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第一話 金色の髪の転校生

 ――リリリリリ、リリリリリ。


 久瀬秀一くぜしゅういちの脳内に、直接電話の呼び出し音が響く。


「……ふぁ?」


 突然の電話の呼び出し音に目を覚ました秀一が、寝ぼけ眼を擦りながら、目の前の空中に浮かぶ『通話』の文字のウインドウに触れ、電話に出た。


「もしもし?」

しゅう、ようやくお目覚め?」


 秀一の気だるい脳に、快活な幼なじみの声が響く。秀一の家のはす向かいに住む、幼なじみの桜坂奏おうさかかなでの声であった。


「まったく……せっかく人が待っていてあげたのに寝坊するなんて、信じらんない。もう先に学校に行くからね?」

「は? 先に行くって……」


 そんな奏の無情な最後通告を聞いた秀一は、少しだけ頭を覚ますと、視界の隅に浮かぶ操作ウインドウをいじり、おもむろに空中に時計を表示させる。針の短針は八を指している。


「はぁ!? もう8時じゃないか。くそ、昨日寝る前に目覚ましをかけ忘れたのか……」


 昨日の自分に恨み言を呟きながら、虚空に浮かぶ時計を手で追い払って消すと、秀一はベッドから飛び起きた。寝間着を無造作に脱ぎ捨て、クローゼットから黒いパイロットスーツのような形状の服を取り出すと、素早く身に着ける。

 高分子素材から作られたウエアで、軽くて動きやすく、発汗・保温に優れている。四季のある日本でも、一年を通して快適に過ごすことができる代物だ。


「よし――『イヴ、制服を頼む』」

『了解』


 首に巻かれたチョーカー状の機械が、不思議な雰囲気を持つ女性の声で返事をする。その直後、学校の指定の制服に身を包んだ秀一がそこにいた。姿見でその様子を確認して、満足した秀一は、教科書類を詰め込んだバッグを右肩にかけ、自室から階下へと勢いよく駆け下りていく。


「あれ? 秀、もう家を出ていくのかい?」


 朝食も摂らずに、玄関で靴を履こうとしている秀一に、父親の久瀬優大くぜゆうだいが声をかける。


「父さん、悪い! もう出ないと学校の始業式に間に合わないんだ」

「そうか……それでは仕方ないな。気をつけて行って来なさい」

「ごめん!」


 申し訳なさそうに玄関から飛び出すと、秀一は学校に向けて通学路を駆け出す。秀一が目の前のパネルを操作すると視界の片隅に再び時計が浮かび上がる。


「八時十分……ギリギリか? こうなったら裏道を行くしかない。イヴ、学校までの最短ルートを検索、ガイドしてくれ!」

『了解……検索終了、ガイド出ます』


 首もとの機械がワンテンポ遅れて応答すると、秀一の進む先の道路上に矢印が現れる。親切にも、その隣には始業のベルまでのタイムリミットが表示されていた。


「おぉ、サンキュー」

『どういたしまして』


 秀一の感謝の声に、首もとの機械が簡素に返答する。




 近未来の日本では、AR≪Augmented Reality≫――『拡張現実』技術が現実のものとなり、人々の生活に溶け込んでいる。

 秀一が見ている時計も矢印も現実に存在するものではなく、仮想空間上のデータを秀一の視界に表示させているに過ぎない。秀一の身につけている制服も実際に着ているわけではなく、秀一の体の表面に制服の仮想データを貼り付け、周囲の人間にそれを認識させているのだ。

 これを可能にしているのが秀一の首に巻かれた、ARデバイスである。ARデバイスが仮想空間上のデータを取得、脊髄を通して脳に視覚情報を伝達、これを秀一の視界に表示させている。


 現在では法律で国民にARデバイスの装着が義務付けられ、人々の社会生活を円滑なものとしている。AR≪拡張現実≫技術は、時計や服の表示といった個人的な利用はもちろん、信号や標識といった視覚的インフラはその役割をAR≪拡張現実≫に委ね、直接これを視界に表示させている。

 そのため、AR技術は現在を生きる人々にとって、切っても切れないものとなっている。




 秀一が矢印に従って道を進む。イヴの的確な案内のおかげで、いつもとは違う通学路でも迷うことはない。順調なペースで、学校への道程を進んでいく。


「あれ?」


 走る秀一の視界に人影が映りこむ。気になった秀一は、踵を返すと、目的の路地裏を覗き込んだ。覗き込んだ先、入り組んだ路地裏の奥には、どの時代においても生き残り続ける、いわゆる不良という人種の人間の姿が見えた。


