第三百二十一話 アナトの演説
「ゼルニケ教皇国が、聖戦を宣言したでござる。当然、征伐対象は我が国でござる」
ゼルニケ教皇国の動向を調べさせていたソルグロスからそのような報告を聞いて、僕は頭が痛くなった。
やっぱり、戦争か……。
しかも、聖戦というからには、自分たちに正義があって、これは良い戦争だと言っているのだ。
いきなり襲い掛かってきたのはあっちなのに……。
まあ、使者団を一人の異端審問官を除いて皆殺しというのは、少々やり過ぎた感はあるけれども……。
とはいえ、平和的な話し合いが行われるべき会談の場所で、武器は出すわ殺すと宣言するわ……ゼルニケ教皇国側にも非があるのは明らかである。
しかし、当然のことながらあちら側はそんなことを言わず、僕たちが悪いことをしたと主張しているようだ。
戦争を仕掛ける側が、『自分たちにも悪いところがあった』なんて認めながら宣戦布告すれば、何言ってんだとなるから仕方ないかもしれないけれども。
これを受けて、ヴァスイル魔王国側も対応をしなければならない。
つまり、僕たちが選びうる未来としては、『ふざけんなぶっころ』と言って徹底抗戦をするか、『はいはい僕たちが悪かったです』と言って降伏および謝罪をするということである。
……凄く選びづらい選択肢しかなくて泣けますよ。
前者は、国民があまり受け入れたくないだろう。
すでに、人類との戦争や悪魔による王都の騒乱など、近頃はこういった戦争の被害が立て続けに起きていた。
ここで、再び宗教戦争だとなれば、反対する人もいる……のではないだろうか。
……なんだか、天使教にも負けないくらいのカルトであるマスター教の布教具合を見ていると、本当に厭戦ムードがあるのかと思ってしまう。
そして、後者の選択肢だけれども……これは、国を動かす運営側としてはあまり認めたくないものだ。
相手は聖戦と称して正義を謳っており、もし僕たちが大した抵抗も見せずにさっさと降伏してしまうと、舐めてあれもこれもと要求してくるだろう。
まず、今の領土は保つことができないし、下手をすれば施政権なども持って行かれるかもしれない。
別に、僕が魔王の座から引きずり降ろされるのはまったく構わないのだけれども、絶対処刑されるだろうしなぁ……。
僕だけならともかく、魔王国の運営側にいる『救世の軍勢』メンバーも処刑されるのは受け入れることはできない。
ふーむ……今一度考えてみたけれども、やっぱりどちらを選んだ方がいいかはわからない。
「マスター、時間よ」
まあ、そのための今回の演説なんだよね。
僕は呼びに来てくれたクーリンにお礼を言うと、立ち上がって歩き出した。
今日、僕……というかアナトが国民たちの前で演説をすることになっている。
今の状況に陥ってしまった経緯を話して、国民の反応を見るのだ。
国民の反応を見て、もし戦争やむなしという雰囲気になるのであったら徹底抗戦、戦争忌避の雰囲気なら降伏をしようと思う。
もちろん、降伏するのであれば、僕はギルドメンバーを連れて高跳びをするけれどね。
「もう、アナトの奴が演説を始めているわ。経緯は全部話したみたい」
僕の隣を歩くクーリンが教えてくれる。
そうか。なら、僕はちょうど国民の反応が出るときに直面できるわけだね。
どのような判断を国民が下すのか……怖いなぁ。
「大丈夫よ。もし、マスターを売ろうとする奴らがいたら、あたしの魔物を撒き散らしてから二人で逃げましょ」
惨劇の幕開けだね、止めてね。
しかし、自分は味方だと伝えてくれたのは嬉しい。
こっそりとニヤニヤしていると、演説を行っているはずの魔王城のバルコニーまで来ていた。
ここは王都を全て見渡すことができる絶景を拝むことができる場所で、ここなら演説も良いだろうと判断したのであった。
……よし、行こう。
僕は心を落ち着けてから、ガラスの扉を開けると……。
『ウォォォオォォォォォオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッ!!!!』
「きゃぁっ!?」
凄まじい絶叫が耳に飛び込んできた。
な、何事!?
