第1話【初談事】2
カリンが大陸の外れの島にあるよろず屋・屋図路夜に就職して、早くも三日が過ぎた。
彼女は、やっとの思いで得た就職先で、せっせと仕事をしていた。
隣には屋図路夜店番二号のティハがいる。眠たそうな顔で椅子に浅く座っている。
「あ~あ。暇だー」
ティハは欠伸を繰り返す。
「こういうあったかい日は昼寝がしたいねえ~」
窓から入ってくる日差しは、木々の枝葉に遮られているせいで、あまり強くはない。それでもあまり肌寒さは感じない。そんな季節。
ティハは最近やってきた新人店員の方に顔を向ける。
「どうしたの?なんかしゃべってよ」
「……なんでこうなったわけ?」
この二人は現在店番中である。客は、カリンが職に就いてから、一人も来ていない。
「確かに働き口探してたけどさあ!」
「良かったじゃん!見つかって!」
「そういうことじゃなあああい!」
思わずティハに叫んでしまう。ティハは笑顔を崩さなかった。
カリンの就職が決まった後、店内の説明を受けた。
丸太小屋の一階部分、玄関口である正面の扉を開けてすぐの広間が商品を陳列している店舗となっていて、室内に所狭しと商品が置かれている。
その奥に階段と扉が一つずつ。階段を上った二階部分は店主クレイの部屋と倉庫で、一階の扉を開けるとその先に四つの部屋がある。突き当たりに台所、風呂などの水場がある。
手前の四部屋はそれぞれ店員の個人部屋で、住み込みで店を回しているとのことだった。四部屋のうち二部屋が空室で、そのうちの一つにカリンの部屋が割り当てられた。
彼女は大して荷物を持ってきていない。そもそも就職活動のためにこの島に来ていたのだから当然だ。
必要なものは商品や倉庫の中から持ってきてもいい、と店主クレイに言われたが、あまりに急な事態に頭が回っていなかった。時間が止まったかのように固まったままだった。
その日は、就職活動用の服装から着慣れた服に着替え、すぐ横になった。一応持ってきていた杖も立てかける。その杖はアカデミーの卒業の証であった。
即日から就職先に転がり込むなど思いもよらなかった。世間には、採用内定を得た若者を逃がさないよう、内定日から独房のような寮に軟禁する企業もあると聞く。だが、そういったものとは毛色が違うと感じた。
いまいち実感が湧かない。ただ、新しい生活が始まるというのは漠然と感じるカリンだった。
三日前の出来事を振り返っていると、奥の扉が開いた。屋図路夜店番一号のミルがこちらにやって来る。今日も全身鉄鎧姿である。
「店番ご苦労さま。それにしても、人が一人増えただけでこんなに暇を持て余すことになるとは」
「いや、ほぼ仕事ないじゃない……」
「基本は店番さ。で、営業時間が終われば店を簡単に掃除して、終わり」
「ていうか、この店こんなに客来ないの!?」
「ここひと月で来たお客さんはカリンだけだよ!」
ティハが明るく言う。さらに驚愕するカリン。
「なんでそれで生計が立てられるわけ!?」
「それだけ談事の仕事と代金がでかいってことさ。談事一回で三か月分くらいはまかなえるほどにね」
「そういうのじゃなくて!私は自分の能力を生かした仕事がしたかったの!」
「でも、そのわがままのせいで二年間無駄に過ごしたんでしょ?」
「痛いところを突くなああ!!」
「まあ、店主も他の企業と一緒で、無用な人は雇わないから、きっと君の能力が店主にとって必要だったんだよ」
ミルの窘めるような言葉に首を傾げながら唸るカリン。ジトっとした目で言葉を続ける。
「で、その店主さんは?最初のとき以来見てないんだけど」
「いつもどおり、二階の自室に閉じこもってるよ」
「何をやってるの?」
「知らないよ。まあ、そんなことは気にも留めないからなあ。こうやって店番やってるだけで、飯も食わせてくれるし、結構気楽だよ。もっとも、給料は高くないけど」
「でしょうね……」
「じゃあ、私も休憩してくるー!!」
ティハが自分の部屋に戻っていった。
「いってらっしゃーい」
ミルが気の抜けた声で見送る。たまりかねずカリンがツッコミを入れる。
「常に休憩時間みたいなもんじゃない!」
夕暮れに近い昼下がり。最初は物珍しい商品を見て回っていたカリンも、三日も経てば完全な手持ち無沙汰になった。二日目以降は椅子に座って過ごしていただけだ。今も、座って足をばたばたとしていた。
こんな日が幾度も続くとやってられないと思わないのだろうか。カリンは隣にいるミルを見ながらそう思う。
ところが、この日は違った。
「ごめんください」
入口の扉が開いた。
「あ、お客さん」
カリンが意外そうにそちらを向いた。
店番をしているという意識が完全に抜けていた。
