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3 ヒロイン・フローラ(1)

 ものすごく厄介なことに巻き込まれたという危機感はあった。

 しかし幼いうちは、どうにも動けなかった。

 自分のことで精一杯だったのである。


 まず、脳や身体と魂との年齢のギャップのせいか、精神が安定しなかった。

 ある日は幼い身体に影響されたのか、無性に不安で泣きたくなって、一日中ぐずっていた。誰がなだめても泣き止まなかった。

 ある日は精神年齢に応じた知識欲が表出し、幼児が読むにはふさわしくないような専門書を、ちいさな膝に抱え込んで読み込んだ。

 ある日は毎日態度が変わる不安定な自分が申し訳なくて、周りのひとたちを気遣いながらびくびく過ごした。

 様々な衝動や感情をコントロールできず、それでいてすべてが実感に乏しく、まるで自分でありながら自分でないようだった。


 そんなふうに、身体年齢と精神年齢のはざまで、行ったり来たりしていた。

 ある程度落ち着くまでに、5年ほどかかった。


 そしてそんな自分(アデライン)を、両親や邸の使用人たちは明らかに敬遠していた。

 両親はそもそもほとんど関わろうとせず。

 使用人たちは、仕事上関わらざるを得ないため表面上にこやかだけど、内心でこちらを厭っていることは、必要最低限のやり取りだけでさっさと立ち去ろうとする態度や、いまいち噛み合わないおざなりな返事などでひしひしと感じた。


 まあ、我ながら不気味で扱いづらい子供だから仕方ない、とは思ったけれど、納得する頭と傷つく心は別だ。

 前世の家族とのあたたかい記憶がなければ、かなしくて心を壊していたかもしれない。


 元々「悪役令嬢・アデライン」の設定として、家族の愛に恵まれず、成長するにつれひねくれた性格に育った、というのがある。

 図らずも設定通りの境遇となったわけだ。

 公爵である父は家庭をまったく顧みず、筆頭公爵家としての自分の職務に邁進し――それから、もしかしたら、家庭以外の場所に安らぎを見つけているのかもしれない。確信はないけれど、そんな気がする。

 そしてそんな父に失望しながらも世間体を気にする母は、せめて離縁されないようにと父におもねり、それでも振り向かない父に繊細な心を痛め、日々嘆いてばかりいる。その間、娘のことはほとんど忘れたようなふるまいだ。時折思い出したように様子を見に来ては、理解しがたい行動を繰り返す姿を見て、さらによよと嘆きを深め、自分を憐れむ日々。

 生まれたときからずっとこんな環境では、そりゃあひねくれると思う。悪役令嬢にもなるなと思う。アデラインの過去はゲーム内でほとんど掘り下げられることはなかったけれど、もしもう少し描写があったら、多少の同情票は集まっていたのではないだろうか。

 とりあえず、両親との関係の健全化は、幼少の段階でほとんど諦めた。


 身体と魂が順応してきたのか、それなりに色々と落ち着いてきてからまず考えたこと。

 入れる先を間違えられた魂のひとのことだ。

 間違えられた――すなわち「ふさわしくない」身体に入れられたということ。

 それも「悪役令嬢」の魂が、「主人公(ヒロイン)」の体に、である。

 それってもしかして、なかなかに生きづらいのではないだろうか?

 あと、実はずっと気になっているのだが、主人公(ヒロイン)や悪役令嬢にふさわしい魂ってなんだろう。どんなだろう。前者はともかく、後者はかなり失礼なのでは?