クーリンも驚いて耳を手で塞いでしまっている。
僕と彼女が呆然としながら送る視線の先には、アナトが立っていた。
「状況はぁ、すでに話した通りよぉ」
アナトは微笑みながら話しはじめる。
「平和目的だと嘘を言って我らがマスター様の居城に侵入してきた輩はぁ、突如として豹変してマスター様に襲い掛かったわぁ」
「許せねぇっ!!」
「ふざけんな!!」
アナトの言葉に、城下に集まった魔族たちが口々に声を上げる。
うーむ……どうやら、アナトは嘘を言っているというわけではないらしい。
「……それにしても、凄い数ね」
クーリンが隣でボソリと呟くので、僕も頷く。
本当、凄い人だ。地平線まで……とは言えないけれども、少なくとも王城の近くはぎっしりと人が集まっていた。
……これ、僕の演説を聞きに来たの?アナトに任せておいてよかった……。
「幸いにしてもぉ、マスター様はとてもお強い人よぉ。そんな連中なんてぇ、あっさりと返り討ちにしておられたわぁ」
「おぉっ!」
「流石です!!」
……あれぇ?なんだかおかしなことを言い始めたぞ。
ゼルニケ教皇国の使者たち……ムラトフたちが襲い掛かってきても、僕は何もしていなかったけれど……。
ソルグロスとシュヴァルト、そしてアナトが助けてくれたじゃないか。
「そうねぇ。私も大シスターとして誇らしいわぁ」
アナトは嬉しそうに頷く。
しかし、残念そうに眉を歪める。
「でもぉ、マスター様に襲い掛かった下手人を差し向けた天使教の総本山~、ゼルニケ教皇国はこれに便乗して聖戦と称してこの国に攻め込むつもりだわぁ」
うん、これも本当。だから、どうするべきかの国民の反応を見ようとしていたんだ。
「目的は!?」
「もちろん~、あのどぶ臭い連中が動くのは一つしかないわぁ。天使教の勢力拡大~……つまりぃ、私たちからマスター様を取り上げてぇ、天使を信仰しろと強要してくるのよぉ」
尋ねてきた魔族に、アナトは真実を伝える。
天使教の拡大は、まさに彼らの悲願だろう。
悪魔教という最も大きくて邪魔だったライバルが急速に勢力を縮小させたのだから、今が絶好の機会だ。
……しかし、僕を取り上げるって……。
なんだか、子供から玩具を取り上げるみたいな言い方だなぁ……なんてのんきな感じに捉えていた僕だったけれど、魔族たちにとってはそうではなかったようだ。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「そんなの……そんなのってあるかよ!!」
所々から聞こえてくる悲鳴ややりきれない声。
…………え、なにこれ?
いや、慕われていると捉えたら凄く嬉しいんだけれど……この嘆き様は異常じゃない?
こんなに発狂する彼らは、おそらくマスター教徒だろう。
……ここに集まっている魔族たちが皆悲しんでいるんだけれど、これ皆マスター教徒なの?
あっ、意識が……。
「ま、マスター、しっかりしなさいよ」
あ、あぁ、クーリン……頑張るよ……。
「私たちはぁ……マスター様の手足である私たちはぁ、指をくわえて見ているだけでいいのかしらぁ?」
「そんなはずありません!」
「我らがマスター様の手足であるならば、マスター様という脳がいなければ動くことができないのです!脳を差し出す馬鹿が、どこにいましょうか!?」
アナトの問いかけに、すぐさま答える魔族たち。
え、僕は脳なの?
「その通りよぉ」
満足そうに頷くアナト。
その通りなの?違うよね?
僕は深いため息をついた。
まさか、これほどまでにマスター教が広がっていたとは……改めて目にすると、本当に頭が痛くなる……。
これじゃあ、天使教を退けた意味があまりないじゃん……カルトじゃん……。
「さてぇ、ここで私たちが戦わなければならない天使教のことを少し知りましょうかぁ」
そんなことを考えていると、アナトがそう言ってパチンと手を叩いた。
すると、僕とクーリンがいる扉とはまた別の場所から、一人の少女がアナトの側に歩き出したではないか。
あ、あれは……アナトとSMプレイに興じていた異端審問官の少女ではないか!




