第七十六話 夜の街で
ヴァンピールが『鉄の女王』のメンバーと激突していた同時刻、街の中を歩く一人の女の姿があった。
本来、月の光に怪しく輝くはずの銀色の髪は、今は耳を隠すための被り物をつけているため、その美しさを隠していた。
日に焼けたものとはまた別の褐色の肌。
いつもは冷たさを感じさせる変化に乏しい顔は、今はうっすらと笑みを浮かべていた。
「マスターの好きな調味料、手に入れました。お喜びくださるでしょうか?」
メイド服を着たシュヴァルトは、大事そうに調味料の入った紙袋を抱いて口元を緩めた。
普段、『救世の軍勢』のメンバーに腹が立つことばかりであるが、マスターのことを考えている時だけは穏やかな気持ちになれた。
つい先ほども、腹が立つことがあったのだ。
「まったく……。無理やりついてきたと思ったら、勝手にいなくなるなんて……あのエセ淑女」
シュヴァルトは『おほほほほほほほ!』と高笑いしている派手なドレスを着た女……というより、ヴァンピールを思い浮かべる。
マスターの好きな調味料の在庫が切れていることを知ったシュヴァルトは、すぐさまギルド本部を出て買いに行こうとしたのだが、その時に面倒なお嬢様に捕まってしまったのであった。
しつこく外出の理由を聞いてくるので仕方なく答えたら、ヴァンピールも付いてくる始末である。
これが、マスターのための調味料でなく、他のメンバーの食材だったら絶対に付いてこなかったくせに、マスターのためのものだと知ったとたんに付いていく宣言である。
「マスターのお世話をするのは、私の役目ですのに……」
それでも、頑なについていくと主張するので、渋々許可をしたシュヴァルト。
ヴァンピールがかわいそうだからとか、情があったからなどといった理由で認めたのではない。
ギャアギャアと駄々をこねられると、鬱陶しかったからである。
そもそも、全ての情をマスターに注いでいるシュヴァルトが、わがままお嬢様に一片たりとも情を持ち合わせているはずもなかった。
そうして、譲歩して許可を出してあげたというのに、ヴァンピールは迷子である。
「……そのまま、ギルドに帰って来られなくなって、のたれ死ねばいいのに」
ボソリと冷たい毒を吐くシュヴァルト。
ひんやりとしていた夜の街の空気が、さらに何段階か温度を下げたように感じた。
もちろん、彼女の頭の中には迷子のヴァンピールを探しに行くなんて考えはなかった。
さっさとギルド本部に戻って、このマスターが好んでいる調味料を使った料理の下ごしらえをしなければならない。
ララディの『勇者担当』やソルグロスの『ギルド担当』のように、当然シュヴァルトにも『担当』がつけられている。
そのため、いつもギルド本部にいることはできず、マスターに料理を捧げることのできる機会というものは限られている。
作ってあげられるときに、全力で美味しいものを作ってあげたい。
シュヴァルトは常々、そう思っていた。
「だから、あなたの相手をすることはできませんよ」
短めの銀色の髪を被り物の下で揺らしながら、シュヴァルトはくるりと振り返ってそう言った。
彼女の視線の先には、街の建物の壁に背中を預けている痩せた男がいた。
特徴的なのは、その腰に下げられている一本の細い剣――――刀である。
この王国ではあまり見ることのできない武器だ。
「そいつは寂しいなぁ。せっかく会いに来たんだから、少しは構って相手をしてくれよ、メイドさん」
痩せた男はニヤリと笑うと、ゆらゆらと歩いてシュヴァルトの前に立つ。
どうやら、彼女を帰してくれるつもりはないようだ。
早くギルドに戻って調味料を使った下ごしらえをしたいシュヴァルトは、表面上の表情こそ変わらないものの、苛立たしげな雰囲気を全身から溢れ出させていた。
「私よりも、高飛車でうるさいおバカお嬢様を相手にした方がいいですよ。あの人、私と違って戦闘特化おバカですので」
自分が相手をするのは面倒なので、とりあえず絶賛迷子中のヴァンピールを何のためらいもなく売るシュヴァルト。
嫌々連れてきたのだが、初めて役に立ったなと思っていた。
しかし、痩せた男は首を横に振る。
「俺が殺し合いたいのはメイドさん……あんたなんだよ。それに、そのお嬢様ってやつの所には俺の仲間が行っているから、安心してくれ」
「ちっ」
男の言葉を聞いて、忌々しそうに舌打ちをするシュヴァルト。
そのすぐ後には無表情に戻していたのは流石だろう。
しかし、囮としても役に立たないとは、本当にヴァンピールはいらない子だ。
シュヴァルトの頭の中では、小さなヴァンピールが徒党を組んでギャアギャアと騒がしく抗議してくるが、無視だ。
「では、また質問をさせていただきますが、何故あなたは私に執着しているのですか?」
無表情ながら面倒くさそうな声音でシュヴァルトが聞くと、男は怪しげに笑って腰に差している刀を撫でる。
「俺の刀は血を求める。特に、俺と同じ強き剣士の血を……な」
「(……うわぁ。血に飢えたおバカというわけですか)」
刀を抜き、愛おしそうに刀身を撫でる男を見て、シュヴァルトは顔を強張らせる。
恐怖を感じたのではない。
少々、彼女の黒歴史が刺激されただけである。
思い出すと、またマスターに対して土下座したくなってしまうので、何とか忘れようと頭を横に振る。
とりあえず、思い出さないことに成功したシュヴァルトは、男を見る。
これは、話し合いの平和的解決を図るどころか、相手の話もろくに聞かないタイプの人間だ。
……本当に、黒歴史を刺激してくる。
「仲間ということも、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「……あー、まあいいか」
シュヴァルトの質問は、当然敵である彼女に答えることのできないものであったが、どうせ彼女はここで自分に斬られる身だ。
せめてもの手向けとして、教えてやることにした。
「俺たちは『鉄の女王』。メイドさんと同じ闇ギルドだよ。うちのマスターがあんたたちを倒して、最強の称号が欲しいそうだ」
その言葉を聞いて、シュヴァルトは身体をピクリと反応させる。
「……ああ、『鉄くず』ですか。マスターに刃向う、愚かなギルドですね」
「……なに?」
自分の所属するギルドを蔑称で呼ばれ、額に青筋を浮かべる男。
強い殺気が混じる視線を向けられても、シュヴァルトは平然としている。
「いいでしょう。主の敵を屠るのも、メイドの務め。お相手します」
シュヴァルトは調味料の入った紙袋を、どういった原理か、長いスカートの中に収めてしまう。
さらに、その代わりに一本の剣をスカートの中から取り出した。
メイドのスカートの中は、不思議で満ち溢れているのである。
「……俺が勝ったら、そのメイド服の中身を見せてほしいな」
「残念ながら、私がスカートをめくりあげるのはマスターの前だけです」
シュヴァルトに応えるように、男も刀を抜く。
男は強き剣士の血を求めて。
女は主の敵を屠るため。ついでに、黒歴史をちくちく刺激されるのが鬱陶しいので。
夜の街で、二人の闇ギルド構成員が激突したのであった。




