愚かで憐れなシビーユ
弔いの鐘が厳かに響いている。空は鈍色の雲で覆い尽くされていた。
祭壇に安置された柩へと、白い花を持つ人々が列を成す。せまい通路を行き交う誰もが、すすり泣き一つ上げない。
まあ、不作法なあざけりがないだけ、恵まれているわよね。小さな喪服を着せられた私は、ため息ばかりをこぼす。
まさか、孫娘の体でもって、自分の葬儀に参列するとは。夢にも思わなかったわ。
私、シビーユはフォンテン伯爵家の『じゃない方の令嬢』だった。
夫のハロルドは、リンデンバウム侯爵家の嫡男。本当は一つ上の姉をと、望まれた話がどうして私に来たのか。今となっては知るよしもない。
典型的な政略結婚だったから。地味な私に対して、彼が興味を示すことはなかったけど。
普段、妹のフローラばかり可愛がる嫁が、体裁を気にして私の手を握りしめる。実に滑稽なお芝居だ。
「クロエ。最後のお別れよ」
一人息子のヘリオスが、かがみ込んで私を促す。横を見れば、人の流れの失せた頃合いだ。私の手を取る息子が通路へといざなった。
亡骸を収めた柩は、意外にも小さくはない。私って小柄だったのに。
後ろをついて来た息子に抱えられて、柩の中を見下ろす。夫に一輪の花すら貰えなかったにもかかわらず、大して美しくもない亡骸は、白い百合の花に囲まれていた。
どうすれば、クロエの魂をこの体に戻すことが出来るのか。
席へ戻る前に、私はふり返る。
「行くよ」
手を引く息子を追いかける私は、他愛ないことを考えていた。
元の席に座した直後のこと。最後方の扉が、けたたましい響きとともに開かれる。
「父上」
カツカツと靴の鳴る方へと、みなが一斉に目を向ける。ぞわっとした喧噪をまといながら、彼の人は通路を真っ直ぐ歩いた。両手に真っ赤な薔薇を抱えながら。
「ナニナニ……何なのよ。そんなのお止しなさい」
「クロエっ」
とがめの声を荒げる嫁をふり切って、私は一目散に駆け出す。子供の足とは言え、立ち止まるハロルドの前に回り込む。それは、造作ないことだった。
バッと両手を広げて、
「さっさとお帰り願うわ。リンデンバウム侯爵閣下」
大声で不似合いな見得を切った。
より一層、ざわめきが四方からわき立つ。幼子らしくない物言いに、参列者の誰もが動揺し始めた。
「どうしたのよ」
「お黙りなさい。偽善者風情が」
そう。この女は強く出る人間には、何も出来やしないのよ。
「クロエ?」
「ご機嫌はいかがかしら。愚かで醜い本妻が死んで嬉しいでしょ」
私の図星に、ハロルドが声を詰まらせる。意外な展開だわ。
ああ、それにしても素晴らしいじゃないの。いつも不機嫌そうな顔で、私を見下していたハロルドの泣きっ面を拝めるなんて。
かつてない爽快感を覚えた私は、小さなあごをしゃくり上げた。
「クロエおどき。お祖母さまのお別れに、私はこれを渡したいのだ」
「はあ? そんな派手な花は弔いに相応しくないわ。愛人の誰かに押しつけたらよくてよ」
首を横にふる彼が、片膝を床につける。
「お祖母さま。いや、シビーユを愛しているから。これはその証だよ」
その言葉を耳にした私は、ハロルドの方に両腕を伸ばした。
私の前で膝を折るハロルドの手から、薔薇の花束を取り上げようとジタバタもがく。
ああ、なんて思うようにならない体なの。
「どうしたの」
「止めなさい」
息子と嫁が止めに入る寸前、私は花束を掴み取る。相手がひるんだ隙をついたはずなのに、全部ではなくて悔しいわ。
だけどね。どうしてもね。私はやらなければ気がすまなかった。
「ふざけるなっ。今さら、もう全部遅ーーーーーい」
貴方の艶聞を目の当たりにするたび。私はとても苦しかった。
いつも、心が踏みにじられて。他の女ほどではないにしろ、愛する人から愛されたかったのよ。
死んだ後に貰っても意味ないわよ。『愛の証の紅い薔薇』なんて。
「もう遅い。もう遅い。もう……」
紅い花びらが舞い散る。ハハハハ。愛を知らない私は気の向くまま。紅い薔薇に蹂躙をほどこした。
「気がすんだかい。シビーユ」
ハロルドの声に、私はゆっくりと踵を返す。今、何ておっしゃったの?
