結婚したら義母3人と夫の愛人2人が屋敷に住んでいました(全員まとめて追い出します)
「う、う、嘘でしょ……」
ディアナ・クシュタル伯爵令嬢とアルベルト・ヨルク伯爵の結婚式が終わって、王都にあるヨルク伯爵家の屋敷に到着した途端、彼女は絶望に打ちひしがれていた。
そこには、
「テレーゼよ」
「ドロテアよ」
「ラヘールよ」
三人の義母と、
「ローゼでぇ〜っす」
「シャルロッテですわ」
二人の夫の愛人が住んでいたのである。
「…………」
突然5人もの同居人を紹介されて、ディアナは頭が真っ白になった。
婚前に聞いていた話では、夫の父である前ヨルク伯爵は引退。今は領地で奥方たちとのんびりと暮らしているとのことだった。
ましてや、夫の愛人の話など、少しも出ていなかったのだ。
「おっ……」
しばらくのあいだ口をパクパクさせていたディアナだったが、やっとの思いで声を発した。
「お義母様がたは、領地へお引越しされたのでは……?」
ひとまず、疑問点を尋ねてみる。
「あぁ、直前で中止したのよ。あんな田舎、ごめんだわ」と、第一夫人のテレーゼが答える。
「そうよ。ギュンターには王都のアカデミーじゃなくちゃ」と、第二夫人のドロテア。ちなみにギュンターとは彼女の息子で、ヨルク家次男である。
「だって領地はブティックもカフェもないんでしょう〜? つまんなーい!」と、ひときわ若い第三夫人のラヘール。
「そ、そうですか……。あはは……」
ディアナはもう、笑うしかなかった。
貴族には一夫多妻が許可されており、前伯爵も第三夫人まで娶っていることは聞き及んでいた。
多少は不安はあったものの、領地で暮らしているので特に影響はないだろうと思っていた。
しかし実際に三人の義母がずらりと目の前に並んでいると、なかなかの迫力である。
そして、夫の愛人。これは完全に初耳だ。
家門間の微妙な力関係はあっても、知っていたら絶対に拒否していた。
「アルベルト様ぁ〜。もう行きましょう〜?」
愛人のローゼがアルベルトの腕を掴んでくねくねと身体を揺らす。ぱっちりお目々にピンクブロンドの可憐な美少女だ。
「この方が奥様? 地味な方ですこと」
愛人のシャルロッテがディアナを品定めするように眺めながら、くすくすと意地悪そうに笑う。派手な赤髪のダイナマイトボディーなセクシー美女だ。
二人ともタイプは異なるが、胸のボリュームが素晴らしいという点だけは共通していた。
ちなみにディアナは、茶色いくせ毛に茶色い瞳。
中肉中背で胸板も薄く、愛人二人に比べると特徴のない容姿だった。ザ・平凡といったところである。
アルベルトは二人の愛人の腰を抱いて、
「ディアナ。部屋は侍女長に案内されるといい。それから家令に、正妻としての仕事の説明も受けるように」
「ええっと……。旦那様は?」
「私はやるべきことがあるのでな」
(それって、愛人たちと昼間から仲良くすることですかぁ〜!?)
