第1話 「ラグナロク」
目蓋の奥に太陽の光を感じた。
薄く白い光が目蓋の奥を照らし、少し眩しく感じながら俺はそっと目を開ける。
ゆっくりと寝転がった状態の体に目をやると、体は少しかためのベッドに横たわり、肩から下は暖かい布団に優しく包み込まれていた。
一瞬、やはり夢だったのだろうか。と思ったがその思考はすぐに拒絶される。
──ここは、やはり自分の部屋ではない。
ケイトがいるのは確かに建物の部屋の一角なのは間違いないのだが、部屋は木で作られたツリーハウスのような形状をし、部屋の間取りは俺の自室とは異なり、部屋には書物が何冊か積み重ねられた質素な机が一つあるのみ。
足下の方を見れば誰かが自分で切り出して作ったと一目でわかるこれもまた木製の扉が設置されていた。
「全く……どうなってるんだよ……っ!!」
体を起き上がらせようとしたが、首に激しい痛みを感じて体勢を崩し、首を抑えながら再びベッドに横たわる。
「なんだ、もう目が覚めたのか。大人しくしていろ、また首が落ちるぞ。」
聞き覚えのある声が聞こえ、ケイトは再び扉に目を送る。
扉が開かれると、腰の辺りまで伸びた黒髪、緑色のキリとした美しい目、女性にしては少し身長が高く、足の先までスラッとした美しい体型をした女性が両手にマグカップを持って入ってきた。
そして驚くことに、その美貌からは考えられないほど髪には寝癖がついて乱れており、服装は下着一枚がもう少しで脱げてしまうのではないかというほど雑に着られている。
女はマグカップの一つをケイトに渡し、質素な机の椅子に腰を掛け、マグカップを一度口にした。
マグカップに絵柄などはなく、熱いというわけでもないのでコーヒーなどではないのだろうと思うのだが、首がろくに動かないため中身が認知できない。
「どうした?飲まないのか?」
「この体勢でどうやって飲めと?」
女は不思議そうな顔でこちらを見つめたが納得したように「あぁ」と呟きカップをもう一度口にした。
机の上にカップを置き、立ち上がった女はケイトからカップを受け取ると何も言うことなく俺を見つめ続けた。
「……俺はどんな反応をすればいい?」
「あたしはお前に反応を求めた記憶はないぞ?それより、お前は1度私に殺されたにも関わらず警戒心が無さすぎじゃないのか?」
──どうやら、あの時首が落とされたのは夢でもなんでもらしい。
男勝りな口調とだらしない格好のギャップにどうも警戒心やら恐怖心が湧いてこない。
どちらかと言えばなぜ首が1度落ちたのにも関わらず自分が生きているのかの方が気になるのだが…
「そんなだらしない格好の女の子に手を出したりしたら犯罪者も同然だろ。それより、ここはどこなんだ?日本?」
「にほん?そんな場所は知らない。ここはあたしの家だ。それより、だらしないなんて失礼だな。世の中には家で服を着ない人間だって万といると思うが。」
その認識は一体どうなんだろうかと考えながら、こいつの話を聞く限り、日本語で喋っているのにも関わらずここは日本ではないらしい。
おそらくこの女も日本人ではないと推測できる。
──つまり、ここは異世界と考えていいだろう。
意識や感覚がはっきりとしたこの状態は夢とは考えにくい。
そもそもそれだけで異世界転移と断定付けるのもどうかとは思うが、とりあえずそうとでも思わないと思考がパンクでもしてしまいそうだ。
「お前、確かケイトとかいう名前だったな。あたしの名前はミルだ。これも何かの縁だと思ってあたしに付き合ってもらうぞ。」
「いや、話が急過ぎて何言ってるかさっぱり理解できないんだが。付き合うって何にだよ?この手作りっぽい家を更にでっかくする手伝いかなんかか?」
ミルはやれやれと言った表情で手に持っていたカップを机の上に置くと、俺の手首の辺りを少し強引に上に引き上げた。
「お前はあたしと同じ紋章が手にある。これはお前が『ラグナロク』である証さ。ケイト、あたしと一緒に『エンド・ステラ』…通称『最果ての展望』に行こう。」
見せられた手のひらには、まるで1国の紋章の様なものが確かに描かれていた。
天井に手を重ねるように広げ、ケイトは強く拳を握った。
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──大きく深呼吸をした。
幼少期から今まで、何一つ不自由なく、暮らしてきたケイトだったが、彼にもやはり悩みの一つはあった。
それは、何にも抜きん出たものが無いこと。
誰しもが抜きん出たものを持つものでは無いが、ケイトの場合運動も勉強も成績が優秀なものではなく、どちらかと言えば能力は一般の同級生よりは低い物だった。
人は誰でも夢を持つ、ケイトの夢は人より優れた能力を見つけ出す、他の言い方であれば、他人とは違った事をすること。
理由は不明だが、異世界転移という特殊な状態にケイトはある種の喜びを感じていた。
「ラグナロク…」
ミルが部屋から出ていき、一人になったケイトはぼそりとそんな言葉を呟いた。
話によれば、ミルは俺が初めてこの世界で目覚めた場所、『エルカ』と呼ばれる街で世界に十数人しかいないと言われる『ラグナロク』を見つけ出すため、街の警護の仕事をしていたらしい。
俺を処罰した後、何か怪しいものを持っていないかと検査していたところ、手のひらの紋章を見つけたので、生き返りの術式と呼ばれる技のようなもので俺を生き返らせて家まで連れてきたらしい。
目覚めてから時間が経過したこともあり、多少動かしても痛みを感じなくなった首をゆっくりと動かしながら立ち上がる。
首に気を遣いながらベッドの脇に設置された机まで歩み、一つ置かれたカップを手にする。
カップの中身を覗くと、そこにはオレンジ色の液体がたっぷりと注がれていた。
異世界の飲み物に少し警戒をしながら、恐る恐る口にする。
──ただのオレンジジュースじゃねぇか…