第七話 討伐隊の末路
「はあ、はあ……っ!!」
討伐隊の中の一人である男が、森の中を全力で疾走していた。
時々、木の枝が身体をかすめて皮膚を切り裂くが、そんな些細な痛みはまったく気にならなかった。
それくらい、彼の心中は恐怖で支配されていた。
息が途切れてきて、脳は早く身体を休ませろと指示を送ってきているが、ここで止まれば闇ギルドの連中に捕まって殺されてしまうだろう。
「ふざけるなよ!あんな化け物共を捕まえられるわけねえだろうがっ!!」
男は彼の言う化け物に受けた傷で、所々から血が出ている。
こんなバカげた依頼を出してきた奴は、一体誰なんだ。
ギルドに戻ったら、そいつを探し出して何発も殴ってやる。
そもそも、美人揃いでそんなに強くない闇ギルドと聞いて飛びついてしまった過去の自分にも腹が立つ。
捕まえたら何をしてもいいという夢のような依頼に、ついつい背後を調べずに受けてしまったのだ。
確かに、『救世の軍勢』のメンバーは美人だった。
しかし、あれは人の皮を被った化け物だ。
あれだけ闇ギルド討伐に集まった仲間たちや王国騎士たちが、自分以外皆殺しにされたのである。
こちらのチームがこのような調子なら、別れた他の討伐チームも似たような惨劇に見舞われているだろう。
「ああ、天使様!俺を助けてくれ……っ!俺を、あの化け物共から救ってくれ!」
男は首から下げたネックレスを掴んで、強く祈る。
それは、羽を付けた人型が形づくられていた。
男は、この世界の二大宗教の一つである天使教の信者であった。
信仰対象である天使に、自らの身の安全を祈願する。
「あらぁ……。大丈夫ですかぁ?」
「だ、誰だ!?」
恐怖に震えている男に、優しい声が話しかけてくる。
しかし、仲間を目の前で次々と無残に殺された男は、そんな穏やかな声にも過剰に反応してしまう。
恐る恐る声のした方を見ると……。
「し、シスター……?」
多くの人間が死んでいる惨劇が起きている森に似つかわしくない人物だった。
声をかけてきたのは、修道服を着たニコニコと柔らかく微笑む優しそうな美女だった。
こんな人がいない森にいるはずのない人物の登場にポカンと口を開ける男を、シスターは心配そうに見ている。
「とても、怖がっているようですねぇ。何か、あったんですかぁ?」
シスターは眠くなるような、のんびりとした話し方で聞いてきた。
普段ならウザったいと思うだろうが、身体的にも精神的にも弱ってしまっている男は、その話し方に強い安心感を覚えた。
「あ、ああ。この森には、気の狂っているような化け物女が何人もいるんだ。あんたも、さっさと逃げたほうがいいぜ」
「あらぁ。お優しいんですねぇ」
「そんなんじゃねえよ。同じ信仰をするんだったら、助けるのは当然だ」
シスターの言葉に、自嘲するような笑みを浮かべる男。
こんなことは、ただの気まぐれである。
もし、彼女がシスターではなかったら、忠告するようなことは言っていなかっただろう。
「心優しいあなたは救ってあげたいのですがぁ、あなたはとてつもない大罪を犯してしまいましたねぇ」
「た、大罪……?」
今まで数々の罪を犯してきたグレーギルドに所属する男。
しかし、男にはそこまで重い罪を犯してきた心当たりがなかった。
シスターの穏やかな言葉には、どこか男を非難するような色が混じっていた。
「慈悲深い神ならあなたをお赦しになるかもしれませんがぁ、神の手足であり下僕である私が赦せないんですよねぇ……」
「神?あんた、天使教のシスターじゃないのか!?」
天使教の信仰対象は、もちろん天使である。
特に、上位天使が信仰されやすい傾向がある。
しかし、彼らの信仰対象に神の名は存在しない。
