第五話 ヴァンピールとシュヴァルト
「わたくしがこのようなことまでしなくてはならないなんて……。世も末ですわ」
また、別のところでは闇ギルド『救世の軍勢』討伐隊の男たちと一人の女が対峙していた。
深い森の奥にいるにはあまりにも不自然な真っ赤なドレスを着た美女だった。
それこそ、貴族たちが集まって開く社交界のようなところにいれば、ダンスのお誘いはひっきりなしにされるだろう。
「まさか、このわたくしを『ゴミ掃除』に駆りだすなんて……」
「なんだと!?」
はあっと面倒くさそうにため息を吐く女に、討伐隊の面々の顔に怒りが露わになる。
自分たちをゴミだと言ったのだ。怒りを持たない人間なんていないだろう。
「ふんっ。あまりジロジロと淑女を見るものではなくてよ。礼儀も知らないのかしら?」
「俺たちは礼儀にうるさい貴族じゃないからな。荒々しくても我慢してくれよ」
女の言動に怒りを覚える男たちであったが、その美しい容貌に目を引かれていたのも事実だ。
とくに、ドレスの上からでも分かるほど豊満な胸には、目が引きつけられて止まない。
「闇ギルドに所属している者の生死は問わないらしいからな。好き勝手させてもらうぜ」
ニヤニヤと笑みを浮かべるグレーギルド所属の男。
しっかりとした教育を一応は受けている騎士たちはともかく、犯罪上等のグレーギルドの男たちは欲望を一切隠そうともせずに女を見ていた。
生かして捕まえた後、尊厳を踏みにじるようなことをしようとしていることは確実だった。
「あら。じゃあ、わたくしもあなた方を好きにしてもいいのかしら?」
「おいおい、そっちも乗り気なのかよ」
「あなた方の想像していることとは少々違いますけれど……」
目をキラキラと光らせて、両手をぽんと合わせる女。
男たちはその言葉に一瞬目を大きくするが、またニヤニヤと笑い出す。
もちろん、女の意図はそういったことを指していたわけではない。
そもそも、彼女がそういった感情を抱くのは、マスターを相手にしているときだけである。
「わたくしが言いたいことは、こういうことですわ」
そう言うと、女は綺麗に整えられている手を男たちに向けた。
そして、その手をきゅっと閉じる。
「ぁえ―――――?」
その何気ない仕草で、討伐隊の中の一人の頭が破裂した。
大量の血しぶきと脳の一部が吹き飛び、周りにいた男たちの顔や身体にへばりついていく。
「う、うわぁぁぁぁぁぁっ!?」
ようやく何が起きたのか理解した男たちは、絶叫する。
女が何をしたのか、男が何をされたのかまったくわからない。
ただ、手を閉じただけで男はあっけなく死んでしまったのだ。
「さ、こちらに来なさい」
女はどこからか綺麗に磨かれてあるグラスを取り出し、そんなことを言う。
誰が近寄るかと男たちが思うと、殺された男から溢れ出した血が独りでに動き出し空中に浮かび上がる。
「なっ……!?」
空中で形を固めた血は、自ら女の持つグラスの中に収まっていったのであった。
ボタボタと赤い液体がグラスを満たしていく。
女はそこに鼻を近づけて、匂いを嗅ぐ。
「うーん……あまり、美味しそうではないですわね」
鼻をひくひくとさせて、眉を顰める女。
その姿は、どう見ても隙だらけだった。
「ふざけるなぁっ!!」
討伐隊の一人が弓を放つ。
小型の弓で射程範囲は酷く狭いのだが、この距離なら確実に届く。
「もう。今から味見をするのですから、邪魔をしないでいただけますかしら」
「……は?」
女は煩わしそうに顔を歪めると、飛来する矢をいとも簡単に掴んでみせた。
そして、呆然と女を見る矢を放った男に対して、矢を投げ返した。
女の手から放たれた矢は凄まじい速度で、男に向かって行く。
それは、弓に番えて放った矢よりも速かった。
「がっ!?」
そのカウンターを避けることもできず、男は額の中心に矢を受けることになったのだった。
矢の勢いは凄まじく、男の頭蓋を貫通してしまうほどだった。
そんな凄惨な男の死に方を見て、グレーギルドのメンバーや王国騎士でさえも黙り込む。
下手なことを言えば、次は自分がこうなってしまうかもしれないのだから。
女は静かになった場を満足そうに見ると、艶やかな唇をグラスに乗せて中に溜まった血を口の中に流し込んだ。
すると、すぐに眉をくしゃりと曲げる。
「ま、不味いですわ」
まだ、たっぷりと血が残っているグラスを、地面に叩き付ける女。
「マスターの至高の血に慣れてしまいましたわ。あれほどの血と比べることすらおこがましいですが……うぅ、口にまだ不味いものが残っていますわ」
