第三百十五話 ストーカー技術
ムラトフの怒りに呼応するように、護衛たちが殺気を漲らせる。
彼らもまた天使教徒。ムラトフと同じく狂信的に天使を信仰し、天使に背く不敬者たちを懲罰する。
「魔王よ、この者たちが普通の天使教徒だと思うかね?」
ムラトフはニヤリと嗜虐的な笑みを浮かべ魔王に問いただす。
もはや、彼の言葉に敬意は一切込められていない。
それもそのはず、その必要なんてないのである。
天使教徒にとって敬意を払うべきは、信仰の対象である天使と志を同じくする天使教徒だけである。
マスター教などという異教を運営しているマスターに、敬意なんて払えるはずもない。
そんな異教徒に、ムラトフは絶望を与えてやろうと考えた。
「この者たちは、ゼルニケ教皇国が誇る武装集団に所属する者たちよ。異端審問官と言えば、わかりやすいか?」
ムラトフの言葉に、マスターは感心するように目を大きくした。
ゼルニケ教皇国異端審問会。彼もまたその名前を知っていた。
マスターだけでなく、その名は大陸中に轟いているだろう。――――――悪名として。
天使教以外の宗教を決して認めず、異教がどれほど良き教えをしていても絶対に許さない。
そんな異教徒たちを捕まえ、生き地獄とも言える苛烈な拷問を加え、天使教へと改宗させる。
異教を指導していた者たちは、それさえも許されない。
拷問の末、処刑される。
さらに、異端審問会の恐ろしき点は、たとえ異教に関係していなくともその異教徒の家族をも手にかけるという点である。
ゆえに、天使教以外に宗教は発展することなく、例外として天使と同じく超常の存在を崇める悪魔教があるくらいだったのだ。
「まさか、魔王を崇める新興宗教を立ち上げようとは……こやつらの恐ろしさをいまいち理解していないようだ」
くっくっとほくそ笑みながら、ムラトフはマスターたちを馬鹿にする。
マスターとアナトは穏やかな笑みを浮かべている。
その余裕が、いつまで続くことだろう?
「まさか、誰かが助けに来ると思っているのか?あぁ、確かに来るだろうとも」
ムラトフはマスターたちの余裕を、この会談の場所が彼らの本拠地だからだと考えた。
なるほど、確かにマスターが声を上げれば配下の者たちは駆け寄ってくるだろう。
しかし、それをもムラトフは嘲笑する。
「どうやら、お前たちは異端審問官の本質を知らぬようだ。異端審問官は、それぞれ人殺しに特化した、天使教の中でもえりすぐりの者たちしか選ばれない。そして、その中でも私の護衛として連れてきた者たちは群を抜いている!」
マスターとアナトは、ムラトフに言われなくともそのことに気づいていた。
彼らが発する刺すように鋭い殺気が、彼らを侮ることを許さなかった。
そして、彼らは人を……異教徒を殺すことに何ら躊躇しないだろう。
それが、彼らの信ずる天使たちのためになるのだと、心の底から思っているからだ。
だから、一般常識があれば顔を背けたくなるようなことも、彼らは平然と為すことができる。
それが、彼らにとっての信仰だからだ。
「魔王を殺すことは、確かに容易ではないだろう。しかしぃっ!それもまた天使様が我らに与えてくださった試練なのだ!!これを乗り越え、信仰の強さを天使様に知っていただくのだ!すべては、天使様のために!!」
『天使様のために!!』
ムラトフに続くように、異端審問官たちが声を上げる。
マスターは頬を引きつらせ、マスター教とどちらがマシなのだろうかと真剣に考える。
異端審問官たちはすでに臨戦態勢である。
それでも、マスターは余裕の笑みを崩さない。
隣にいるのはアナトであり、彼女はリースやヴァンピールほど戦闘に特化しているわけではないことは重々承知している。
相手は歴戦の異端審問官であり、また彼らは戦いに何の躊躇もしない。
「(これほどの戦士たちを前にして、何故このような余裕を持って……)」
ムラトフはようやく疑念を抱く。
しかし、何をしようがここでマスターとアナトという異教徒は殺さなければならない。
「……やりなさい」
ムラトフが小さく指令を出すと、異端審問官たちはいっせいに動き始めた。