「悪いことはいわねぇ。さっさと金をよこしなって?」


 不良の傍には学生だろうか、恐喝を受けているらしい少年の姿が目に見える。少年は怯えた様子で周囲に助けを求めているようだった。


『マスター、始業式の時間が迫っていますよ』


 首もとのイヴが一言忠告する。しかし、


「ほっとけないだろ?」

『……承知しています』


 さすがに付き合いが長いだけはある。人口知能型ARデバイス補助システム――『イヴ』は、秀一の世話焼きな性格をしっかりと理解していた。


「なぁ、あんた。カツアゲなんてかっこ悪い真似はやめろって」

「ああ?」


 突然声をかけられた不良が、秀一の方に向き直る。


「なんだ、にいちゃん。痛い目にあいたくなければ、余計な口は出すんじゃねえよ」

「なに、生まれついてのお節介でな。君、こっちにおいでよ」


 秀一に声をかけられ、意表をつかれた不良の隙を見て、恐喝されていた少年が秀一の方に逃げてくる。


「あぁ、この野郎! 何勝手なことしてやがる。まぁ、この際誰でもいいか。にいちゃんがこいつの肩代わりしてくれや」


 不良はそう言うと、空中に指をやり何かを操作する。すると、秀一の目の前には5000円を要求する金銭支払い用のウインドウが表示され、その許否を求められた。

 AR技術が発達した現代では、金銭の支払いはこのようなウインドウでの操作による電子マネーのやりとりが一般的である。紙幣を使った金銭のやりとりは滅多に行われないため、財布を持ち歩く習慣は廃れて久しい。


 秀一は、あまりにも分かりやすすぎる不良の行動に笑い出しそうになるのを堪えながら、目の前の返答ウインドウに手をやる。


「お断りだ」

「なっ!?」


 不良の眼前には、支払い拒否の文字が躍っている。


「っ、この野郎……舐めやがって!」


 不良はそんなお決まりの台詞を吐くと、秀一を殴ろうと振りかぶり、駆け寄って来た。


(――イヴ……アクセルプログラム起動)

『了解。プログラム起動します』


 秀一の命令を受理したイヴの声の直後、秀一の世界は静寂に包まれる。不良の動きはひどく緩慢なものへと成り下がった。秀一は相手の初動から、これからの動きを見切ると、瞬時に対策を打ち立てる。


「……よっと」


 殴りかかってくる不良の右手の軌道を紙一重でかわし、素早く体を左にずらす。そして、すぐさま右足を突き出して、相手の足に引っかけてバランスを崩してやる。


(これで……仕舞いだ!)


 とどめに、バランスを崩した不良の背中に、回し蹴りで足の靴底をたたき付ける。


「ふおぉ!?」


 バランスを崩したところを後ろから蹴飛ばされた不良は、勢い良く顔から地面に口づけをした。顔面を地面に強かに打ちつけた不良は、痛みのあまり地面でもんどりをうって悶絶している。


「悪く思いなさるなよ? 先を急ぐもんでな。さぁ……行くぞ」


 そう言うと、秀一は少年の手を握り、路地裏の外へと駆け出した。距離をかせいだところで、二人は立ち止まる。


「今後は気をつけろよ? 次も助けてやれるわけじゃないし、ああいう輩はどこにでもいる」

「ほ、本当に、ありがとうございました」


 少年は何度もお辞儀をすると、その場から立ち去った。自分の学校へと向かうようだ。


「さて、俺の方も急ぐとしましょうかね」


 少し歩くと区営の公園が見えてくる。ここを抜ければ、学校は目と鼻の先だ。公園に入ると、噴水を取り囲むように咲く、満開の桜の花がその目に飛び込んできた。


「おお……やっぱり桜は日本人の心だなぁ」


 そんな月並みの感想を漏らす秀一。しかし、視界の片隅には一人の少女の姿が映る。


(金色?)


 満開の桜の木の下、舞い散る桜吹雪の中で、桜の花を見上げる金色の髪の少女がそこにはいた。


(金髪は珍しいな……? それに、あの制服はうちの生徒か?)


