俺、鬼ヶ島に来ました!
目の前に島影が見えます。
「ほらお爺さん、鬼ヶ島が見えてきましたよ」
「おう、あのてっぺんで光っとるのはシャチホコだなぁ。いつ見てもピッカピカじゃあ」
もちろん、桃太郎はお爺さんとお婆さんを背負っています。
結局のところ桃太郎の嫌な予感は命中し、お爺さんとお婆さんは出発初日にぎっくり腰で動けなくなってしまったのでした。
「鬼ヶ島に来たらシャチホコは見ませんとねぇ」
「帰りに饅頭も買わんとなぁ」
「おい爺さんら。俺は観光客を乗せた遊覧船じゃねぇんだが」
口ではそう言いながら、桃太郎は目的地が海の向こうでよかったと心の中で涙します。
ドンブラコッコと流れるのは桃の18番。もしこの道中が陸路だったら今頃は傷だらけで腐っていたことでしょう。
「ああ、あの死闘が昨日のことのようじゃわい。目の前には金棒を持った巨人。そしてわしの後ろを固めるのは犬、猿、キジ」
「は? 爺さん、勇者だったんじゃねーのかよ」
「勇者の供が犬、猿、キジでは駄目だという法律でもあるのかえ!」
「……すみません」
お爺さんの口から勢いよく飛んだ入れ歯に噛みつかれながら、桃太郎は素直に頭を下げます。
あの反抗的だった桃がここまでおとなしくなるとは、道中、何度も同じことがあったのでしょう。見れば桃太郎の頭には無数の歯形が残っていました。
お爺さんは煌めくシャチホコを眺めながらしみじみと語り出しました。
「あの戦いは今でも鮮明に思い出せる。まずはキジが ”勇者よ。俺がひとっ飛びして門の裏側にある閂を開けるぜ” と言ったのじゃ」
50年前のできごととは言え、戦いの参考になるかもしれない。
桃太郎は耳を傾けます。
なんせ桃太郎とは鬼を退治し、金銀財宝を持ち帰って初めて称賛されるもの。負けるわけにはいきません。
「高く、高く飛び上がったその時。パァン! と銃声が鳴り響き!
……………その銃がキジを狙ったのは嫌でもわかった。キジは断末魔の悲鳴を一声上げ、そして羽根を散らしながら落ちて行ったのじゃ。
門の向こうに消える時にちらりとこちらを見たその目は ”勇者よ。俺の屍を越えて行け” と――」
「「キジ――――!!」」
なんという悲劇。
キジの哀れな最期に、お爺さんもお婆さんも、そしてもちろん桃太郎も大号泣です。
「しかしここで悲しんでいる暇はない。わしらは進まねばならなかったのじゃ。
鬼どもがキジの丸焼きに舌鼓を打っている間に、門をよじ登って忍び込んだ猿が閂を開け、」
「ううう、キジ……」
「そしてわしらは先を急いだのじゃ。
進むこと数時間、それはまるでピクニックのように平穏な道のりであった。
空は快晴、風は爽やか。
わしは思った。真の幸福とは金でも名誉でもなく、このような平穏な日々が続いていくことだ、と」
そう。幸福とはささいな日常にあるもの。一攫千金で他人の鼻を明かすことだけが幸福ではないのです。
青い鳥も言っています。幸せとは身近なところにあるのだ、と。
「そんな折、鼻歌交じりで枝から枝へと飛び移っていた猿がふいに ”勇者さんよぅ。俺ぁちょっと小便に行ってくらぁ” と言い残すなり去ってしまったのじゃ。
道は1本道、すぐに追いかけて来るだろうとわしらはそのまま先を進んだ。しかし、いつまで経っても猿は帰って来ない」
「ごくり」
「嫌な予感がしてわしらは元来た道を引き返した! はやる気持ちに足を取られながらも走りに走り……猿と別れたその場所で見たものは、全身を引っかかれ、血みどろになって倒れ伏す鬼と、そして、紅く広がる血だまりに横たわる猿の姿じゃった。
血に染まりながらも猿の口元は笑っておった。猿は……猿は木の上からいち早く鬼の追手に気づき、わしらを進ませるための盾となったのじゃ……!」
