マネーな北風。
自分でもイマイチ理解し切れてない内政話。
ツッコミ所だらけかもだけど、優しくしてね‼︎
奥羽の統一と同時に、南部晴政はその広大な領地に対し様々な政策を行ったことで知られている。
晴政が突然言い出す雑な指示に、家臣達は振り回されながらも、的確に実行に移して行った。
所々現代に通ずるものがあるものの、どこか詰めが甘いその政策には、南部家の人々が当時の知識で必死に知恵を振り絞った、涙ぐましい努力が感じられる。
その中でも重要な物をいくつか紹介したい。
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現代の東北地方一帯に当たる南部領では、古来より金、銀、銅が多量に産出する。
南部家はこれらを全て管理下に置き資金源とした。
現代では枯渇しているものの、南部家が激動の時代を潜り抜けるために、これらの資源が為した貢献は多大なものがある。
越前より雇った(実は誘拐)技術者が伝えた、効率的な貴金属抽出技術である灰吹法が領内に急速に広まると同時に、南部家は独自の貨幣の発行を開始する。
南部銭と呼ばれたこの貨幣は、金、銀、銅で出来たそれぞれの銭と、当時日の本で流通していた永楽銭との交換比率が南部家の差配で徹底的に定められており、南部領の様々な産物と南部家の強力な軍事力が、その価値を保証した。
この時期の日本は、全国に流通する銭の量が圧倒的に不足しており、物に対しての銭の価値が高過ぎる、いわばデフレ経済になっていたと言われる。
大名や寺社など既にお金を持っている既得権益層が金を貯め込み、ただでさえ少ない貨幣の流通量は更に滞ってしまう。
貨幣の価値はますます上がり、眠らせておくだけで価値が上がるのだから、銭を持つ者は更に市場への放出を抑える、負の循環である。
そこに現れたのが南部銭だ。
北方に突如現れた安定政権から生み出される大量の貨幣は全国の銭を持たざる者達に歓迎されると共に、従来の貨幣の価値を大きく落とすこととなる。
ここで晴政は、こっそり信長のパクリと呟いていた楽市楽座を領内に布告し、商業への新規参入者を集めた。
全国に先んじて大量の南部銭を抱えることが出来た南部領の商人達は、各地で物品の売買や高利貸しを大規模に行い、その利鞘で富を一方的に吸い取って行った。
しかし武力による不条理がまかり通る乱世、この政策は諸刃の剣でもあった。
自分達の待つ権益を思わぬ形で害された寺社勢力などが、南部家を敵視し始めたのだ。
南部晴政を化け物のように描いた絵なども、この時期に描かれたと見られる。
この事が後にどのような影響を及ぼしたのかについては、またいつかお伝えすることになるだろう。
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南部家の政策で特異な物として、貨幣の発行以外にも[富民政策]と言われるものがある。
領民から富を絞り取って体力を削り、逆らえなくするのではなく、ひたすら領民有利の政策によって南部家への忠誠心を高めるという逆転の発想である。
そして領民の活力は国力の底上げにも繋がる。
当時の限界ギリギリの三公七民の低税率。しかもこれは冷害で安定しない農作物の取れ高を考慮して、不作の年には通常の税率から更に徴収量が下がる。その代わり商人や職人は勿論、僧侶にすら銭で払うという形で税が徴収された。
不作の度に領民達は商人達から借金をするが、南部家は対策として金利の低い南部基金を立ち上げ、領民達の借金の貸し換えを行った。本当に返せるか怪しい、信用の低い領民達の借金を南部家に立て替えて貰えるのだ。金を貸す富裕層には好意的に受け止められた。
検地は数年に一度、非常に緩い調査が行われる。隠田を自己申告したら三年の間減税、見つかっても次の年から三公七民の通常税率で納めたらお咎め無しという有様だった。隠田が見つかるどうか、武士も一緒になって、賭け事の対象にされているくらいだった。そのため領民達の間では新たな農地の開墾の気運が高まって行くばかりである。
南部家が運営する、農業の研究用の田畑も各地に作られた。成果としては、新たな商品作物の栽培方法の確立。連作障害などを始めとする作物の不作の原因の究明。種籾を撒くのではなく、苗として等間隔に植えるなど基礎的な稲作の研究。品種改良の試み。水車を利用しての灌漑整備の実験。など多岐に渡った。研究の成果は無料で公表されており、特に有効的だと思われるものには、直接村々を渡って指導が行われた。
日本海側と太平洋側でそれぞれ領内を縦断した、馬車すら通れる東と西の奥州街道の建設。水車など新技術を使った灌漑整備の強化。定期的に編成される関東略奪軍。など様々な公共事業を通して領内に資金をばら撒いた。
新規産業の立ち上げを狙い、公営の高利貸しのような事も始まった。これは簡単に言うと、
「お蚕様を育てて一儲けしてえ‼︎ でも元手がねえ‼︎」
「絶対あそこには鉱脈がある‼︎ 麓の川で砂金を見つけたんだ‼︎ でも探しに行く余裕がねえ……」
「南部様は禁止してるが、畿内じゃ阿片が飛ぶように売れてるらしい‼︎ オラも津軽に住んでる叔父さまみたいに、沢山育てて大儲けしてえ‼︎」
「蝦夷の北にでっけえ島がある‼︎ 良く晴れた日にこの目で見たんだ‼︎ 冒険の匂いがするぜ‼︎」
「水車で水を汲み上げたら、もっと西の方に農地を広げられそうだ。でも村のみんなで金を出し合っても、水車なんて買えねえよ‼︎」
「鶏は旨い‼︎ 羊や牛みたいに他所に売れる訳じゃねえが、腹を膨らすには持ってこいだ‼︎ 出来ることならオラも卵が生めるようになりてえ‼︎」
民間の土倉(金貸し)ではとてもじゃないが金を出せないような、利益が出るまで時間が掛かるものや、不確実なものなど南部家の融資は多岐に及んだ。
金があっても売買するものが無ければ意味はない。商業の発展は、新たな産業の発展をも促す。
南部家の富民政策は分母の増加により、国力と収入を同時に強化するためだったと言われている。
金持ちが資産の三割を納めるのと、貧乏人が資産の三割を納めるのでは、支配する者の収入は当然変わって来るのである。
豊かな暮らしを求めて、流入する流民達の姿も多く見られた。これに水車や牛馬の力が加わり、人口の少ない奥羽で慢性的に不足している労働力が補われて行く。
領民達は有事の際には、南部家への恩返しだと言って進んで兵役に就くし、物資の供出も厭わない。
南部家の甘過ぎる統治は、返って領国の体制を強固にして行くこととなった。
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おまけ
日本の金銀鉱床分布、南部家はこんなに金持ち‼︎
投稿サボり気味ですみません。
エタりたくはないですね〜。




