第八十七話 鉄の女王の幹部たち
僕の前に『鉄の女王』のギルドマスターであるルーセルドが倒れ伏すのを見て、僕はふっとため息を吐いた。
いやー、久々の近接戦闘をしたものだから、本当に息ができなかったくらい緊張したよ。
やっぱり、僕的には少しのミスで命が危なくなるような近接格闘戦は苦手だなぁ……。
後方で魔法砲台になっていた方が、気が楽でいいや。
「マスター、お疲れでござる。格好良かったでござる」
そんなことを考えていた僕の元に、ソルグロスが歩いてくる。
あ、怪我は大丈夫かい?
「あぁ、あれくらいなら全然問題ないでござる。すぐに、湖から水を吸い上げて回復したでござるし」
ソルグロスはそう言って、なんでもないように笑う。
まあ、スライム種である彼女なら大丈夫なんだろうけれど……。
ソルグロスのギルドマスターであり、勝手に親のような気持ちになっている僕からすれば、彼女がお腹に穴をあけられた時なんて、本当に血の気が引いたよ……。
僕がルーセルドと近接戦闘をしたというのも、これが原因だ。
娘を傷物にしてくれたお礼は、僕の拳で返してあげたかったからね。
……うん、久々にムカついたな。
「なんと……。拙者のために戦ってくれたとは……。あ、ちょっとマズイでござる。色々と漏れそうに……」
何が?
くねくねと身を悶えさせるソルグロスに、僕は苦笑するしかない。
「ご、ご主人って、あんなに強かったんだな……」
ルシルもこちらに近寄ってきた。
君も、怪我はなかったかい?
「おう。ご主人が助けてくれたからな」
そうか、それはよかった。
他人をテレポートさせるのって、久しぶりだったから不安だったんだよねぇ。
「ご主人、聞いてもいいか?どうやって、アンデッドのルーセルドを倒せたんだ?回復もさせなかったみてえだし……」
「あ、ルシル殿と同じ意見と言うのはなんだかなぁという感じでござるが、拙者も聞きたいでござる。そのような魔法、あったでござるか?」
ルシルとソルグロスが見上げて聞いてくる。
二人の言っていることは、僕がルーセルドを攻撃する前に使った魔法のことだろう。
あれには、痛覚のない相手に痛みを感じさせる効力と、自己回復を阻害する効力を込めていた。
後者は、まあ勝つためには必須だよね。
何度も再生されたら、それこそジリ貧だ。
前者の方は……僕がソルグロスを痛めつけられて少々気が立っていたということがある。
人を傷つける痛みも知らなさそうだったから、ちょっと教えただけだ。
まあ、僕が人に言えるようなほど高尚な人間ではないのだけれど……。
ソルグロスはそんな魔法はないんじゃないかと言っていたが、その通りだ。
必要だったから、即興で作ってみた。ちゃんと、効力を発揮してくれてなによりだ。
「……魔法を創る?なにそれ、そんなのできんの?」
「……マスターは大魔導士だった……?」
ルシルがソルグロスに聞くが、彼女はぼへーっとしながら独り言をつぶやいていた。
うん、割と簡単にできると思うよ。
しっかりとどういった魔法を創りたいか考えて、ちゃんとプロセスさえ踏めば誰にでもできることだ。
まあ、僕が戦闘中にできたのは、年の功というやつだ。
まだまだ、若いけれどね。
「ぐ、おぉぉ……」
僕たち三人が会話をしていると、下からうめき声が聞こえてくる。
それは、僕の蹴りで上半身だけ残して地面に倒れ伏しているルーセルドのものだった。
流石は、アンデッド。まだ、死なないどころか意識すら残している。
「うへー。しつこいでござるなぁ。ゴキブリみたいでござる」
……ソルグロス、ひどくない?