ディアナはいろいろ突っ込みたい気持ちを抑えて、ひとまず彼に従った。
彼女は今日ここに来たばかりの新参者だ。現当主の正妻ではあるが、現実的な立場は一番低い。
なので、しばらくは屋敷内の状況把握に努めようと思ったのだ。
◆
「こちらが若奥様の寝室でございます」
「うわぁ……! 素敵!」
侍女長から案内された部屋は、母屋の二階の角部屋だった。
義母や愛人がいるぶん待遇面に不安は残っていたが、そこは杞憂のようで一安心した。
部屋は広くはないが、白地にネモフィラ模様の壁紙が日差しを反射して明るく感じた。家具も曲線美が柔らかく、落ち着いて過ごせそうな場所だった。
「装飾がとても可愛らしいですね!」
ディアナが爛々と瞳を輝かせて言うと、侍女長の顔がみるみる曇っていく。
何か不味いことでも言ったのかしらと首を傾げると、
「えぇ……。実は……こちらの部屋は、元はベビールームだったのです」
侍女長は申し訳なさそうに白状した。
「べっ……!?」
「こちらの壁紙も、旦那様が生まれた頃のままでして……」
「そ、そう……。物持ちのよろしいこと……」
「申し訳ございません!!」
ディアナの苦々しい表情を見て、侍女長は罪悪感を抑えきれずに深く頭を垂れた。
「本来なら、若奥様は伯爵夫人専用のお部屋があるのですが……。皆様、今の部屋を離れたくないと頑なに譲らず……」
「あぁ〜、なるほど。それで、私の部屋はこの屋敷の女性陣の中で一番粗末な場所なわけね」
おそらく、伯爵夫人の寝室は前伯爵の第一夫人あたりが使っているのだろう。それから序列順に部屋のランクが下がり、ディアナはベビールームだ。
「で、ですが、元は旦那様がお使いになっていた部屋ですので、頑丈で素材も上等ですので! 日当たりも良いですし」
「ふふっ。そんなに謝らなくてもいいわ。私はこの屋敷で新人ですもの。ここから這い上がってみせますか〜、なんてね」
平謝りする侍女長があまりにも不憫で、ディアナは冗談を交えてケラケラと笑ってみせた。
彼女の様子から察するに、日頃から義母や愛人たちに苦労させられているのだろう。新しい女主人として、被雇用者の労働環境をこれから整えなければならないと思った。
「旦那様は、愛人たちを正式に第二夫人と第三夫人になさるおつもりかしら?」
「えぇ……。旦那様は、正妻を娶ったらすぐに手続きするをとおっしゃっておりました。ただ、順番をどうするかでローゼ様とシャルロッテ様が揉めておりまして、しばらくは籍を入れないと思われます」
「なるほど」
「しかし、お二人とも身分は低いので、若奥様の地位を脅かすことはないと思いますので!」
少し思案している若奥様を、悲しんでいる様子だと勘違いした侍女長は励ますように声を張り上げた。
「あぁ、私は大丈夫よ」
ディアナは彼女を安心させるようにあっけらかんと言った。
「それより、旦那様のことを聞きたいわ。愛人とは長いの?」
「そうですね、もう三年以上はお付き合いをしておられるようです。屋敷にいらっしゃったのは、二人とも一年ほど前ですが」
「さっきの様子だと、旦那様は愛人がいることを当たり前だと思っているのよね?」
「はい……。大旦那様が第三夫人まで娶っていらしたので、昔から複数の女性と同時進行で交際するのは当然のことだと思っておられたようです」
クズだな、とディアナは思った。
「……なんとなく理解したわ。教えてくれてありがとう。これからよろしくね」
侍女長を下がらせ、ディアナは今後の振る舞いについて考えた。
まず、義母たちはなんとかして領地へ引っ越してもらうように誘導する。
そして、愛人二人と手を切るように旦那様を説得する。
その際に、この屋敷は非常識だと理解してもらう。
これらをクリアすれば、屋敷の治安も穏やかな結婚生活も守られるだろうと思った。
しかし、彼女の甘い考えは、その日の夜に打ち砕かれることになる。
◆
「な、な、な……なんですかっ!?」
「なにって、今日は初夜だろう? だからやってきたのだが」
目を剥いて、震えるディアナ。
彼女の前にはバスローブ姿の夫と、フリフリのネグリジェを着たローゼ、そしてセクシーなネグリジェを着たシャルロッテが立っていたのだ。
「な……なぜ、二人もここに……!?」
「なぜって、これから初夜だからな。全員で楽しむのは当然だろう」
「はぁっ……!?」
信じられないという顔で夫を見る。彼はさも当然のように真顔で首を傾げていた。
(いやいやいや、全員で楽しむって……。頭おかしいんじゃないの!?)
呆然と突っ立っている妻を気にもかけず、アルベルトは愛人二人を伴ってベッドへ向かおうとした。
「やめてっ!!」
次の瞬間、ディアナは咄嗟に硬い枕を夫に思い切りぶん投げた。
「いっ……!」
「アルベルト様!」
「きゃあっ!」
それは彼の顔面にクリティカルヒット。彼は突然の攻撃にバランスを崩して、派手に尻もちを付いた。
「アル様になにするの!」
ローゼがきっとディアナを睨み付ける。だがディアナは、物凄い剣幕で彼らを怒鳴り付けた。
「なにするのですって……? それは、こっちのセリフだわ! 初夜を愛人と一緒に迎えるなんて前代未聞よ! あり得ない! 三人とも出ていってっ!!」
ディアナはもう一つの枕を手に取り、夫と愛人たちを殴りながら寝室から追い出した。
慌ただしく音を立てて部屋の扉が閉まると、たちまち静寂と寒気が彼女を包み込む。
彼女はガタガタと震えながら、ぺたりと力なくベッドにへたり込んだ。
最悪だ。
最低最悪の男。
こんな屈辱、生まれて初めてだった。
愛人の存在を知ってただでさえ乗り気じゃない初夜だったのに、まさかその愛人をも連れ込むなんて。
なんという変態男!
