第9話
遅くなって申し訳ございません
田沼意次の政治
1768年党員選挙により田沼意次が政府首班に任命された。
田沼が掲げた政策は「外需拡大」であった。まずはじめに田沼は漢民族政府との内乱中の清政府に対しこれまでよりも多量の武器販売を開始した、清政府は終わりの見えない内乱に終止符を打つためこれを承認 最初は銀と武器との貿易だったが3年後にはに清の銀不足が露呈し今度は食料とのバーター貿易となった、しかし内乱軍との戦闘が激化し農民が軍に徴兵されるとその食料も足りなくなっていった 最後の方では国民の食料を削って日本から武器を購入したほどであった、がしかし 日本から最新の武器を購入するには足らなくなってしまった。そしてついに清は土地を担保に武器どころか食料品まで輸入し始めた。
大国清が内乱軍それほどまでの被害を被った理由は日本が同様に内乱軍に武器 弾薬 食料を内乱軍に提供してたからだった、こちらの貿易は清とは対照に 穏やかなものであった 武器の代金は内乱終結後に10年間払い 利息も少々といったものであった これは内乱を拡大させて 中国での市場を独占しようという日本の狙いであった 清もそれには気づいてはいたが他にめぼしい武器の供給源もないし 国内で作れる武器も100年前の火縄銃であったから 貿易をやめる訳にはいかなかった。内乱当初清は重慶 雲南 四川以外を保有していたが日本との土地貿易の結果 1784年の内乱を終結までに内モンゴルに加え 北京を除くほとんどの沿岸部(天津 山東 江蘇 浙江 福建 広東 沿海州)を失うことになる。
田沼は着実に力を蓄え続けている欧米に対抗するため隣国との結びつきを深めていく。
北の大国ロシア帝国である。
日本はロシアと日露基本条約 日露修好通商航海条約を結ぶと 露土戦争真っ最中であったロシアは 日本へ大量の鉄鋼の販売を求めた 日本もこれを了承し格安で日本の鉄鋼がロシアへ大量に輸出されるようになると日本は大規模な義勇兵の派兵や日本の最新武器のサンプルが送られ露土戦争はロシア帝国優位のまま1772年 ロシアはオスマントルコと和平を結ぶこととなる これを機に日露の距離は急速に縮まった。
日本が露土戦争の戦争特需で賑わっている中平賀源内という男が’蒸気機関‘を発明する。
これまで日本の紡績機械というのは 水力のものであった、しかし 彼は鉱山の水吐きに使われていた 簡易的な蒸気機関に目をつけ これを改良し高圧に耐えれるようにし。コークスの熱による蒸気による大規模な馬力を用いた 紡績機 源内紡績機を制作した。
田沼とのコネを持っていた彼は政府お墨付きの科学者という肩書きを用いいて各財閥に販売して回った 各財閥は人件費の大幅な削減をすることができるこの機会に目を輝かせ すぐさま源内と契約を結んだ。この時財閥が大規模な工場の建設を進めることができたのは露土戦争による戦争経済の恩恵だった。
そして 日本本島や満州 ボルネオから大量の石炭を採石し 蚕の繭を使い 大量の生糸を生産していった。
農家の努力や工場で働く労働者の努力で 上質な生糸を生産することができ、これを輸入した各国の紡績業を破壊していった。
これにより日本は大規模な経済発展遂げることができた。
この日本の黄金期を見た外国人らが日本をこう呼んだ「黄金の国ジパング」と