彼らは忠実に天使の敵を殺害する……はずだった。
「うーむ……会談の場で暴れるとは、こちらも対処しなければならんでござるよ」
どこからか、そんなエセ忍者の声が聞こえてきた。
ムラトフと異端審問官たちがどこにいるのかと視線をやる。
「ちっ……!そちらの手の者を潜ませていたのですか……!」
「それはそうよぉ。そちらが護衛を引き連れているのにぃ、私たちだけ何の備えもしていないというのはおかしいでしょう~?」
ムラトフの悪態に、アナトはにこやかに答える。
彼だって、この可能性を考慮に入れていなかったわけではない。
ここは、魔王たちの根城なのだ。何かが潜んでいても不思議ではない。
「(しかし、どこにいるかがまったくわからない……!!)」
ムラトフも異端審問官たちもキョロキョロと視線を巡らせるが、先ほどの声の持ち主はどこにいるのか見当もつかない。
緊張が頂点まで高まろうとした時……。
「…………ッ!!」
ムラトフと異端審問官たちは、一斉にその場を飛び退いた。
しかし、一人だけ出遅れた異端審問官がいた。
そんな彼に、天井からドバっと大量の液体が落ちてきたのであった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!あ、熱いっ!?痛いっ!?」
「なっ……!?」
液体を頭からかぶった異端審問官は、激しく絶叫して地面をのた打ち回る。
ゴロゴロと転がって、断末魔の叫びを上げる。
ムラトフは驚愕した。
余計なことは一切口に出さず、信仰のために戦うような連中の集まりである異端審問官が、これほど感情を露わにするとは……。
初めて見る光景に、彼は信じられないと目を見開く。
「な、なんだこれは……!?は、早く治療を!!」
「はいっ!」
ムラトフの指示に、一人の異端審問官が近づく。
彼らは全て天使教徒。簡易的な回復魔法を使うことができるのだ。
液体をかけられた男の元に向かい、回復魔法を行使するのだが……。
「だ、ダメです!俺の回復魔法では……!」
ここに来ている異端審問官たちは、それぞれ戦闘を続行できるように簡単な回復魔法しか使えない。
その程度では、この男を助けられなかった。
「あぁぁぁぁっ!!い、痛いんだぁっ!焼けるように、刺すように!早く助けてぇぇぇぇぇぇ!!!!」
男は絶叫しながら身体を動かしまくる。
目が飛び出そうなほど見開き、冷たい空気を取り込もうと口を大きく開け、そこからよだれや胃液を吐き出すことも一切顧みない。
彼の皮膚はだんだんとただれてきて、目に毒な赤い内部が見え始める。
人体が焼ける拒絶反応しか出ない匂いに、近くに行った異端審問官がえずく。
「いやー、もう助からないでござるよ」
「お前は……!」
先ほどどこにも姿が見えなかった声の主が、マスターの隣に立っていた。
忍び装束で全身を覆い、顔も目の部分しか見えていないが、彼女が愉快そうに笑っているということだけは分かった。
「拙者特製のオリジナル毒液でござるからな。天使教で言う聖女クラスしか解毒できないと思うでござるよ。……マスター、どうでござるか?」
早速褒めてくれと言わんばかりに目を輝かせる忍者――――ソルグロスに苦笑しながら頭を撫でるマスター。
隣で見ているアナトの笑顔が強張る。
「き、貴様、いったいどこから……!?」
「ずっと部屋の中にいたでござるよ?」
「馬鹿な!!私たちは魔王とシスター以外の者を感知できなかった……!」
手練れの異端審問官たちでさえ知ることができなかった。
いないと考えていたからこそ、最初の友好的な態度があったのだが……。
「ふふん。拙者のストーカーで鍛えた技術を舐めないでいただきたいでござる。どれだけマスターに気づかれないように後をつけたことやら……あ、いや、マスター違うでござる。言葉のあやでござる」
そんなことをしていたのかと震えるマスターに、慌てて言い訳をするソルグロス。手遅れである。
何にせよ、ゼルニケ教皇国が誇る異端審問官の気配察知は、ソルグロスのストーカー技術の前に敗れ去るのであった。




