ネモフィラ
夜になり、あの湖畔に戻る。
朝に来た時とは違い人に溢れ、喧騒が僕の耳に響く。
カサゴは街の人が綺麗に解体して今は焼いている途中だ。
なので、まだ刺し身しかない状態だ。
「イリムちゃん、刺し身持ってきたよ」
そう言って、桜凛さんが小走りで僕がシアと一緒に確保していた席に戻ってきた。
他二名はまだ焼きカサゴの列に並んでいる。
その様子を横目に見ながら、生えていた植物で作った爪楊枝もどきで刺し身を食べる。旨味が口いっぱいに溢れるようでちょっと贅沢な気持ちだ。
ちびちびと食べ、残り半分くらいになった頃。
神山達がやっと戻ってきた。大体1時間弱は並んでいたのではないだろうか。
神山は、持ってきた焼きカサゴをテーブルに置く。
それを少しだけ取って口に運ぶ。
うん、これも外側がカリッとしていて美味しい。
カサゴはやっぱり美味しいね。
もう一つ。
そう思い、二個目を食べようとした時。
視界の端で髪がなびくのが見えた。
思わず目で追ってしまい、息を呑む。
えっ、うそ……そんなはずがない。だって、あの子はガルが……
僕の目には白狼と戦った後に会ったあの子の姿が写っていた。
いや、ただの空似だ。
暗くてすぐには気づけなかったが、髪はピンクではなく、淡い水色に見えた。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
隣の少し低い位置から声が聞こえる。
どうやら、手を伸ばしている形で固まっていたようだ。
「ううん。何にもないよ。」
軽く首を振り、そう答える。
空似だと分かっている。だけど、消えかけた疑問が胸の奥から蘇っていく。
“彼女は僕をどう思っているのだろうか”、そういう疑問だ。
そのことが、再度僕の頭を支配する。
疑問が頭の中をぐるぐると巡る。考えても分らないと結論付ける。
そうしても、またその事を考えてしまう。
彼女がまだ、どこかで生きているのなら……
彼女は僕を憎んでいるのか。はたまた、まだ仲良くなろうとしているのか……
表面上は取り繕っていても、その問いが延々と繰り返される。
「人混みで酔ったみたい。少し風にあたってくるよ」
そう言って、その場から離れる。
心配して付いてくれようとするのを引き止める。
ごめんだけど、今は一人のほうが考えが落ち着く。
そうして、湖畔の波際を静かに歩く。
風が背中から突き抜けていく。
何かを駆り立てているように感じる。
「一人でどうしたの?食べ物はもういいの?」
背後でそう聞こえる。
すぐに振り返り、その姿を確認する、
ははは、ホント…悪い冗談だよ。
さっきいた、あの似ている子が目の前に立っていた。
見た目だけではなく声まで似ているとか……
「少し人混みで疲れてしまったみたいでして、こうして休憩していたところです」
彼女の問いにそう答える。
それで、少し平静を取り戻してきた。
そのうえで彼女の姿をもう一度見る。
白のワンピースで髪をツインテールで結んでいる。
手には分厚い本を携えており、前に見た彼女とは髪型以外はまるで違う。
やはり、空似だな。
ホッとしたような。だけど、残念にも思えてしまう。
そんな綯い交ぜの感情のまま、会話は続く。
「あの、名前なんていうの?」
彼女は、そう尋ねてくる。
最近ではあまり聞くことがなくなった問いだ。それなりに名が広まったからだ。
おそらく、最近引っ越してきたのだろう。
「イリム=テルミアっていいます。あなたは?」
そう聞くと、目線をそらし逡巡した後、口を開く。
「私はリシュ・イシュル!私のお父さん?につけてもらったの」
……そう言えば、あの子の名前知らないな
て、あぁもう。ずっとそのことが頭から離れない。
今はこの子と話しているのに。こんな自分が嫌になってくる。
そうして、頭を軽く掻く。
「どうしたの。なにか嫌なことでも思い出した?」
そう、顔を覗き込むように聞かれる。
なんか、距離がやけに近い。それも、どこか彼女を連想させる。
ほんと、すべてにおいてが似ている。生き写しのようだ。
「少し、感情に整理がついていないだけです。大丈夫ですよ」
そうして、何もないかのように笑顔を作る。
だが、お得意の演技は今回に限っては上手くいかなかった。
「本当に〜」
リシュは訝しんだ表情をしながら再度僕の顔を覗く。
そして、ゆっくりと語り始める。
「まあ、生きていたらそんなこともあるのね。普通はね」
そうして、リシュは立ち上がり、湖の方へ歩いていく。
「別にそこまで気に病む必要はないと思うよ。私だったらお腹いっぱいにご飯を食べて悩む分食べるかな♪」
そうして、リシュは僕に手を伸ばす。
その手を握り、僕も立ち上がる。
「って、もうこんなに月がのぼってる。早く戻らないと怒られちゃう!」
リシュは、そう言って慌てだす。
ここだけは、彼女に似ていないかな。
「じゃ、私はそろそろ戻るね。バイバイ、また会おうね」
リシュは手を振り、笑顔でそう言う。
自分の手を見る。
そうして、返そうと腕を上げたときにはリシュはすでに何処かに消えていた。
その場所には小さな青色の花――いや、魔力の残滓だけが残っていた。
周辺にはその場所を中心に魔力が波として空間に広がる。
「夢でも見てたのかな」
そう思ってしまうほど、忽然と姿が見えなくなってしまった。
だけど、彼女が歩いた跡はしっかり砂に記されていた。
「おーい、体調はもう大丈夫かー」
遠くから、神山の声が聞こえた。
声の方向を向くと、小走りしながらこちらに近づいている姿が見えた。
「えぇ、だいぶ落ち着いてきた」
そう言いながら、歩いて神山の方に向かう。
「それは良かった。それより、咲苗のやつがイリムの分まで食べようとしてたぞ」
そんな事を、さも命の危機と言わんばかりの表情で言う。
「それは一大事だね」
そう言っていつもの喧騒の中に戻る。
そこは、お世辞でも居心地が良いとは言えない。
だけど、今の僕にとっては静寂のほうが苦手みたいだ。
そんな他愛のないことを考えながら、また一つ、カサゴを口へと運んでいく。