「クロエから教わったよ。君が隠し続けた思いを」
あの子の魂は、ハロルドのところにいたのね。
そっと伸ばされた彼の腕が、『クロエ』の肩を抱き寄せる。
「ふざけるなー」
息子のとがめる声に引きずられてしまうまでの刹那。私は力の限り、ハロルドの頬を拳で叩く。
思い残しはない。とは言い切れないけど、この魂が地獄に墜ちても後悔はしないわ。
絶対に、後悔してなるものですか。
「落ちついて。クロエ」
人を愛するだけって苦しいのよ。苦しみから逃れたくて。長い時間をかけて、私はハロルドを愛さないように努力した。
私の努力を踏みにじるなんて。今さら、絶対に許さないわ。
「許さないからーーーー」
十二年後にて。
当時の出来事だけど、私は全く覚えていない。だって、お祖母さまが亡くなる直前、熱病に冒された私は気を失っていたからだ。
当時の両親は私を顧みることがなく、世話を亡き祖母に丸投げしたっきり。私の看病に疲れた祖母は、あっけなくこの世を去った。
「クロエにフローラ。頼みますよ」
「はいお母さま」
「行って参りますわ」
今日は祖母の誕生日。私達姉妹は、祖父と一緒の墓参が日課になっている。
ここ最近、床についた状態だったのに、この日だけはと祖父は姿勢を正す。
あと、どれくらい。祖父の『贖罪』は続くのだろうか。
揺れる馬車で私は詩集に目を落とす。昔に比べれば落ちついたフローラは、車窓を流れる景色を眺めていた。
祖父の介在もあってか、母は以前と比べて妹ひいきではなくなった。幼少のみぎりは、わがまま放題な性格だったのに。今は折り目正しい令嬢だ。
姉妹の仲も、随分と改善された気はするのよね。
四半時をかけて、馬車は目的地にたどりついた。
「お祖父さまお手を」
お転婆だけは健在なのよねこの子ったら。フローラはヒョイッと、地面に足を下ろす。御者の手を借りた私は、フローラの正面に立った。
「ありがとう。クロエにフローラ」
孫娘を両脇に従えて、祖父はぎこちない足取りで車から降りる。
なだらかな上りを歩む姿に、私は祖父との別れを予感せずにいられない。ちらりと見たフローラも、何となくそれをかぎ取っているみたいだ。
「ワシはまだ……」
「お祖父さま?」
「足りないのだよ」
祖父の独り言の意味が分からない。思わず妹と顔を見合わせてしまう。
「地獄の果てでも……ワシは、シビーユの怒りの矛先を受け止めたいのだよ」
祖父の言いようが、私達にはピンと来ない。
「やっと。ついたか」
色あせた墓石に向けて、祖父は一言つぶやいた。
「受け入れられないのであれば、それでいいんだ。君の憎しみの全てを、どうか私に与えてくれ」
ハロルドの悲痛な声の後、辺りは静まりかえる。
紅い花びらを踏みつけながら、私はふと面を上げた。正面にいる彼が、私のためだけに涙ぐむ。
初めての経験に、私の思考が停止する。ああ、でもね。これだけは分かるのよ。
愛が憎しみに勝つ? いいえ、ますます憎たらしい。新たな憎しみが、私の心に巣くうだけだった。