 閑話休題。


 主人公(ヒロイン)のいる場所はわかっている。

 孤児院だ。しかもゲームの記憶を頼りに調べるとなんと、シュトルツ公爵家の領地内にあった(とはいえシュトルツ家は大貴族のため、分家まで含めると領地が非常に広大なのだが)。

 その孤児院に、慰問という形で訪れることにようやく許可が出たのは、8歳になろうというときだった。

 慈善活動は主に貴族女性の領分であるため、アデラインは母の許可を取ることに尽力すればよかった(というか父はそもそもほとんど家に寄り付かないし)。日によってころころ変わる母の顔色を伺いつつ、機嫌のよいときを見計らって、しつこく粘り強くお願いし続けた甲斐があった。

 説得にかなりの時間がかかってしまったが、これは仕方ないと思う。ずっと奇行とも言うべき行動を繰り返していた子供を、安易に外に出す貴族はいない。家の外聞に関わるからだ。アデラインが自身の意志で身体を動かせるようになってから、方正謹厳を心掛け、実績を積み重ねて、ようやく勝ち取った信頼だった。



「いいこと、アデライン。行った先では決して粗相のないようにするのよ」

「はい」

「旦那さまのお顔に泥を塗るようなことのないようにふるまいなさいね」

「はいお母さま」


 出掛けの自分に口を酸っぱくして言い聞かせる母は、慰問先へはついてこないらしい。まさか8歳の外出デビューを、いきなりはじめてのおつかい状態にさせるとは思わなかった(一応侍女や護衛もいるが)。動きやすいので助かるが、こんなに心配するのであれば一緒に来て見張っていればいいのに。

 今日もまた、邸にひとり引きこもるのだろうか?

 言うだけ言って納得したように去っていく母の背中を見送りながら、アデラインはちいさく息をついた。



 そんなこんなで邸を出、馬車に揺られること、数刻。

 孤児院長に丁重なもてなしを受け、代表の子供たちのぎこちなくも可愛らしい挨拶に癒され、一通り案内されたのち、子供たちと自由に交流する時間を与えられて。

 侍女だけを伴って、さりげなく目線を巡らせながら探すこと、少し。


 ようやく見つけた主人公(ヒロイン)は、なんというか、グレていた。


 かつて大切にプレイしたゲームの主人公(ヒロイン)に会える――中身は違うとしても――というので、内心ちょっとそわそわしていたアデラインは、あんぐりと口が開きそうになるのを、淑女の意地でこらえた。

 さらさらの栗色の髪に縁どられたまろい頬。ぱっちりとした瞳は若葉のような緑で、少し垂れ目なのが愛らしい。派手さはないが可愛らしく整い、さらに幼さも加わったその(かんばせ)はまさに天使(ヒロイン)であった。

 しかしその天使(ヒロイン)は、容姿に惹かれちょっかいを出してくる男児たちを悪態をついて遠ざけ、それでも引かない相手は容赦なく殴り飛ばす。自分より幼い子たちがきゃっきゃしているのを蹴散らして、自分のスペースを確保する。キュロットスカートで胡坐の姿勢を取り、ぼりぼりと腹のあたりをかきながら、厨房からもらってきた(もしかしたらくすねてきた?)らしい軽食を貪る。孤児院の職員が、訪問者(アデラインの事だ)に挨拶をしなさいとたしなめるも、鼻で嗤って無視をする。

 孤高のガキ大将がそこに君臨していた。


 いや、確かに生きづらいだろうな、とは思った。

 でもまさかこんな方向にいっているとは思わない。

 思わずまじまじと見つめてしまうと、アデラインの視線に気づいたのか、ガキ大将(ヒロイン)は顔を上げた。


「何見てんのよ」

 ガキ大将――じゃない、主人公(ヒロイン)からかけられた初めての言葉がこれとは。

「あ、ごめんなさい。それ美味しいのかしら、と思って」

 とっさに彼女が食べているもの――具材が挟まれた何切れかのサンドイッチを指さして言った。

「なによ、立派なお貴族様が、哀れな貧民からなけなしの食材すら奪おうっての?」

 皮肉気に片頬を上げてフローラは嗤う。アデラインは慌てて否定した。

「そんなつもりではなくて……。でも、あの、私も食べ物を持ってきたの。そちらとひとつずつ交換しませんか?」

 そう、今日の慰問では色々な差し入れを持ってきたのだ。金銭やめぼしい物資は院長にすでに渡したけれど、子供たちと一緒に食べようと思って手元に残したバスケットには、色とりどりの焼き菓子が詰まっている。

