第九話 訓練場にて【1】
僕はララディをトイレまで運んだあと、再びのんびりと歩いていた。
やっぱり、朝の散歩というのは好きだ。
ギルドメンバーがワイワイとしているのを見守るのも好きだけど、こういった静寂をのんびりと楽しむのも好きだ。
ソルグロスはいつの間にか姿を消している。
忍者らしく、姿を消して僕を護衛してくれているに違いない。
ララディは基本的に僕にべったりだけど、流石にトイレを待ってもらうのは嫌なようだ。
甘えたがりだから気を利かして待っておこうかと聞いたが、顔を紅くして「そ、それはまだ早いです」と言っていた。
……何が早いの?
とまあ、こんな感じで二人と別れた僕は、大きすぎると言えるギルドメンバーの居住地とギルド本部を兼ねる城を歩いていたのであった。
しばらくすると、ギンッ!ギンッ!と鈍い金属音が遠くから聞こえてきた。
おっ、誰かが朝の特訓に励んでいるのかな?
ギルドの面々から予想されるに……あの二人かな?
僕はそう思いながら、歩き出したのだった。
◆
ギルド本部であるこの巨大な城には、大抵の施設や物資が備え付けられている。
基本的に、何かしたいことがあればこの城で大体できちゃう。
ギルドメンバーの中でも好戦的な面々を満足させるために作られたのが、この訓練場である。
巨大な城の中庭にそれはあり、とても広い。
僕なら持て余してしまいそうな広大な場所だが、ギルドメンバーからすればこれでも全力を出すには物足りないらしい。
……ここも増築しようかな。
―――――ギィンッ!!
そう思いながら見ていると、一際高い金属音に意識を引き戻される。
あ、やっぱりあの二人か。
僕は訓練場で激しく戦っている二人を見て、予想が正しかったことを知る。
「死んで」
一人は黒髪ボブカットの女の子、リッターだ。
彼女は騎士甲冑を身に着けて、剣を振るっている。
しかし、正式な騎士の甲冑ではなく、所々肌の色が見える軽装だ。
鍛えられて張りの良さそうな太ももがバッチリと目に映って、割と毒である。
でも、僕は大丈夫。枯れているから。
騎士と言うよりも、騎士風の冒険者といった方がいいだろうか。
リッターは感情表現がうまくなく、基本的に無表情なのだが、その綺麗な顔のおかげで暗いといった印象は与えない。
美人は得をするよね。
リッターは綺麗に舞いながら、対戦相手を攻撃していた。
……今、同じギルドのメンバーに言うはずのない言葉が聞こえてきた気がしたが、気のせいだろう。
「ふん!私を殺すには、まだまだ力が足りないな!」
そして、リッターと戦っているのは紫の髪をツインテールにしているリースだ。
ツインテールを止めるように、にょきっと二つの立派な角が生えている。
リースもまた軽装だよね。
リッターと違って防具もつけていないから、その身を隠すのは簡素な服だけである。
そうすると、彼女の豊満な胸もまた揺れるわけで……。
大丈夫。僕、枯れているから。
彼女は世界でも戦闘力がトップクラスな種族である。
……そんなリースと接近戦を互角に繰り広げているリッターっていったい……。
リースは剣を持っているリッターと違い、何も持っていない。
素手でリッターと白兵戦を繰り広げているのである。
彼女の種族を知らなければ、細い腕で剣を受け止めては鈍い金属音を立てているのを見て、腰を抜かすほど驚くだろう。
何で腕が斬れずに、苛烈なリッターの攻撃を受け止めているのかと。
それでも、リッターは彼女に傷をつけられていないことが凄い。
「あっ、マスター」
「なにっ!?」
リッターは突然指をさし、僕のことを言う。
リースはすぐさま反応し、リッターの指さした場所をバッと見る。
……あの、二人とも?僕がいるのは真逆なんだけれど……。
「隙あり」
「わっ!!」
リッターは剣を思い切りリースに向かって振り下ろした。
しかし、流石はリース。その攻撃を慌てながらも右腕で受け止めることに成功した。
……あれ?これって特訓だよね?
リッターの攻撃はやけに殺気が込められていたように感じたんだけど……。
「こら!ズルいぞ!」
「ズルくない。騙される方が悪い」
ギャアギャアと喧嘩を始める二人。
まあ、怒鳴っているのは常にリースで、リッターは淡々と言葉を返しているだけだが。
いや、それにしてもリッター汚かったね。
それが、悪いということは全然ないんだけれど、表情を一切変えずに不意打ちを仕掛けられることが凄い。
「いや、でもおかしいぞ。私の鼻は確かに、あのすばらしいマスターの匂いを……」
僕の匂いが素晴らしいってどういうことですか?
鼻をヒクヒクとさせているリースに聞いてみたくなったよ。
リースは戦闘力が高いだけでなく、鼻も良いからね。
流石は『あの種族』だよ。
キョロキョロと辺りを見渡していたリースは、僕の姿をようやくとらえる。
「おっ、マスター!」
「っ!?」
僕を見つけたリースは、ニッコリと笑って手を振ってくる。
少し遅れて、リッターも僕の方を見る。
首が人間の可動域を越えた勢いで回っていたけど、大丈夫だろうか……?
「おはよう、マスター!」
そんなことを心配していると、目の前にリースのニコニコ笑顔がアップで映った。
おぉ、びっくりした……。
リッターと戦っていた場所からはかなり離れていたのだが、その距離を一瞬で詰めてきたようだ。
リースの身体能力ならではの為せる業だろう。
とにかく、朝の挨拶を返さなければならない。
僕はおはようという挨拶と共に、彼女の頭を撫でた。
今朝の、ソルグロスの反応を見ての行動である。
「わっ!ど、どうしたんだ……?」
驚いた様子で僕を見上げてくるリース。
あ、嫌だったかな?
そう聞くと、頭をブンブンと振って否定する。
痛い。ツインテールが鞭のようにしなって僕に当たって痛い。
「い、嫌じゃないんだ!むしろ、う、嬉しいくらいだ……。最近は、マスターに撫でられることも減っていたから……」
懐かしそうに、目を細めるリース。
うーん……やっぱり、僕の考えは正解だったようだ。
皆、大人になったと思っていたけれども、まだまだ子供のようだ。
ギルドメンバーの中では大人びているリースも嬉しそうにしているのなら、他のメンバーも喜んでくれるだろうか?
「んっ」
あっと。リースの立派な角に手を当ててしまった僕は、慌てて彼女に謝罪する。
彼女の種族は他人に自分の角を触れられることを特に嫌がる。
時と場合によっては、それこそ殺されることもあるらしい。
「んっ、大丈夫だ。確かに私の種族は角を触られることが嫌いだが、それは有象無象にということだ。心から慕っているマスターには、むしろ触ってほしいんだ……」
恥ずかしそうにチラチラと僕を見ながら言うリース。
僕は彼女の言葉に感動していた。
なんと……僕はリースから慕われていたのか……!
いや、嫌われてはいないと願望じみた確信は持っていたが、本人から改めて言われるととても嬉しい。
ほら、父親というのは娘には嫌われやすいだろう?
ギルドメンバーは皆良い子たちだから表だって言われたことはないが、心ではどう思っているかわからないからね。
いやー、今日は良い日だ!
「邪魔」
「うわっ!!」
清々しい気持ちでリースを見ていると、淡々とした声に押しつぶされるように、彼女の姿が掻き消えたのであった。