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第6話

通貨が両から円に変わっていますが名前が変わっただけです。

徳川綱吉の政治


5代目将軍徳川綱吉 現在彼ほど評価が分かれる歴史人物はいないだろう。


綱吉は 議会制民主主義の父 差別撤廃の父と評価される一方で 幕府の権威を損害した 日本の植民地支配を促進させたと、評価されることも多い、これは一重に綱吉の「自由令」と呼ばれる政策のせいだろう。


綱吉は後継ぎがないことを非常に憂いていた。そこで綱吉は母桂昌院の帰依していた僧の隆光の

「御所様は前世 下の階級の者を軽く見ていました。平等を重んじられよ。」

という話に綱吉は感銘を受け1680年の征夷大将軍の就任1番に出した政策が自由令であった。


自由令は貴族 皇族 将軍 僧侶 以外の特権階級の廃止 穢多非人の差別階級の廃止 目安箱の設置 が主であった。この政策は士農工商の農工商には絶大な指示が集まり連日幕府に綱吉宛の手紙が届くほどであった。

しかし武士は違った もはや家康の政治改革により武士の特権階級は灰塵に帰したも同然であったがまだ武士は帯刀や苗字が許されていたし軍隊の将官クラスや幕閣の主要メンバーも武士だけで占められていた。しかし遂にそれも終焉を迎えてしまった。

その結果 武士は遂に武装蜂起を起こした。しかし武士が攻撃したのは幕府ではなかった。江戸にはエリート揃いの近衛兵団がいたし、この政策に乗り気な100万もの町民を敵に回して勝てるとは思うほど武士も馬鹿じゃなかった。武士が攻撃したのは今回の政策を提言し 今回の改革でも特権を守られた僧侶であった。

この為日本各地の僧侶が武士達によって惨殺されるといった事件が起きた。この事件を延宝事件という。

この事件には最終的に軍もが動くおおごとになった。

これに対し綱吉は帯刀の廃止だけでなく許可なく日本国民が刀を持たないように。廃刀令を発布した。

それに綱吉も今回の事件には思うところがあったらしく、僧侶の特権も廃止した。


この事件を経て日本全国では家康の改革以上の変化の嵐が日本各地で起こった。

国民は日本各地に設置された目安箱に連日投書した、これが後の議会制民主主義につながっていくのであった。

経済活動の抑圧が解けた商人達は数々の事業を展開して莫大な利益を上げた。その結果三井 住友 三菱などの大財閥が設立された。これがのちの自由資本主義につながっていくことになる。

海外への輸出も商人独自で開始し大トルコ戦争真っ最中だった欧州へ鹿児島製鉄所が名を変えた鹿児島重工などの大財閥が大量の武器を輸出し、これでもまた莫大な利益を上げたのだった。

その際海外から初期の蒸気機関を輸入しそれを三菱重工が改良し鉱山の排水用として大量に製造されるのだった。

この好景気によって日本は第一次高度経済成長を迎えることになった。

結果幕府の収入は当初5000万円足らずだった国家予算で常備軍の維持で手一杯だった幕府歳入が経済成長が終わった時には5億円を超えるものだったのだからこの好景気は凄まじいものだった。当時幕府が発表した所得倍増計画を軽く上回る結果となった。

そして北海道開発によって得られた食料のお陰で飢饉はほとんど無いものとなり莫大な人口増加が起こった、1680年当時3200万人だった人口は1690年には4000万を超えたのだった。この人口増加には流石に土地開発が追いつかなかった。幕府は中止していた北慚運動を開始しその結果遥か北に新大陸を発見これを幕府は領有化現地民の言葉から阿羅斯加となずけられた新地に開発のため200万以上の人々が動員された。

阿羅斯加では山師も移民として流れておりそのおかげで金を発見した。ゴールドラッシュの始まりである。ゴールドラッシュの金を元手にアラスカに。この利益は凄まじほどで阿羅斯加にもう一つ日本を作れるほどだったという。


しかしこの経済成長には暗い影もあった。

工場の稼働のため貧し村の人々を人身売買の形で労働につかせることもあった。

北朝鮮などの鉱山での労働環境や鉱山からの鉱毒によって多数の犠牲者が発生した。


そして遂に北海道のアイヌ民族の一部が北海道独立を掲げて独立闘争を始めたのだった。

シャクシャイン率いるアイヌ独立戦線は北海道駐屯地に奇襲を仕掛けた。北海道駐屯地に置かれた第7師団はこれに対し被害を受けたが第七師団司令鶴見中将は被害を最小限にとどめ、逆にアイヌ独立戦線に対し攻勢を展開 そして当初北海道の半分以上を支配していたアイヌ独立戦線は2ヶ月と戦線を維持出来ぬまま敗走を重ね遂に北海道市民も次々と離反し市民の手によって知床を根拠地にしていたシャクシャインを殺害しアイヌ独立闘争は終結した。


このように自由令により人々の思想に大きな変化が始まったのだった。

日本で声を大きくしていったのは尊王主義の声だった。

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