第四十二話 マスターの力
ズドンという爆発が起きたかのような音と衝撃が発生する。
『救世の軍勢』の面々と殺し合いをする時なら別だが、大して力を入れて召喚しなかった植物は、オーガの一撃であっさりと折れてしまった。
植物の頂点にいたララディも、空中へと投げ出されてしまう。
「あー……やらかしちまったですね……」
オーガに……というよりも、『オーガを操っている見知った者』に怒りをぶつけていたララディであったが、今は酷く穏やかな気分であった。
それは、諦めという極致に達したからである。
アルラウネという種族上、彼女は自分の脚を自由に動かすことが苦手だ。
そもそも、マスターと出会って拾ってもらわなければ、今も森の片隅でボーっと地面から生えていただけだっただろう。
多くのアルラウネは―――個体数は非常に少ないが―――地面から抜き出て、自身の脚で以て歩いたり移動したりはしないため、脚の能力は退化していると言ってもいい。
非常に特異なアルラウネであるララディも、その点は変わりない。
「ガァァァ……」
「うわ……キモイです……」
頭から地面に向かって落下しながらも、下で待ち構えるオーガを見る余裕はあった。
よだれを垂らして、ようやく憎い獲物を殺せると歓喜している表情だ。
そんなオーガを見て、ララディのテンションは著しく下がる。
今から植物を出してオーガを攻撃できなくもないが、アルラウネが強力な力を使えるのは『地面に脚がちゃんと付いている時』である。
色々とぶっ飛んでいるメンバーが集まる『救世の軍勢』の一員らしく、たとえ地面に脚をつけていなくてもある程度の力は使えるララディ。
普通のオーガであれば、それでも十分だっただろう。
だが、下で待ち構えている、どこぞの牛乳女に操られているオーガは、普通のオーガではない。
おそらく、植物を出して攻撃を仕掛けても、難なくあしらわれてしまうだろう。
「はぁ……面倒です……」
だから、ララディは諦めることにした。
最早、何の抵抗もするつもりはない。
あれが性欲旺盛でどんな種族であろうと襲い掛かる低俗な魔物であれば、とっておきの技や必殺技などを連発して抵抗するだろうが、オーガはただ獲物を殺すだけしか能のない魔物だ。
「まあ、『予備』はちゃんと用意しているですし、一度死ぬくらいはいいですか」
ララディは自分にしかわからない言葉を呟く。
空中に放り出されて、絶賛落下中の彼女の言葉を聞く者は誰もいなかったが、聞いたとしてもちんぷんかんぷんだっただろう。
アルラウネは魔族といえど、不死の生物ではないため、一度死ねば死ぬ。
だが、ララディの口ぶりだとまるで命のストックを持っているようで……。
「あ、もうすぐですね」
ふわふわの緑髪をたなびかせながら、興味なさそうにオーガを見る。
オーガはすでにこん棒を振りかぶっており、届く範囲までララディが落ちてきたら全力で振りぬくつもりだろう。
そんなことを予想しながら、ララディはそっと目を瞑った。
◆
「―――――はれ?」
身構えていた痛みが全く来ない。
代わりに、とても安心する暖かい感触といつまでも吸っていたくなるような匂い。
そして、これらはララディにとってとても身近なものだった。
何故なら、この暖かさと匂いは、いつも甘えて抱き着くときに感じるものだったからだ。
「ま、マスター……!?」
ララディは、自分がマスターに抱きかかえられているのを初めて自覚した。
お姫様抱っこで、小柄なララディはすっぽりとマスターの腕の中に収まっている。
マスターはララディを抱えたまま、文字通り飛んでいた。
「グルァッ!?」
「嘘っ!?」
ララディを待ち構えていたオーガどころか、マホですらも驚愕した様子でマスターとララディを見上げていた。
そして、それはララディも同様だった。
いったい、どうやってあの植物から抜け出したのだろうか?
ララディがマスターを中に閉じ込めた植物は、外からはもちろんのこと、内から出ようとすることもできない鉄壁の植物である。
いずれ、マスターを拉致監禁しようと画策している植物なのだから、内側からの衝撃にも強いことは当然である。
そして、いくら縮小版のものとはいえ、その強度はかなりのものを誇っていた。
それを、どうやって……。
―――――大丈夫かい?