「「猿――――!!」」
悲劇再び。
ツンデレな猿の最期に、お爺さんもお婆さんも、そしてやっぱり桃太郎も大号泣です。
「キジと猿というかけがえのない友を失い、わしは悲嘆に暮れた。勇者になろうと思ったのだって、ただ単に魔王を倒したらおネェちゃんたちにモテモテだぜ、とそんな軽い動機だったのに!」
「そんな軽い気持ちでぇぇえ!?」
「しかし悲劇はそれだけでは済まなかった。わしらの進撃が伝わっていたのだろう。手に手に武器を携えた鬼たちがその先で待ち構えていたのじゃ!」
残るは犬、ただ1匹。
桃太郎は固唾を飲んでお爺さんの話に耳を傾けます。
「鬼たちを見て犬が言ったのじゃ。 ”勇者よ。ここは俺に任せて先を急ぎな”」
「やっぱりぃぃい!」
「だが犬がそう言うであろうことは想定内。わしは去ろうとする犬の背に追い縋った。 ”そんな! お前を犠牲にして進むなど!” と!
……犬は咥えていたタバコをもみ消し、 ”ふっ。俺が死ぬだなんて縁起でもねぇこと言いなさんな。こいつらを倒したら後を追うから待ってろよ。絶対にな!”」
「「犬――――!!」」
友を行かせるために身を挺す。なんという美学でしょう!
犬の分際でなぜタバコを咥えていたのか、なんて野暮ことは言いっこなしです。咥えタバコはハードボイルドの証。そう! 男のロマンなのです!!
「そして2匹と1羽を犠牲に辿り着いた地でわしはボンキュッボンなナイスバディの婆さんに出会い……すっかりメロメロのデロンデロンに骨抜きにされ、もう魔王なんかいいや。えーい☆彡 と全てをなげうって連れ帰ったのじゃ」
「全てをなげうつ、ってそういう時に使わな――い!!」
あまりの理不尽な完結に桃太郎の目から涙が滝のように流れます。
まさに犬死に。犬だけに! 上手い! ああ、座布団が飛んできそうです。
そんな漫才をしている間に、桃太郎は鬼ヶ島につきました。
その時です。
どこからともなく甲高い声が響き渡ったのです。
「おーっほっほっほ。やってきたわね桃太郎!」
見れば崖の上からひとりの女が見下ろしています。
髪はツインテールのくるくる縦ロール、着物はレースたっぷりのゴスロリ仕様、そしてさらには白い毛皮で縁取った羽毛掛け布団のようなぶ厚いマントを羽織っています。
こんな重そうな装備では崖に上るのも一苦労です。しかしその顔には疲れの色は全くありません。どれほどの体力、もしくは腕力&脚力の持ち主だと言うのでしょう!
「お、お前は鬼島ナギサ!」
その女の顔を見て桃太郎は声を上げました。
そうです。その顔は忘れもしない、異世界転生する前にフッたばかりの同級生・鬼島ナギサだったのです。
ナギサは薄笑いを浮かべると、縦ロールをふぁさりと手で払いました。
「そう! 我が名は鬼島ナギサ。しかしそれは過去の遺物。
私は転生して生まれ変わったの! 悪役令嬢・鬼島ナギサZとして!」
なんと言うことでしょう。
異世界転生だけではなく、悪役令嬢まで出て来てしまったではありませんか。
しかし。
……悪役令嬢? 桃太郎で?
桃太郎はお爺さんお婆さんと顔を見合わせました。
悪役令嬢とはその名のとおり、元々は乙女ゲーム内においてヒロインを苛め抜く、いわば敵役の女性キャラ。しかしヒロインがいなければ悪役令嬢の出番などないに等しく、そしてここはヒロインも悪役令嬢も必要としない「桃太郎」の世界。
と、いうことは。
「お前はこの世界には存在せざる者! 去れ!」
桃太郎はピシャリと言い放ちました。
桃太郎に恋愛など皆無! まぁ、真後ろには無理やり恋愛を持ち込んだ元勇者と元魔王の配下1がいるけれど……ってまさか。婆さんの立ち位置を狙っているのか!?
