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短編

短編2

作者: くらうでぃーれん

 

「わー、スゴイ! 綺麗だね!」

「そうだな」

「もー、気のない返事して。初めて来たときはキミも感動してたじゃん。覚えてないの?」

「覚えてないなー」

「うわー、サイテー。じゃ、今日は絶対忘れないようなデートにしてあげるんだから」

「‥‥そうだな。今日のは、忘れないと思う」


 俺たちは夜の町を手を繋いで歩く。町は電飾に包まれて煌びやかな光を放ち、大通りの左右には幾つかの出店が建てられ、人々の喧騒がBGMとなって町を盛り上げていた。


 それは、地元から少しだけ離れた町で年に一度開催されるお祭り。大都市のそれとは規模も華やかさも比べ物にならないが、普段は少し寂れた街並みが一変する様子はなかなかに惹かれるものがある。この時ばかりは各地から人々が集まって小さな町は賑わい、今も家族や恋人たちが落ち着きなく視線をうろつかせながら町の様子を想い出に焼き付けていた。


 賑わっているといっても所詮は地元の催し。その混雑ぶりは大きな街のイベントに比べればささやかなものでしかなく、そういう気軽さも田舎の良いところだろう。年々人気が高まり来訪者も増えつつはあるそうだが、爆発的な増加は見込めず緩やかに認知されつつあるようだ。


 子供の頃に覗いた時と比べると、道行く人々の数は確かに増えているようだ。かつてはもっと、内輪盛り上がりのような雰囲気だった記憶がある。

 それでもあくまで田舎の祭りの延長線。少し気を付ければ肩がぶつかったり揉みくちゃにされたりはぐれたりするようなこともなく、のんびりと景色を眺めて感想を言い合いながら特別な時間を過ごすことが出来る。


 手を繋いで横に並んで歩いていても見咎められることもなく、俺たちと同じように歩いている男女も少なくない。

 彼女はあちこちの電飾や装飾を指しながら嬉しそうに、綺麗とか可愛いとか見たことがあると語ってくれる。


「あ、あのクレープ屋さん! 美味しかったよね。前はどれ食べたんだったっけ」

「どれだったかな。普通のヤツじゃない?」

「んー、クリームとイチゴ? それともチョコとバナナ? 普通ってなんだよー」


 いい加減な俺の答えに、苦笑と共に軽く拳をぶつけられた。

 小さくて頼りない、女の子の拳。


 俺はぶつけられたその手を握って、彼女と正面から向かい合う。突然のことに驚きながらも、彼女が微笑んでからアゴをあげて瞳を閉じたので、俺は軽く彼女の唇に口付けた。往来の真ん中とはいえ、人々の視線はその外側にばかり向いているのでこちらを注視している人なんてほとんどいないだろう。


 唇を離し、彼女は俺の目を見て幸せそうに頬を染めた。


 それから二種類のクレープを買って半分ずつ食べ、あちこち歩きまわりながら彼女の思い出話に耳を傾ける。さして大きくない町だが歩いて回るには広く、彼女の興味が尽きることはない。彼女が見ているのは目の前の景色よりも、そこに秘められた想い出であるようだったが。

