第九十六話 剣の師匠
ニーナさん……いや、ニーナ王女の自己紹介を受けた後、僕は笑顔こそ浮かべていたものの、内心では大騒ぎしていた。
お、王女ですか……。
表舞台の最高位に近い地位を占めている王女と、裏の最も嫌われているであろう闇ギルドのマスターである僕。
本来なら、決して会うはずのない顔がここに向かい合っていた。
「…………?」
そして、その状況を作り上げたのが、表では王国騎士団に所属し、裏では『救世の軍勢』に所属しているリッターであった。
彼女は僕に見られていることに、不思議そうに首を傾げていた。
くっ……怒れない!
「さて、ではお前も自己紹介をしてくれるか?」
ニーナ王女は僕のことをじっと見つめてきた。
その目は、不審者を見る目というほど警戒しているわけではないけれど、僕を見定めようという色が濃かった。
うぅ……胃が痛い……。
それでも、王女様の命令を無視するなんてことはできないので、偽名で自己紹介をしようとすると……。
「マスター」
「んん?」
リッターが僕を紹介してくれた。呼んではいけないと注意していた名前で。
……なんだろう。この一日、いや数時間のうちに、僕の寿命は随分とすり減った気がするよ。
ニーナ王女も、いったいどういうことかと首を傾げている。
ま、まずい。最悪、リッターだけでもテレポートでギルド本部に……いや、僕が助けたとなれば怪しまれる。
どうしようかと、僕がうんうんと唸っていると、ニーナ王女が声を上げた。
「あぁっ!いつも、リッターが話していた者が、この男か!」
「うん」
ニーナ王女の確認に、リッターが頷く。
い、いつも話していた……?
リッターは、あれほど注意していたにもかかわらず、僕のことをマスターと何度も呼んでしまうほどおバカ……もとい、純粋な子だ。
それを考慮すると、いつも話していたという内容もまたとんでもないことのような……。
「話は聞いているぞ。お前は、このリッターの剣の師匠らしいな」
違いますけれど?
しかし、リッターも考えなしの馬鹿というわけではなかったようだ。
僕のことを闇ギルドのマスターとして紹介するのではなく、剣の師匠ということにして話していたのか。
……問題は、リッターの剣術は僕のそれよりも確実に強いであろうということだ。
僕、もうしばらくは剣を握ったことすらないんだけれど?
「さらに、弱者を救済し、強きを挫く勇者のような人だとも聞いている」
ニーナ王女は微笑みながらそう言ってくる。
僕の評価が凄い方に勘違いされている!?
僕、そんなに弱い人を助けた記憶もないし、強い人をやっつけた記憶もないよ。
それを言うのなら、異世界に戻って行ったユウトやマホの方がよっぽど勇者らしかったよ。
「マスターは凄く格好いい。私を助けてくれた、大切な人」
無表情ながら、ポッと頬を染めてぐりぐりと僕の身体を指で弄るリッター。
いや、確かに昔君を助けたことはあったけれど……きっかけを作っただけで、リッターは大体自分でどうにかしなかったっけ?
「ほう……。本当に、リッターはお前のことを信頼しているようだな。リッターの師であるなら、少し私と立ち会ってもらいたいところだが……」
ニーナ王女が好戦的な目を向けてくるので、僕は笑顔のまま冷や汗を垂らす。
いや、だから僕は剣を最近は握っていないし……。
ニーナ王女の剣の素振りを見たところ、王女であるにもかかわらず並の騎士たちよりも強そうだった。
下手をすれば、僕は五体満足でいられないだろう。
何とかして断ろうと言葉を探っていると、リッターが口を開いた。
「無理。私に勝てないようじゃ、マスターには絶対に勝てない」
「ほう……」
ど、どうしてそんな好戦的に言うんだ!?
ニーナ王女は、少し話しただけでも分かるけれど、負けず嫌いでいかにもプライドが高そうだ。
そんな彼女にこんなことを言ったら……。
「いつまでも、お前に負けているわけではないぞ。普段、ろくに鍛錬している様子のないお前と、常に鍛錬を欠かさない私。どちらが成長しているかは一目瞭然だろう?」
「無理。私の方が強い」
ニーナ王女が鋭い視線をぶつけると、リッターが感情を見せない視線をぶつける。
ひ、ひぃ……。空気が重い。
ニーナ王女にタオルを渡して控えていたメイドさんも、小さく震えているし……。
しかし、この緊迫した状況はニーナ王女がその雰囲気を霧散させたことで終わりを告げる。
「今からでも立ち合いたくなったのだが……私は王城に呼び出されていてな。今から出立しなければならん。リッター、お前も付いてこい」
僕はほっと溜息をつく。
僕が見たところでも、ニーナ王女よりもリッターの方が強い。
いくら親しい仲だとしても、王国の第一王女を打ちのめしたなんてことになったら、リッターがどのような処罰を受けることか……。
もし、そうなったら僕も頑張ってリッターを守るけれどね!
それにしても、ニーナ王女が王城に用事があるというのなら、僕はもう帰らないといけないね。
せっかく、リッターが外出を誘ってくれたんだけれど、残念ながら今回はここまでのようだ。
今度は、僕の方から誘ってみようかな?
そう思っていた僕だったけれど……。
「マスターも、一緒に行く」
リッターが僕の腕に抱き着きながら言った言葉に、僕は苦笑してしまう。
ははは、わがままを言ったらダメだよ、リッター。
僕みたいな部外者が、第一王女について行って王城に入れるわけがないだろう?
僕は大人しく、ギルド本部で書類仕事でもしているとするよ。
「やだ。行く」
しかし、僕の説得を受けても頑なに腕を離そうとしないリッター。
……まあ、確かに外出の理由が、彼女の働いている姿を僕に見てほしいというものだった。
僕もリッターの働きぶりをできる限り見たいとは思うんだけれど……王城の中には、流石にダメだろう。
また、別の機会で見させてもらうから……と言っても、リッターはぷくっと小さく頬を膨らませて僕を見上げてくる。
あ、そのおねだりする目はダメだ!僕が従ってしまいそうになる!
何とかわがままなリッターを抑えようとしていると、ニーナ王女がとんでもないことを口走った。
「いや、いいんじゃないか?私は許可するぞ」
えぇ……。
許可するぞって……いくらニーナ王女が認めても、王城に王国騎士でもない部外者が入れるわけないでしょう?
王城には、本当にごく一部の王国にとって必要で重要な人しか入れないんだから。
「王族の側近は二名まで付き添いで入城することが認められている。私の側近に、お前を加えたらいいだけの話だ。今までは、リッターだけだったのだからな」
な、なんと……そんな制度だったのか……。
しかし、ニーナ王女はいいのだろうか?
僕と会ってまだ一時間も経っていないのに、いきなり側近だなんて……。
「リッターが信頼している人だ。何も心配はいらないだろう。それに、私に何か危害を加えるつもりなのか?」
ニーナ王女が悪戯そうに微笑みかけてくるので、僕は苦笑しながら首を横に振る。
……リッター、信頼され過ぎだろう。
「なら、何も問題あるまい。さらに言えば、リッターほどの騎士を育て上げた師を、私の陣営に加えることは確実にメリットになるからな」
ニーナ王女がニカッと快活に笑って言ったことで、僕はもう逃げられないことを悟った。
僕の隣で、リッターが満足気に頷いているのを横目に見ながら。




