第三百四十二話 拉致
……もう寝たかな?
僕は隣ですやすやと眠っているアナトを、こっそりと覗き込む。
彼女は最近決して見せてくれなかった、子供のように安心した寝顔を見せてくれている。
僕の身体に抱き着くようにして眠っていることも、昔に戻ったみたいで何だか嬉しい。
この子は、マスター教なるカルトを立ち上げた時から、凄くよそよそしくなったからなぁ……。
信仰対象だから敬意を払わなければならないと考えたのだろうけれども、それは少し寂しかった。
だから、今回の件で昔みたいに戻れたのは良かった。
……しかし、眠れない。
アナトはスヤスヤだけれども、あまりにも身体を押し付けてくるせいで僕はさっぱり眠れなかった。
……少し、外の風に当たるか。
僕はアナトを起こさないようにこっそりとベッドから抜け出そうとすると……。
「んん~……ますたぁ……」
僕の服を掴むアナトのせいで、引き留められてしまう。
「ますたぁ……ずっと一緒よぉ……?」
いったい、どのような夢を見ているのだろうか。
少なくとも、この子たちがお嫁に行くまでは守ってみせるとも。
僕は微笑みながら、アナトの頭を撫でる。
すると、むにゃむにゃと幸せそうな顔をしたと思ったら、僕の服を掴む力を緩めてくれた。
僕はその隙にベッドから抜け出し、部屋の外に出ることに成功した。
魔王城は静まり返っていた。
まあ、深夜ということと戦争から間もないということもあって疲れて眠りこむ人たちが多いのだろう。
種族的にヴァンピールなどは元気かもしれないけれども、あの子も僕に合わせてくれているのか昼間に行動していることが多いから、おそらく眠っているのではないだろうか。
そんなことを考えながら、僕はバルコニーに出る。
城下を見下ろすと、静まり返った街がある。
普段は賑やかな場所も、今は猫が一匹うろちょろとしているくらいだ。
なんだか、不思議な気持ちになる。
しばらく夜風に当たっていると、なんだか感傷的な気持ちになってきた。
……少し前までの僕は、将来の自分がこんなことになっているなんて想像もできないだろう。
もともと、日陰に生きているべき闇ギルドのマスターであった僕。
それが、今では一国の王である。どういうことなんだ……。
僕としてはこのような出世をまったく望んでいないわけだけれども、可愛いギルドメンバーたちがプレゼントと称して渡してきたため断ることができなかった。
……どんなプレゼントだ。もっとこう……手紙とかでもよかったんだ。
むしろ、そっちの方が嬉しかった。
このことを考えていると、最近の出来事が思い出される。
ここ何年かは、あの子たちに物凄く反対されてギルド本部からほとんど出ることはなかった。
それが変わったのは、ララディと外出した時だった。
花畑で歩行の練習をしていると、勇者パーティーと出会ったんだっけ。
そこでマホやユウトと知り合い、彼らの仲間割れ……まあきっかけは闇ギルドの僕たちが理由だったかもしれないけれど、それに巻き込まれたんだよね。
なんだかんだうまくいって、彼らは異世界に帰って行ったけれど……今、うまくしているだろうか。
……そう言えば、最近のララディは本当に歩くのが苦手なのかと思ってしまうくらい元気だよね。
次は、ソルグロスだった。
彼女とは闇ギルドの抗争を戦ったね。
『鉄の女王』は、僕が言うのもなんだけれどなかなかにあくどい連中だった。
そこで出会ったルシルたちも悲しい現実が襲い掛かってきたけれども、今では元気にやっていた。
ソルグロスは、僕にやたらと付きまとうことはそろそろ自重した方がいいと思う。嫁の貰い手がなくなる。
その次はリッターだった。
王女……今では女王となったニーナと会えたのは、彼女のおかげである。
そのつながりが、今ヴァスイル魔王国とエヴァン王国の友好につながっているのだから、縁とは分からないものである。
感情が読み取りづらいリッターであるが、ニーナ女王とは今も任務を継続していることもあってなかなかうまくいっているのだろう。
彼女も甘えてくるのはいいのだけれど、紋章の入ったお尻をしきりに撫でさせようとするのは勘弁してほしい。最低の絵面になってしまう。
