第三百六十八話 またね
さて、次は……。
「ど、どどどどどうしたらいいの?お、押し倒せばいいの?」
酷く慌てながら独り言をつぶやいているクランクハイトだ。
彼女は見た目こそとても可愛らしいのだけれども、あの独特な雰囲気は一般男性諸君にはなかなか受け入れられないのではないかと心配になってしまう。
アスモデウスとしてなら、男は虫のように群がってくるだろうけれど。
「えーと……クランクハイトはどうしちゃったのかな?」
「ま、マスター。あ、アスモデウスとしての本能が、い、今のうちにマスターを押し倒して搾り取っておくべきだと言ってくるのだけれど……」
「それには従っちゃいけない」
どうやら、クランクハイトとしての彼女とアスモデウスとしての彼女が相談し合っていたらしい。
絶対に負けるな、クランクハイト。
僕はふっと笑って礼を言う。
「クランクハイトには悪魔騒動のときにとても世話になったね」
「そ、そんなことないわ。あ、あれはマスターの力のおかげよ」
クランクハイトはそう言うが、それは大きな勘違いだ。
悪魔としての彼女がいなければ、悪魔にさらに良いように動かされていただろう。
彼女の力は、とても大きかった。
「もう少し、君は自分の自信を持って良いと思う。君が胸を張って生きていくことを、期待しているよ」
「わ、分かったわ!あ、アスモデウスとして、が、頑張るわ!」
「うーん、アスモデウスとしてはあんまり頑張らない方がいいかなぁ」
アスモデウス。色欲の悪魔。
そんな彼女が自信を持って力を振るったら、とんでもない大災害になることは容易に想像がつく。
妻子持ちでも構わず男を誘惑して生気を搾り取る。
……うん、討伐隊が組まれること必至だね。
そんなことを思っていると、クランクハイトからとてつもない色気が溢れ出す。
あ、早速アスモデウスになったな!
「帰ってきたら、私のすんごい幻惑魔法をかけてあげるわ」
クランクハイトはそう言って、色っぽく流し目を向けてきた。
……僕がドキドキしてしまうのは、クランクハイトの魅了だけではないだろうか。
少しドギマギとしながらも、次にアナトに目を向ける。
いつも穏やかな笑みを浮かべている彼女は、いつも通り……。
「うぇぇぇぇぇ……っ」
ギルドメンバーのだれよりもボロボロと涙を流していた。
子供かな?
「え、アナト?いつもの笑顔は?」
「あれはぁ、マスターの真似をしていただけだものぉ!こんな時に真似なんてできないわよぉっ!!」
「そうだったの!?」
僕の笑顔は、あんなにほっこりとするものではなかったけれども……。
というか、アナトにそんな秘密があっただなんて、知らなかったよ……。
「神がぁ……私にとっての神がどこかに隠れてしまう~!そんなの嫌ぁっ!!私はこれから何を信仰すればいいのぉっ!?」
……なんだか、天使教徒を見ているような気分だぞ?
やっぱり、マスター教もカルト……いや、分かっていたことじゃないか。今更落ち込むなよ、僕。
「信仰とか、しなくていいよ」
よし、これもいい契機になる。
今こそ、マスター教の呪縛から解き放たれるときなのだ!
「信仰は、何か心のよりどころを必要とする人が持つものだ。アナトは、『救世の軍勢』のまとめ役として、僕の代わりにとてもよくやってくれた。そんな仲間たちがいれば、僕は必要ないだろう?」
「仲間ぁ……」
あれ、僕なかなかいいことを言ったんじゃないか?
『救世の軍勢』のメンバーは個性的だけれども、彼女たちほど頼りになる存在というのもなかなかいないだろう。
そんな彼女たちで助け合えば、宗教……ましてやマスター教などというカルトにのめり込んでしまう必要がなくなるだろう。
アナトも僕の言葉に何か感じ入るものがあったらしく、『救世の軍勢』メンバーを見渡して……。
「なおさらマスターが必要だわぁっ!!」
「えぇっ!?」
僕が想像していたのと正反対の言葉が返ってきた。
ギルドメンバーを見て改めて僕が必要に思うってどういうこと!?
