第四十六話 鉄壁マスター
ララディはドキドキと高鳴る胸を押さえつけながら、とある扉の前に立っていた。
そこは、『救世の軍勢』のギルド本部で最も重要な場所であり、ララディにとって必ず守らなければならない場所である。
そこは、マスターの部屋であった。
彼はギルドマスターとしての仕事を行う執務室と私室を分けるということはせず、すべてこの部屋で処理をしている。
だからこそ、ララディは夜遅くにここに立っているのだ。
震える手でコンコンとノックをすると、すぐに柔らかくて穏やかな声が聞こえてくる。
聞くだけで幸せになるような、マスターの声だった。
「ら、ララです。入ってもいいですか?」
上ずる声を何とか押さえつけて聞くと、了承の言葉が返ってくる。
優しいマスターが自分のことを拒否するはずがないと知ってはいるが、緊張をしないというわけではない。
受け入れられてすでに嬉しさのあまり紋章の入った頬を真っ赤にするララディは、ゆっくりと扉を開いた。
「マスター……」
部屋に入ると、今も自分たちのために仕事をしていたのか、執務を行う机の前に座ってララディを柔らかい笑顔で迎えてくれた。
ララディはそのことに嬉しさを覚えながら、後ろ手に扉を閉めてちょこっと植物で弄る。
鍵穴にぎっちりと細い植物が詰め込まれているので、この扉を開けることはもうできないだろう。
それは、いつ乱入してくるかわからないギルドメンバーを警戒してのこともあるが、マスターと二人きりになるために彼を閉じ込めるということにちょっとした快感を得ていたこともある。
何かと監禁癖のあるララディである。
マスターを一日以上ギルドから連れ出したとして『救世の軍勢』メンバー全員から警戒されているため、現在は当然できないが……。
これくらいのプチ監禁なら、可能なのである。
「(それに、マスターの力を見たら簡単に閉じ込められるわけもないですしね)」
ララディは今日、改めてマスターの偉大さを再認識した。
長い間現場仕事から離れていたマスターは、非常に不敬ながら戦闘力が衰退しているのではないかと考えていた。
今もギルドの仕事を受けて超危険種である魔物を討伐したり、『救世の軍勢』メンバーと殺し合いをしたりしている自分よりも劣っていると思っていた。
だが、それは笑ってしまうほど清々しい勘違いだった。
マスターは、ララディがくだらない心配をする必要がないほど強かった。
あの『赤髪乳女』の支配があり、ララディ自身が油断していたとはいえ彼女を追いこんだオーガを、あっさりと殺してしまった。
そんなマスターが本気になって監禁場所から逃げ出そうとしたら、おそらく怪我をさせずに止めることはできないだろう。
そもそも、マスターが嫌がるのであれば絶対にしないのだが。
思考にふけっているララディに、マスターがどうかしたかと優しく問いかけてきてくれる。
「あ、その……ね、眠れなくなってしまったです……。だから、一緒に寝てほしいです……」
枕をギュっと抱きしめ、甘えるようにマスターを見上げるララディ。
すでに、マスターが今日やるべき執務を終えていることは知っている。
今までやっていたのは、おそらく明日や明後日にでも終わらせればいいもののはずだ。
マスターにプレゼントした綺麗な花から、そういった情報を抜き出しているララディ。
「ね、お願いです、マスター……」
うーんと渋るマスターに畳み掛ける。
ララディは確かに一緒に寝たいが、それは9割ほどの気持ちだ。
残りの1割は、ワーカーホリック気味のマスターを心配して休んでほしいという気持ちがある。
ただ、『救世の軍勢』のメンバー全員に言えることだが、基本的に自分の欲望を最優先するのである。
「わぁっ。ありがとうです、マスター!」
娘のように思っているララディからおねだりされれば、断れるはずもない。
マスターは苦笑しながら、彼女のおねだりを受け入れたのであった。
ララディは『それほど苦ではなくなったのにもかかわらず』、よちよちと歩いてマスターの元に歩いて行く。
こうすれば、優しいマスターは自分を構ってくれると知っているから、もっとスムーズに歩けるようになってもよちよち歩きを継続しているのだった。
「きゃっ」
そのもくろみ通り、マスターは彼女を抱き上げてベッドまで運んでくれた。
あのオーガとの戦いを思い出す。
お姫様抱っこをされて、マスターが自分のために戦ってくれた。
あの時見上げたマスターの顔ほど、格好良かったものは見たことがない。
「あふ……」
その時のことを思いだし、紋章が入った頬を紅く染めるララディ。
ベッドの上に乗せられると、柔らかいと感触とマスターの匂いに包まれた。
「んー……疲れたですぅ……(んふぅぅぅぅっ!)」
身体をクルリとうつぶせにして、マスターの使う枕に顔を埋めて深く深呼吸するララディ。
もちろん、マスターにばれたら変態扱いされかねないので、ゴロゴロとしているふりをしつつマスターの匂いを堪能する。
「ささ、マスター。早く一緒に寝るです」
枕からの匂いもかなりいいものだが、やはり本体から発せられる匂いの方がいい。
そう判断したララディは、布団をめくってポンポンと隣をしきりに叩く。
そんな彼女に苦笑しながら、マスターはベッドに入ってきた。
「むふふー」
隣に入ってきたマスターに、ララディは早速抱き着く。
ギュウウウッとか細い腕で力強く抱き着き、凹凸の少ない身体を押し付ける。
細い脚もしっかりと絡ませ、そうそう抜け出せなくなる。
「やっぱり、マスターは暖かいです」
それは、肉体的な暖かさもあるが、精神的なものの方が大きかった。
マスターの笑顔を見るだけでララディも笑顔になり、マスターに抱き着くだけでララディの情欲が激しく刺激される。
そうすると、またマスターに対する監禁欲がくすぶり始めるのだ。
「今日のマスター、格好良かったです。ララを守って、オーガに立ち向かってくれて……」
ララディはマスターにギュッと抱き着きながら、甘えるように身体をゆする。
マスターは守るべき存在だとばかり思っていたララディ。
それは、大きな勘違いであった。
むしろ、ララディが守ってもらい、強い幸福感を得たのであった。
「マスターの男らしいところを見て、ララは……ララはもう……!」
―――――辛抱たまらねえです!