 彼女の語る想い出話のほとんどが、俺の記憶にはないものばかりだったが。


 一通り全てを見て回ると、彼女は満足そうな笑顔を浮かべて振り返った。


「それじゃ、そろそろ帰ろっか。――くん」


 俺を見て呼ぶその名と無垢な声に、俺は無言で応えて彼女の背を追った。

 もう慣れてしまったけれど、いつまで経っても痛みが消えることはない。

 本当は伝えたくて仕方がない。けれどそれを伝えることに何の意味もないことを、俺は痛いほどに思い知らされていた。


 ――俺は、そんな名前じゃないよ。


 彼女が俺を呼ぶ名は、俺のものではない。それはここに居ない、いや、もうどこにも居ない人の名前だった。


 ――彼女は一度記憶を失った。


 記憶喪失。

 けれど彼女の抱える問題は、それとは少しばかり違った、ひどく歪んだ問題だった。


 3年前、彼女は最愛の恋人を失った。事故だった。

 まだ具体的ではなかったものの結婚の約束もしていた恋人の喪失に、彼女は失意の底に沈んでいた。


 そんなある日、彼女が家の階段から落ちるという事故があった。一時的に意識を失った彼女はすぐ病院に運ばれたが、幸い大きな外傷はなかった。


 ――が、彼女の記憶はひどく曖昧なものになっていた。


 ひどくぼんやりとした様子の彼女からはいくつもの記憶が欠落し、しかし彼女の戸惑いは薄く感情を失ってしまったかのように無表情で黙り込んでいることが多くなった。

 医者が言うにはこれは外傷が原因ではなく、心因的なものだろうということだった。心当たりがありすぎた。だから理解は出来たけど、納得できるはずもなかった。


 家族は必死に彼女の想い出を語ったり見せたりしていたが、彼女が何かを思い出すことはなかった。

 そしてオレも彼女の友人でしかなかったけれど、足しげくお見舞いに通って色んなことを語って聞かせていた。


 そしてその日、本当に突然、何の前触れもなく、彼女は俺を見て満面の笑みで俺を呼んだのだった。


 ――俺とは似ても似つかない、恋人の名を。


 俺は必死に涙をこらえながら彼女に説明した。それは俺じゃないと。それはこの写真の男で、もうどこにもいないのだと。

 けれど彼女は可笑しそうに笑うばかりで、決して写真を見ようとはせず、俺の言葉が軽い冗談であるかのように流すだけだった。


 医者に状況を説明すると、それは彼女の望んだことなのかもしれないということだった。

 もしかすると、怪我をするよりもずっと前から。


 それから彼女は以前のような明るい笑顔を取り戻し――俺は彼女の恋人になった。

 そして俺はどこにもいなくなった。


 彼女は本当の俺のことも覚えている。けれど俺の名を聞かせても「元気にしてるかな」というだけで、彼女の中での俺は矛盾の狭間に存在ごと押しつぶされていた。

 俺が何を言おうと彼女は事実を受け入れず、楽しそうに笑うばかり。そんな彼女の笑顔はいまだかつて俺に向けられたことがない幸せそうなもので、それは恋人と一緒にいる時に彼女が浮かべる笑顔だった。


 心の最も深い部分で事実を否定している状態だろうから、彼女が事実を受け入れない限り元に戻るのは難しいだろうというのが医者の見立てで、きっと無理だろうというのが家族を含めた俺たちの暗黙の理解だった。

 だって彼女は本当に、本当に、恋人のことを愛していたのを誰もが知っていたから。


 家族と話し合って、俺は彼女に嘘を吐くことに決めた。事実が歪んでいるだけで、そうしていれば彼女は今まで通り普通でいることが出来たから。


 その話が決まった時、彼女だけでなく家族も歪んでしまっていることに気付いてしまった。

 そしてそれを認めてしまえる俺も同じく。


 最初は必死に嘘を吐いて、彼女が俺の嘘に気付かないよう気をつけていた。彼女と俺の記憶は噛み合わなければ必死に誤魔化して彼女から話を聞きだして、そうだったねって曖昧な笑顔を浮かべながら無理やり話を合わせたり。こっそりと彼女の日記や写真を覗き見して、かつてあったらしいことを予め調べたり。彼女を悲しませないよう、必死に取り繕った。


 けれどすぐに、それは無駄な努力だったことに気付く。


 彼女は嘘で固められた自分の記憶から一切目を離すつもりはなくて、どれだけその記憶と食い違って違和感だらけの話をしたって、彼女はいつも笑うだけだった。俺の記憶力の弱さを馬鹿にして、どうして噛み合わないのかなんてことには一切考えようとしていなかった。


 絡まり合って千々に裂かれた彼女の記憶の糸はなんの整合性もなく無理やり結び付けられて、自身の記憶の中だけで過去の永遠を繰り返し、幸せだったあの瞬間だけを見続けることで完結してしまっている。