「あ……」
しかし、次の言葉でララディは頭の中が真っ白になってしまった。
マスターが腕の中で小さくなっている彼女に、優しく微笑みかけて聞いてくる。
その澄んだ碧眼に覗きこまれ、ララディは緑色の肌をボフッと真っ赤にした。
危機に瀕したお姫様を華麗に助ける王子様の姿は、まるで童話の一部のようだった。
「あ、あわわ……」
現在、アルラウネ形態となっているララディは、身体に何も纏っていない。
うっすらと緑がかった肌は、ほとんどさらしてしまっている。
非常に慎ましいながらも確かな膨らみを見せる胸部。
引っ込んでいるわけでもなく、醜く突き出しているわけでもなく、子供のようななだらかな曲線を描くお腹。
乳房やお腹と違って、プリッと小ぶりながらも張りがあり、確かに女であることを強烈に訴えかけてくるお尻。
そのすべてが、今マスターの前にさらされているのである。
「ちょ、ちょっと待ってほしいです……!見てほしいですが、もっと覚悟を決めてから……!」
マスターが首を傾げる中、ララディはキャーッと顔をマスターに押し付けて照れる。
恥ずかしがっているくせに、その小さな手はキュッとマスターに服を握って離さない。
今更何を恥ずかしがっているのかと言われても仕方ないが、ララディにとって非常にキュンキュンとすることをされたら、強烈に女が出てきてもおかしくないだろう。
「あふっ……もう、終わりですか……」
マスターとララディの空の旅は終わりを告げる。
残念そうにララディは言うが、一向にマスターのお姫様抱っこから降りようとしない。
むしろ、マスターの首に腕を回して絶対に下りないアピールを実施している。
「ガァァァァァァァァァァァッ!!」
オーガはララディを抱えて降り立ったマスターに対して、怒りの咆哮を上げる。
ようやく獲物をこの手で始末できると思ったら、思いもよらない邪魔が入ってしまった。
かくなるうえは、マスターごとララディを殺そう。
そう思っていたオーガであったが……。
『あんた、もしマスターに手を出そうとしたら、殺すから』
「ッ!?」
スッと自分の脳内でそんな言葉が聞こえてきた。
オーガはその声にガクガクと震える。
自分より強い者に恐怖を抱くのは、生物として当然である。
ちなみに、ララディももちろんオーガより強いのだが、今は『あの赤髪女』に操られて恐怖心を減らされているため、彼女には立ち向かうことができていた。
「ゴァァァァァァァァァァァッ!!」
オーガは猛然とマスターとララディに向かって走り出した。
だが、その攻撃対象にはマスターは入っておらず、ララディだけである。
脳内の声に、オーガは屈したのであった。
しかし、どうやらその判断は正しかったらしく、殺されるどころかむしろ身体の調子がよくなっている。
声の主も認めているのだろう。
ならば、ララディを殺すまでだ。
「マスター、大丈夫ですよ。マスターに抱かれて幸せいっぱいのララは、もう誰にも負けないです。ここは安心して、ララを抱いていてほしい―――――マスター?」
マスターの暖かさと匂い、さらにお姫様抱っこという役得な展開を存分に堪能したララディは、今まで使った魔力を全回復させていた。
いったい、どういう原理でそうなったのかは謎である。
もし、本当の学者が『マスターから受け取った愛のおかげで回復しました!』なんて聞いたら失笑するに違いない。
自信満々な顔を浮かべていたララディは、マスターにチョンと唇の上に指を置かれて黙り込む。
ドキドキと薄い胸を打ち鳴らす心臓を感じながらマスターを見上げると、ニッコリと微笑んでここは任せろと力強い言葉を聞く。
「はぅぅぅぅぅ……っ!!」
マスターの腕の中で、不自然に身体をビクビクとさせるララディ。
マスターがすでに彼女から目を外し、迫りくるオーガを見ていたことは幸いだっただろう。
そのうちに、ララディは水分をよくふき取ることのできる植物を召喚して、どこぞを拭いていた。
「ガァァァァァァァァァァァッ!!」
邪魔だとばかりに吠えるオーガ。
ユウトやマホであればその声に身体をすくめてしまうほどの声量であったが、マスターは穏やかに微笑んでいるだけである。
そして、オーガに手のひらを向けると、そこからとてつもない熱量と爆風を放ったのであった。
巨体で頑強な身体を誇るオーガは、一瞬で炎の中に姿を消したのであった。
「……え?」
それは、誰の言葉だっただろうか。
ユウトやマホもポカンと目と口を開けているし、彼らよりはるかにマスターと長い間過ごしてきたララディですら目を見開いている。
そんな反応の中、オーガは身体をプスプスと焦がしながらもなんとか意識を保っていた。
あいつは、危険だ。
ララディを殺そうとすると、必ずマスターを殺さなければならない。
先ほどの声はマスターを殺すなと伝えてきていたが、オーガはマスターを殺すことを決意した。
『……?……ッ!?』
どうやら、オーガに話しかけてきた声も酷く混乱しているようだ。
今なら、いける。
「ゴァァァァァァァァァァァッ!!」
獰猛な咆哮を上げて、空中で姿勢を変える。
そして、見事地面に着地して、いざマスターに襲い掛かろうとすると……。
「ガッ……!?」
また、オーガを襲う爆発。
ドンと空間そのものが爆発してしまったのかと思うほどの音と衝撃が、オーガを襲う。
地面に崩れ落ちそうになるオーガを、木々の枝が伸びて腕に絡みつき、まるで十字架に張り付けられているように縛り上げる。
「ララの……!?」
植物を操るのは自分の特権だとばかり思っていたララディ。
それを、マスターはあっさりと覆してしまった。
信じられないと見上げてくるララディに、マスターは苦笑しながら土を槍に変形させる。
その数は五本。
それらが、一斉にオーガに向かって飛び出した。
「ギャァァァァァァァァァァッ!!」
聖剣の攻撃ですら防いだオーガの硬い皮膚に、次々と土の槍が突き刺さる。
断末魔の叫びをあげて、猛威を振るったオーガは動かなくなったのであった。




