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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

心の鏡面

作者: 雪人形

 『命に優劣なんて無いんだよ』と叫ぶ人にとって、私の心のはとても優秀に出来ている。


 例えば、飼っていた猫が白血病で死んだ時、遠くの国で津波が起こった時、育てていた朝顔が枯れた時、友達のお腹の中で赤ちゃんが育たなかった時、チェーンソーの音を聞いた時、ハツを調理する時、芸能人への冥福を祈る声を聞いた時、大好きなおばあちゃんが死んだ時。お隣のお家のおばあちゃんが死んだ時。


 私の心の振り子は同じ幅だけ動く。

 

 命の終わりに、どうして?なんで?と嘆く心が無くなって、理不尽に対しての耐性が強化された瞬間を今でも覚えている。

 11才のGWが終わって少し。さあ寝ようかと準備をしていると、ちょっと出かけると言って5日前に出て行った母親が泣きながら帰ってきた。

 手にロープを持って。

 

「死のうと思ったけど、死ねなかった」

 

 そう言って家族にすがる彼女を見て、私の目は深い深い藍色に染まっていって、泣いて抱きしめ合う家族の姿はもう見えなくなった。

 耳にはポタ、ポタ、と閉めそこねた蛇口から水が垂れているような音だけ響いて、何故死ねなかったのか、事故か気持ちの問題なのか、尋ねることも出来なかった。

 家族の輪の外で一人取り残され、洞窟にいるようだった。

 

 その時、私は迂闊にもその光景を美しいと思ってしまった。

 

 それから私の心は死に触れるたび、蛇口からポタリとひと粒、雫が垂れるだけになった。

 雫が地面に落ちてほんの少し濡らしたら、スーと乾いた大地へと戻る。

 私が誰かの死で泣くことはない。

 愛する気持ちはあるのに、失う事に恐怖が無い。

 『それは本当に愛ですか?』と問われれば、「では、あなたは愛を知らないのね」と返す程には私は愛を知っている。

 でも、泣く事だけが出来無い。

 


 だからこそ必然なのか、私は良く泣く人を伴侶に選んだ。


 動物が頑張っているバラエティで泣き、病気の子供のドキュメンタリーで泣き、青春のアニメで泣き、友人の結婚式で泣く人だ。




 彼は新郎の友人で、私は新婦の同僚だった。少し離れたその席でも、彼の声は聞こえてきた。

 良かったなぁと泣く彼は礼服に必要以上に皺をつけ、お酒を飲んでいるのか真っ赤で、鼻水も出ていていて、言ってしまえば不格好なのに皆の心を震わせていた。

 彼がぽつりぽつりと紡ぐ新郎新婦の物語は、その涙に見合う物だと、聞いている者に思わせた。


 その隣で私は微笑む事を許された。

 

 当時は意外だと思ったが、今にして思えば彼らしいほど、交際は慎重に進んで行った。

 初めてのキスは2回目のデートでしたというのに、初めて手を繋いだのは3回目だった。お酒を飲んで彼の家に泊まったのは1ヶ月後なのに、初めて交じあったのは半年後だった。

 私から仕掛けた時は早く、彼から求められた時は遅く。私達の交際はチグハグに進んで行った。

 だから、私はプロポーズの言葉より、その前に言われた『それだけは俺から言わせて』という一言の方が良く覚えている。

 






「なんで」


 ヒューヒューといかにも苦しげに繰り返される呼吸音。温かい命の赤が流れていく。彼は必死にそれを止めようとするが、首を3分の1は切ったのだ。止まるはずはない。

 それでも確かに彼は、その命が尽きる数分の間に何度も訊いた。


「なんで」


 私は、ただ彼の涙を拭った。

 語った所で彼の冥土の土産なんかになりはしない。愛してると言おうかとも思ったが、また何故と訊かれるだけだろう。それとも、一つの答えにでもなっただろうか。 




  その日はいつもは共に入る風呂に彼に先に入ってもらった。そしてシャワーを浴びる彼の後ろから、通販で買った工業用のナイフで首を切った。

 豚バラ肉を切るようなただそれだけの作業で死に逝く彼。

 たぶん私は彼と同じ顔をしていた。状況が理解出来ないと、驚く顔だ。目を開き、眉を上げ、口を薄く開いた、驚きの表情。

 こんな時でもミラー効果が出るものなのかと、後から笑った。


 ああ、とても苦しい。


 だらりと垂れた手はもう2度と私を触ってくれない。澄んだ瞳は徐々に濁って、もう2度と私を見てはくれない。重たい身体は持ち上げる事も出来ず、もう2度と私の隣を歩いてはくれない。


 ああ、あの洞窟の出口が見える。


 別れの寂しさと人並みの感情がある事の喜びで、私の心の振り子はかつて無い程揺れ動く。

 彼はいつだって私に新しい何かをくれた。最後にはこんなにも素敵な感情を。


 悲しみと嬉しさと、虚しさと興奮と。


 彼を抱きしめて、一緒にシャワーを浴びる。

 染み渡るように私の心が濡れていく。

 気を抜けば声をあげて泣きそうだ。


 彼の身体を観察する。血が抜けた肌は白くなっていく。しかし、お風呂だからか中々冷たくなる事はなかった。

 私が愛した身体。筋肉質で力強い。血が完全に抜けたあとは食べてしまおうか。その為に首を切ったのだから。




 きっとすぐに私は捕まるのだろう。そして訊かれるのだ。


 返す言葉は決まっている。


「では、あなたは愛を知らないのね」



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