あと、料理はもうちょっと頑張ってみようか。
次は吸血鬼領にヴァンピールと共に行ったね。
まさか、あの子が再び領主の座につくとは思わなかったけれど。
今のあの子で大丈夫か……とも思うけれども、昔の彼女より今の彼女の方がよっぽど好きだ。
しかし、ヴァンピールもそろそろ落ち着かないと、お嫁さんにもらってもらえなくなる。
僕の血からも離れるようにしないとね。いつも吸ってくるから。
次はエルフの里にシュヴァルトと行ったね。
ルーフィギアと出会って成り行きで里に行ったのだけれども、そこで紛争に巻き込まれたり……奴隷になってしまったり。
本当、これだけはいつか解除させなければならない。
ただ、愛おしそうに黒い首輪を撫でているのを見ると、どうしても言いづらくて……。
リースとはドラゴンの集落に行った。
久々にアリスとも会えてよかった。
そこで魔王軍が出てきたり……不快だから思い出したくないラルド帝国のことを掘り返されたりしたね。
……まあ、それよりも久々に見たリースのブレスが凄かった。
あんなパワフルだと、普通の男だとしり込みしてしまいそうだ。
ただ、本来の彼女はあまえたがりなので、そのあたりを理解してくれる人がいいね。
ぐりぐりと頭を押し付けてくるとき、角が痛いから注意してほしいな。
クーリンとはヴァスイル魔王国との……魔王との戦いだったね。
いや、まさか魔王と二度目の戦いをする羽目になるとは思っていなかったよ……。
昔、クーリンを助けるために魔王と戦ったけど、強いから面倒なんだよね。だからこそ、もう二度とないとは思っていたんだけど……。
あれ以来、クーリンもちょっと僕に甘えてきてくれるようになった。
ツンデレだから、甘えべただけど、そこも可愛らしい。
クランクハイトとは悪魔の騒動を解決したね。
この時点で、宗教に対して嫌な予感がビンビンしていたんだ。
彼女もアスモデウスとして力を発揮するし……僕を誘惑し出すしで大変だったなぁ。
最近、ちょいちょい誘惑をしてきているんだよね。
僕じゃなくて、良い人にしなさい。
そして、最近の宗教戦争だよね。
カルトvs.カルト。まさに、無宗教の人からすれば地獄絵図である。
僕とかまさにそう。信仰対象のくせに何言ってんだと言われるかもしれないけれども、本当にキツイ。
この騒動で唯一得られた成果というのが、アナトとの壁の排除だからなぁ。
……まあ、それでもいいか。彼女の穏やかな表情を見られて、僕は満足だ。
僕は夜空を見上げて、ふーっと息を吐く。
……しかし、色々あったなぁ。
とくに、ここ最近で僕は様々なことを経験したし、状況も激変した。
『救世の軍勢』の皆とも、久々に濃密な交流ができているような気がする。
うん、今僕は幸せ……なのかな?
なるべく、こういうことを長続きさせないとダメだよね。
あの子たちは、昔それぞれ辛いことがあったのだ。今は、幸せにしてあげないと……。
……少し、夜風に当たり過ぎたせいか、身体が震える。そろそろ、部屋に戻ろうか。
僕は振り返って歩こうとして、ふとあることを思いついた。
そう言えば、最近リミルと交信していないな。
僕は首から下げられているペンダントを手のひらに置いて、首を傾げる。
リミルが僕と会話をしたいからくれたものだとばかり思っていたけれども……別に、そうではないのかな?
まあ、ずっと僕と話すこともないだろうし、連絡が来なくても不思議ではない。
そもそも、このペンダントをもらっていなかった時は、一か月に一度会えればいいくらいだったのだから。
彼女も、のんびりと旅でもしているのだろう。
そう納得して、魔王城の中に入ろうとすると……。
――――――!?
ペンダントが赤く輝きだした。
そして、魔法陣を宙に描く。
な、なんだこれ?いったい、なにが……。
僕が呆然とその魔方陣を見ていると……。
「よいしょっ」
魔法陣から人が出てきた。
ペンダントを媒体にして描かれた魔法陣だったので、僕との距離が非常に近く、突然飛び出してきた人に避けることもできず……。
魔法陣から現れた女の豊満な胸に、僕の顔はぶにょんと挟まれてしまったのであった。
な、なにごと!?
