第三百五十三話 シュヴァルト、リッターvs.アリア
この戦場では、刀を振るっていたラルドの残党が尻餅をついていた。
怯えた様子で見上げる先には、剣を構え左腕を異形のものに変えているリッターの姿があった。
「け、剣で正々堂々と戦おうとは思わないのか……!?」
「……?別に?」
ラルドの残党はやけに剣にこだわっていたようだが、リッターは別にそういうこだわりは持っていない。
ただ、マスターと自分の敵を排除することができるのであれば、手段は問わない。
まだ何かを言いつのろうとする彼の言葉に耳を貸すことなく、リッターは彼の首を刈り取った。
「終わりましたか?」
「……うん」
歩いて声をかけてきたのはシュヴァルトであった。
彼女の方は、リッターよりも早く勝負がついていたようだ。
メイドの白いエプロンが血に濡れている。
「……ちょっと苦戦した?」
「見た目に気を遣って戦えるほど弱くはなかったですね」
リッターとシュヴァルトは大したダメージを負うことなくラルドの残党を殺害することに成功していたが、まったくもって雑魚だったというわけではなかったようだ。
剣士同士の戦いに勝利し、先に向かったメンバーの後を追いかけようとしたのだが……。
唐突に、唸りを上げてリッターとシュヴァルト目がけて剣が飛んできた。
不意打ちで速度も速かったので多少驚いてもいいのに、二人は大して表情を変えることなくそれを難なく剣で撃墜した。
『救世の軍勢』の無表情コンビだから、仕方ないかもしれないが。
「おや、今の攻撃を防ぎますか。先ほどまでの『救世の軍勢』メンバーだったらダメージくらいは負わせられたと思うのですが……あなたたちが生粋の戦闘タイプですか」
現れたのは、リミルの身体に宿っているアリアである。
『救世の軍勢』相手に連戦をするつもりのようだ。
唐突に現れた彼女を見て、シュヴァルトは眉をひそめる。
「リミル……ではないようですね」
「わかりますか?」
「……気配が違う」
たとえ、見た目がリミルでも、その纏う雰囲気は彼女のそれとはまったく異なっていた。
奴隷でありながら剣士の側面を持つシュヴァルトと、剣士そのものであるリッターはすぐにそのことが分かった。
先ほどまでのように、いちいち説明する手間が省けてよかったと頷くアリア。
「お兄様の妹分です。アリアと申します」
「お兄様……マスターのこと?」
「あなたたちは、そう呼んでいるようですね」
妹分と聞いて、流石に目を丸くする二人。
「マスターをさらったのは、あなたですか?」
「はい」
「そうですか」
アリアの返答を聞いた次の瞬間、シュヴァルトはアリアの背後に回って剣を振っていた。
アリアはそれをかがんで避けるが、身体よりも遅れて動く長い黒髪が何本か切られてしまう。
「おぉ……」
アリアは少し驚きながら、ふわりと飛んで距離を置く。
「私がお兄様の妹分だと聞いても、ちゅうちょなく殺しにかかってきましたね。少し驚きました。お兄様に嫌われるとは思わなかったのですか?」
そんなアリアの問いに、シュヴァルトは『ハッセルブラード』を振って答える。
「あなたが誰であろうが、関係ありません。私からご主人様を奪い取ったことは事実。主人を奪われて、奴隷が黙っていると思いますか?」
「……割と黙っていそうな気もしますが」
やれやれと首を横に振るシュヴァルト。
それは、世間一般でいう酷い扱いを受けている奴隷に限るのだ。
自分のような、自ら進んで奴隷に落ちる者は、へばりついてでも主人に付いていく覚悟なのである。
「そんな奴隷、ほとんどいないと思いますが……」
下界の事情に疎いアリアでも分かる。
「そうですか。……まあ、私じゃなくても『救世の軍勢』のメンバーは、妹分であろうがなかろうが関係なく報復すると思いますよ」
「うん」
シュヴァルトの言葉に答えるのは、リッターであった。
悪魔のものとなった左腕で、彼女は思い切りアリアを殴りつけた。
ただの拳を振るった時よりも明らかに威力が増しており、剣で防ごうとしても容易く破壊してしまうほどの力が込められていたのだが……。
「下界の者とは思えないほどの力ですね。……あぁ、悪魔憑きですか」
「……っ」
アリアは難なくそれを受け止めてみせた。
只者ではないことは分かっていたが、まさかここまでとは……。
リッターはすぐに離れようとするが……。
「つぅ……っ!!」
指で軽く腕を触れられただけで、激痛が走った。
