。その日から、彼女に話しかける人間は誰もいなくなった。
◇◆◇◆◇◆
「少し可哀そうだけど、自業自得よ。あれじゃあ誰も仲良くしたいなんて思えないもの」
「女子連中はそうだろうな。けど、男どもは何とか仲良くなろうと様子をうかがっているみたいだぞ。ああいう強気な女の子に魅力を感じる輩もいるんだろうな。奏も注意しておいた方がいいんじゃないか?」
「……中森、何が言いたいのよ?」
「別に何でもないさ」
そうやって、信一が奏を茶化していると、教室前方のドアが開き、5限目担当の数学の教師が入って来る。
「こらー、お前たち。席につけー」
まばらに立っていた生徒たちが、なんとなく間延びした教師の声を聞き、自分の席へと戻る。すでに食事を終え、片付けが済んでいた奏と信一の二人もそれにならう。
「それじゃあ、今日はこの前の実力テストの結果を返す」
教師の言葉に、ため息とも嘆きとも聞こえる声が、教室のあちらこちらであふれ出す。教師のいう実力テストとは、春休み中に学校単位で受験した、大手予備校主催の模試のことである。
「じゃあ、名前を呼ばれたやつから前に答案と成績表を取りに来い。まずは、浅古」
名前を呼ばれて教壇まで出てきた生徒が、ペーパーの答案を受け取る。
AR≪拡張現実≫技術が人々の生活に溶け込み、情報技術が高度に進んだこの時代であっても、試験の答案は『紙』媒体というのが文科省の通達で決められている。不正防止と筆記能力維持のための配慮である。
「なぁ、秀一はどうだったよ? どうせ良かったんだろ?」
信一は冷やかすように、秀一のところに来て答案の開示を迫った。
「そういう信はどうなんだ?」
「俺か? ふふん、見て驚くなよ?」
信一が秀一に渡した答案には七十点の文字が躍る。
「おお。今回、平均点が五十二点と低かったから、なかなか健闘したんじゃないか?」
「だろ?」
信一が得意げな顔をして、両手を腰に当てて胸を張る。
「あら、頑張ったじゃない」
秀一の脇から信一の答案を覗き込んだ奏も、賞賛の声をあげる。
「こら、勝手にのぞくんじゃねぇ! そういう奏はどうなんだよ?」
「私?」
信一の問いかけに促され、奏は手に持っていた答案を翻す。
「九十九点!? 奏の方が点数いいじゃないか! どうせそんなことだろうと思ったぜ」
「へへ、私はそれなりに頑張っていますから」
奏は嬉しそうに笑顔を浮かべた。楽しそうにVサインをしている。
「ちぇ、それで秀一はどうなんだよ?」
「あんまり見せたくないんだよね……」
「もったいつけないで、早く見せろってば」
信一の態度に諦めた様子の秀一は、ためらいがちに答案を二人に見せる。
「ひゃ、百九十三点って……で、出鱈目すぎるだろ!? 偏差値が八十越してるじゃねえか」
「……相変わらずよね。本当に数学“だけ”は優秀なんだから。他は平均くらいなのにね」
「『だけ』は余計だろ」
秀一はばつが悪そうに答案をしまう。
「秀っていつ勉強してるのよ?」
「なんていうか……なんとなく勘で解けるんだよ」
「おま、勘で解けるなら数学はいらないんだよ!」
信一が興奮のあまり、訳の分からないことを口走る。
「さて、みんなに朗報がある」
突然、教師はそう言ってテストの点数に一喜一憂する生徒の注目を集めた。
「なんと、今回の実力テストで、全国トップがこのクラスから出た!」
「「おおー」」
全国の受験生の頂点がこのクラスにいると聞いた生徒たちは色めき立つ
「先生。やっぱり、久瀬ですか?」
「いや、意外なことに久瀬ではない。久瀬は惜しくも3点差で二位だ」
「「え?」」
教師の言葉に生徒たちは虚をつかれる。そして、秀一に確認するような視線が集まるが、秀一の方も首を横に振り、自分ではないと答える。
「――なんと、転校生の柊だ」
「「なっ!?」」
教師が意外な名前を口にすると、教室は大いに困惑した。特に女子生徒の動揺は大きい。
「本当? 不正行為じゃない?」
「でも……確か、柊さんって体力測定でも総合一位だよね?」
「なにそれ、天はニ物を与えすぎでしょ? 本当に世の中って不公平だわ」
「はぁ、やってらんない……」
優秀すぎる転校生への驚きと不満が、教室の各所でマグマのように噴き出す。教室は騒然となる。
「おーい、静かにしろ。みんなも久瀬や柊を見習って、これから一年間、受験に向けて頑張って欲しい。それでは、実力テストの問題の解説を行う――」
いまだ混乱冷めやらぬ教室。話題の中心にいた転校生は、意味ありげに秀一を横目に見た後、教室で騒ぐ他の生徒にはやはり興味がないのか、窓の外へと目を向けた。
空はからりと、寂しそうに晴れ渡っている。
◇◆◇◆◇◆
「私は部活があるから。また明日ね」
奏は秀一と信一にそう言い残すと、剣道部の練習場所である武道場へと去っていった。
「それでは、俺たち帰宅部も今日の部活動に向かいますか?」
「ただ帰るだけだけどな」
「つれないなぁ、相棒よ。どうする、ゲーセンでも寄って行くか?」
「あんまりそういう気分でもないんだよな……」
秀一は手持ちの鞄を肩に背負うように持つと、信一と連れだって、昇降口のある一階へと階段を下りていく。昇降口は帰宅する者、部活へ行く者でごった返している。
しかし、靴に履き替え、正門へと向かおうとした秀一は、目の端に何人かの女子生徒に連れられて、人気のない校舎裏へと歩いていく金色の髪の少女を見つけた。
――あれは?