 残念ながら、フローラを恐れた他の子供たちは、こちらを遠巻きにして近寄ってきてはくれない様子なので、まずフローラに食べてもらおう。

 侍女に適当なものをひとつ取り出してもらったアデラインは、ナフキンを器にして焼き菓子ごと手のひらに乗せ、友好的に微笑みながらフローラに差し出した。

 フローラはそれを無表情で受け取って――


 ――力一杯、地面に叩きつけた。


「へらへら笑いやがって(・・・・)

 主人公(ヒロイン)らしからぬ行動と台詞に、アデラインはまたひそかに衝撃を受けたが、なんとか顔には出さなかった。

「いいわよね。あんたは父親も母親もいるんでしょう? お貴族さまだし、お金に困ったこともなく、こんな良いものばっかり食べて、毎日笑って過ごしていられるんでしょう?」

 愛らしい顔を憎らしげにゆがめて、フローラは言い募る。

「今日、あんたが来る前に大人に言われたわ。偉い人が来るから、笑顔で(・・・)お出迎えしなさいって。そうしたら何かステキなものがもらえるかもしれないからって。

 こんなみすぼらしくて惨めなワタクシたちに、今日は施しをしてくださるってわけ。それで喜んで群がるのを見て、帰って家族で笑うんでしょう」

 幼い唇をふるわせ、彼女は絶叫した。


「ばかにするんじゃないわよ! 私だってこの間までは、孤児院(こんなところ)にいなかった!

 どうして私が、こんな目に合うのよ!

 笑えなんて――おかあさんも、おとうさんも、みんなもういないのに、笑えるわけないじゃない!!」


 血を吐くような、この世のすべてを呪うような、心からの叫びだった。


 ――ああ。


 大切なひとを奪われた者の、魂の慟哭だ。


 自分も、自分にも、こんなときがあった。

 両親を突然の事故で亡くして、施設に入ることになって。

 自分はここまで感情に正直になれなくて、ただ心が死んだような感覚で、まるで生きる屍のようで。

 でも心の中で、運命を、自分たち以外のすべてを呪っていた。

 現実を受け入れ、自分を取り戻すまで、それなりの時間がかかった。


 そして本当は、アデラインとして生まれたとき、少しだけ期待していたのを思い出した。

 もう一度あたたかい家族と過ごす時間を得られるのではないかと。

 そのために、この3年間それなりの努力をした。5年の不品行を取り戻すべく、数少ない父の帰宅時には笑顔で歓待し、優秀な子供として育っていることをアピールした。父母の間を取り持ちたくて他愛ない会話を振った。母の心が少しでも癒されるようにと、花を摘んで差し入れたこともあった。

 ゲームのアデラインの、家族と極めて不仲であるという設定を知っていながら――自分なら何とか上手くやれるのではないかと、傲慢にも思ったのだ。


 すべては徒労に終わったけれど。



「あなたは、お父さまとお母さまが、大好きだったのね」

 叫んだまま頭を抱えてうずくまってしまったフローラに声をかける。

 歩み寄りはしない。今はこの距離が、ふたりの間にはちょうどいいと思うから。

「分かったようなこと言うんじゃないわ……」

「別にいいんじゃないかな、笑わなくて」

 予想外の言葉だったのか、フローラが目だけでこちらを見上げてくる。その瞳からひとつぶの涙がころりと落ちた。

「笑えないなら笑わなくていいと思う」

「……でもここのやつらは笑えって言うわ。私の顔はカワイイから、笑ったらもっとかわいくなるからって」

 それはきっと、この孤児院すべての人間がそうだというわけではないのだろう。ここには心に傷を負った子供がたくさんいる。職員たちが、そんな子供たちの扱いを分からないとは思えない。