「いらっしゃいませー!」
ミルが業務用の声量と声色で応対する。
客は並んでいる雑多な商品には見向きもせず、ミルに対して言った。
「あの、店長さんはいますか?」
「はい、今お呼びします。カリン、頼むぞ」
「は、はい」
彼に指示され、カリンは階段を上がり、店主のクレイを呼びに行く。
(そういえば、二階に上がるのって初めてだな)
そう思いながら、彼女は階段を上る。上りきる手前で、店主の部屋に向かって声をかけた。
「店主ー!お客さんですー!」
「了解~。上に連れてきて~!」
階段を上ってすぐ右側にあった扉の向こうから声がした。
カリンは広間に戻り、客を店主の部屋へ案内する。
客は、老人の男で、やつれているように見えた。
店番の三人は、店主クレイの部屋に集まって、隅に椅子を並べて座っている。
クレイの部屋は、一階にあるカリン達の部屋の二倍ほどの広さで、大きなテーブルに椅子が四つ、扉を開けてすぐ左側に置いてある。パーテーションで部屋が二つに仕切られていて、その奥は寝室になっているようだ。大きな窓が正面に見える。そこから小さなバルコニーに出られるようだ。今はカーテンが半開きになっている。
クレイと客は、テーブルに向かい合って座り、話を始めていた。
「貴方がクレイさんですね。このお店のお噂は聞き及んでます」
年老いた客は弱々しく声を発する。
「それはそれは。そんなに有名になったんですかね、この店は」
穏やかな顔でクレイが返す。
「いや、私もその噂を耳にしたのは、つい最近ですがね。なんでも、どんな事件でも解決してくれるとか」
「当たらずとも遠からず、ですね。確かにうちは、お客さんの悩み事を聞いては、それを解決して代金をいただいてます。しかし、それは話の内容にもよりますね。例えば、人を殺してほしい、などという依頼は承っていません。それに、一件当たりの代金は結構高価ですよ」
「いえ、構いません。一刻を争う事態ですので」
「そうですか。くだらない話を聞かせてすみませんねえ。それでは、ご用件を」
クレイは右手を少し前に差し出し、客の老人に話を促した。
老人は、弱々しくも確かな意思を持った目をクレイに見せ、言った。
「私の町を救ってほしいんです」
「へ?」
カリンは、呆気に取られていた。
町を救う…?
個人の就職斡旋ならいざ知らず、そんな大それたことが、この屋図路夜に頼めることなのか?
荒唐無稽ともとれるその依頼に、疑問符が彼女の頭に浮かんだ。
それでも、クレイは顔色一つ変えていない。穏やかである。
「それは、どういうことでしょうか?詳しくお聞かせ願えませんか?」
「はい……私は、北東の山に囲まれた町の町長をしています。異変が起きたのはつい二週間ほど前でした」町長は誰かに話しを聞いてもらえる時を待っていたかのように、矢継ぎ早に話す。
「私の町の、一人の子供が病気で倒れたんです。初めは、風邪か何かだと思いました。しかし、病状は一向に良くならないのです。その後、次々に同じ症状の者が大人にも出始め、ついには町民の八割の人間がその病気にかかってしまい、町が機能しなくなってしまいました。幸い、まだ死者は一人もおりませんが、現在薬屋も休業中で、どんな薬草を使っても効果がないのです。お医者様もお手上げの状態で。それで、この店に良い薬はないか、可能ならば病気を治せないかと思いまして」
「ほう、伝染病ですか。それを治してくれと?」
「はい。そのとおりでございます」
「しかし、そんなに強い感染力のある病気など、聞いたことがないですね。具体的にはどのような症状ですか?」
「はい。高熱でうなされて、起き上がることさえ困難なようです」
「ふむ……」
「それと、気になることがありまして、一番最初に病気にかかった子供が毎晩のように同じ寝言を言うそうなのです」
「寝言?どんな寝言ですか?」
「『おいしい』と」
その話を聞いた途端、クレイの表情がこわばった……ように見えたのは気のせいだろうか。
クレイの横顔を伺っていたカリンは、そのわずかな表情の変化に少し引っかかった。
「お願いです、このままではいずれ住民は死に絶え、私の町は滅んでしまいます!なにとぞ、お手引きを……!」
客の老人は手を合わせ頭を下げている。
「そうですか。少々お待ちください」
そう言うとクレイは立ち上がり、部屋の奥の棚の引き出しを開け、錠剤のようなものが入った瓶を取り出した。戻ってきてテーブルにそれを置く。
「今回は、結構高くつきますよ。なにせ、町人のほとんどが病気なんですから。そうですね、四百万でどうでしょう?」
(た、高い……)
カリンは提示額に驚いた。