「……前言撤回」
ディアナは、すぐに考えを改めた。
自分が甘かった。あれは、言葉でどうこう理解できる男ではない。
こうなったら。
「絶対に離縁してやるわ!!」
◆
「ディアナさん、熱い紅茶が飲みたいわ。焼きたてのお菓子もね」
「はい、喜んで!」
「お嫁さ〜ん、ギュンターに必要な資料を集めてきて。試験が近いのよ」
「はい、喜んで!」
「ディアナー、ドレッサーに置いてる髪飾り持ってきてー」
「はい、喜んで!」
初夜の翌日から、ディアナはヨルク伯爵家の嫁として一生懸命働いた。
屋敷には使用人が少なく、日頃から人手不足で悩まされていた。彼女が軽く三人分は働いた。
すると屋敷内の仕事が潤滑に回りはじめ、彼女は使用人たちに大いに感謝された。
ディアナには、ある計画があった。
まずは屋敷内での信用を高める。使用人たち、そして義母たちから信頼を勝ち取るのだ。
本格的に動き出すのは、それからだ。
本音を言うと、夫とはすぐに離縁をしたい。
だが一夫多妻制は法で許可されているし、今の段階では正当な理由がない。
それに、生家に迷惑をかけたくない。
なので、じっくり時間をかけて『理由』を作るのだ。そのためにも、今は我慢のときである。
「ねぇ、あんた。あたしにも紅茶ちょーだい!」
「第一夫人さん、わたくしの着替えも手伝ってくださる?」
「それくらい自分でやりなさい」
ただし愛人ども、テメーらは別だ。
◆
ディアナが屋敷に来て馬車馬のように働いて、半年が経った。
「ディアナさん、今度のお茶会のサンドイッチなのだけど……」
「もちろん、南部地方の最高級きゅうりを手配しましたので!」
「お嫁さ〜ん、最近ギュンターの集中力が続かなくて……」
「適度に運動を挟むと良いですよ。あとは偏食をやめてもっと栄養を摂りましょう!」
「ディアナー、夜会のドレスどっちが良いと思う〜?」
「お義母様は可愛らしいお顔なので、ピンクのほうがお似合いですよ!」
「若奥様、領地の収穫の件ですが……」
「あら、丁度良かった。昨晩、今期の計画書を作ったのよ。これから会議を開きましょう!」
ディアナはすっかり屋敷に馴染み、今では義母からも使用人からもとても頼られる存在となっていた。
ちなみに、愛人二人とも憎まれ口を叩きながらも一応は良好な関係を築いている。
『若奥様』は屋敷の中心になっていて、家のことを切り盛りしていた。
夫のアルベルトも屋敷や領地のことは全てディアナに任せて、王宮の仕事と、愛人たちと遊ぶのに励んでいた。
さて、そろそろ頃合いかと、ディアナはついに動き始めた。
「あらぁ……。それは困りましたね……」
「どうしたの?」
ディアナとメイドが深刻そうな顔で会話をしていると、たまたま第一夫人テレーゼが通りかかり、一体何事かと尋ねてきた。
「実は……テレーゼお義母様に確認せずに、かなりの数の蔵書がいつの間にか入れ替わっていたのです。古い本は地下の物置に乱雑に放り込まれて、あやうくカビまみれになるところだったみたいです」
「なんですって?」
途端に、テレーゼの眉が釣り上がる。
彼女は先代伯爵の第一夫人――即ち正妻であり、序列や格式には厳しかった。伝統あるものを好み、貴族としての品格を大切にしていた。
アルベルトの花嫁にディアナを選んだのも彼女だった。
息子の愛人たちの存在は容認していたが、婚姻には身分が低すぎる。ディアナの生家のクシュタル伯爵家は近年財政的には厳しいものの、建国時からの古い家門で彼女のお眼鏡に適ったのだ。
「代々受け継がれている図書館の蔵書をあんな粗末に扱うなんて……。新しいものを認めるのは大事ですが、古くからあるものを守らないと」
「そうよね」と、テレーゼは深く頷く。
「私が嫁入りしたせいで、屋敷内の序列が乱れてしまったのかもしれなくて、申し訳ないです……」
「そんなことないわよ、ディアナさん!」
テレーゼは息子の嫁の両手を励ますようにぎゅっと握った。
「以前から、彼女たちの身位を弁えない態度はいかがなものかと思っていたの。これからは、わたくしがもっと目を光らせておくわ」
「ありがとうございます、テレーゼお義母様……!」