 金色と桜色が交錯する不思議な光景。そんな光景に引き込まれた秀一は、その場で彼女を眺めながらしばらく立ち尽くしていた。その場から彼女が立ち去った後も、秀一はしばらくそんな幻想的な余韻に浸っていた。

 しかし、突然、彼は現実に引き戻される。そんな彼を現実に引き戻したのは、遠くから聞こえてくる始業の鐘の音であった。


『マスター、時間切れです』

「ああ!?」


 目の前のカウントダウンが0を示している。そして、秀一の遅刻が確定した。



 ◇◆◇◆◇◆



「こってりしぼられたみたいね? 進級そうそう遅刻なんてするからよ。せっかく起こしてあげたのに」

「……それならもう少し早く起こしてくれ」


 職員室から戻った秀一に、そんな言葉をかけたのは、朝、秀一を電話で起こした幼なじみの桜坂奏おうさかかなでであった。秀一とは小学校からの仲で、こうして高校まで一緒の時間を過ごしてきた。

 目鼻立ちが整っており、小さな顔に、腰まで伸びた長い黒髪を、お気に入りのリボンで一本に結わいているのが印象的な、可愛らしい少女である。いわゆるポニーテイルという髪型だ。

剣道の有段者でもあり、去年、全国大会に出場した経験もある実力者である。強く美しい彼女の袴姿は、男女を問わず人気が高い。


「甘えないの。待ち合わせに遅刻する人をわざわざ起こしてあげた優しい幼なじみにその物言いはどうかしらね?」

「……面目ありません」


 秀一はそう言って机に平伏していた。


「おーおー、高校三年になっても、相変わらず鬼嫁の尻に敷かれているようだな、秀一」

「……誰が鬼よ、誰が?」


 言葉の主をジロリとにらむ奏。


「あれ、桜坂、嫁ってことは否定しないのか?」

「そ、それももちろん違うわよ!」


 クラスメイトの冷やかしに、奏は顔を真っ赤にして声を荒げる。


「よう、信。朝から相変わらず元気だな」

「おう、秀一。また同じクラスだな」


 声をかけたのは秀一たちのクラスメイトである中森信一なかもりしんいちであった。秀一や奏とは高校に入ってから同じクラスの、お互い知った仲である。彼は秀一のいわゆる悪友であった。


「そりゃあ、ここは特進クラスだからな」

「それもそうなんだが……代わり映えしないよなぁ」


 秀一たちは成績優秀者が集められた、いわゆる特別進学クラスに所属している。成績に応じ、進級ごとに顔ぶれも若干変化するが、ほとんどが見知った顔ばかりである。


「そういえば、秀一は遅刻したから知らないだろうけど、このクラスに転校生が来るらしいぞ」

「はぁ? 三年にもなってか?」

「そうらしい。しかも……ある筋からの情報によると、金髪の超絶美少女らしい」

「金髪……?」


 秀一は信の言葉を聞いて、朝の公園での一幕を思い出していた。桜色の背景に浮かぶ金色の髪が、やけに印象的であった。


「何? 秀一は転校生がそんなに気になるの?」


 朝の光景を思い出してどことなく呆けていた秀一を、奏が厳しい表情で問い詰める。


「いや……そういうわけじゃないんだが」

「ふーーん。そう」


 いまいちハッキリしない秀一に、冷ややかな視線を送る奏。


「そうヤキモチを妬きなさるな、奏さんや」

「べ、別にそういうわけじゃってば」


 そんなやり取りしていると、教室の扉が開かれ担任が入ってくる。


「こら、お前ら席に着けー」


 教室のあちらこちらで談笑に勤しんでいたクラスメイトたちが、みなそれぞれの席に着く。信や奏も同じように、自分の席に戻って行った。


「始業式で発表があったからみんな知っているだろうが、改めて転校生を紹介したい。柊、入ってきなさい」


 担任が教室のドアの向こうに声をかけると、ドアを開き、一人の少女が入ってくる。


「「おお……」」


 教室にどよめきが起こる。

 見事な輝きを放つ髪色は金。その美しい髪を肩甲骨あたりまで華麗に伸ばし、教室の教壇に上がる。そして、こちらに見開く双眸は黒。きらびやかな髪の色に、不釣合いなその漆黒の目が、彼女の冷たく儚げな印象を際立たせる。


「マリア・柊・ウェスティアリアです」


 彼女の口から紡がれた言葉が、騒がしかった教室に静寂を落とす。彼女の冷たく透き通る声に誰しもが息を飲んだ。彼女の静かな圧力に室内の誰も彼もが言葉を失った。


(やっぱり公園にいた子だ……まさか転校生だったとは)


 秀一も彼女の圧倒的な存在感を感じとり、マリアが今朝の少女に相違ないことを確信した。唯一無二の傑物――そんな言葉がふさわしい少女であった。


 こうして運命の歯車は回りだす。これがその始まりとなる秀一とマリアの邂逅であった。


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