「おっと、危ないですね」
異常が起きたことを察知したシュヴァルトは、魔剣でアリアに切りかかる。
軽く切られただけでもマズイことになるような嫌な雰囲気を感じたため、アリアも迎撃することなく避ける。
腕を解放されたリッターの近くに降り立ち、シュヴァルトは怪我の様子を覗き見る。
「……っ。今ので、腕が折られたのですか?」
「……そうみたい」
リッターの腕は、目で見て明らかに骨が折れていた。
強い攻撃を受けたわけでもないのに……しかも、彼女の左腕は悪魔のそれを顕現させていたというのに、だ。
「ちょっと強い、あのリミル」
「リミルではないのでしょうけど……確かに厄介そうですね」
何をされたかわからない。シュヴァルトとリッターの目をもってしてもである。
これは、かなり苦戦しそうだ。
「私の切り札を使う。時間、稼げる?」
リッターはシュヴァルトを見て、そう言ってきた。
「……切り札、ですか。それは、いったいどういうものですか?」
仲間ではあるが、簡単には信用しない。それが、『救世の軍勢』である。
とりあえず、信用していい札なのか確かめる。
シュヴァルトの問いを受けたリッターは、ポッと頬を染める。
「……マスターとの愛の共同作業で生まれた」
「ダメですね。信用できません」
すかさず却下した。
少し興味を持ったことが間違いだったようだ。
しかし、まさかリッターがこんなにくだらない冗談を言うようになったとは……ララディやヴァンピールの影響だろうか?
まったく嘆かわしいことだ。
「……何で?」
「何でもクソもないでしょう。何が『愛』ですかぶち殺しますよ」
不服そうなリッターに、イラッとしながらシュヴァルトは答える。
マスターの愛が向けられるべきなのは、彼に粉骨砕身仕える奴隷である自分だけであり、決して他のギルドメンバーではないのだ。
「使徒を前にして、お話とは余裕ですね」
そんな中に飛び込んできたのは、アリアであった。
ララディやクーリンが捉えることができなかった速度で二人に襲い掛かる。
しかし、シュヴァルトとリッターは前述の彼女たちと違って、近接戦闘をバリバリにこなす二人だ。
アリアの高速移動も、しっかりと視認していた。
「……っ」
「……壊れないですね。良い武器を使っているようで」
アリアの重すぎる攻撃に、シュヴァルトはその無表情を少し崩してしまう。
魔剣でなければ、折れていたかもしれない。
そんな強烈な攻撃であった。
だが、そのすぐ後にシュヴァルトは反撃する。
この反応の速さこそが、彼女を強力な剣士として確立させている大きな理由の一つである。
目にもとまらぬ素早い斬撃がいくつも放たれる。
だが、アリアも見事な身のこなしで、かすり傷一つ負わない。
「(魔剣……下界の者が生み出した武器のようですが、なかなか面倒ですね)」
傷を負ってしまえば、それだけで致命傷になる部類のものもある。
『ハッセルブラード』は掠っただけで死に至るようなものではないが、力を奪われるということを考えると非常に厄介な魔剣である。
その能力まではアリアは知り得ないが、その剣が放つ異様な雰囲気から何かを感じ取る。
「まあ、刃に触れなければいいだけですね」
そう言って、アリアは素早く振るわれる魔剣の腹を指ではじく。
ギィン! という鈍い金属音と共に、シュヴァルトの腕はその勢いに負けて跳ねあげられる。
「なっ……!?」
愕然と目を剥くシュヴァルト。
一流の剣士である彼女の斬撃を見抜いたどころか、刃に触れることなく剣の腹を叩いた。
シュヴァルトでなくとも、動く剣に斬られないようにしながら腹を触ることがいったいどれほど難しいことだろうか。
それなのに、幾人もの敵を剣筋さえ視認させることなく屠ってきた彼女の剣を、動いている途中に叩いたアリアの異様さは際立っている。
「剣士は、剣を奪われたら何もできなくなってしまうのが難点ですね」
アリアはそう言って、軽く握った拳をがら空きになったシュヴァルトの腹部に叩き込む。
「…………っ!!」
シュヴァルトはその一瞬の間に、何とか魔剣で防ぐことに成功したが……。
「がはっ……!?」
彼女の身体は空高くに打ち上げられていた。
剣で防ぐことなど、まったくもってできなかった。
腹部にも攻撃をもらってしまい、口から血を吐き出していることから内臓に深刻なダメージがいったことが分かる。
「ちょっと強く打ち過ぎた気もしますが……彼女が強くてよかった」