「信、悪い。ちょっと用事を思い出した。先に帰っててくれ」
「えっ? はぁ? 用事って一体なんだよ?」
「大した用事じゃないから気にするな。じゃあな」
一人騒ぐ悪友を置き去りにして、秀一は校舎裏へと消えた女子生徒たちのあとを追う。
『マスター、この先に四人の反応が聞こえます』
イヴの声に立ち止まり、曲がり角からこの先の様子をうかがう。すると、なにやら穏やかでない話が聞こえてきた。
「あんたさ、調子に乗ってんの?」
「調子……ですか?」
校舎を背にしたマリアを囲むように、三人の女子生徒たちが立ち塞がっていた。対するマリアは疲れたような顔で三人を見ている。
「そうよ。全国模試では全国一位、校内の体力測定でも圧倒的なトップだなんて調子に乗ってるんでしょ?」
「はぁ……」
マリアはそんな物言いに、思わず深いため息をこぼす。
「な、何よ?」
「いいですか? 模試や体力測定の結果は日々の研鑽の成果です。大した努力もできないあなた方に文句を言われる筋合いはありません」
暴力的なまでの、圧倒的な正論であった。しかし、それでも女子生徒は追及を諦めない。
「くっ……でも、その髪の色は何なのよ? 金色なんて……」
「この髪の色は母から受け継いだ、生まれついてのもの。染めているわけではないので校則違反でもありませんし、とやかく言われる謂れはないと思いますが?」
マリアの歯に衣着せぬ物言いに、先ほどまで威圧的だった女子生徒がわずかに言いよどむ。しかし、横で見ていた女子生徒は負けじと言葉を続ける。
「あなたね……この子は、あなたがこの子の彼氏に色香を使ったせいで別れることになったのよ? どう責任とるつもり?」
「責任ですか? 私は別に色香なんて使ったつもりはありませんし、言い寄ってくる有象無象に興味なんてありません。それに、あなたが彼氏とやらを引き止められなかったのはあなたに魅力がないからでしょう。私に責任を押し付けるのはお門違いでは?」
痛いところをつかれた女子生徒は顔を真っ赤にして体を振るわせる。魅力がないと言い切られた女子生徒は思わず泣き出してしまった。
「それよ! あなたのそういう態度が気に食わないの。転校初日のあの時もそう。一体何様のつもり?」
「私の対応が、あなた方の気分を害したのなら謝りましょう。しかし、態度がどうのと仰いますが、本当にあなた方に興味がないのです。特にあなた方のような、一人では何も言えないような卑怯な手合いは特にですね……」
「あ、あなたねぇ……もう我慢ならないわ」
怒り心頭の女子生徒がマリアの頬をはたこうと、右手を振りかざす。しかし、その手がマリアの頬を打ち付けることはなかった。
「まぁ、落ち着きなって」
「く、久瀬!?」
さすがにこれ以上は放置できないと思った秀一は、振りかざした彼女の手を掴み、頬をはたこうとするのを制止した。
「あ、あなたには関係ないでしょ?」
「そうだけどさ、手を出すのはマズイでしょ? ここは俺が引き継ぐから、三人はもう帰れって」
「くっ……」
これ以上は分が悪いと悟った三人は、傍に立てかけてあった鞄を手に取ると、そそくさと正門のある方へと小走りで去っていく。
「お節介な人ですね?」
「自分でもそう思うよ。それに、あれ以上は彼女達が危ない」
「あら、何のことでしょうか?」
「……柊さんがそう言うならそれでいいさ」
秀一は彼女の様子を見て、自分の判断が正しかったことを悟る。彼女の身のこなしは、素人のそれではないからだ。
「確か……久瀬さんだったかしら?」
「名乗った覚えはないけど?」
「先ほどの数学の時間、あなたは目立っていましたから」
「ああ、それでか」
得心がいった様子の秀一の横をすり抜けて、マリアも正門のある方へ向かう。
「なぁ、もう少し仲良くしてみたらどうだ?」
「余計なお世話です。あなたには関係がないことでしょう?」
「まぁ、そうなんだけどさ……」
秀一はマリアの言葉に困り、誤魔化しついでに右手で頭をかいた。
「好奇心は猫をも殺すと言います。不用意に私に近づくのはやめてください」
「あれ、心配してくれるのか?」
「違いますよ。こうして干渉されるのは、はっきり言って迷惑なんです。これからも私には近づかないでいただけると助かります」
「……なんとも言えないな」
「そうですか……困った人ですね。それでは、失礼します」
秀一はそう言い残して立ち去る彼女の姿をなんとなく眺めてから、自分も鞄を手に取り、我が家へと足を向けた。