第三十五話 ララディの力
「マスター。絶対にマスターだけは守り抜いてみせるですが、一応念のため!少しだけ下がってララを見ていてほしいです」
強敵であるはずのオーガから目をきっぱりと離して、媚びるようにマスターを見上げるララディ。
身を案じる言葉の中に、マホの名前がないことはご愛嬌である。
マスターはコクリと頷いて、後ろに下がる。
彼の目にはララディに対する強い信頼感が見えて、ララディは天にも昇りそうな幸せを感じる。
「んふぅ……っ!蜜が出てきちゃいそうです……っ」
ララディは頭に乗っている花を押さえて、顔を真っ赤にする。
脚をもじもじとさせているが、何も関係がないので安心してほしい。
「ゴァァァァァァァァッ!!」
オーガは赤い皮膚に覆われた身体をさらに赤くし、ララディに襲い掛かる。
再び、地中から大きな蔓が現れて、オーガを薙ぎ払おうとする。
しかし、それはすでに一度見た攻撃だ。
オーガはグッと脚に力を溜めるとすぐにそれを解放し、ジャンプを披露してその薙ぎ払いを避ける。
「むっ。相変わらず、大きな図体のくせに身軽ですね」
ララディは避けられたが、それだけで攻撃手段がなくなるわけではない。
さらに、地中から蔓が次々と伸びてきて、空中で動きのとれないオーガに唸りを上げて迫る。
オーガはこん棒を振るい、一息つく暇がないほどの攻撃を次々と払い落とす。
「流石、戦闘しか頭にない脳筋魔物。なかなかやるですね」
「ガァッ!?」
そんな認めるようなことを言いながらも、ララディは容赦なくオーガを叩きのめす。
あと少しでララディに届くと油断したオーガは、地中からではなくそこらじゅうに立っている木の大きな枝を腹に受けて地面に落とされる。
だが、すぐにララディは異変に気付く。
「ゴァァァァ……」
「受け止めやがったですか……」
オーガはニヤリと口が裂けるほど大きな笑みを浮かべる。
腹に叩き付けられた枝を、強靭な防御力で受け止めたのである。
太い腕をさらに膨らませ、ベギャッと折ってしまう。
「ガァァァァァァァァァァッ!!」
ドスドスと大きな地響きを立てながら、凄まじいスピードでララディに向かって走り出すオーガ。
オーガの道を遮るのは、いくつもの巨大な植物の蔓。
鞭のようにしなり、上から左右から襲い掛かってくるそれを、オーガは身体をひねって避けたりこん棒で叩き落としたりしながら着々と距離を縮めていく。
そして、ついに邪魔をしていた最後の蔓を引きちぎり、ララディへの道が開ける。
「ゴァァァァァァァァァァッ!!」
「ララディ!?」
勝利の雄叫びを上げるオーガと、悲鳴じみた声を出すマホ。
助けようとなけなしの魔力をひねり出そうとするマホを、マスターが手を出して止める。
「何で!?あの子、死んじゃうわよ!」
マホがそう言うが、マスターはニコニコとした笑顔を崩さない。
そして、微塵も疑っていない声音で言った。
―――――僕は、ララディを信じている。
「んはぁぁぁぁぁぁっ!?」
大きな声を上げたのは、唖然としているマホでもなく、勝利を確信しているオーガでもなく、マスターに背を向けていたララディであった。
非常に色気のある声で、自分の小さな身体を抱きしめる。
戦闘中であるにもかかわらず、目はトロンと蕩け、小さく開いた口からはよだれが垂れている。
頬は真っ赤だし、下腹部を押さえて切なそうに脚をもじもじとさせる。
大きなお友達が大絶賛するような光景だ。
「マスターに全幅の信頼を与えられることが、こんなに気持ちいいなんて……っ!!シュヴァルトが料理を任せると言われた時、ビクビクしていた気持ちが分かったです……っ!!」
「ちょっと!今、気持ち悪い動きをしている場合じゃないでしょ!」
「このクソ魔法使い!言うようになったですね!」
自分たちの攻撃が一切効かなかったオーガは、マホにとって最も恐ろしい敵と言っても過言ではない。
