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第七十七話 夜の森で

 









「ふ、ふふ、ふふふふふふふ」


 とある森の中、月光が優しく草木を照らしている幻想的な場所で、一人の少女が不気味に笑っていた。

 彼女は膝の上に紙束を置き、何やら物凄い勢いでそこに文字を書き込んでいた。


 その文字は王国で使われているものではなく、見ているだけで発狂してしまうような狂気を孕んだものだった。

 それは、少女が盗み見されないために使っている悪魔文字だったのだが、たったそれだけの理由で恐ろしい文字を使用する彼女の人間性が疑われる。人間ではないが。


 おそらく、規格外揃いの『救世の軍勢(イェルクチラ)』メンバーの中でも、この大量の紙束に書かれた文字全てを読むことができるのは、これを書いた彼女とマスターだけだろう。


「はふー……。ひ、ひひひと区切り付いたわね……」


 灰色の髪をドリルさせた少女――――クランクハイトは、満足気な笑みを浮かべる。

 何故か、その笑みには卑屈な色が混じっているが、それはいつものことである。


「こ、こここは静かでいいわね……。う、うちのギルド、本当にうるさいのよ……。しゅ、集中して書けないじゃない……」


 クランクハイトは鬱陶しそうに爪を噛み、苛立たしげな雰囲気を醸し出す。

救世の軍勢(イェルクチラ)』のギルド本部は、いつもとても元気で賑やか。


 罵声や怒声、殺気が飛び交う素敵なギルドである。

 しかし、クランクハイトが書いている時は、静かにしてほしい。


 さらに、彼女のような内気な性格の者からすれば、賑やかで騒がしいことはストレスにしかならないのだ。

 とはいえ、そのことを伝えたとしても、逆に嬉々として騒がしくしそうなメンバーが何人かいる。


 脚を引っ張り合うのが大好きな『救世の軍勢(イェルクチラ)』であった。


「あ、あんなうるさい所じゃあ、この『禁忌の書』が書けないのよ……」


 クランクハイトは束ねられた紙をペラペラとめくり、満足そうに頷く。

 チラリと一瞬見ただけでも、精神が破壊されかねない凶悪な悪魔文字がぎっしりと書き込まれていた。


 メンバーからしても、そんな危険な書をギルド本部で書かれることは堪ったものではない。

 クランクハイトが目指すのは、マスターからのプレゼントである本、『傾国の堕天使』に出てくる主人公のような魅力のある大人の女である。


 そんな主人公のような理知的で妖艶な大人になるための方法やなったあとの妄想を書き留めたのが、その『禁忌の書』だった。

 ギルド本部にいると、ギルドメンバー――――基本的にクーリン――――が必ず邪魔をしにかかってくるので、腹立たしいことこの上ないのである。


 この『禁忌の書』は、自分とマスターしか見ることは許されないのだから。

 とはいえ、悪魔文字を書き込んでいるクランクハイトからは引くくらいの瘴気が溢れ出すので、クーリンたちが鬱陶しがる気持ちも分かる。


「お、思いついていたことは全部書いたし……。ま、マスターが帰ってきているかもしれないから、ギルドに戻ろう……」


 この素の口調は、この後なりを潜めて大人っぽい口調になる。

 最近では、マスターとの練習を繰り返すことによって、随分大人らしい言動をとることができるようになってきた。


 まあ、それでも感情が揺れたら、すぐに素が出てしまうのだが。

 クランクハイトの素を知っているギルドメンバーからは笑われることもあるが、こういった話し方は繰り返し使っていかないと定着しない。


 笑われたら、また悪夢でも見せてやろうと思い、お尻を落ち着けていた石から立ち上がると……。


「……あれ?」


 思わず、大人の女にはふさわしくない呆けた声を漏らしてしまった。

 その理由は、クランクハイトの目の前に広がる光景にあった。


 彼女がいた森は、魔物もほとんど出なく森の広さも小さくて穏やかなもので、戦闘力のない街に住む人々もよくピクニックに来るような落ち着いた所である。

 実際、彼女の周りの景色もとても穏やかなものだった。


 しかし、彼女の視界に入る光景は様変わりしていた。

 木々はグネグネと性格悪そうに歪んで成長しており、葉もつけられていない死んだものとなっていた。


 さらに、明るく紙を照らしてくれていた綺麗な月明かりは、鈍い赤へと色を変えているという異常な状況へと変わっていた。


「これは……幻覚かしら?」


 クランクハイトの大人スイッチ、オン。

 誰かが近くにいることを察知した彼女は、すぐに心の仮面をかぶった。


 というのも、クランクハイトにはとても身に覚えのある変化であり、だからこそ正確に現状を評価できた。

 突然、異世界に放り投げられるような急速な世界の変化を、彼女はよく知っていた。


「正解です」


