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「大好き」の価値  作者: 仁科 すばる
2/4

彼女が恋に落ちた音(2)

 ガラス破壊事件を引き起こした旨を店長にメールで伝えておくように提案して、僕は店内に戻った。


 時間帯のせいか、お客さんはまばらになっている。

 僕は安全確認のために、ガラス破壊事件の発生現場へと向かった。

 店内に流れている音楽は、ありきたりなラブソング。背景に置かれているのは、百円クオリティの造花。手にしている商品は、安っぽさが隠しきれていないプラスチック製の花瓶だった。

 それでも、そこに結城先輩という要素を加えさえすれば、一つの物語が完成する。長年想い続けた最愛の女性にプロポーズをする映画の主人公と言ってしまっても過言ではない。

 これなら、春香が見とれていたのにも頷ける。男の僕でさえも、結城先輩は魅力的でつい目で追ってしまう。

「春香ちゃん、大丈夫だった?」

「はい。中身は全滅でしたけど、春香は何ともないです」

「それはよかったよ。中身なんてどうとでもなるからね。最悪のときは、僕と君と春香ち

ゃんで折半しよう」

「ありがとうございます」

 結城先輩というのは、見た目だけでなく中身までイケメンだった。段ボールの中身の心配よりも先に、春香の心配をする。それがまた、憎らしいまでにジェントルマンだった。

 綺麗に整えられた指先が、百円の商品を撫でるように陳列していく。それだけの動作で、世の女性の大半が彼のことを好きになってしまうんじゃないかと、僕は割と本気で思っている。


「つばき」

 背後から声をかけられた。

 それは、大人びた女性の声だった。

 振り返ると、声から想像していた通りの女性が立っている。ノースリーブのワンピースにレザーのジャケットをスタイリッシュに着こなす麗しい人だった。僕の大してあてにならない推測によると、大学四年生とみた。

「瑞希さん、わざわざ遊びに来てくれたんですか?あんまり目新しいものなんてないで

すよ」

「つばきが働いてる姿を見に来ただけだよ。それに、今日は泊まっていいんでしょ?お

泊りセットも買って行こうかなって」

「瑞希さん、決まったところのシャンプーしか使わないじゃないですか。百均のやつなん

て合わないでしょう?」

「バレちゃった?ただの口実。つばきに会いに来ただけだよ」

 つばきと呼ばれたのは結城先輩で、瑞希さんと呼ばれたのは大人びた女性だ。内容から察するに、恋人。もしくは褒められた関係ではないかもしれない。どちらにせよ、そういう間柄ということだ。

「この中身を出し終わったら、今日はあがりなんです。だから、ちょっとだけ待っててく

ださいね」

 結城先輩は、優しい手つきで瑞希さんの頭を撫でた。ガラス細工に触れるような丁寧さを持ち合わせながら、とても慣れた動きだった。

 僕はそれを、「何を見せられているんだ」と冷めた気持ちで見守っている。

 すると、パタパタという足音と共に、小さな体が割って入ってきた。

 少し息を切らした春香は、不器用にひきつった笑顔を浮かべて言った。。

「結城先輩。わたし、それ代わりにやっておきますよ。あとは造花だけなんで、ちょちょいのちょいです」

 結城先輩に向かって親指を立てたあと、春香は瑞希さんを横目で確認した。

「ほら、彼女さん待ってますから。任せてくださいよ、ね?」

 明るく告げる様子が、見ていて痛々しい。

「春香ちゃん、ありがとう。今度また埋め合わせさせてね」

 結城先輩はそう言って、春香の頭も優しく撫でた。その動作に迷いや躊躇いはなかった。 ―― このくそ野郎、蹴り飛ばしてやろうか

 そんなできるはずのない妄想を振り払い、僕も軽く会釈をした。結城先輩は僕なんかにも優しい笑みを浮かべて、手を振ってくれた。



 僕は、結城先輩が大嫌いだと知った。

 結城先輩の女癖の悪いところが。仕草の一つ一つが「大好き」を軽率に告げているところが。彼の所作のすべてが、たまらなく不快だった。

大切な人がいるというのに、誰にでも優しく接する。そんな風だから、すぐに隣に居る女性が移り変わるんだ。

 

 たった一人が大好きで、大切でたまらない。誰にも譲りたくない。もどかしいくらいの焦燥を先輩は知らないんだ。

 いままでは先輩に対して、特になんとも思ってこなかったのに、春香の気持ちに気が付いてから嫌悪の気持ちが溢れてきた。黒く濁った感情は、決壊した川のように激しい勢いで流れ出そうとする。しかし、震える春香の手を見て、すっかり塞き止められてしまった。

 苦しいのも、悲しいのも、もどかしいくらいの焦燥も、

 すべて春香のものだ。

 春香だけのものだ。

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