「アカデミーの予備試験、ギュンター様が首席だったそうですね。おめでとうございます!」
ディアナが祝意を述べると、第二夫人ドロテアは相好を崩した。
「あら、もう知られちゃったのかしら? ありがとう」
「ギュンター様はヨルク家の誇りですね! 素晴らしいです」
「そうかしら?」
「先日も、領地の治水工事の設計の算出方法を教えていただいたのです。私のような素人でも分かりやすくて、他の者も感動していましたわ」
「まぁ。あの子、そんなことをしていたの?」
「はい。学問の合間に、ささっと計算式を作ってくださっていたようです。……このまま領地運営をお任せしたいほどですわ」
ディアナの顔が微かに曇り、ドロテアはそれを見逃さなかった。
「まさか、領地運営が上手くいっていないのかしら?」
「いえ、そういうわけではないのですが。ご存知の通りアルベルト様は一切関与しないので、ギュンター様のような実績も能力もある方にお任せしたほうが、家門が安定するのかと思いまして……」
「まぁっ!」
ドロテアは興奮を隠せず大きく目を見開く。まさか長男の嫁が己と同じ考えを持っているなんて、夢にも思わなかったのだ。
「……あなたも、そう思うの?」と、彼女は周囲を確認してから声をひそめて訊いた。
ディアナも注意深い様子で小さく頷き、
「実際に領地の仕事をすると、本当に大変で……。やはり、ギュンター様のような頭の良い方のほうが適任だと思いますわ」
「そうよね、そうよね」
ドロテアは、アルベルトよりギュンターのほうがヨルク家の当主に相応しいと常々思っていた。
長男は城でも大した仕事をしていなく万年役職なしだし、愛人と遊びほうけて領地の運営もできない。
そんな無能よりも、才能溢れる我が息子のほうがずっと理想的な当主だ。
本来なら夫の味方である長男の嫁までそう思っているのだから、そうに違いない。
「あら、ラヘールお義母様。これからお出かけですか?」
「分かる〜? 今夜はこれから歌劇を観に行くの」
第三夫人ラヘールは、着飾った姿を見せつけるようにポーズを決めた。
真紅のスレンダーラインのドレスに、ゴールドを基調にしたアクセサリーがぎらついてとても華やかだ。
「凄く素敵な装いですわ! 先月の夜会と同じドレス!」
「うっ……!」
ディアナの無邪気な褒め言葉に、ラヘールはぎくりと肩を揺らした。
「やっぱり、あの時と同じドレスだって分かる……わよね?」
「鮮やかな赤がお似合いですから、すぐに分かりました!」
「はぁ〜……。そうよね……」
さっきの自信満々な態度とは打って変わって、第三夫人は意気消沈に肩を落とした。
「思ったより予算が少なくて、ドレスも装飾品もあまり新調できないのよ……」
「そうなのですか?」
「そうっ! ……伯爵夫人になるし、第三夫人っていう気楽な立場だから結婚したんだけどねぇ〜。実際は厳しいっていうか……ドケチっていうか」
「そんな……」
ディアナは酷く同情しているかのように、口元に手を当てて大仰に眉を下げた。
「ラヘールお義母様は一番お若くて、華やかな格好がお似合いなのに勿体ないですねぇ……」
「そうそう! そうなのよ!」
「だから、好きに買い物をしても良いんじゃないですか?」
「へっ……!?」
「きっとお義父様は、若くて綺麗な姿をずっと見たいのだと思います。なので、もっとお金をかけて美しさを維持するべきです。それが大旦那様のお望みならば、叶えなければなりませんわ。
それに、失礼ですがお義母様はお子様がいらっしゃらないので、養育費にお金がかかっておりません。ですので、その分お好きに使っても文句を言われる筋合いはないと思います。でないと不公平です!」
ディアナの熱弁に、ラヘールの顔がパッと晴れた。
彼女は誰よりも贅沢を好み、上二人の妻たちに遠慮しなければならないことがずっと納得できなかった。
長男の嫁の言う通り、たしかに子供がいないぶん他より金がかからない。なので、一人で二人分の予算を使って良いはずだ。
だって、一番若くて一番美しくて、一番夫に愛されているのは自分なのだから……!
