第八話 早朝の出来事
彼女の言っていた言葉は、真実だったのだろうか。
いやいや、あれは彼女の嘘だろう。
あの子は、悪戯が好きでよく僕をからかってくるからね。
きっと、何もないよ。うん、何もない。
僕は、外から自分の住んでいるお城を見て、そんなことを考えていた。
いやはや、よくも僕みたいな特に何のとりえもない男が、こんな立派なお城の住めているよね。
まあ、これは全部僕じゃなくてギルドの皆のおかげなんだけれども。
そう思っていると、普段から皆に持っている感謝の念がさらに大きくなってきた。
よし、こういうことは口に出さないとダメだよね。
ということで、今も僕を見守ってくれているソルグロスに、ご苦労様という労いの言葉とありがとうを伝えた。
「―――――っ!?」
すると、何も動かない静かな森の中で一つの気配が激しく動揺した。
さらに、ガサガサと音を立ててソルグロスが立っていた木から落ちてきた。
えぇ……?僕がお礼を言ったことがそんなにおかしかったのだろうか?
「そ、そそそんな!滅相もないでござる!むしろ、いつも拙者が!そう、拙者だけが色々ともらっていてばかりで……」
クルリと振り返ると、忍者装束を着たソルグロスがはわはわと慌てながら土下座していた。
だ、だから何故……?
それに、やけに自分だけということを強調してくる。
いや、僕的にはギルドの皆に色々と恩返しをしているつもりなんだけどなぁ。
とにかく、彼女の元に行かないと……。
「ど、どうしたでござるか、マスター……?」
僕が近寄ったことを、不審そうに思っているソルグロス。
近寄っただけで警戒されるギルドのマスターって……。
か、悲しくなんてないから……。
僕がギルドメンバーにどんなふうに思われていたとしても、今からすることには変わりない。
ちょっと、嫌かもしれないけど、我慢してね。
僕はそう彼女にことわりを入れて、ソルグロスの右手を持ち上げた。
そして、乙女には申し訳ないんだけれど腕をまくり上げてもらい、右肩を露出してもらう。
そこには、とある紋章が描かれていた。
僕はそこに触れて、無駄に有り余っている魔力を流し込む。
「うぁんっ!?」
ソルグロスは驚いた声を漏らす。
その声に僕も驚く。
ご、ごめん……。もっと、ちゃんと言っておいたほうがよかったよね。
でも、ここで魔力を流し込むことを止めることはできないので、申し訳ないが続行させてもらう。
「ん、ふっ……」
どこか艶っぽい吐息を漏らすソルグロス。
僕が無駄に年月を重ねていなかったら、危なかったかもしれない。
でも、安心してほしい。
歳だけは重ねてきた僕は、理性というものもそこらの人たちに比べれば段違いにあると思う。
僕が自慢できる数少ないものの一つだ。
あと、ソルグロスが忍者装束として目以外の場所を隠しているのだが、その隠し布がなければ危なかったかもしれない。
ソルグロス、とても可愛いからね。
とはいっても、やはり小さなころから僕が育ててきて、子供のように思っている彼女に手が出せるとは思えないけど。
……うん、そろそろいいかな。
僕はそう思って、彼女の右肩から手を離す。
「はぁ……はぁ……」
ソルグロスは息も絶え絶えといった様子だ。
……何も変なことはしていないからね?
僕がしたのは、ギルドの紋章を通して魔力を送り込んで、彼女が落ちた際の打ち身を回復しただけだ。
しかし、流石はソルグロスで、それなりに高い木から落ちたのにまったくダメージがなかった。
僕があそこから落ちたら、多分骨折するだろうなぁ。
それは、僕が人間でソルグロスが魔物ということにも要因がありそうだが。
まあ、僕は人間とは思えないほどめちゃくちゃ長い時を生きていたりする。
何でだろう……魔力の多さが原因なのかな?