というか、苦しい!クーリンの胸に挟まれたこともあったけれど、それ以上の圧力……!
い、息がぁ……。
「んっ。ようやく狭い魔法陣から出られたと思ったら、僕の胸の中で何やら暴れている人が……痴漢かな?」
ち、違う!むしろ、いきなり襲われたのは僕の方だ!
「冗談だよ」
何とか抜け出そうともがいていると、彼女が抜け出させてくれた。
ふ、ふー……また窒息するかと思った。
本当に苦しいし、女の人の胸の中で窒息死という死因も笑えないので勘弁してほしい。
……しかし、いったい誰だ……と言っても、ペンダントから現れたということは彼女以外ありえないのだけれども。
僕はジトーッとした目をリミルに向け…………あれ?
「どうかした?」
僕が首を傾げると、リミルも首を傾げる。
……あれ、おかしいな。
長くて黒い髪、整った顔立ち、成熟したスタイル。
見た目は完全にリミルである。それは、事実だ。
だけれども、うーん……なんだか違和感を覚える。
……君、誰かな?
「ふっ、ふふふっ……」
僕が聞くと、クスクスと笑い始めるリミル……の姿をした人。
……やっぱり、リミルではないのか。
だけれども、その身体は確かにあの子のもののはずだ。
何らかの魔法で、乗っ取られたとか?
……それなら、リミルのためにも何とかしなければならない。
彼女の身体を傷つけないよう……そうだな、精神だけを殺す魔法を使って……。
僕がこっそりと魔法を使おうとすると……。
「お久しぶりです、お兄様!!」
唐突に抱き着かれてしまった。
普段なら避けられたかもしれないけれど、見た目がリミルそのものだから反射的に避けることができなかった。
ま、まずい。身体に当たる胸もそうだけれど、これほど密着されては魔法が使えない……!
は、離してくれ……と口を開こうとした時、僕はこの子の言っていた言葉を思い出す。
……お兄様?まるで、僕を知っているかのような呼び方だ。
僕を兄というのは、リースの妹である白龍アリスくらい……いや、彼女以外にも一人存在する。
で、でも、ま、まさか……。
僕は密着してくるリミルを見下ろし、おそるおそる尋ねてみる。
も、もしかして君……アリアか?
「はい、そうです!流石はお兄様、慧眼であらせられますね!」
にぱっと笑ってくれるリミル……いや、アリア。
え、えぇぇぇぇぇぇっ!?ど、どうして君が降りてきているの!?
君、上にいたはずじゃあ……!?
「そうなんですけど、まあ色々ありまして……」
い、色々ってなに?
アリアがリミルの中に入っているということも併せて、凄く気になるんだけれど……。
「わかりました。なら、落ち着ける場所で説明しましょう」
アリアは僕の言葉に頷いてくれる。
おぉ、よかった。今の僕には、何が起きているかさっぱりなんだ。
僕がホッと一息ついていると、その間にアリアはまた魔法陣を展開していた。
……あれ?これ、転移魔法陣だよね。
「はい。落ち着ける場所に行こうと……」
えぇっ!?それって、魔王城の中じゃあないの!?
ちょっと待って!今の僕は、遺憾ながら魔族たちを率いる魔王という立場だし、『救世の軍勢』の皆のマスターだから……。
「ああ、知っていますとも。お兄様に群がる鬱陶しい連中のことですね?まったく、気持ち悪いったらありゃしないです。そのことを考えると、好都合です」
えっ?
「お兄様は、マリアお姉さまのもの。そして、マリアお姉さまの妹である私のものです。下界の連中のものではないので、お持ち帰りします」
ニッコリと笑ってとんでもないことを言うアリア。
僕はあいつのものになったつもりはないよ!?
あぁっ、魔法陣が起動し始めた!
ほ、本当に待って!僕は今、あの子たちのことを守ろうと決意を新たにしたところで……!
「じゃあ、行きましょう、お兄様!」
話を聞いてぇぇぇぇっ!
僕の言葉もむなしくアリアに届くことはなく、僕とアリアは魔法陣によって魔王城から姿を消したのであった。
……つまるところ、拉致されたのであった。
第十一章の天使教編、終わりです。
いよいよ次章で最終章となります!
後少しですが、お付き合いいただければ嬉しいです。
また、書籍も発売されていますので、良ければ手に取ってください!