四百万という金額は、一般的な企業勤めの年収をはるかに超える額だ。一人でつつましく暮らせば二、三年は生活できる程度の値段である。
談事があれば、当分はやっていけるというミルの言葉をカリンは思い出していた。
「ええ、構いません。それで町が救われるというのなら安いものです。どうか、お願いします」
「承知しました。それでは、この瓶の中に入っている薬を今夜、一人一粒ずつ、患者さんと、それからまだ病気になってない人にも飲ませてください。ただし、全員が必ず『日付が変わる瞬間』に飲むようにしてくださいね」
「日付が変わる瞬間……ですか?」老人は首を傾げる。
クレイは頷いて話を続ける。
「ええ。この手の病気は厄介です。患者さんはもとより、症状が出ていない方も感染している恐れがある。ウイルスが集団で人に襲い掛かっているんです。それを退治するには、人間も息を揃えねばなりません。いいですか。必ず、町民の皆さんが一斉に、日が変わる瞬間に飲んでください。そうすれば、次の日には快復しているはずです」
「分かりました。ありがとうございます」
依頼人の町長はそう言い終わると、薬の瓶を大事そうに抱えて帰っていった。
依頼人を見送った後、クレイの部屋で四人が集まっていた。彼は微笑みながら話し始めた。
「久々の『討伐』だね」
「ということは、今の話は、やはり奴らの仕業でしょうか?」
ミルとティハは真剣な顔をしている。
「うん。間違いない」
聞いてきたミルに対してクレイが答える。
「ど、どういうことですか?」
カリンは全く話についていけなかった。
「だから、町の人々の病気は、作為的なものってことさ」
クレイは相変わらず穏やかな表情で言う。対照的にカリンは目を大きく開く。
「そ、それって、犯罪ってことですか?」
「うーん、犯罪っていうのは語弊があるね。っていうか、作為的って言う方が語弊があるのかな」
そう言うと、クレイは少しカリンの顔を覗き込むように近づき、声を落として言葉を続けた。
「これは門外不出の話だよ。いいね?」
「は、はい……」
「つまり、病気ではなく、魔物の仕業ってこと」
「え?」
カリンは再び目を見開く。
「魔物の存在は知っているよね。でもそれは、決して物理的に攻撃してくる魔物だけではない」
「あいつらは見えないんですよね!」真剣な顔ながらも、好奇心を宿した目をしたティハが言う。
「そうなんですか?アカデミーで教わったのは、実体として害を及ぼす魔物でしたけど……」
「そう、一般の常識ではそのとおりだよ。でも、その常識は魔王が滅びる前や、いわゆる『ペナルティ・ロード』の中でのものだ」
「ペナルティ・ロード……かつて世界各地にあった、魔物の巣窟といわれていた場所ですよね」
「そして、魔物が奪っていった財宝の在処でもあった所だね。今ではもう、そのほとんどが消滅してしまって都市伝説のような扱いになってるけど」
クレイは少し目を細めた。
「話を戻そう。確かに通常の意味で言うところの魔物といえば、カリンの言うように目視で脅威が確認できる存在だ。でもね。この世界には、目に見えない魔物もいる。そいつらを見える魔物と区別して、僕らは便宜上『ゴースト』と呼んでいる。奴らの悪行っていうのは、普通の人間には奴らの仕業だと気づかないんだよ。祟りとか、災いとか、あるいは伝染病って思うんだ」
「それじゃあ……」
「うん、今回は間違いなくゴーストの仕業だ。ゴーストはほんの少し、隙を見せるときがある。まあ、今回は結構分かりやすかったから、割と弱い奴だけど」
店番二人が、さも当たり前のように頷いて、カリンに言う。
「そして、奴らを退治するのが、今回の我々の仕事というわけだ」
「本当に久しぶりですね~!半年ぶりくらい?」
そんな大事なことは就職したときに先に言ってほしい、という言葉がカリンの喉元まで出かかった。
依頼人のニーズに『何でも』応えるとはこういう事だったのか。就職先の依頼を彼らにしたときに伝えられたことを彼女は思い出した。
「さて、事情は分かったかな、カリン?」
「な、なんとなく。えっと、じゃあ、さっき渡してた薬は……?」
「あれはただの睡眠薬だよ。ゴーストの存在は広く一般に知れ渡っていない。公にすると、世界中が大パニックだ。人間は見えない脅威に怯えながら生活しなくてはならなくなるからね。だから、住民を一斉に眠らせて、その間に討伐するってことさ」
「なるほど……」
一応納得はする。だが、この後どうなるのか、彼女はまだイメージできていなかった。
「じゃあ、談事に向けて準備しようか」
クレイの言葉にミルとティハは強く頷いた。
そうして、カリンにとって初めての、談事が始まった。