第九十五話 王女
リッターに、一緒に外出することを誘われたのは朝のことだった。
僕としては久しぶりに彼女に外出を誘われたので、断る選択肢など当然存在せず、すぐに了承したのであった。
リッターの後ろの方でヴァンピールがギャアギャアと何かを言っていたのだけれど、またどこからか現れていたリミルが何かの魔法を行使しているのか、声はここまで届いてこなかった。
リミルがパチリと、悪戯そうにウインクをしていたことには苦笑してしまった。
そんなわけで、僕とリッターは今ギルド本部の外に出ているわけなんだけれど……。
リッターは僕の腕を絡め取り、グイグイと引っ張っていた。
彼女は感情表現が上手ではなく、言葉足らずなことを補うようにスキンシップが多い。
今も、腕が彼女の柔らかい身体に包まれている。
もちろん、不純な気持ちなど一切ないが、父親的な面からリッターのことが心配になってしまう。
勘違いしてしまう男も多いだろうからね。
とりあえず、どこに向かっているのかを聞いてみるとしよう。
「……私の職場?働いているところ」
僕の質問を聞いて、ピタリと身体を静止して教えてくれるリッター。
ほほう!確か、彼女はエヴァン王国の王国騎士を務めていたはずだ。
闇ギルドの人間が絶対に入れないような職場だけれど、裏をとることに関しては案外ガバガバな王国騎士団であった。
ちょっと、僕がリッターの素性を偽装すれば、簡単に入団することができていた。
さて、そんな王国騎士団の元に、闇ギルドのマスターである僕を案内する……と。
……僕、殺されちゃうの?
リッターにそんなに嫌われていたのかと思い、愕然とする。笑顔のままだけれど。
「マスターと一緒に働きたい。私を、見てほしい」
じーっと僕の目を見つめて、そう言ってくるリッター。
この言葉を聞いて、僕は自分の考えが勘違いであることを知る。
そ、そうだよね。僕が気に食わないから、王国騎士団に突き出すなんてことにはならないよね。
それにしても、自分のことを見てほしい……か。
どれだけしっかり働けているか……ということだよね?
僕としても、最近はリッターとコミュニケーションをとれていなかったかもしれないと思っていたところだ。
彼女の願いは聞いてやりたいところなんだけれど……問題は、彼女の勤務先が王国騎士という点である。
僕がのこのこ出て行ったら、とっ捕まって処刑されてしまうのではないだろうか?
まあ、あまり知られていない闇ギルドだから大丈夫とは思うんだけれど……。
「大丈夫。ニーナは、私の言うことを聞いてくれる」
に、ニーナ……?リッターの上司の名前だろうか?
どうやら、彼女はニーナという人のことをそれなりに信頼しているらしい。
うーん……。まあ、危ないかもしれないのは僕だけだし、リッターや他のメンバーに迷惑がかからなさそうだし、いいかな。
もしかしたら、僕を助け出そうとリッターが無茶をするかもしれないけれど、その時は彼女だけはテレポートでギルド本部に逃がそう。
そう考えた僕は、頷いてリッターについていくことを伝える。
「…………」
リッターは無表情のままだけれど、パアッと雰囲気を明るくさせた。
彼女の感情の起伏は、他人はもちろん『救世の軍勢』のメンバーでも読み取りづらいそうだけれど、僕から見れば凄くわかりやすい。
あぁ、可愛いなぁ……とほんわかしている僕の腕を、リッターは元気に引っ張ってくれた。
そうして、かなり大きな街の中を、僕とリッターは歩いて行った。
人通りも多く賑やかで、凄く発展した街だということが分かる。
「お、リッター様じゃねえか!」
「引っ張られているイケメンはなんだ!?」
「お姉さまぁぁっ!!」
そして、通りがかる人々から聞こえてくるそのような言葉。
それを聞いて、僕は深く感動していた。
り、リッターが人々から凄く慕われている……っ!!