まあ、彼女はルーセルドに蹴られたり腹を開けられたりしたんだ。それくらいの悪口を言う権利はあるだろう。
「……殺さなかったのか?」
ルシルが、憎々しげにルーセルドを睨みつけながら言う。
アンデッドを殺すためには、強力な聖の魔法を使うか、天使教の祝福を受けた武器を使わなければならない。
僕は天使教の信徒ではないから前者の方法しかないんだけれど、近接戦闘上等の彼の前でそんな魔法を使おうとしたら、逆にやられちゃいそうだったからね。
ルーセルドは、流石は一つのギルドのマスターと言えるほどの、確かな実力を持っていた。
でも、ソルグロスを傷つけたことと、アポロたちを殺したことは許しがたいけれどね。
とはいえ、ソルグロスは割と興味なさそうにルーセルドを見ているし、後のことはルシルの判断に任せるとしようかな。僕も、いらだちは治まったし。
「あ、ひゃひゃひゃ……」
そう考えていると、ルーセルドが少し気持ちの悪い笑い声を漏らす。
……上半身しかないのに、よく話すことができるなぁ。アンデッドって、すごい。
「これで、勝ったつもりかぁ……『救世の軍勢』ぁ……!」
ギロリと僕を睨みあげて、そんなことを言うルーセルド。
『なに、マスターを睨みつけてんだ殺すぞ』と脚を振り上げていたソルグロスを制止する。
……どういうことだろうか?もう、勝敗は付いていると思うけれど。
それとも、まだこの状況を打開するような切り札でも、ルーセルドは持っているのだろうか。
「あひゃひゃ……。これは、俺とテメエの一騎打ちじゃねえ。ギルドとギルドの……『鉄の女王』と『救世の軍勢』の戦争だぁ……!だったら、俺の手下も動いているに決まっているだろぉ……?」
「ほほう!」
ルーセルドの言葉に、何故かソルグロスが嬉しそうに反応する。
彼の言いたいことを推測すると、僕のギルドメンバーたちの所にも『鉄の女王』が襲い掛かっているということか。
……本当に、何でソルグロスは嬉しそうなんだろう?
さて、ルーセルドは勝ち誇ったように言うが、僕はそんなに心配していない。
僕がうじうじと心配するような、弱い子たちではないのだ。
うん、大丈夫。僕が倒せるような相手なら、彼女たちが負けるはずなんてないのだから。
「あれ?ご主人、どこ行くんだ?」
ルシルが踵を返す僕に聞いてくる。
あ、ちょっと気になることがあるだけだよ。
別に、皆のことが心配で、無事かどうかを確かめに行くわけではないから。
「マスター!ここでしばし、拙者とルーセルド殿の処遇を決めるために、ねっとりと話しあいましょうぞ!」
ソルグロスが飛んできて、僕にしがみついてくる。
ぬぉぉぉぉぉっ!離してくれソルグロス!
あの子たちの……あの子たちの安否を確かめるまでは、ルーセルドのことなんて考えられないんだぁぁぁぁぁっ!!
ルシル!ルーセルドは君が好きにすればいいから!
じゃあ、僕は行くよっ!
そう言って僕はへばりつくソルグロスをそのままにしながら歩いて行こうとすると……。
「あぁぁぁぁぁっ!何、マスターにへばりついているんですの!?このうねうねスライムはっ!!」
「うげぇ……」
とても聞き覚えのある、甲高い女性の声が響き渡った。
ソルグロスがそんな彼女を見て、露骨に嫌そうに顔を歪める。
僕もまた振り返る。
サラサラの長い金色の髪に、毒々しさすら感じさせるほどの豪華な赤いドレス。
森の中ではあまりにも不思議な恰好をしてこちらを睨みつけているのは、ヴァンピールだった。
ど、どうしてここに……?
「どうしたもこうしたもありませんわ。せっかく、わたくしが武勇伝を話そうとギルドに戻ったら、まだマスターは戻っていませんし。仕方ないから、わたくしがなんと!わざわざ!自ら!探しに来てあげたのですわ!」
ヴァンピールは豊満な胸に手を当てて、自信満々に背を反らす。
武勇伝……?何か、大きな仕事でも終わらせたのだろうか?
