ライフワークⅡ 02
日曜日、ストライダーの練習を終えて、マンションに戻って、ランチを取りボードゲームをしたりしていると、あっという間に、理恵の所に戻る時間となった。拓海に言って帰る準備をしていると、電話が鳴った。
「私だけど、悪いんだけど、拓海、明日まで預かってくれないかしら」
「いいけど。制服は洗っておいたけど、保育園の月曜日の準備もあるでしょ。書き方の練習バックとかさ、どうするの?」
「明日の朝、一度、私のマンションによってくれないかしら?」
「急な仕事?」
そう聞く俺の言葉に、無言になった。しばらくして、
「彼が、今晩、なかなか予約できないレストランの予約が取れたから行こうって、誘ってくれたから…」
「おかしくないか? ここの所、毎週末一緒だろ。なんで、日曜日の夜に予約するんだよ。理恵、拓海の事、考えているのか?!」
「考えてるわよ。月曜から金曜日まで、きちんとやっているわよ。別に問題ないでしょ。週末、貴方の所に預けても良いじゃない。貴方だって、父親じゃない!」
「とにかく、お願い。彼をがっかりさせたくないのよ」
そう言って、電話が切れた。心配そうに見ている拓海には、苦い顔のまま話すわけには行かない。
「ヤッター! 拓海、今日もパパと一緒にいられるって」
思いっきりテンション高めの、リアクションで拓海に言った。拓海のほうがふうっとため息をついて、
「ママ、あのお兄ちゃんと一緒なんでしょ? だから、僕はパパのおうちにお泊りなんだよね」
「拓海、パパと一緒なんだぞ。うれしくないのか? パパは最高にうれしい!幸せだ!」
拓海の機嫌を取るように言った。
「今日は、外食しようか?」
「えっ? ホント? じゃあ、Mドナルドでも良い?」
「なんで、Mドナルドなんだ。スパゲッティーとかピザとかハンバーグとか、ないの?」
「そう言うの、パパ作ってくれるでしょ。パパの美味しいよ。でも、Mドナルドのキッズセットは作れないでしょ。だから、Mドナルドが良いの」
もう、目がキラキラしている。さっきまで、不満そうにしていたけど、ほっとした。もう少しの間、拓海の心に傷がつかないようにしながら、理恵のことは様子を見ることにしよう。
「Mドナルドのキッズセット、恐竜のおもちゃなんだよ。トリケラトプス当たるかな?」
うれしいの半分。不安なの半分って顔で、もう、さっきの理恵と相手の話は忘れたかのように、はしゃいで、玄関に走っていった。
夕食を終えて、拓海は、トリケラトプスが当たってご満悦で、今は風呂に入っている。最近は、風呂でしりとりをやる。大人の俺としては、楽勝!と思っていたのだが、これが意外と難しい。
―えっ?なぜ?ってー
4歳の子供が理解できる言葉って、結構少ないわけで、
「リンゴ」 「ゴリラ」 「ラッパ」 「パンダ」 「だんご」 「ご? ご、ご、うーん、ごま!」 「えっ、ゴマってなあに?」となって、その説明に、また困ると言う具合に迷路にはまり込んでしまって、拓海も俺も、湯あたりする結果になってしまうのだ。
それでも、拓海の言葉の数がどんどん増えている。楽しい時間だ。
9時過ぎ、やっとお眠となった拓海がベッドから落ちないように、二人で寝ることを想定して買ったクイーンサイズのベッドの真ん中にそっとずらして、寝室のベッドのドアを閉めると、理恵からの電話が鳴っている。
「何?」
ちょっと不機嫌そうに、電話に出た。
「今日は、ありがとう。拓海、どんな様子だった?」
「勝手なことしているって、判ってるんだ?」
「勝手? 勝手ではないでしょ。一人で留守番させてるわけじゃなくて、父親の貴方と一緒なんだから、安心よ」
「あのさ、付き合っているやつ、拓海の事、どう思っているんだ? そんで、理恵はどういうつもり? 週末だって2日間も一緒にいるのに、今日みたいに拓海のこと、放りだして」
「放り出してなんかいないじゃない。拓海のことはきちんと面倒見てるわよ。」
「これからだって、彼氏が急に予定を変更して会いたいってなったら、また、拓海を放り出すんじゃないのか」
「大輔だって、私のこと考えてくれても良いじゃない。」
「それって、何様のつもり? 俺には関係ないでしょ。」
「でも、でも、拓海の父親でしょ! 拓海の事なんだから、父親として助けてくれても良いじゃない!」
「..............。」
だんだんとヒートアップして、今までの冷静沈着な理恵でないことに気付く。どこか、焦っているように、イライラしている。
「どう、したんだ? 最近、変わったな、理恵」
「彼、私より5つも年下なのよ。私は、もう34よ。そりゃ、焦るわよ。彼だって、私に興味が無くなったら、若い子に行っちゃうかもしれないじゃない!」
「..............。」
俺と離婚するころは、あんなに自信満々で、利用できるものは全て利用しつくすような女だったのに。仕事だって出来る。女性としての魅力だって、ある。かなりの美人で、笑うと八重歯が可愛いから、僕も含めてころっと騙されてた。まあ、俺はもう、こりごりだけど。俺が、無言のままだったからなのか、ぽつりと、本音を漏らした。