修道服が天使教のそれと酷似していたため、男は勘違いをしていたようだった。
そして、天使教は異教を認めない。
「まさか、久しぶりに善意の行動をとれば、それが異教徒だったとはな!!」
天使教の信徒である彼は、武器を抜いて彼女に構える。
たとえ、女であろうと聖職者であろうと、異教徒なら見逃さない。
それが、この世界を二分する天使教の教義の一つであった。
武器を見せられた女は、顔を伏せて表情を見せない。
武器を向けられて怖がっているのかと男は想像したのだが……。
「私がぁ、天使教ですってぇ……?」
「ひっ……!?」
シスターは穏やかに閉じられていた瞼を、すっと上げた。
そのぞっとするほど冷たい目に、男は小さく悲鳴を上げる。
さらに、シスターの目はドロドロと濁っており、人のする目ではなかった。
「あ~んな、クソ!みたいな宗教をぉ、誰が信仰するのかしらぁ?キモイ!天使なんぞに仕えるなんてぇ、考えただけで鳥肌が立っちゃうわぁ。すでに、私のすべてはぁ、神に……マスターに捧げたんだからぁ……!」
『クソ』と『キモイ』をやたら強調して天使教をこき下ろすシスター。
自分の信仰する宗教をこれ以上ないくらい馬鹿にされても、男は異様なシスターに怒りを向けることができないでいた。
後半は、シスターは自分の身体を抱きしめながら、よだれを垂らして天を見上げていた。
修道服の上からでも分かるほど豊満な身体が悩ましげにくねり、はあはあと頬を赤らめて興奮した様子を見せるシスターは、ひどく目に毒である。
そのあまりの色気に、恐怖で震えていたはずの男もごくりと喉を鳴らす。
だが、そんなちょっとした余裕も、次の瞬間に消えてしまう。
「また、狂信者がヘンテコなことを言っているです」
「まったく、変わらないでござるなぁ。あ、アナト殿。これはお土産でござる」
豊かでふわふわな緑色の髪に大きな花を引っ付けた小柄な少女―――ララディと、忍者装束を着て目だけをさらしている女―――ソルグロスが現れた。
ソルグロスはひょいとシスター―――アナトの前にあるものを放り投げた。
それは、他の討伐チームのリーダーだった。
どれほど辛い拷問を受けたのだろうか。
あまりにも悲痛な表情を浮かべて死んでいた。
「……私も全部捧げたい」
「おい、アナト。リッターがまた変なことを言いだしたじゃないか」
また、別の所からは二人の女が歩いてきた。
露出が少々多い騎士風の女―――リッターと、立派な角が生えた女―――リースだった。
異様なのは、二人とも大量の生首を抱えていることだった。
リッターの方は剣で斬られたのか、綺麗な断面をしていてまだマシだが、リースは力づくで引っこ抜いたせいで、死に顔もかなり酷いものとなっている。
「もう、臭いですわ!こんな不味そうな血を、ここでぶちまけないでくださる!?」
「ヴァンピール様、うるさいです」
リッターとリースが大量に持っている生首を見て、大騒ぎをする真っ赤なドレスを着た金髪の女―――ヴァンピールと、銀髪褐色のメイド服を着た女―――シュヴァルトが現れる。
ヴァンピールはその容姿に優美さを感じられるのだが、自己主張の強い性格から『わがままお嬢様』といった評価の方が合っていた。
「うわっ。なによ、その首の数。気持ち悪っ」
「こ、こここれをどうするつもりなの?」
そして、ダメ押しとばかりに現れる二人の女。
心底不快そうにリッターとリースを睨みつける赤い髪のスタイルがいい女―――クーリンと、あまりの凄惨な現場に素を出してしまう銀髪をドリルさせている女―――クランクハイトだった。
「これを、マスターにあげて褒めてもらう」
「はあ?こんなものでマスターが喜ぶわけないじゃない!っていうか、おバカなリッターなら分かるけれど、あんたもなのリース?」