かけられる声に対して、リッターは愛想よく対応するなんてことはしない。
せいぜい、目を向けたり軽く会釈をしたりするくらいである。
それでも、彼らは不当に扱われたと不機嫌になるようなことはなく、リッターのことを受け入れてくれていた。
ま、まさか、うちのギルドメンバーの中でもトップクラスにとっつきにくい性格をしている彼女に、これほど慕ってくれる人がいるなんて……。
僕は少し、うるっときてしまった。
「……どうしたの?何か、嫌なこと言われた?殺す?」
首を傾げて、矢継ぎ早に言うリッター。
うん、大丈夫だよ。
……自分を慕ってくれる人たちを、何の躊躇もなく殺すかどうか聞いてくる。
やっぱり、うちのギルドメンバーって少しずれているよね。
僕の笑顔をじーっと見つめて本当に大丈夫かどうかを探っていたリッターだったけれど、嘘ではないと思ってくれたのか、再び僕を引っ張り始めた。
しかし、街の中に長くいることは嫌になったようで、器用に人ごみをスルスルとすり抜けてどんどんと前に進んで行った。
その際、おそらく騎士団の駐屯基地であろう大きな建物を通り過ぎた。
リッターを疑っていたわけではないけれど、そこを通り過ぎたことにちょっぴりホッとしてしまうのであった。
そのまま歩き続けていると、ついには街の外に出てしまった。
周りには建物が立っておらず、なだらかな丘陵地のようだった。
そこに、街を見下ろすように建てられていたのは、街の中では決して見ることのできないほどの立派な屋敷であった。
こ、ここが、リッターが僕を連れてきたかった所……?
「……うん。ここが、私が働いている場所」
……僕が絶対に入って来られないであろう場所なんだけれど。
というか、騎士団の駐屯地に突っ込まれるよりも、ヤバい場所に連れてこられた感が凄い。
大きくて立派な門には、侵入者を排除するために二人の騎士が立ちはだかっていた。
「おぉっ!リッター様!」
「お帰りになられたのですか!」
「うん」
二人はそう言って、門の前に僕を引っ張ってきたリッターに向かって話しかけてきた。
この二人も、街の人たちみたいにリッターのことを慕ってくれているようだ。
「おや?後ろの男は何者ですか?」
僕に気づいた騎士の一人が、そう質問してくる。
うん、怪しいよね。ヘラヘラと笑っている男が、とても可愛らしい女の子の後ろについてきていたら。
「不審者……というわけでもないでしょう。もし、そうならリッター様が切り捨てているでしょうし」
リッターの信用が凄い。
君、今までどんな感じで働いていたの?
騎士の言葉に、リッターはコクリと頷いて腕に抱き着いてくる。
そして、僕のことをこう紹介してくれた。
「私のマスター。大切な、マスター」
……それじゃあ、伝わらないんじゃないかな?
というか、マスターって言っちゃったね。言わないようにお願いして、リッターも頷いてくれていたように覚えているんだけれど。
「マスター?」
門番の騎士たちは揃って首を傾げている。
いきなりマスターなんて言われたら、何のことを言っているかわからないよね。
「……まあ、リッター様の大切な人なら大丈夫でしょう。今、門を開けますね」
「うん」
門番の騎士はそれほど深く考える様子を見せずに、重そうな門を開け始める。
……それでいいのか。
いや、それほどリッターが同僚に信頼されているということだろう。
また、ちょっと嬉しくなった。
リッターに腕を引かれるがままに、門を潜り抜けて屋敷の敷地内を歩く。
とても広い庭があり、多くの木々や花々が咲いている。
リッターはまっすぐ屋敷に向かうことはせず、道を逸れた。
彼女についていくと、次第にブン、ブンと空気を裂く音が聞こえてくる。
誰かが、重たい物を振っているような音だ。
そして、リッターに腕を引かれていくと、その重たい物を振っている人物が視界に入ってきた。
やはりと言うか、その人物は鉄の剣を握って何度も振り下ろしており、重たげな音を出していた。
やって来た僕とリッターに気づいた様子はなく、珠のような汗を浮かび上がらせながらも熱心に剣を振るっていた。
「……ニーナ」
「おぉっ!リッターか!」
しかし、ボソリと決して大きな声ではないリッターの呼びかけにすぐに反応した。
女性――――ニーナさんはパッと顔を輝かせると、剣を振るっていた腕を止めて僕たちの方に近づいてきた。
スッと近寄ってきたメイドから受け取ったタオルで汗をぬぐいながら、僕の……というよりもリッターの前で立ち止まる。
「おや、そこの男は……?」
そう言って僕を見定めるように見つめてくるニーナさん。
……あ、これって自己紹介しないといけないのかな?
ど、どうしよう。自分の本名を言うべきだろうか?いやいや、それはちょっとなぁ……聞いたら発狂しちゃうかもしれないし。
もちろん、マスターと言ってそこを掘り下げられたら僕が闇ギルド『救世の軍勢』のマスターとばれ、ひいてはリッターに悪いことが起きてしまう。
……ここは、ギルドメンバーに初めて会ったときのように、偽名を使った方がいいか。
僕が笑顔を浮かべながらそう考えていると、ニーナさんが先に手を振った。
「いや、すまない。名を聞くときは、まずは自分から名乗らないとな」
ニーナさんはそう言って、僕を見た。
「私の名は、ニーナ・エヴァン。このエヴァン王国の第一王女だ」
……やっぱり、リッターって僕のことが嫌いだったりするのかな?