おっと、今はそんなことを考えているときではなかった。
本当にけがはなく、無事なのかとソルグロスに聞いてみる。
「はっ!無事でござる!拙者のようなうつけに心配をし、あまつさえマスターの高貴な魔力も使って回復させてくれるとは……!拙者、ますますマスターのために粉骨砕身するでござる!!」
僕に向かって跪き、布で隠されていない目をキラキラとさせて僕を見てくるソルグロス。
いや、大げさだよ。
そもそも、ギルドメンバーのことを心配して何かしらの手助けをするのは、ギルドマスターとして当然じゃないか。
それに、僕自身いつもソルグロスにお世話になっているんだから、これくらい当然だよ。
「何という謙虚さ……っ!拙者、ますます感服いたしました!」
僕の考えを伝えるも、ソルグロスはさらに目のキラキラを強くさせただけだった。
何だろう……僕という人間が激しく勘違いされていく……。
ソルグロスに限らず、ギルドメンバーは僕を色々と勘違いしまくっている気がしてならない。
アナトなんて、僕を神聖化して信仰対象として、何か祈りをささげてくるのだ。
彼女も良い子なんだけれど、そこまでされると嬉しいを通り越して怖いよ……。
「むっ、来ましたな」
僕がギルドメンバーのことを考えて胃を痛めていると、ソルグロスがギルドのお城を見て報告した。
その顔は、何だかとても忌々しそうだ。
「ちっ。拙者とマスターのひと時の邪魔をするとは……」
ボソリとソルグロスが何かを言ったが、残念ながら聞きとることができなかった。
長い間生きていたからか、割と聴力が衰退している気がする。
よく、ギルドメンバーの言葉を聞き逃してしまうからね。
さて、僕とソルグロスがお城を見ていると、入り口から一つの小さな人影が現れた。
まあ、この時間に僕のところに来るのは決まっているから、誰だかは予想できているんだけど。
「ますたー……どこですぅ……?」
小さな人影は、やはり僕の予想した通りの女の子だった。
緩くウェーブのかかった長い緑髪を持ち、髪飾りとして大きな花をさしている。
だが、今はそのつぼみを閉じていて、美しい花びらを見せていない。
顔はあどけなく、愛らしい子供だ。
でも、将来は美人になることが分かるように、顔の造形は可愛らしく整っていた。
……この子は容易く嫁には行かせないぞ!
彼女はよちよちと歩きながら、眠たそうに瞼を擦っている。
その目は、僕を探してきょろきょろとしている。
僕がいないことに不安を覚えているのか、うっすらと涙が溜まっている。
ふふっ、まだ子供だなぁ。
「ますたぁ……どこですぅ……?」
可愛らしい彼女に酔っていると、もう一度僕のことを呼んだ。
その声は震えていて、とても悲しそうだ。
おっと、そろそろ彼女の元に行ってあげないと、可愛そうだね。
僕は彼女の名前―――ララディと呼んであげる。
「ますたぁっ!」
僕の声を聞いて、まるですがるように僕を見るララディ。
視界の中に僕を入れると、悲しそうに歪めていた顔をぱあっと花が開くように輝かせる。
うっ、可愛い!
僕のギルドメンバーは皆可愛いが、子供特有の愛らしさ的な意味ではララディが一番可愛いかもしれない!
ララディは僕に向かってよちよちと歩いてくる。
思ったように動かない脚をもどかしそうにしている。
ああ、そうか。ララディは種族的に、あまり歩くのが得意ではなかったはずだ。
「ますたぁ……」
甘えるように僕を見るララディ。
ふふっ、まだ子供だなぁ。
ギルドメンバーの多くは僕が小さいころから育ててきたのだが、こんな風に甘えてくることもほとんどなくなった。
甘えてくる子供は可愛いので、僕はついついララディに甘くなってしまうのだ。
「あっ……マスター……」
僕はソルグロスに一言言って、ララディを出迎えることにした。
ソルグロスは離れていく僕を見て悲しそうに目を潤ませ、すっと手を伸ばす。
うっ……こうされると僕も弱いんだよな。
でも、今はララディを迎えに行ってあげたいし……。
「あふっ……マスター……」
ごめんねという意味を込めて、彼女の頭を優しく撫でる。
ソルグロスの種族的な特徴で、その髪はうっすらと濡れていた。
しかし、僕はそんなことをまったく気にせず、優しく撫でていた。
「はっ、マスター!ナデナデ、嬉しかったでござる!」
今度こそ、ララディを迎えに行くと言うと、ソルグロスは快く頷いてくれた。
なんだ。ソルグロスもまだまだ甘えたがりだったということか。
もう、立派に仕事などもこなしているので、子供ではないと思っていたが……。
案外、他のギルドメンバーも子供かもしれない。
また、昔みたいに頭を撫でながら皆のことを褒めてあげたりしよう。
僕は久しぶりに子供に甘えられた父親のような気分で、ララディの元に向かった。
「…………」
あれ?