「話ってなんですかぁ〜?」
「改まって、何かあるのかしら?」
ディアナはアルベルトが不在のあいだに、自室にローゼとシャルロッテを呼び出していた。
「どうぞ、お掛けになって? まずはお茶でもどうぞ?」
二人の愛人は不審に思いながらも、今の己の身分ではさすがに正妻に逆らえないので渋々席に着いた。
「あなたたちは最近旦那様とはどうなの? 上手くやってる?」
「もっちろ〜ん!」
「アルベルト様はわたくしたちがしっかりサポートしておりますので」
ディアナは返事もせずにゆっくりと紅茶を飲んで、そっとソーサーにカップを置いた。
そのらしくない優雅すぎる様子にただならぬ気配を感じた二人は、自然と姿勢を正して固唾を呑んで正妻を見守る。
少しの沈黙のあと、
「実は……今日は二人にお願いしたいことがあるの……」
ディアナはかしこまった様子で愛人たちを見た。
「先日、医師から私は子供が出来ないかもしれないと言われてね」
「えっ!?」
「まぁっ……!」
思いも寄らない告白に、ローゼもシャルロッテも驚きを隠せずゆっくりと大きく目を見開いた。
「医師からは、身体が弱いからまずは健康になってからと言われてね。だから、まだ夫とは寝室を共にしていないのよ。でも、ヨルク伯爵家には跡取りが必要だから……その……どちらかが……」
ディアナは言い淀んで俯いたが、愛人たちは正妻が言わんとすることを察した。
つまり、ローゼとシャルロッテのどちらかがアルベルトの嫡男――『伯爵家の跡取り』を生まなければならない。
ディアナは悲しげに力なく笑う。
「そうしたら、私は第三夫人に下がるわ……」
次の瞬間、愛人二人に熱い炎が灯った。
先に男の子を生んだら勝ち。
即ち、正妻になれる!
◆
屋敷の雰囲気は、日を追うごとに悪くなった。
「あなた、二番目のくせに出しゃばらないでくださる? 立場を弁えなさい!」
「私のギュンターは、学生の身で領地運営も屋敷内の管理も手伝っているのよ? 愛人と遊び回っている無能な長男と違って」
「誰が無能ですって……?」
「あら? 実際にアカデミー首席のギュンターのほうが優秀じゃない? 今の時代、生まれた順ではなく実績で後継を決めるべきだわ」
「お黙りなさいっ!!」
第一夫人テレーゼと第二夫人ドロテアの関係は悪化し、二人が言い争うことが多くなった。
これまで側室だからと遠慮していたドロテアだったが、優秀な息子を盾にして一歩引くことはなくなった。
後継者が変わるかもしれないと動揺が広がった。
使用人たちも派閥に分かれて、ギスギスした空気が屋敷を侵食していっていた。
唯一、後継争いに関係のない第三夫人ラヘールだけは呑気に過ごしていたが、彼女名義の屋敷への請求書は雪だるま式に増えていって、家令は頭を抱えていた。
「今日はあたしがアル様と寝るのー!」
「あなたは昨日寝たでしょう? 今夜はわたくしの番よ」
「イヤ! あたしが月のものが来たとき、あんたは順番破って勝手にアル様の寝室に行ったじゃない!」
「あなただって、いつも同じことをやってるじゃない!」
愛人たちも、以前よりいがみ合っていた。
二人とも早く妊娠したくて、アルベルトに毎晩執拗に迫っていた。
果ては媚薬を盛ったり、疲れ果てて帰宅した彼に男性の機能向上効果のある食事を強要したり、妊娠が叶うといわれる怪しい魔術儀式をしたり……。
彼女らの奇行に、アルベルトはだんだんと疎ましく思うようになっていた。
ディアナは、それらをただ見ているだけだった。
今では現当主よりも絶大な信頼を得ている彼女は、粛々と己の仕事をこなすだけ。誰の味方にも付かず、我関せずを貫いた。
たまに意見を求められたら、客観的な見解を述べるだけ。ただ見たものを口にするだけだ。
アルベルトはそれらを「女の揉め事」だと切り捨て、問題を軽視し、全てをディアナ任せにしていたのだった。
◆
「では、これからヨルク伯爵家の家族会議を始めます」