いやいやと泣いて僕に縋り付いてくるアナト。
だ、ダメだ。このままでは、僕は安心して消えることができない。
どうすればいいのか。どうすればアナトが僕の言葉を聞き入れてくれるのか。
じっくり考える時間はない。すでに、身体の感覚の一部がなくなってきているから。
僕は一生懸命考えて、ついにとりたくなかった手段を選んでしまう。
「アナト、じゃあこれは神託だ」
「しん……たくぅ……?」
これだけは、使いたくなかった。
マスター教を否定する立場の僕が、神託だなんて言えばそれを認めてしまったようになってしまうから。
でも、こうするしかなさそうだし……。
僕は腹をくくり、涙目で見上げてくるアナトに神託を告げる。
「そう。君は、僕が帰ってくるまで、前向きに生きてほしい。ギルドではとても頼りになったんだ。今では、君はマスター教の大司教として、信じられないくらいたくさんの人々を導かなければならない。だから、無理をしないように……本当に無理をしないように、彼らのために頑張ってほしい」
無理をしないようにと二度も言ったのは、その言葉通りアナトが頑張りすぎないようにするためという理由と、これ以上マスター教を広めないでという悲痛な叫びが込められている。
しかし、マスター教という認めたくはないが巨大な勢力は今確実に存在しているし、僕という遺憾ながら旗印が消えてしまえば、彼らが戸惑ってしまうことになるだろう。
それを防ぐ責任は、マスター教を作り上げて勢力を嫌なほど拡大してくれたアナトにあるだろう。
彼女が殉教とか恐ろしいことを口走らないように、釘を刺しておかなければならなかった。
「神様ぁ……」
すると、アナトはまるで救いを得たかのようにキラキラとした目を向けてきた。
え、神様?
違う違う、神託とか言っているけれど、僕は『あいつ』とは違う。
「分かったわぁ、マスター。信徒のためぇ……というよりはマスターのためにぃ、私はあなたがいない間も全力で頑張るわぁ!これもぉ、試練なのよぉっ!!」
「あ、うん。あんまり頑張らなくていいからね」
否定したいけれども、せっかく生きる気力を取り戻してくれたのだから余計なことは言えない。
僕はどっと疲れながらも、何とか笑みを浮かべた。
やっぱり、狂信者はダメだ……。
そして、最後の人に目を向ける。
つい先ほど『救世の軍勢』に加入することが決まったリミルだ。
「リミルとは、他の皆よりはなかなか会えなかったね」
この中では、唯一正式な『救世の軍勢』メンバーではなかったリミル。
彼女はうっすらと微笑む。
「でも、その代わり僕とマスターは二人きりで過ごすことが多かったよね。他のメンバーより」
まあ、それは確かにそうかもね。
神出鬼没で、いつの間にか執務室に侵入していたということがほとんどだったし。
『救世の軍勢』メンバーが『二人きり』という言葉に敵意をみなぎらせる。
……リミル、分かっていてやったな。
「君の旅の話、ギルドにずっと引きこもっていたころは本当に楽しかったよ。ありがとう」
ただ、彼女がいつも話してくれた土産話は、軟禁状態にあった僕はとても楽しく聞くことができた。
あれがなければ、ララディに引きずり出されるよりも前に、勝手に出て行ってしまっていたのではないだろうか。
うっとする『救世の軍勢』メンバーたち。
まあ、この子たちも僕のことを思ってくれていたんだろうけれど……だからこそ、責める気にはならない。
「いやいや、マスターの退屈をどうにかできたなら、僕としても嬉しいよ。……でも、お礼を言うのは僕の方だね」
リミルは笑っていたが、少し雰囲気が変わる。
お礼?