僕はララディの顔を見て、首を傾げる。
なんていうんだろう……子供な彼女はコロコロと可愛らしく笑っているのを僕はいつも見ているのだが、今日は感情を全て落としてしまったように無表情である。
その無機質な目の先には僕……ではなく、その後ろで僕に撫でられた頭を押さえ、「ふへへ……」と笑っているソルグロスがいた。
……どうしたんだろう?
ララディのすぐそばまで行き、どうしたのと聞いてみると、彼女は頬をぷくっと膨らませて可愛らしく怒ってきた。
「マスター。抱っこを所望するです」
両腕を広げて、僕にせがんでくるララディ。
……本当に、甘えん坊だね。
「うふふっ」
そして、それを受け入れてしまう僕も僕だ。
ララディは腕を僕の後ろに回し、脚まで背中に回して引っ付いてくる。
可愛らしい鼻歌を披露しながら、満足気だ。
さらに、ギルドの紋章が入った頬を、僕のほっぺにこすり付けてくる。
子供の肌でプニプニとしているから、とても気持ちがいい。
そうしていると、紋章が光りだす。
これは、僕から魔力を得ているということを示している。
「美味しいです、マスター」
そうか、それはよかった。
僕は魔力だけなら有り余っているから、欲しいならどんどんあげちゃうよ。
魔力を僕から吸い取っていると、ララディの頭に生えているつぼみがゆっくりと花を開いていく。
そして、ついには美しい満開の花を咲かせるのであった。
おお、いつみてもやっぱり綺麗だなぁ。
「照れるです」
僕の言葉に頬を紅くするララディ。
……それにしても、ほっぺだけでなく身体全体をこすり付けてきてとても甘えん坊だ。
僕にへばりつきながら身体をこすり付けるなんて器用なことを、見事にやってのける。
……小ぶりな感触が当たっているけれど、僕は大丈夫。枯れているから。
「マスター。おトイレ、行きたいです」
成程、僕を探していたのはこういった理由からか。
ララディは子供みたいだと言っても、女の子である。
本当なら同性のギルドメンバーに頼んだほうがいいのだが、そうするとララディが駄々をこねて仕方がないのだ。
結局、うまく歩けないララディを色々な場所に運ぶのは僕の仕事となっている。
ララディに分かったよと伝えて、歩き出す。
「(むむっ!抱っこ、羨ましいでござる……)」
「(なんですか。ソルグロスだって、頭をナデナデしてもらっていたです)」
「(むふふっ、確かに拙者、幸せでござった……。それにしても、あの時凄まじい殺気を拙者に送ってきましたな。ついつい、苦無を投げそうになったでござるよ)」
「(植物さんでかばうですから大丈夫ですよ。そのまま、パクリと食べて地面に沈めちゃうです)」
「(おお、怖い。魔族同士でこうまで対立するとは、世も末でござる)」
「(別に、ララはソルグロスのことは嫌いじゃないです。ただ、マスターに護衛と称して『ストーカー』しているのが嫌いなだけです)」
「(それを言うなら、ララディ殿だってそんなに歩くことが下手ではないでござろう。『演技』は鬱陶しいでござる)」
「(…………)」
「(…………)」
うん?何やら空間がピリピリしているような気がするんだけど……。
「何もないです、マスター」
「うむ!大丈夫でござる!」
二人に聞いてみると、問題ないとの言葉。
マスターであるがゆえにほとんど仕事をしない僕よりも、今では彼女たちの方が頼りになる。
そんな二人が大丈夫というのだから、大丈夫だろう。
僕は安心して、ララディを抱きかかえながら歩くのであった。