桃太郎は愕然としました。
「よく考えろ! こんな老い先短いぎっくり腰の爺さんのどこがいいと言うんだ!」
そうだ、ナギサは悪役令嬢としてヒロインポジションを奪う役を任されているに過ぎない。あの言葉は本心ではない。だってナギサは俺に告ったんだ。俺みたいな男子高校生が好きなはずだ!
1度はフッた相手とは言え、前世を共有した者同士。好みのタイプまで知っている身としては、不幸になるのをみすみす見逃すわけにはいきません。
しかし。
「はあ? 桃が何言ってんの? 賞味期限の切れた果物と爺婆に用はないわ。ほら、さっさと桃太郎を出しなさいよ」
ナギサは指をパチンと鳴らします。
屈強な肉体を鋼の鎧で包んだ兵士が3人、ザッ、と桃太郎たちのまわりを取り囲みました。
「お、お前は犬! それに猿とキジ!」
なんと!
よく見ればその3人の兵士は犬と猿とキジではありませんか。
「何故! お前たちは桃太郎の忠実な僕のはずなのに!」
犬、猿、キジは桃太郎の定番。言い換えれば彼らを従えているからこそ「桃太郎」だと認めてもらえると言っても過言ではありません。犬、猿、キジのいない桃太郎など、ただの桃太郎コスプレの人です。
だがしかし。
桃の定員はそもそも1名。初っ端からお爺さんとお婆さんという札を引いてしまった桃太郎は既に定員オーバーのために犬、猿、キジを泣く泣く諦めたのでした。
それなのに、何故2匹と1羽はここにいるのでしょう。
ちなみにお爺さんの話では犬、猿、キジは残念な最期を遂げたようですが、それは50年前の話。桃太郎の数だけ犬、猿、キジもいるので、なんで生きてるんだよというツッコミは無問題です。
「なに騙された、みたいな声を上げてるのよ。本当の被害者は彼らのほうよ!」
ナギサは冷ややかに桃太郎を見下ろします。
その冷たい眼差しは今まさに正義の鉄槌を振り下ろさんとする神の視線そのものでした。
「彼らは桃太郎出立の噂を聞き、その道中でひたすら待っていたの。
それなのに桃太郎は現れなかった。キビ団子という ”動物に食べさせてもいいかどうかもわからない食べ物” すら与えられず、仲間になれと交渉されることもなく。
それでも彼らは ”きっと行き違ってしまったに違いない” と泥水を啜りながら慣れない長旅に堪え、船を漕ぎ、そして当然の如く難破して船の破片とともに打ち上げられ! 差し伸べられた鬼の手を振り払い、ここで桃太郎を待ち続けた!」
「ピ、ピザならあるぞ!」
「ピッツァで何ができるって言うのよ」
ああ、ナギサの発音もネイティブ……じゃなかった、お婆さんがキビ団子を作ってくれなかったばっかりに犬、猿、キジは仲間になってくれそうにありません。即戦力になりそうな犬、猿、キジの姿を目の当たりにして現地調達も有りかと思っていた桃太郎としてはショックを隠しきれません。
「桃太郎は現れなかった! 待てど暮らせど現れなかった!
そして同じように桃太郎を待つあたしと毎日のように顔を合わせているうちに、あたしたちはいつしか固い友情で結ばれたのよ!」
「それじゃあこの世界でのお前の目的は桃太郎なんだな!」
そのナギサの言う「桃太郎」が50年前に魔王討伐でこの島を訪れたらしい爺さんでなければいいのだが。
桃太郎は一抹の不安を覚えながらもナギサに問いかけました。
「もちろんよ! むしろそれ以外の選択肢がどこにあるっていうの!?」
ナギサは銀色に輝く金棒を掴むと崖を飛び降りました。
さすがは重装備で崖に上って顔色ひとつ変えない女。骨折や擦り傷ができる確率がぐんと高くなりそうな状況などものともしません。
こいつ、できる……!
