2 クソ神さまのクソたるゆえん
すべてはあの、神――と呼ぶのも業腹な、この世界のクソ最高神が元凶であった。
『あれ、なんできみだけ記憶が残ってるの?』
なんだかあたたかな空気にくるまれて、何もかもさらけ出したような、それでいて何かに守られているような不思議な心地で、ふよふよとまどろみの中に沈んでいた、そのとき。
穏やかな眠りを妨げる、無粋な声に意識を引きずり上げられた。
『おかしいな、ぜんぶ抜いたはずなのにな』
目を開けると、そこは上下左右、どこまで広がっているかも分からないような、まっさらな空間。
そして目の前にはやたらときらきらしい、頭のてっぺんから足の先まで真っ白な少年がいて、こちらをのぞき込んでいた。
『おや、起こしちゃったね。こんにちは、異世界の魂よ。ぼくはこの世界の神さまだよ』
藪から棒に、なにを言っているんだろうこの子は。
『理解できないかい? まあそれもそうだよね』
何も返事をしていないのに――正確には返事をしようとしてできなかったのに、少年にはこちらの考えていることが伝わったようだ。
そう、声を出せないのだ。驚いて自分に意識を向けてみると、どうやら声を発するための器官が、今の自分にはおそらくないようだ。そういえば、先ほど自分は「目を開けて少年を見た」と思ったが、そもそも眼球やまぶただってない気がする。なんなら身体全体の感覚がない。
それに、先ほど少年は何と言った?
たましい?
『そうだなあ、こんなことになったのも巡り合わせかもしれない。せっかくだから説明してあげようかな』
こちらの混乱をよそに、少年は歌うような口調で語り始めた。
『改めて言うけど、ここはきみが今まで生きていた場所とは違う世界だよ。そしてぼくは、その最高神さ。世界の管理人みたいなものかな』
厳かとは無縁の声で紡がれるのは、信じがたいほど壮大な話。
『いやー、長い間真面目に管理してたんだけどね。おかげさまで最近は世界も安定してきて、けっこう暇でさあ。
この世界に住むみんなはみんなで楽しくやってるしね?
だからぼくも、ちょっとは楽しんだっていいかな、なんて思ってさ。
近場でも特に娯楽の発達してる、きみの世界の色んな物語を読んだり、聞いたりしてるうちに――再現してみたくなったんだよね。この世界で、その物語たちを。
だから、それにふさわしい魂を、方々から取り寄せて集めてるんだ』
いやそんな、ちょっといいスイーツを通販でお取り寄せみたいな軽々しい口調で言うことじゃないだろう。
ちょうどいい魂を集めて物語を再現って、もっと平和的に再現できるものがたくさんあるだろう! グルメとか、音楽とか、遊びの媒体とか!
というか、やっぱり自分は今魂だけの状態なんだなあ。
道理で目も口も手も足もないわけだ。
『あはは、きみ面白いね。怒ったり納得したり忙しい。それに魂だけの状態で、そんなにはっきりとした意志を持ってる個体ははじめてだ。
きみはね、元いた世界ではもう死んでいるんだ。体から抜けた魂をぼくが見つけて、今回再現する物語の、ある人物にふさわしいと思ってこちらに連れて来たんだよ。
普通は魂になった段階で、意志も記憶も薄弱になって、さらにぼくが力を籠めたら、完全にリセットされるはずなんだけどなあ』
そうかあ。自分はやっぱり死んじゃってるのか……。
そう考えていると、少しずつ思い出してきた。
やさしい家族。仲の良い友人。日本という国の、ごく普通の女の子として生きた前世の記憶。
ごく普通でも幸せな日々を過ごしていたが、事故で両親を失い、それでも歯を食いしばって前を向いた。施設の職員や、周りの人たちにも恵まれていた。
就職して自活を始めた矢先、不治の病が発覚し、若くして世を去ることになったけれど。
精一杯生きたと思う。悔いはない。
しんみりと前世に思いを馳せていると、そんなことは意に介さずといった様子の少年――自称神が遠慮なく話しかけてくる。
『きみの世界は本当に面白いものが多いよね。界またぎが頻繁にできないのが残念だよ。まあ、その数少ない機会に、きみの魂を見つけられたのはラッキーだった。
あ、ちなみにもうすでにいくつかの物語は再現済みだよ。勇者が仲間を集めて魔物を倒す物語とか、ひとりの男が強い力を手に入れて、色欲の限りを尽くす物語とかね』
それはいわゆる勇者物とか、チーレム物というやつだろうか。前者はともかく後者は、言い方を変えただけでやたらといかがわしい響きだ。
自称神の説明は続く。