「彼が、今、何考えているのか、判らないのよ。不安で、不安で、他に彼女いるんじゃないかって思うと、心配で、ずっと一緒にいたいって、思っちゃうのよ」
「仕方ないじゃない、バツイチで子供もいる、その上、私より5歳も年下なのよ」
「..............。」
ふうっと息を吐いて、俺は話し出した。2年前、
「男として魅力がなくなってしまったんだから、いっしょにいる意味がないじゃない」
と、理恵は俺に言った。言いたいことは、いっぱいあったが、夫婦でも恋人でも友人でも、プライベートな関係は、一緒にいたいか、いたくないかだけがその理由になるんだと、俺も思っていたから、納得するしかないと諦めたっけ。
―ただ、今でも、家族はもっと違うもので繋がっていけると思っているけどね。―
まあ、それは置いといて、
―今のお前は、女としての魅力があるのか?―
これ以上、理恵の愚痴を聞いていたくなかった。
「理恵、拓海の養育権を俺に譲れ。そうしたら、お前が今言った、子供がいるって言う負い目だけは無くなるわけだから。」
「いやよ。絶対、いや! 拓海は渡せないわ。」
「子供がいるってことを、負い目に思っているお前の所に拓海をおいていたら、あんなに頭のいい拓海は、お前の気持ちに気付いてしまうよ。いや、もう、気付いているかもな」
「いやよ。絶対、いや! 拓海は渡せないわ。大輔、なんで、そんな意地悪言うのよ。いつだって、私の頼みは、聞いていてくれたじゃない!」
「家族だったからな。でも、もう、俺たち、家族じゃないよ。まして、お前の今の状態を見れば、拓海だって、お前の家族じゃなくなっているような気がするよ」
「彼を、愛しているの。愛しているのよ」
電話の向こうで、すすり泣いている。恋人でも夫でも、まして家族でもなくなった理恵が泣いていても、俺は当然、心は動かない。
「今日は少し冷静になって、これからの事、考えてみろよ」
電話を切って、もう一度大きくため息をついた。あんな女だっただろうか。恋は盲目と言うが、今までの理恵とのギャップに、とまどうだけだ。
そして、先週末の拓海とのやり取りを思いだす。
―愛してるってことは、信じてるってことだよ!―
「理恵、お前、ちっともそいつのこと信じていないようにしか思えないぞ」
すったもんだの末、拓海は俺と一緒に生活することになった。別に、理恵に文句を言う気もない。誰しも、そんな風に前後見境なくなってしまう恋があってもしょうがないと思う。でも、離婚と言う形で、いびつな親子関係を強いてしまった拓海には、この台風のような母親の恋愛事情から、少し隔離してやりたいだけだった。
裁判所の調停で、親権も養育権も俺に譲渡された。これからは、彼女から養育費を5万円月々支払われることになっている。面会権は、現時点では、特に決めなかった。将来、環境が変わった時、その都度決めて行こうとなっている。だから、理恵は拓海に会いたければ、何時でもあえる。苗字は、保育園では、「吉川」のままで過ごすことになっている。小学校へ入学する時、「木村」を使用することにした。ほんと、子供ってかわいそうだと、心の中で、拓海に詫びた。
正式に取り決めされた後、理恵のマンションから、拓海の荷物を運び出した。マンションの下まで理恵は、見送ってくれて、
「拓海の事、よろしくお願いします」
そう言って、深々と頭を下げている。その頭に向って、俺は言った。
「ああ、なんとか頑張って、二人でやっていくよ。最後にさ、はなむけの言葉な。俺じゃないよ。拓海からな。」
「『愛してるってことは信じてるってことだよ!』 て、何時だったか、言ってた。お前にこの言葉やるよ。」
「理恵、これだけ大きな犠牲を払ったんだから、彼氏の事大事にしろよ」
はっとして、大きく目を見開いた理恵の顔は、少し、苦いものを含んでいたように見えた。
そして、おれは、もう、そうそう会うことのないだろう理恵が、これから、幸せに過ごせるように祈りながら、後ろを向いて歩きだした。
「じゃあな。元気で。」
育児は、俺の「ライフワーク」だと思った一年前。確実に、拓海との時間を大切に楽しんできたし、父親として、どうあるべきかと真剣に考えてきた一年だったけど、当然、これからも、俺にとって手の抜けない「ライフワーク」となった。
母親と離れて、今度は父親の俺との生活だ。拓海にだって、本当は言いたいことあるはずなんだ。うまく表現できずにいることが、きっとストレスになっていると思うと、これからの拓海との生活に、心が引きしまる。
「はあっ」と大きく声に出して、背中をしゃんと伸ばして、一度、空を見上げた。今日は、再出発の意気込みには向かない曇り空だけど、お天道様は、俺と拓海の所へきっと明日はやって来る。
「拓海、明日の土曜日は、ストライダー、乗りまくるぞー!」
最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第40回 ライフワーク Ⅱ と検索してください。
声優 岡部涼音君(おかべすずね♂ )が朗読しています。
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