 だから俺は気を遣うのをやめ、ただ彼女の隣にいることだけにした。


 そうして生まれたこの状況は、俺がずっと望んでいたはずのものだ。

 なぜなら俺はずっと前から、彼女のことが好きだったから。愛していたから。


 けれど彼女は別の男を選び、あんな幸せそうな顔をされて、どれだけ悔しくても俺には諦める以外の選択肢は残されていなかった。


 そして今、俺は求めていたはずの彼女を手に入れた。

 けれど彼女の向ける笑顔は、俺に向けられてはいなかった。


 彼女は恋人を失い、自己を失った。

 俺は恋に敗れて彼女を失い、中身の欠けた彼女を得ると同時に、俺自身を失った。


 中身が無いのは俺も同じか。

 子供の頃の学芸会で「木の役」なんて馬鹿げた役は無かったけれど、今の俺はまさにそれなのだろう。演じているのなんて誰でも構わない、そこに在るだけの単なるハリボテ。彼女にとっては恋人の幻想を支えてくれる人であれば、その裏側にいるのは誰だって同じなのだ。


 それでも今、俺の隣に彼女はいて、彼女の隣にいるのは俺だ。それだけは、確かな事実としてここにある。

 いずれ俺たちは結婚し、夫婦として暮らすことになるだろう。子供だって授かるかもしれない。


 ――が、たとえそうなったとして、俺と彼女が結ばれることはあり得ない。目の前にいるのが誰であろうと関係なく、彼女は彼女の記憶の中で最愛の恋人と永遠の幸せを夢見続けるのだから。


 きっと彼女は、俺がどれだけ酷い仕打ちを与えようとも、それですら幸せだと錯覚し続けるだろう。最愛の恋人と一緒にいることが彼女のなによりの幸せで、仮初の恋人の隣に居る限り彼女は虚構の幸福に浸り続けることが出来るのだから。

 彼女は今のままでいる限り、彼女は永久に幸せでいることができる。


 嘘に塗り固められた幸せは、果たして本当に幸せなのか?


 ――幸せに決まってる。


 今目の前にある彼女の笑顔は本物だ。何が嘘で何が本当だとしても、彼女が幸せを感じていることは真実。周りがどれだけ何を思おうと、彼女が幸せだと感じているのならば、それは間違いなく幸せなのだ。彼女以外の誰にも、彼女の感情を決めつけることなど出来やしない。

 だから、現実と虚構の狭間で苛まれているのは俺ひとり。俺がひとりで苦しんでいれば、彼女は幸せな夢を見続けることが出来る。


 彼女が幸せなら、俺はそれだけで十分だ。


 ――なんて、言えるワケないだろ。


 俺は聖人君子じゃない。誰かの幸せを願うなら、同時に自分も幸せになりたいと思う。俺は幸せになりたい。これは当然の感情だと思う。我がままなんかじゃないはずだ。


 だけど今の俺に与えられた選択肢は、逃げ場を失うまで現実を突きつけ続けて彼女を壊すか、今のまま痛みを耐えながら彼女の隣に居続けるか。


 俺が幸せになれる道は、もうどこにも残されていなかった。


 だからせめて、彼女が幸せでいられる道を選ぶ。こんなものは優しさでも愛でもない、ただの諦観だ。自分は幸せになれないけれど、好きな子だけは幸せになれると言われたなら、それを選ぶほかないじゃないか。彼女を殺して俺も死ぬと言えるほどの激情を、俺は持ち合わせていないのだから。


 愛する女性の隣で、いつまでも敵わぬ恋に焦がれ続ける。


 まるで花園に覆われた地獄のような、それが唯一俺に許された生き方だった。



 別の投稿サイトでテーマに沿ったお題で賞に応募しようとしたんですが、よく見たらちょっと添えてなかったのでコッチに投稿してみました。前回「短編1」とかナンバリングしちゃったけど、わりと考えなしだったので特に載せるものがなかったから、という理由もあったりなかったり。

 恋愛ものを書こうとすると、周りが引くくらいベタベタするか、静かに狂った展開にしたくなります。

 客観的に見ると酷かったり悲しかったりするけれど、中心人物の視点からのみ見ればハッピーエンド、というお話がすごく好きです。今作は男性視点なので重さを重視しましたが、女性の視点に立って見ればただひたすらに幸せが続いているだけ、というのを感じていただけたらとても嬉しいです。

 感想と共に、連載中のお話もありますのでそちらもゼヒよろしくお願いします。

 読了ありがとうございました。

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