ディアナは「家門の財政と後継について大事な話がある」と夫、義母、愛人、家令、侍女長を呼び出した。
第一夫人テレーぜは、今日を機会に息子の正当性を確実なものにしようと思った。
第二夫人ドロテアは、いよいよ後継が息子に変わるのだと思った。
第三夫人ラヘールは、予算オーバーなんて気にしていなかったし、後継もどちらでもいいと思っていた。
愛人のローゼは、アルベルトの子供を妊娠したと主張していた。
愛人のシャルロッテは、ローゼよりも先にアルベルトの子供を妊娠したと主張していた。
現当主のアルベルトは、女同士の諍いを早く終わらせてくれと非常にうんざりしていた。
家令と侍女長は、自己中心的な主たちに辟易していた。
ディアナはもったいぶった様子で咳払いをしてから、
「まず、ローゼさんとシャルロッテさん」
笑顔で愛人二人に顔を向けた。
「やっぱり、先に妊娠したわたくしの子がアルベルト様の後継になりますわよね?」とシャルロッテ。
「そんなの、まだ男か女かも分かんないじゃん! 勝手に決めないでよ」とローゼ。
二人揃ってアルベルトの腕をぎゅっと掴む。彼は眉間に皺を寄せて、どちらにも身体を傾けなかった。
「えー、その件ですが」
ディアナは家令に目配せをして、書類をテーブルに出した。
「シャルロッテさん、あなた、妊娠していませんね?」
「っ……!?」
シャルロッテはギクリと身体を強張らせた。
「えぇーっ!」
たちまち、ローゼの瞳が輝く。アルベルトは唖然としていた。
「医師の診断書よ。これによると、ストレスと過剰の薬物摂取で月のものが遅れているだけです。おそらく、どこかの商人に妊娠しやすいと騙されて薬品を買ったのでしょう」
ディアナは診断書を見せながら、冷静に説明した。
シャルロッテは顔を真っ赤にさせて俯き、ぷるぷると身体を震わせている。
「うわ〜っ、最っ低〜! アル様を騙してたんだぁ〜!」
ローゼは勝ち誇ったように高笑いをする。
「だ、だって……。ローゼさんが妊娠したって噂があったから、わたくしのほうが先に……」
「だからって、アル様に嘘をつくなんて〜」
「……」
ついにシャルロッテは声を上げて泣きだした。
アルベルトは彼女に何も言葉をかけず、ただ目を閉じて黙り込んでいた。きっと彼なりに色々と思うことがあるのだろう。
だが、ディアナはそんな感情に付き合っている暇はない。
「たしかに、ローゼさんのほうは医師の診断でも妊娠が確定しています。ですが――」
にんまりと口角を上げるローゼに、ディアナは静かに告げた。
「それは旦那様の子供ではありません」
「なっ……!」
女主人の爆弾発言に、部屋中が静まり返る。
アルベルトはカッと目を見開いて、ローゼの小さく膨らんだ腹を凝視していた。
「なにデタラメを言ってるのよっ!!」
沈黙を破ったのはローゼだった。顔を真っ赤にさせ、物凄い形相でディアナを睨め付けている。
「あたしは正式な医師の診断書だってあるわ! そこの嘘つき女と一緒にしないでくれる!?」
ディアナは困ったように肩をすくめて、
「そう。診断書は間違っていないわ。でも、計算したら明らかに数字が合わないのよ」
「どういうことだ?」
「旦那様、あなたは三ヶ月前にひと月ほど王族の西部視察に同行されていましたね?」
「あぁ。そうだな」
「医師によると、ローゼさんの妊娠はその頃の行為によるものなのです」
「なんだと……!?」
「ちょっ……!」
「そして、こちらはローゼさんが旦那様以外の殿方と、定期的に密会していた証拠です」
「なっ……!?」
「嘘よっ!!」
調査書を奪おうとするローゼを、壁際に控えていた屋敷の護衛たちが押さえ付けた。
「その相手は、旦那様と同じ髪と瞳の色の騎士ですわ。早く妊娠してシャルロッテさんを出し抜きたかったのでしょう」
「違うっ!!」
「ローゼさん……。あなた、汚いわ……」
シャルロッテが蔑んだ視線をローゼに向けた。