 けれど、ぼろぼろの心でいるうちは、世の中のすべてが敵に見えるから。

 職員のうちのたったひとりやふたりが言った、無神経な言葉が、より心に残ってしまうのだ。

 その職員もきっと、言葉を選び間違えただけなのだろうけど。

「心が悲鳴を上げているときに、それを押し殺して笑うのは不健全よ。笑えないものは笑えないんだから、仕方ないじゃない」

 フローラが激昂する間に手から取り落としていたサンドイッチを拾い上げる。

「私も、大切なひとたちを失ったときは、そうだったもの」

 ぽつりとつぶやくように言ったアデラインの瞳の奥に、かなしみの色がゆらりと揺れる。それを見て取ったフローラは、はっと息をのんだ。

 自分と同じ、置いて逝かれた者特有の、どこまでも深い孤独の気配。

 フローラが何かを言いかけたそのとき、別の大声が割って入った。


「アデラインさま、何かございましたか!」


 フローラの大声を聞き付けたのだろうか、もしくは他の職員や子供が言いつけたのかもしれないが、遅ればせながら孤児院長が駆けつけてくる。

 ちなみにずっと傍にいた侍女と護衛は、別に主が危害を加えられたわけでもなく、またアデラインが目で制していたこともあって、命じられた以外のことはせずただ突っ立っていた。

「フローラが何か失礼を致しましたでしょうか。申し訳ございません、どうか、どうか、ご寛恕を……」

「子供同士のけんかです。大人は気にしないで」

「しかし」

「手や足は出されていませんし、少し言い合いになっただけです。ただ、言われたままでは淑女がすたりますので、今から言うことについては何卒お目こぼしを」

 そう言ってフローラを見やると、彼女はどこか呆然とした面持ちでこちらを見つめていた。

「お互い思うこと言いたいこと色々あるんだとは思うけど、今日は邪魔(・・)が入ったから、ここまでにしよう。

 ただひとつだけ、これだけは言わせて」

 先ほどフローラが投げつけたまま転がっているマフィンを、顎でしゃくって示した。

「それ、あなたが責任持って食べて。食べ物を粗末にするのはよくない」

 言いながら、先ほど拾ったサンドイッチを軽く掲げて見せる。

「こっちは私がもらうね。交換」

 これで当初の予定通りだ。無理やりぶんどったようなものだけど。

「今日はこれで帰ります。院長、みなさま、お騒がせいたしました」



 帰りしな院長から弁解のようにされた話によると、フローラが両親を亡くして孤児院に入ったのは、ごく最近のことなのだという。そのため、まだ情緒が不安定で、職員も手を出しあぐねているのだと。

 それを聞いたアデラインは、ひそかに唇をかみしめた。

 フローラがここに来るまでにどこにいたのか、どんな生活をしていたのか、アデラインは知らない。ゲームではそこまで詳しく語られなかった。ただ幼少期に流行り病で両親が死んだという情報と、両親との暮らしは貧しかったけれどあたたかいものだったというわずかな回想があったのみ。

 だからどうしようもないことだったのだけれど、どうしてもこう思ってしまう。

 ――もっと早く彼女のところに行けていれば、何かできたのではないか。

 自分は、彼女が両親を喪うであろうことを、ずっと知っていたのだから。

 過去を思い返してみても、自分は当時の自分にできる最善を尽くしたつもりだ、それでも間に合わなかったのなら、やはりどうしようもないことだったのだろう。

 わかってはいるが、彼女に対してどこか負い目のようなものを感じた。



 あと、帰りの馬車で、ふと思い付いたこと。

ある人物(ヒロイン)にふさわしい魂』

 あの腹立つ声を思い出しながら。

 もし、「主人公(ヒロイン)にふさわしい」というのが「両親を亡くした過去」のことを指していたのなら一一


 あの神さま、次会うことがあったら、一発思いっきりはたいてもいいだろうか。

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