そんな化け物を前に発情しているララディを見れば、一言言いたくなるのも仕方ないかもしれない。
ギャアギャアとララディとマホが喧嘩している間に、こん棒を振り上げるオーガを笑顔で見つめるマスター。
……マスターマイスターレベルの者でなければ気づかないが、少し引きつった笑顔であった。
「ふん、大丈夫ですよ。ララはマスターのものですからね。お前たち勇者程度とは格が違うですよ」
「ゴァァァァァァァァァァッ!!」
何をつべこべ言っているんだとばかりにこん棒を振り下ろすオーガ。
すると、再びドゴッと地中が割れて、そこから黄色の大きな花が現れる。
また、蔓の攻撃かと一瞬本能で考えるオーガであったが、こちらを攻撃せずに静々と生えているだけである。
ならば、その花ごとララディをミンチにしてやろう。
警戒心の強い者なら、まずは未知の花から離れていたであろうが、オーガにそのような知能はなかった。
こん棒が黄色い大きなつぼみに衝突した途端。
「ゴァァッ!?」
「きゃぁぁっ!?」
オーガだけでなく、マホの悲鳴も響き渡った。
オーガの筋力で潰された蕾から、ボフッと大量の黄色の粉が溢れ出したのだ。
その粉は非常に体積が軽いらしく、一瞬で辺りの森を黄色で埋め尽くしてしまった。
「くさっ!?なにこれ、臭いッ!?」
マホが空気を吸い込んだ瞬間、おげぇっと口を開いて息を吐き出す。
溢れ出した黄色の粉は、凄まじいほどの悪臭を放っていたのだ。
「ゴァァァァァァァァァァッ!?」
ララディから大分離れているマホでさえ、目からは涙が溢れ出し、鼻水が垂れてしまうほどの強烈な臭いである。
超至近距離で悪臭の爆発を受けたオーガは、地面に倒れてのた打ち回る。
特に、オーガは人間よりも幾分か優れた嗅覚を持っているので、堪ったものではないだろう。
あの強力な魔物であるオーガがのた打ち回るほどの悪臭。
それを、同じく間近で受けているララディもかなりの反応を示しているだろうと、ちょっと期待して彼女を見るマホであったが……。
「な、何で平気な顔をしているの!?」
ララディはいつも通り、マスター以外を見るときの心底つまらなさそうな顔をしていた。
自分は鼻がひん曲がりそうな悪臭を味わって顔をくしゃくしゃにしているのに、まったく平然としている。
納得いかないと、涙を流しながら睨みつけてくるマホを見て、ララディははあっとため息を吐く。
「馬鹿ですね。自分の技で自爆するはずないですよ。ちゃんと、対策は取っているです」
ララディが取っているのは、空気清浄を猛烈な勢いでしてくれる花粉を鼻の穴の中に壁のようにつけて、悪臭を完全にシャットアウトしていた。
だからこそ、苦しげに呼吸をしているマホを見て、嘲笑うことができているのである。
「ず、ずるいわよ!それに、マスターはいいの!?」
「はっ?ララがマスターのことを考えていないわけないですよ。というか、四六時中マスターのことしか考えていないと言っても過言ではないです。えへっ」
最早狂気と言えるレベルの愛情がこもった目をマスターに向けるララディ。
そんな彼女にイラッとしながらも、マホは続きを促す。猛烈な臭さに悶えながら。
「ほれ、マスターの素晴らしい顔をもっとちゃんと見るです」
「え、でも……恥ずかしいし……」
「何もじもじしてんだきめえんだよ……です。そんなカマトトぶらなくてもいいですから、早くするです」
今度は、恋する乙女の雰囲気を前面に押し出してくるマホに、ララディが猛烈なまでにイラッとする。
ララディに促されたマホがマスターの顔を、頬を染めながら見ると……。
「あっ!マスターの顔に変な花がっ!」
マホがドキドキとして止まず、ララディが発情して止まないマスターのイケメンフェイスは、その下半分を花で覆って隠されていた。
とてもシュールな光景となっている。