「アル様、これは誤解なんです!」
ローゼはアルベルトに縋ろうとするが、彼は冷たく突き飛ばした。
「…………汚らわしい」
「うっ……うぅ……」
ローゼは泣き崩れる。ディアナはそれを気にも留めずに、淡々と事を進めた。
「ということで、旦那様の子供はまだこの世にはおりませ〜ん」
「違うのぉぉっ! この子は本当に旦那様の子供なんだからぁぁぁっ!!」
「アルベルト様? こんな汚物は早く捨てて、わたくしと幸せになりましょう?」
「なによ、あんた! 妊娠したって嘘ついてたじゃない!」
「他の男と子供を作るより何億倍もましですわ」
「はぁっ!?」
「この尻軽! ビッチ!」
ローゼとシャルロッテが掴みかかった折も折、
「やめろ」
それまで静観していたアルベルトがついに声を上げた。それは初めて聞く重苦しい声音で、恐ろしい形相で愛人二人を見ていた。
「ここ数ヶ月、お前たちの様子にはうんざりしていた。そして、これだ。俺はもうお前たちの面倒は見きれない」
「えっ……」
「それって、どういう……?」
「今日で俺たちの関係はおしまいだ」
ローゼもシャルロッテも、泣き喚きながらアルベルトに詰め寄った。修羅場の始まりである。
いろんな声や音が聞こえたが、ディアナには関係のないことだったので無視して次の議題へ移ることにした。
「――さて、お待たせいたしました。次は家門の財政についてです」
「あら、後継の話なんじゃないの?」と、テレーゼが訊く。
「それは今終わりましたから」
三人の義母が首を傾げているのを横目に、ディアナは家令に帳簿をテーブルに広げさせた。
「実は、我がヨルク家の家計は破産寸前なのです」
「「「はぁっ!?」」」
「まずはラヘールお義母様。あなたはこの半年で3年分の予算を使い切りました」
「えぇっ!」
「あなた、使い過ぎよ!」
「わたしは正統な権利を要求したまでよ!」
自由な第三夫人は、湯水の如く予算を使い込んでいた。
失われたものを取り戻すかのように、ドレスや宝石はもちろん、若い美形の画家や音楽家のパトロンにもなって、それは派手に生活していた。
「次にドロテアお義母様。ギュンター様をアカデミーの最上級クラスに入れるために、多額の裏金を用意しましたね? これは犯罪です」
ギュンターはアカデミーに入学して成績が伸び悩み、ストレスから遊びに出ることが多くなって更に成績を落としていた。
だが、何とかして息子を最上級クラスへ入れたい母親が賄賂を渡して捩じ込んだのだった。
「まぁ。あんなに優秀だと自慢していたのに?」
「たっ、たまたまよ!」
「全く……。下品な方たちで困るわ。破産はあなたたちがお金を使い込んだからね」
テレーゼがやれやれと肩をすくめていると、
「最後にテレーゼお義母様。あなたは、ギュンター様に微量の毒薬を盛り続けていましたね」
容赦なくディアナ砲が炸裂である。
「な、な、なっ……!」
彼女はさっきまでの余裕の表情とは打って変わって、動揺で顔全体をぐしゃりと歪ませた。
「ちょと! どういうことよ! 私のギュンターに何をしたの!?」
ディアナが侍女長に合図をすると、彼女はハンカチに包まれた小瓶を差し出した。
「こちらは命を脅かすものではありませんが、経口摂取した者は頭に霧がかかったかのようにぼんやりして、物事に集中できなくなってしまいます。
さらに検査をすり抜ける性質を持っていて、非常に厄介な薬です。過去には、乗馬前にこれを盛られて落馬して死亡する事例もございました」
しかも、この毒薬は希少な素材でできているのでかなり高価な代物だ。テレーゼは短くない期間使用していたので、相当な額になっていた。
「あんたっ! ギュンターになんてものを盛ってたのよ!!」
「うるっさいわね! 次男如きは大人しくしてなさいっ!!」
「お二人とも犯罪者ですね〜。こわ〜い」
「ラヘールお義母様、あなたも予算が少ない頃にパーティーで人様の金品を窃盗していたでしょう?」