ララディはガバッと顔を上げて、マスターを見る。
その顔はドロドロに蕩けていて、幼い容姿の彼女からは考えられないほどの強烈な色気を放っていた。
よだれが垂れそうになっているし、胸も張って少々痛い。
下腹部に熱を持ち、ギュッとすがるようにマスターの服を握る。
「(いくら手を出さない鋼の理性を持つマスターといえど、男!そして、ララは特殊需要がありそうな美ロリ!迫ったらいけるはず……です!)」
うへへへへっと盛大に悶えながら考えるララディ。
最悪、マスターに媚薬の効果がある花粉をぶちまけてしまえばいいのだ。
そうすれば、獣のようにララディを貪ってくれることだろう。
時間もあまりない。
そろそろ、『救世の軍勢』のメンバーが異変に気づいて強行突破してくる可能性だってある。
初めては二人きりでイチャイチャと過ごしたいが、見せつけて絶望させてやるのも、まあ乙なものである。
「えい」
ララディは本当に脚が不自由なのかと疑うほど俊敏に動き、マスターの上に脚を広げて乗りかかる。
小ぶりなお尻を落ち着けた場所は、意識して下腹部のあたり。
大きく開いた脚のせいで、下着が見えてしまっているかもしれないが、それでマスターが興奮してくれるというのなら是非もなし。
「マスター……」
マスターのお腹に手を乗せて、妖艶に微笑んで彼を見下ろすララディ。
ふわっと柔らかい緑色の髪が揺れて、幻想的な光景を作り出す。
マスターのお腹は意外と引き締まっていて、その硬さに男を感じる。
男なら誰もが食いついてしまうような、アルラウネのお誘い。
ララディの種族は、この幼い妖艶さと花粉を駆使して男を引きずり込んでいくのだ。
マスターもまた、引きずられ……はしなかった。
「わぷっ!?」
彼は盛大に苦笑しながら、ララディの頭を掴んで自分の胸板に押し付けた。
せっかく作りだした色気たっぷりの雰囲気が台無しである。
「ま、マスター!今は違うです!嬉しいですけど!」
わたわたと手を暴れさせて抗議するララディであったが、決して逃げ出そうとはしなかった。
マスターの抱擁と匂いは、逃げ出すにはあまりにも惜しかったのである。
「あ……」
そして、宥めるように頭をポフポフと柔らかく叩かれる。
その規則的で優しい手つきに、ララディの情欲が一気に鎮火されていく。
代わりに、心を支配したのは安心感だった。
胸板に押し付けられた耳に、マスターの規則的な心音が聞こえてくる。
そのドクドクとした音が、ララディに不思議な安堵をもたらした。
「(あ、まずいです。安心したら……眠たく……)」
瞼がスッと落ちてきたことを感じるララディ。
今日と昨日は、ララディにとってもかなり大きな出来事となったので、身体的にはそうでもなくても精神的には少し疲労していたのかもしれない。
それが、マスターによって与えられた安心感のせいで、決壊して一気に睡魔が襲ってきたのだろう。
「(あぁ……せっかくのチャンスが……)」
ララディは半分意識を飛ばしながら、そんなことを考えた。
この二日間、うまく『救世の軍勢』の面々を出し抜いてマスターを独り占めにできた。
だが、おそらくこれからはそううまくはいかないだろう。
次に、二人きりとなれるときはいつになるかはわからない。
だからこそ、今のうちにマスターを自分のものにしようとこの部屋を訪れたのだが……。
「む、無念……です……」
最後にそんな悔しそうな声を残して、ララディは夢の世界に旅立って行った。
マスターはそんな彼女の頭を優しく撫でながら、苦笑していた。
ララディを沈黙させるために、睡眠を促す魔法を使ったことは彼だけの秘密である。