『まあ限られた範囲での再現にとどまるけど。
あんまりスケールの大きい物語だと、そのまま再現したら、物語同士でぶつかって矛盾が生まれてくるから、お互いに干渉しあわないように調整したりしてね。
それに、元々ない概念を創造しても歪みが生まれやすいんだ。だから、魔物は元からいたからそのまま流用したけど、魔王の部分はカットしちゃった』
それはなんとも尻すぼみな勇者物語になったんじゃないだろうか。
『ちなみに、きみに再現してもらいたい物語は、男女の恋愛ものなんだよね。
「花びらのような恋を育てて」っていう、なんだっけ、乙女ゲームって呼ばれるやつだっけ?』
なんだって。
『あれ? きみ、このゲームのことも知ってるの?』
知っている。なんならプレイしたこともある。
ゲームより小説派だったから数はこなしていなけれど、だからこそ数少ないプレイ済みタイトルははっきりと記憶に残っている。
「花びらのような恋を育てて」。通称「花恋」。王道の乙女ゲームで、天涯孤独の庶民である主人公が、聖なる力を見出され、貴族の子女が通う学園に突如放り込まれる。そこでいくつもの出会いをし、やがてそのうちのひとりと恋に落ちる。そして、身分差やライバルといった障害を乗り越え、運命のひとと結ばれるストーリー。
多少のパラメータ上げはあるが、魔物討伐などの別要素は少なめの、恋愛に重きを置いた、シンプルな乙女ゲームだ。
施設の友人と、貴重なお小遣いを出し合い協力して買った、思い出深いタイトルでもある。
『うーん、きみはちょっとイレギュラーすぎるな。あんまりイレギュラーだと、世界にどういった影響を及ぼすか読めないからコントロールしにくいんだよね――えい』
ごく軽い掛け声とともに、ぽわん、と衝撃を感じた。
けれど何も起こらない。
『やっぱり記憶が消せないね。なんでだろう……。
きみだけ他の世界から取り寄せたのがよくなかったのかなあ。でもこの世界にはちょうどいい魂がなかったんだよなあ。その点きみは性質がイメージそのものだったし。
連れて来ちゃった以上、元の世界に戻すことはできないんだよなあ……』
神は真っ白な頭を抱えてうんうんうなっていたが、やがて開き直ったように顔を上げた。
『……まあいいや。なんだか面白いかも。ぼくとしては最終的に面白くなればいいし――
念のため、調整もかけておこうかな』
神が指を一振りする。「ぽわん」が自分じゃない方向に飛んでいき、自分以外の何かにぶつかる。
そのときやっと気付いた。自分の周りに、いくつかの光が浮かんでいる。直感で、これらも自分と同じく魂なのだとわかった。
ひときわ輝きが強いもの、穏やかに光るもの、力強く明滅するもの、色味が少し違うもの。
それぞれ違った特徴を持っている。これは、魂の気質のようなものを表わしているのだろうか?
『これでよし。じゃあ、順番に送り込んでいこうかな』
言いながら、指をさらに振るごとに、その場から魂がひとつ、またひとつと消えていく。
そして、とうとう最後のひとつが消えた、次の瞬間――
『あ』
そんな明らかに「やっちまった」みたいな声を出さないでほしい。不安しかない。
『あー、やっちゃった。あの子の魂は、悪役令嬢に入れるつもりだったんだけど。間違えちゃった。
こんな失敗今までしなかったんだけどなあ。
きみがあんまりイレギュラーだから、面白くて手元が狂ったのかも』
人のせいにしないでもらいたい。
というか、間違えられた魂は大丈夫なのか? 話の流れからすると、「花恋」の悪役令嬢の中に入れられる予定だったの? あのポジションはけっこうえげつない最期を迎えるルートが多いから、回避できてよかったと思うべきなんだろうか。
でもそれなら誰に入れられたんだろう。
『もう入れた先で生まれちゃってるし、それならきみの魂は、空いてる方にいれるしかないよね。
本当は主人公の方に入れるつもりだったんだけど。ごめんね。
まあそれはそれで面白そうだからいいかな』
何も良くはない。そしてさっきから「面白い」って何回言った? なんならそれしか言ってなくないか? 神なのに語彙が貧弱なのか?
あと、話の流れから察するに、自分の入れられる先に不安しかない。
『じゃあ、行ってらっしゃい』
文字通り急転直下。
まっさらな謎空間から突き落とされるようにして、いつの間にか意識も失って――
そうして気付いたら、自分は悪役令嬢「アデライン・シュトルツ」として生まれていたのだ。