男を殺して勝手に飲んだくせに、酷い言いようである。
しかし、この場を力で支配しているのは女だ。誰も文句を言うことはできない。
「ヴァンピールさん、お口直しは必要ですか?」
「あら、シュヴァルト」
苛立たしげに周りを睨みつけていた女―――ヴァンピールの元に、一人のメイドがふっと現れた。
いつ、ここに来たのかさっぱりわからない討伐隊の面々は、目を丸くするしかない。
銀髪褐色肌のメイド―――シュヴァルトは、ヴァンピールに水がたっぷりと入ったコップを渡していた。
ヴァンピールはそれを受け取ると、みっともないと思われない程度に急いで飲み干した。
「ふー、助かりましたわ、シュヴァルト。この方の血が不味くて不味くて……。あのままだったら、急いでこの方たちを皆殺しにしてマスターに血をせがんでいたかもしれませんわ」
「マスターの血を飲んだら酔うくせに、止めてください。ヴァンピールさんの酒乱振りはかなりきついんですよ」
「あなた方には迷惑をかけていないから大丈夫でしょう?」
「マスターにかかっているんですよ」
二人の美女は、目の前で武器を持つ屈強な男たちがいるというのに、自然体で会話をしていた。
あまりにも二人の会話が朗らかなので、ヴァンピールの所業による恐怖がだんだんと薄れて行った。
恐怖が心から立ち去った後、入ってきたのは怒りだった。
「おい!テメエら、何ぺちゃくちゃと話しているんだよ!!」
「何って……シュヴァルトに、マスターに奉仕するとか言って朝のベッドに潜り込もうとすることを止めろと注意しているのですわ」
「何とは……ヴァンピールさんに、血で酔うとマスターに対してとても破廉恥な絡み方をしないでくださいと申しているだけです」
これだけの男たちに囲まれても、まったく動じている様子がない。
話しを聞く限りでは、一人の男を巡ってキャットファイトさえ繰り広げている様子だった。
ちなみに、この二人が激突すると周辺の被害が『キャット』どころでは済まないが。
「ふざけやがって!おい、行くぞ!」
しかし、そのようなことを知る由もない討伐隊の面々は、顔に浮かべていた怒りの色をさらに濃くする。
グレーギルドも王国騎士も、それぞれプライドの高い者たちが多い。
プライドが高いことは悪いことではないが、この場では非常にまずいものだった。
舐められたと強く感じた男たちは、ヴァンピールに……は向かわず、シュヴァルト目がけて走り出した。
ヴァンピールに関しては、怒りは覚えていても二人殺された恐怖の方が強かった。
ならばということで、新たに現れたメイドに襲い掛かったのである。
「むっ。私なら倒せるとでも思われたのでしょうか?」
「賢明ですわね」
「…………」
ぷくっと頬を膨らませるシュヴァルトに、彼女を思い切り見下す目をするヴァンピール。
他の『救世の軍勢』のメンバーより優れていると見られることは、とても気分がいいものだ。
とくに、プライドが高いヴァンピールからすれば尚更である。
自己主張は弱いが、プライドはしっかりと持っているシュヴァルトは不服そうだ。
「死ねぇっ!!」
最初にシュヴァルトに近づいた男が、剣を振り上げる。
荒事に慣れているだけあって、そこそこの剣筋であった。
「まあ、私には届きませんが」
シュヴァルトはどこからか取り出した剣で、それを受け止めた。
さらに、もう一つの剣を取り出し、片手で男を斬りつけた。
「ぐあっ!?」
胴体を斜めに斬られてしまい、血を噴き出して倒れ伏す男。
シュヴァルトは剣を素早く振り払い、付着してしまった血を飛ばす。
大量の血を噴き出すという凄惨な殺害方法を実行したのに、メイド服についている白いエプロンはまったく汚れていなかった。
「相変わらず、綺麗に人を斬りますわね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
感心したように褒めるヴァンピールに、一切感情を示さずクールに受け流すシュヴァルト。
討伐隊はこれで、どうすることもできなくなってしまった。
ヴァンピールに襲い掛かればわけのわからない魔法で殺されてしまい、シュヴァルトに向かえば見事な斬り方で殺されてしまう。
「さ、早く片付けてマスターの所に戻りましょう。もう、飽きましたわ」
「あなたに言われるのはムカつきますが、同感です」
「ひっ……っ!!」
ヴァンピールの紅い眼と、シュヴァルトの極寒の眼が男たちを見る。
討伐隊が全滅したのは、そのすぐ後のことであった。