「えぇっ!? なんでそれを……!」
「はぁっ!?」
「もしかして、わたくしの黄金林檎のブローチも盗んだの!? ずっと見つからないのよ!」
今度は第一夫人の怒りが、第三夫人に向く。第二夫人は激昂し、罵声を浴びせながら第一夫人に掴みかかる。
再び、修羅場が訪れた。ディアナは笑顔でそれを眺めている。
少しすると、
「お前たち、領地へ帰るぞ」
ディアナが事情を説明して密かに呼び戻していた前伯爵が、三人の義母を引き連れて行った。
◆
ヨルク伯爵家の屋敷には、ディアナとアルベルトだけが残っていた。
義母たちは前当主によって領地へ戻った。彼女たちは一生をかけて、夫が肩代わりした賠償金の支払いのために、平民と一緒になって労働をしなければならない。
そして、愛人たちは現当主によって屋敷から叩き出された。
ちなみにギュンターは、自身には罪がないので王都に残ることになったが、彼は母親の罪に大きな責任を感じアカデミーを退学した。
「君だけが残ったな」
「そうですね」
アルベルトは妻をまっすぐに見る。その双眸は熱を帯びていて、彼の内なる情熱が宿っているようだった。
「ディアナ」
「どうされたのですか?」
「やはり、君は私の正妻に相応しいな」
「そうですか」
「あぁ。愛人たちは駄目だ。次は君のような賢い女性を――」
「あーっ! 旦那様、ちょっと待ってくださいまし!」
にわかに、ディアナは壁にかかっている時計に目を向ける。秒針はもうすぐ次の時間を更新しようとしていた。
「どうした?」
「もうすぐ時間なのです。9、8、7――」
「?」
彼女は秒針のカウントダウンを始める。
「3、2、1――……、ゼローーっ!! 旦那様、おめでとうございます!」
「は?」
「これを持ちまして、私達の白い結婚の成立でーっす!!」
「はっ!?」
この国では、婚姻後一年間一度も夫婦間で肉体関係を持たなければ白い結婚が成立し、妻は元の令嬢に戻れる。
今日で結婚一年。その白い結婚が今この瞬間、成立したのだ。
「……」
アルベルトは茫然自失と立ち尽くし、ディアナは嬉しそうに鼻歌を歌いながら身体を左右に揺らせていた。
「じゃ、私もこれで失礼しまーっす!」
「まっ……待て!」
彼ははっと我に返って彼女の腕を掴むが、彼女は顔をしかめてそれを強く振り払った。
「白い結婚は法で決まっておりますから。――あぁ、屋敷と領地のことならご心配なさらず。ちゃあ〜んとギュンター様に引き継ぎましたから。それに家令と侍女長にも!」
「あ、あぁ……。いや、そういうことではなく――」
「だから、旦那様は安心してこれからも愛人活動に励んでくださいね!」
「っ……!?」
「では、失礼します! ご機嫌よう!!」
ディアナは事前にまとめていた荷物を持って、さっさと屋敷から出ていった。
本音を言うと、ずっと己の味方になってくれた家令や侍女長たちを残して行くのは心残りだが、彼らは次男とともに新しい道に向かって前向きに取り組んでいる。
ギャンターは掛け値なしに才覚があるので、きっと大丈夫だろう。
「――じゃ、行きますか」
ディアナは生家のクシュタル家ではなく、とある公爵家へと馬車を進めさせた。
実は彼女は、水面下でちゃっかり婚活を進めていて、二度も離婚歴のある訳あり公爵へ嫁ぐことが決まっているのだ。
その公爵には小さな双子の息子と娘がいて、これがどちらも超問題児だった。
公爵邸にて顔合わせの際に、娘には花瓶の水を頭からかけられ、息子には大量のヘビの抜け殻を顔面に投げ付けられた。
この前はしてやられてが、今日はあの二人をわっと驚かせてやる。
ディアナの顔は晴れやかだ。
「ようし! 待ってろよー、愛する子供たち!」
ディアナと公爵が相思相愛になって家族で仲良く暮らすのは、また別の話……。
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