桃太郎の背筋に冷たいものが走りました。
敵陣営はナギサ+屈強な肉体を持つ2匹と1羽。姿を現してはいませんがモブ鬼も多数いることでしょう。
対する自分の陣営はぎっくり腰のお爺さんとお婆さん。助力どころか足枷にしかなりそうにありません。
「あの日、トーストをくわえて走って来る彼は黒塗りの高級車に轢かれた。
肉体から彷徨い出た魂は前世の記憶を失ったまま異世界で金持ちマッチョな男に転生し、同じく転生を果たしたあたしはその彼女に納まる予定だったのよ!
それなのに、どこでどう計算を間違えたんだか愛しの彼は桃太郎に転生してしまったと言う。ううん、それでもいいの! 桃太郎はこの世界では勇者! 巨漢をちぎっては投げ、ちぎっては投げるマッスルな肉体とキレッキレの剣技、そして顔はもちろん主人公補正のかかったイケメンしょうゆ顔!
ヒロインがいないのは好都合! あたしは桃太郎の妻の座を奪い取り、勝ち組になるのよ!」
なんという周到な計画。そしてなんという素晴らしい人生設計でしょう。「俺」がこの世界に転生してしまったのはナギサのせいに違いありません。ここまで惚れられるなんて男冥利に尽……あれ?
「俺、桃太郎じゃなくて、桃、なんだが」
そこで桃太郎は、はた、と気がつきました。
そう。すっかり忘れていたけれど自分の腹の中には正真正銘「桃太郎」が宿っていることを。
「なんかー、そのついでにもうひとり轢いちゃったみたいなんだけどぉ。告る練習に使ったら本気にしちゃってウザいって言うか、まぁそっちはどうでもいいって言うか」
お爺さんが無言の笑顔で桃太郎の肩をポン、と叩きました。
「それで? 桃太郎はどこ?」
「俺がその桃太、」
「桃太郎はこの桃の中じゃわい!」
桃太郎の名乗りを遮って発せられたお爺さんのカミングアウトにナギサの目が光りました。
駄目だ。あの女も俺の腹を掻っ捌いて「桃太郎」を取り出す気だ! 桃太郎は震えます。
取り出されたあとの桃は美味しく食べられてしまうのでしょうか。それとも生ゴミとして燃えるゴミの日に出されてしまうのでしょうか。
ああ「モブ気質で引き籠りだったくせに転生したら女の子にモテモテで剣も魔法も最強」になる転生者が大半の中で、自分だけ生ゴミだなんて!
スライムよりも酷い扱いに、桃太郎の目尻からキラリと一粒、宝石のような雫が零れました。
その時です!
桃太郎の脳天に再び黒塗りの高級車が激突するほどの衝撃が走りました。
ヒラメキ、いや、声が聞こえます。
「俺も彼女を選ぶ権利くらいあると思うんだよねー。聞いただろ? あいつ二股かけてたんだぜ? っつうかやっぱ彼女にするなら悪役令嬢より薄幸のヒロインだよなー」
なんと腹に封じた桃太郎が桃に語りかけてきたのです。
「ってことでさぁ、逃げようぜ? 世界は広いんだ。桃太郎なんてチンケな正義の味方で終わるより、もっと野望は大きく持たなきゃ! ……お前もそのほうがいいだろ? な」
「お、おう!」
桃太郎はゴロンと転がりました。お爺さんの手をはね退け、捕えようとする追手を掻い潜り、そして海にボチャンと飛び込みました。
離岸流に乗って、みるみるうちに沖に流れて行きます。
その後、桃と桃太郎がどうなったのか……噂では竜宮城に現れたとか、戦に参加して一国一城の主になったとか、7つの海を制覇したとか言われていますが、真実は誰も知りません。