「今回、ラルドの残党に捕まって、アリアを憑依させられて、マスターを傷つけてしまった。それは、本当に心が痛いよ」
なんだ、そのことか。
確かに、僕は今回の騒動によって甚大なダメージと力の消費を招いて、この世界に留まることができなくなってしまった。
「なに、あれはヒルデとアリアが悪いから、リミルは悪くないよ」
しかし、これはリミルが悪いというわけではない。
ラルドの残党として僕への復讐をもくろんでいたヒルデ、巨乳を手に入れたとはしゃいだアリア。あと、マリアも悪い。
というわけで、悪いのはラルドの残党と使徒だけなのである。
だが、僕がそう言ってもリミルは納得した様子を見せない。
「そうはいってもね……せっかくマスターのものになろうと決意したのに、結局そのマスターがどこかに行ってしまうんじゃあ、ギルドに入った意味がないよ」
僕のもの、という言葉に少し引っ掛かるけれども。
しかし、リミルの言ったことは少し違うような気がした。
「入る前に何か目的を探さなくても、入ってから探せばいいんじゃないかな?僕が帰ってきたとき、リミルがどんな目的を持っているのか、楽しみだよ」
目的なんて、今すぐに持たなければいけないというものでもないのだ。
それも、人間よりもはるかに長い寿命を持つのであれば、なおさらだ。
ちなみに、リミルはホムンクルスで本来は短命なのだけれども、僕が保護したときから少し生活を共にしていた間に、ちょっとずつ寿命を延ばして人間よりも長命になっている。頑張った。
「…………そうだね」
リミルは目を丸くしていたが、ふっと笑ってくれた。
よかった、よかった。
僕が笑っていると、リミルは両手でふわりと僕の手を覆った。
「マスターが戻ってくるまで、僕はずっと待っているよ。君のことを、ずっと想っている」
うっすらと微笑みながら言うリミル。
……なんだか告白されているみたいで、年甲斐もなくドキドキしてしまった。
もう少し彼女たちと話したいけれども……。
「時間か……」
僕の脚が、すーっと消え始めた。
なるほど、こういう感じで使徒は消えていくんだったか。
一度マリアで見ているはずだったけれど、随分前の話だから忘れてしまっていたよ。
「う、うぅぅぅぅっ!!や、やっぱり嫌ですぅっ!!」
「マスター、何とかならないんですの!?こう、ぱーっと!!」
「無茶言わないでよ」
ララディとヴァンピールの言葉に、僕は苦笑してしまう。
足元から消えていき、それはどんどんと上ってくる。
うん、意外と速いんだね。
その前に、言いたいことを言えてよかった。
「これから、困難なことも待っていると思う。だけれども、君たちが力を合わせれば乗り越えられないものはないだろう。時には喧嘩することもあるだろうけれど、協力して頑張って行くんだよ?」
そう言って、みんなの顔を見回す。
しばらく、見納めになるからね。
ララディ、ソルグロス、リッター、ヴァンピール、シュヴァルト、リース、クーリン、クランクハイト、アナト、リミル。
皆泣き方はそれぞれだけれども、涙を見せてくれている。
不謹慎だけれど、嬉しく思ってしまうのは悪いだろうか。
「僕は死なない。いつでも君たちを見守っているよ」
そこまで言うと、もう言葉も出しづらくなってきた。
下を見ると、もう胸のあたりまで消えていた。
いよいよとなって、ララディやシュヴァルトが泣き始める。
ギルドのメンバーが泣いているとその涙をぬぐいたくなるけれども、そのための手はもう消えていた。
『マスター!!』
口々にみんなが僕を呼ぶ。
応えてあげたいのだけれども、そのための声ももう出なくなってしまった。
仕方ない。
僕は、彼女たちに言われて浮かべはじめた笑顔を見せる。
――――――またね。