ついつい、強敵を相手にして手加減を誤ってしまったアリア。
人の身体が真っ二つになるような威力の拳を打ちこんでしまったが、シュヴァルトの素晴らしい反応のおかげで、ちょうど再起不能にする程度のダメージに抑えられたようだ。
さて、とアリアは先ほどから異様な力を纏い始めているリッターを見る。
何をやらかすつもりか知らないが、される前に潰してしまえばいい。
すでに、シュヴァルトから意識を外してリッターに向けていたのだが……。
「……?」
異様な……それこそ、アリアがこの下界に降りてきて一番の強い力の流れを感じて振り向く。
そこには、彼女によって高く打ち上げられたシュヴァルトが、今も落下中であった。
だが、彼女は意識を失っているわけではなく、口から血を流しながら未だ強い光を目に灯していた。
シュヴァルトは『ハッセルブラード』を放り捨てる。
近接戦闘では、アリアに歯が立たないことは分かった。
だが、諦めて敗北するわけにはいかない。
マスターを……ご主人様をさらった報いを、必ず受けさせなければならないのだ。
だから、彼女は『ハッセルブラード』以外の武器を召喚する。
それは、ダークエルフという種族らしい武器である弓であった。
だが、ルーフィギアが持っていたような木でできた優しい雰囲気を醸し出すものではなく、黒々とした鉄でつくられた怪しげな弓であった。
矢は召喚しない。必要ないからだ。
シュヴァルトは落下しながら、アリアに照準を合わせて弓を引いた。
すると、魔力で矢が構成される。
そして、矢じりには急速に魔力が集束して玉ができ始めていた。
「これは……!」
初めてアリアの顔に、焦燥の色が薄くではあるが出る。
シュヴァルトは苦しげに顔を歪めながらも、矢を放った。
「『ウラディヌス』……!」
矢を放つと同時、その衝撃でシュヴァルトは吹き飛ばされる。
本来は、地上でしっかりと脚の支えを得てから撃ち放つべき矢である。
それを、無理やり空中で使ったのだから、背後に飛ばされることは当たり前だろう。
だが、その代わりに放たれた矢はアリアの目前まで迫り……。
ズドォォォォォォォォォォォォォォォンッッ!!!!
凄まじい爆発を起こした。
矢で敵を貫くのではない。
その爆発で、敵の身体を吹き飛ばしてしまう恐るべきものである。
爆風と衝撃が辺りに広がる。
砂煙が晴れると、そこにはアリアの姿どころか散らばっていたラルドの残党の死体も消し飛んでいた。
「けほっ、けほっ……!はぁ……はぁ……」
だが、吹き飛ばされたシュヴァルトもまた深刻なダメージを負っていた。
魔弓『ウラディヌス』は、ダークエルフとしてのシュヴァルトの切り札である。
過去の出来事からも滅多に使用しない代物であるが、そのほかの大きな理由として凄まじく生命力が搾り取られるという難点がある。
とてつもない破壊力と引き換えに、長寿のエルフ種でも使用にためらうような生命力を吸い取られてしまうのである。
アリアの攻撃を受けていたこともあり、シュヴァルトの消耗は想像を絶するものがあった。
時折血を吐いていることからも、かなり死力を尽くした攻撃であったことは間違いない。
その結果として、アリアは消し飛んだのだが……。
「…………」
シュヴァルトの顔は険しい。
彼女の剣士としての本能が、アリアの生存を伝えてくるからである。
「驚きました」
はたして、彼女の予想通りアリアは健在であった。
彼女が現れたのは、地中から。
美しいリミルの身体が汚れることもいとわず、地中に身を隠していたのだ。
『ウラディヌス』が直撃する直前、地中を破壊してその小さな空洞に逃げ込んだ。
そのため、苛烈な爆風や瓦礫から身を守ることに成功したのであった。
「まさか、命をこうまでもあっけなく削るとは……。あなたのお兄様への想い、狂信的ですね」
「……ほ、め言葉として、受け取っておきます」
そう言って、シュヴァルトはついに意識を失った。
「止めは……必要ありませんね」
もう、シュヴァルトが戦うことはできないだろう。
さて、残ったのはリッターだけである。
だんだんと手ごわくなってくる『救世の軍勢』メンバーのことを考えてアリアは顔を歪める。
「まったく……お兄様は面倒な女に慕われますね」
『救世の軍勢』もそうだが、自身の姉であるマリアもまたそうだが……。
やれやれと首を横に振って、リッターに目を向ける。
「…………っ」
そこには、異様な姿のリッターが立っていた。