 そんなクランクハイトの独り言に答える声があった。

 その声は、穏やかそうで少々気弱そうなものだったので、クランクハイトは親近感を覚えていた。


 どう考えても敵だが。

 よじれた木々の間から出てきた青年も、また気が弱そうな男だった。


「あら、あなたが私を惑わせているのかしら?」

「そ、そうです。俺の名前はイルド。『鉄の女王(アイニーケン)』に所属する冒険者です」


 そのクランクハイトのかりそめの色気に、青年……イルドは頬を赤らめて答える。

 クランクハイト、大人の女としてノリノリである。


 自分の素を完全に理解している『救世の軍勢(イェルクチラ)』のメンバーと違って、初対面の人間は彼女のことを知らないため、ウキウキとして大人の仮面をかぶるのであった。


「あなたは、俺の幻覚魔法の術中にあります」

「あら、困ったわね」


 クランクハイトは余裕の表情を浮かべているが、心の中ではそれなりに驚いていた。

 というのも、幻覚魔法を使うことのできる人というのは、非常に珍しいからである。


 火や水といった、比較的とっつきやすい魔法属性と違って、幻覚属性の魔法を覚えようとするのであれば、かなりの才能と努力がなければ使い手となることはできない。

 その分、幻覚魔法の力の強さはかなりのものであり、このようにクランクハイトのような実力者でもその幻惑に囚われるほどである。


 さて、どうしようかとクランクハイトが悩んでいると、青年が申し訳なさそうに話しかけてきた。


「あのー……降伏してもらっていいですか?」

「あら、どうして?問答無用で、私を殺したりはしないのかしら?」


 まさかの降伏勧告に、クランクハイトは思わず聞き返す。

 ……というよりも、先ほどから彼女は『あら』しか言っていない。


 クランクハイトの中の『大人の女』というものは、そういう余裕のあるイメージなのだ。


「うちのマスター……ルーセルドさんはあなたたち『救世の軍勢(イェルクチラ)』を皆殺しにして、王国一……いや、世界一の闇ギルドになりたいと思っているのは事実ですよ。でも、正直俺はあまりそういう最強とかには興味がないんです。それに、ルーセルドさんたちと違って、むやみに人を殺すのは好きじゃないですし」


 イルドは苦笑いしながら答えた。

 あれだけルーセルドに絞られているというのに、闇ギルドとしては非常に甘い発言だった。


 だが、それは一般の人々からすると、好感の覚えられる青年だろう。

 クランクハイトのことを思いやっての言葉であったが……。


「ダメね」


 クランクハイトはそれを無情にも切って捨てた。


「ダメ……ですか」

「ええ。『救世の軍勢(イェルクチラ)』が、同じ闇ギルドに負けるわけにはいかないもの」


 ギルドが負けるということは、マスターもまた負けるということだ。

 そんなこと、クランクハイトは絶対に認めることができない。


「……残念です」


 イルドはボソリと言うと、雰囲気をガラリと変える。

 それまでは、穏やかでどこか気弱なものだったが、冷徹で鋭い闇ギルドのメンバーらしいものになっていた。


 どれだけ善人に見えても、イルドはやはり闇ギルド『鉄の女王(アイニーケン)』のメンバーなのである。


「あなたは俺の幻覚魔法からは逃れられない。ここで、夢を見ながら死んでください」


 イルドの周りの空間が、ぐにゃりと歪み始める。

 これは、クランクハイトが彼の術中にあることを如実に表していた。


 すでに、イルドの勝利で勝負はついているようなものなのである。

 幻覚魔法は強力な魔法だ。もし、仲間がいない状態で幻覚魔法をかけられたら、ほとんどそこから抜け出す方法はない。


 幻覚魔法を解除できるほどの強靭な精神力がある者か、あるいはそのかけられた人物もまた幻覚魔法に精通した人物であるかの、ほぼ二択である。

 だからこそ、イルドは生来のビビりであるにもかかわらず、あれほど戦うことを嫌がっていた『救世の軍勢(イェルクチラ)』相手にもこれほど大胆に姿を現していられるのだ。


「怖いわ。あなたは、私に死んでもいいと思えるほどの素敵な夢を見させてくれるのかしら?」


 マスターに猫かわいがりされるような夢なら、死んでもいいかもしれない。

 頭の片隅でそう思ったクランクハイトであった。


 しかし、そんなことは一切イルドに悟られないように、大人の女らしく妖艶に微笑む。

 イルドは、クランクハイトが敵であるにもかかわらず、ドキリと胸を高鳴らせるのであった。





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その聖剣、選ばれし筋力で ~選ばれてないけど聖剣抜いちゃいました。精霊さん? 知らんがな~


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