「それは、空気花というとても珍しい花です。新鮮な空気を発する花ですよ。これのおかげで、マスターはとても良い空気を吸うことができているです」
「私にも、その花ちょうだいよ!」
「へっ、嫌ですよ。悪臭に悶えるがいいです」
ニヤニヤと笑って、とんでもない臭さにもだえ苦しむマホを見るララディ。
「グァァァァァァァァァァァッ!!」
オーガが強烈な絶叫を上げて、倒れていた地面から立ち上がる。
だが、間近で黄色の粉を身体全体に受け取ってしまったため、目は開き切っていない。
さらに、オーガの戦闘力を支えていた五感の鋭さが、著しく損なわれていた。
鼻は利かなくなってどこに獲物がいるのかわからないし、目も見えないため完全に迷子になってしまっている。
「オォォォォォォォォォォォッ!!」
こんな風に手も足も出ない状況は、オーガにとって初めての経験である。
混乱と錯乱により、手に持つこん棒をめちゃくちゃに振り回し、敵が近づけないようにする。
「あーあ。そんなに振り回すと、危ないですよ」
だが、そもそもララディは敵を殺すためにわざわざ近づいたりなんてしない。
歩くことが苦手なのに、近接戦闘上等のオーガに近寄るはずもない。
毒粉を撒き散らした黄色の花を召喚し、オーガに向かわせる。
「ゴァァァァァァァァァッ!!」
オーガは酷く五感が衰退していても、聴覚で空気を裂きながらこちらに向かってくる何かを聞きとった。
そして、フラフラとする頭の中で、その花を次々と叩き潰す。
勇者パーティーを全滅させるほどの力を持つ魔物らしい、一騎当千の戦闘力であった。
しかし……。
「あー、ダメですよ。その花は、毒を持っているですから」
「グァッ!?」
ララディの忠告も遅く、オーガの全身に花から出てきた液体がバシャッと存分にかかってしまう。
まあ、ララディも本心から忠告したわけではなく、ただ相手を馬鹿にしているだけであったが。
最初は、液体をかけられて目を丸くするオーガであったが、そのすぐ後、劇的な変化が現れた。
「ギャァァァァァァァァァァァァッ!!」
オーガの口から、雄叫びではなく悲鳴が叫ばれたのだ。
悪臭を直撃させられた時と同じように……いや、それ以上の激しさで地面をのた打ち回る。
しかし、一向にオーガを襲う激痛と息苦しさは消えない。
「な、何……?どうしたの?」
ようやく悪臭を放つ花粉が風に乗って薄くなり始めたので、マホにも戦闘を見る余裕が生まれた。
何が起こっているのかと不思議に思いながら、オーガを見ると……。
「お、オーガの身体が……っ!!」
マホははっと息を飲み、口を押さえる。
オーガの身体は液体がかかってしまった場所から順に、ドロドロと溶けはじめていたのだ。
「うっ、おぇぇぇぇ……っ!」
その、あまりにも凄惨な状況に、平和な異世界からやって来たマホは口から戻してしまう。
うっうっと喉が痙攣している間も、オーガの絶叫が森中に響き渡る。
さらに、黄色い花粉の悪臭で匂わないはずなのに、魔物の身体が解けていく臭いが届いてくる幻覚に陥り、また戻してしまう。
いったい、何をしているのかとマホは目でララディに問いかける。
「その花は、『ギフトソイレブルーメ』という毒花です。その蜜は、何であろうとドロドロに溶かしてしまう猛烈な酸が含まれているです。もちろん、硬い皮膚を持つオーガも溶けちゃうです」
ララディはマホが目を背けた凄惨なオーガの死にゆく過程を、何の感情も抱いていない目で見下しながら説明する。
オーガの身体がどんどんと溶けて行き、最早下半身は完全に消失していた。
こん棒を振るって猛威を撒き散らしていた右腕も溶け、顔も半分が消えてしまっていた。
「オォォォ……」
勇者パーティーを壊滅させた魔物が遺した最期の言葉は、そんな悲鳴であった。
ついに、ドシャリと音を立ててオーガが地面に倒れ伏したのであった。