「も、もしかしたらという期待がぬぐいきれなくて……」
ふんすと鼻息荒く胸を張るリッターは、マスターに色々なところをナデナデしてもらうことを妄想していた。
クーリンはいつもこんな調子のリッターならまだしも、『何もしなければ』常識人なリースまで同じことをしているので、ひどく呆れていた。
恥ずかしそうにそのブツを隠すリース。
これが生首でなければ、とても可愛らしい光景だっただろう。
「はあ。もう眠いですし、さっさと帰りたいですわぁ……」
「わ、わわわ私も……」
退屈そうに欠伸をするヴァンピールに同調する素のクランクハイト。
ヴァンピールは普段の言動から分かるが、クランクハイトも案外わがままなのかもしれない。
二人揃って面倒くさそうに震える男を見ている。
「いやー、拙者が依頼を出して馬鹿を吊る作戦は大成功でござるなぁ。これは、マスターに報告すれば報奨ものでござる!」
「でも、全員出張ってまでやることだったです?」
「下手をして誰か一人でもギルドメンバーが死なないかなーとか思っていないでござる」
「く、黒い……」
ソルグロスは平然とたくらみを暴露し、その清々しさにララディは目を瞬かせる。
まあ、彼女に負けず劣らずララディも腹黒いので、皆考えていることは一緒である。
「アナトさん。他の討伐隊も、全て壊滅させました。残っているのは、この男だけです」
「報告ありがとぉ、シュヴァルト」
最後に、褐色メイドのシュヴァルトがアナトに報告して終わる。
アナトは満足そうに頷いた。
「あ……あ……」
男はもはや、意味のある言葉を口にすることすらできなかった。
自分のいたチームを壊滅させた二人組の他に、これだけの化け物どもがそろったのだ。
一対一でも勝てないのに、一対八である。どうしようもない。
「さぁて、後はあなただけねぇ……」
ニコニコと微笑むアナトの顔は、最初に感じた安心感を与えてはくれなかった。
アナト以外の集まった闇ギルド『救世の軍勢』のメンバーも、じっと男を見る。
人外じみたとんでもない力を持つ彼女たちに睨みつけられた男は……。
「あへぇぇ……」
「うわっ!なんですの!?」
目は虚ろを凝視し、口を開けて汚い舌を垂らす。
股間部はじんわりと滲み、ガクガクと身体が震えていた。
男は、強大すぎる化け物たちに見つめられて、とうとう精神を崩壊させてしまったのであった。
ヴァンピールはギュッと鼻をつまんで、ごみを見るような目で男を見る。
「あぁ……ヴァンピール殿の顔が怖かったんでござるね。可愛そうに……」
「わ、わたくしのせいですの!?」
ギャアギャアと騒ぎ始めるヴァンピール。
もちろん、彼女だけでなく全員のせいなのだが、ヴァンピール一人に押し付けることにしたのであった。
「このまま放置しておいた方がぁ、面白いかしらねぇ」
「うわっ、酷いわね……」
アナトがニコニコしながら考えを口にすると、クーリンは頬をヒクヒクとさせながら苦笑いする。
とはいえ、クーリンも止めようとしていない。
「もう、戻りましょうかぁ。マスターのいる、私たちのギルドへ」
アナト以外の全員が頷く。
愚かなグレーギルドや王国を相手にするより、マスターと少しでも多く触れ合った方がよっぽど有意義である。
そのことは、いがみ合っているギルドメンバーの間でも共通の見解だった。
『救世の軍勢』のメンバーは、この日21名のグレーギルドの構成員と20名の王国騎士で構成される討伐隊を全滅させたのであった。
『救世の軍勢』のメンバーたちは、男に背を向けて歩き出した。
「あへへははへは」
彼女たちが去って後に残ったのは、痛々しいまで笑い続ける男だけだった。