「そうですわ!わたくし……なんといったかしら……。えぇと……鉄くず……?」
「『鉄の女王』ですよ。ポンコツお嬢様」
顎に綺麗な手を当てて、うんうんと頭を振って唸るヴァンピール。
そんな彼女に助け船を出したのは、これまた僕のよく知る人物だった。
銀色の短めの髪に、健康的な褐色の肌。
そして、特徴的な長いスカートのメイド服を着た女の子、シュヴァルトだった。
「お久しぶりです、マスター。ようやく逢うことができて、私、感涙してしまいそうです。マスターを連れまわすバカ忍者がいたせいで……」
「うっげぇ……。ヴァンピール殿だけでなく、シュヴァルト殿まで……」
シュヴァルトは綺麗にぺこりと頭を下げて、そんなことを言ってくれる。
そうか。そんな風に言ってくれると僕も嬉しいんだけれど、二日前に会ったよね?
あと、ソルグロス。君の反応が仲間を見たときのものとは到底思えないのは、どうしてなんだろう。
それにしても、『救世の軍勢』のメンバーが二人も集まるなんて……。
いったい、何が起こっているのだろうか?
「マスター。私もいるわよ?」
ちょいちょいと袖を引っ張られる。
振り返ると、何故かこの状況で妖艶な微笑みを見せている灰色の髪のクランクハイトが立っていた。
あれ?クランクハイトも?
これはいよいよ、何があったんだろうか?
「なっ……!?こ、こいつらは……」
ルーセルドがひどく話しづらそうにしながらも、そんな言葉を漏らした。
まあ、上半身だけだから、そうなって当然だろうけれど。
普通、話せている方がおかしいからね。
「あら?なんですの?この上半身お化けは」
ヴァンピールが奇怪なものを見る目で、地面に倒れるルーセルドを見る。
小さく、不味そうと呟きを付け加えて。
「これは、『鉄の女王』のギルドマスターでござるよ。マスターが、何とも言えぬほどの素晴らしい戦いぶりで、簡単にのしてしまわれたでござる」
何故か、ソルグロスが自慢げに報告する。
いや、そんなに素晴らしい戦いはしていなかったけれど……。
ソルグロスの言葉を聞いて、目をパチクリとさせるヴァンピールたち。
そして、すぐに笑顔が漏れた。
「またまたぁ、ですわ。長年、前線から退いていたマスターが、同じ闇ギルドのマスターを倒せるなんてぇ……ありえませんわ!」
ヴァンピールの言葉の矢が、僕に突き刺さる。
痛い……。凄く痛い……。
「マスターは何もしなくてもいいのよ?私が何でもしてあげるから……」
クランクハイト。妖艶な微笑みで僕の頬を撫でないでくれるかな?
というか、何もするなって……。僕、そんなに信用されていないのか……。
「マスターに尽くすのは、私です」
シュヴァルトは、クランクハイトに対抗していた。
うぐぅ……確かに、君たちほど強くはないけれど、僕だって多少は戦えるんだから……。
「いやー。やはり、直にマスターの凄さを見ないとわからないでござるよ、きっと。今のところ、拙者だけということでござるな!」
笑顔を浮かべながら落ち込む僕に、ソルグロスがぼそぼそと言ってくれる。
それだったら、多分ララディも知っているんじゃないかな?
「ところで、貴殿たちはどうしてここに来たでござるか?邪魔でござるか?」
激しく脱線していた僕の思考を、ソルグロスの質問が戻してくれた。
そうだ。彼女たちは、どうしてここに集まって来たのだろうか?
「ああ、それでしたら……」
「マスターに、このことを報告しようと思って」
ヴァンピールの言葉を遮って、シュヴァルトが教えてくれる。
このこと?
僕が首を傾げていると、どうやらヴァンピールとシュヴァルトは同じだったようだ。
それぞれ、手に持っていた何かを、僕の前に置いた。
「お、お前ら……」
それを見て、ルーセルドが信じられないといった声を漏らす。
僕の目前に置かれたそれは、二つの人の死体だった。




