第三百七話 教会
僕が最初に行ったのは、探索魔法でアナトの居場所を探ることだった。
ここしばらく、彼女は魔王城には戻っていなかった。
マスター教関連で何かをしてくれているのだと考えていたけれど、いくら何でもやり過ぎじゃない?
あんな小さな子まで、ゾッとするような対応をするほどにさせるだなんて……。
あの子の目、間違いなく狂信者の目だったよ。
アナトがマスター教の布教の拠点にしているであろう場所に、彼女もいるはずだ。
ゆえに、僕は今までしたことがないほど大量の魔力を使い、広大な範囲を探索する。
仮に、あの少女のような子がマスター教に入信するような布教活動をかなり広げているのだとすると、非常にマズイことになる。
というより、僕はアナトに強制することはないように伝えていたはずなんだけれど……明らかに強制しているよね?
これは、少し叱らないといけないかもしれないね。
そんなことを考えていると、僕の魔法にアナトの気配が引っ掛かった。
王都から少し離れた場所にある。
あそこは……建物とかもあまりない広い野原が広がっていた所かな。
よし、そこに向かおう。
その前に、市場に出ることを誘ってくれたヴァンピールに事情を説明しないと……。
「……?よく分かりませんが、わたくしはマスターに付いていきますわ!アナトがマスターの嫌がることをしているのなら、わたくしがとっちめてやりますわ!」
力こぶを作って、むんと意気込んでくれるヴァンピール。
気持ちは嬉しいけれど、勘弁してほしい。
ヴァンピールとアナトが衝突してしまえば、せっかく復興してきた王都がまためちゃくちゃになってしまう。
しかし、了承をくれたことで、もはや僕を憂慮させるものはなくなった。
こうして、僕とヴァンピールは郊外にいるはずのアナトの元に向かうのであった……のだが。
その先には、なかなかに険しいものが待ち受けていたことを、この時の僕は知らなかったのである。
◆
「あ、あれって魔王様じゃない!?」
「おーい、うちの商品も見てってくれー!」
元気に客寄せを行っている出店の店主たちに、僕は笑顔で手を振る。
うんうん、活気があふれていてとても良い雰囲気だ。
僕のことも嫌っているという人はいないようで、親しげに声をかけてきてくれる。
こういうことをされれば、今度寄ってみたいと思わせられるよね。
……そう、こういう声をかけられるのは、まったく問題ない。むしろ、嬉しいくらいだ。
しかし、中にはこんな人もいた。
「おぉ……マスター様!まさか、このような所でお目にかかれるとは……!」
「ありがたい……ありがたい……!」
「神様……!」
僕を魔王ではなく、マスターと呼ぶ人々。彼らが問題だった。
彼らは人通りの多い市場だというのに、わざわざ歩みを止めて跪き、両手を絡めて何かお祈りをしてくるのだ。
うん、目立つ。
僕を魔王と呼ぶ人たちが、ぎょっとして見下ろしているからやめなさい。
アナトの元に向かう途中、彼らの存在が僕の心を地味に痛めつけてきてくれた。
おそらく、彼らはマスター教なるカルトに引っかかってしまった哀れな魔族たちなのだろう。
彼らを正道へと戻すためにも、アナトを説教せねばならない。
そして、僕の精神安定のためにも……!
しかし、恐ろしいことは魔王様という呼びかけとマスター様という呼びかけ、僕に対するものが拮抗……あるいは後者の方が多いということである。
つまり、かなりマスター教が国民の間に普及しているということになる。
そんなのおかしい!普通、宗教なんて敏感な問題は、そう簡単に受け入れられるはずがないのだ。
それなのに、数週間でマスター教がこれだけ広まるということは、アナトのしている布教活動に違法性があるに違いないのだ。
「なんだか、王都に住む魔族はマスターを崇めていていいですわね!わたくし、少し感心しましたわ。これなら、マスターの仰る通り、魔族たちを少しくらい気にかけてやってもいいですわ」
ヴァンピールも何だか嬉しそうに笑っているし、この子はアナトの説教に使えないだろう。
僕だけの力でどうにかしなければならないのだ。
……まさかだけれど、『救世の軍勢』のメンバーにも広まっていたりしないよね?
まあ、あの子たちは皆我が強いから大丈夫だろうけれど……。
そんなことを考えながら歩いていると、随分とアナトの気配に近づいていた。
「まあっ!素晴らしい教会ですわね!!」
ヴァンピールの珍しく純粋に何かを褒める言葉を聞いて、僕も視線を上げる。
すると、僕も思わず感嘆のため息を漏らしてしまった。
ヴァンピールの言う通り、素晴らしい造形の建物……教会が建っていた。
かなり巨大で荘厳な印象を受けるのだが、下品な派手さや華美であるという印象は受けない。
自然と調和するような、優しい造りになっている。
ほー、見事なものだ。
これは、観光名所にもなりそうだね。
「ここ、どういう建物なんですの?」
ヴァンピールが聞いてきたことで、僕の感心が冷める。
そう、これが何か別のために造られたのであれば、僕も素直に感心できていたのだけれど……。
探索魔法を使えば、やはりこの建物の中にアナトがいることがわかった。
くそぅ……やっぱり、マスター教関連の施設か……。
僕はちょいちょいと音を立てないように、ヴァンピールにこっそりと付いてくるように伝えると、彼女はなんだか面白そうだと目を輝かせた。
スパイごっことでも思っているのだろうか?うーん、子供だなぁ。
そんなことを考えながら、こっそりと教会に近づいていく。
幸い、人が外に出てくることはなかったので、あっさりと高い位置にある窓まで近づくことができた。
「しー、ですわね」
僕とヴァンピールはお互い口元に人差し指を立て合うと、ゆっくりと窓の中を覗き見た。
「あら。たくさんの人がいるんですのね」
ヴァンピールの言う通り、広い教会の中には大勢の人々が入っていた。
かなりの広さだというのに、もうこれ以上入ることはできないのではないかというくらいの盛況である。
こ、これが皆マスター教の信徒……?
僕は意識が遠くなるような感じがして、ふらりと後ろに倒れこみそうになる。
しかし、今は現実を何とか受け止めてアナトを止めなければならないのだ。
僕はめまいがしながらも視線をめぐらせると……いた!
「あらあら?あれはアナトですわね。何をしているのかしら?」
大勢の人々に向かい合うように、アナトが一人立っていた。




