第三百六話 娘と父
「な、何してんだ、お前!?」
店主は驚いた様子を見せる。
それもそうだろう。大事な愛娘が、いきなり片膝をつきだしたのだから。
僕だけでなく、ヴァンピールまでキョトンとしてしまっている。
いきなりどうしたのだろうか?
「マスター様……」
声をかけようとすると、その前に少女が呟くように僕を呼ぶ。
え、なに?……というより、ギルドメンバー以外から『マスター』と呼ばれることにどうにも違和感を覚えてしまう。
少女は片膝をつくだけでなく、両手を絡み合わせて祈るように目を瞑る。
「まさか、偶像ではなく本当のあなた様にお会いすることができるだなんて……。私、新参者なのにこれほどの幸福を味わえていいのでしょうか……?」
…………うん?娘さん、言っていることがおかしくないかな?
申し訳ないが、何を言っているのかさっぱりわからなかった。
偶像?新参者?
その言葉の意味は分かるのに、この子が言いたいであろうことを僕の頭は受け入れることを激しく拒絶していた。
嫌だ……知りたくない……。
「お、おい!本当にどうしちまったんだ、お前!?」
慌てて娘さんを立ち上がらせようと肩に手を置く店主。
彼の反応から見て、普段から客にこのようなことをする子ではないのだろう。
そりゃあ、だれかれ構わず跪いて祈りを捧げるような売り子のいる店なんて行きたくないだろうしね。
「お父さん!静かに!!」
「はいっ!」
しかし、娘さんの鋭い声にビシッと背をただす店主。おい。
少女も、先ほど僕たちに果物を無償で与えると言った店主に文句を言った時の声の強さではなかったよ。
こちらの方が、とても重要な問題だと言わんばかりに鋭いじゃないか。
「今は、マスター様に日頃の感謝を捧げなければいけないのよ!さっ、お父さんも跪いてお祈りをして!マスター様ご本人がいらっしゃるのだから!」
何を言っているのかな、この子は?
「お、おう……?」
おうじゃないよ!君も流されるな!正気を取り戻すように言わないか!
しかし、僕の言葉もむなしく、店主は娘さんの隣にぎこちなく跪く。
そして、二人揃って僕に祈りを捧げてくるではないか。
…………に、逃げよう。
僕はそう決断した。
こんなおかしな所にいられるか。僕は、魔王城に戻らせてもらう!
僕は果物のお礼を言って、さっさとこの場を後にしようとする。
「まぁっ!マスター様、私の所のような果物まで受け取っていただけるだなんて……。よろしければ、そのような少ない数だけでなく、もっと……いえ、この店にある全ての果物を持って行ってください!」
えぇっ!?
感動した様子の娘さんがとんでもないことを言ってくる。
君、さっきまで店主に『無償で品物を上げるな』とか言っていなかった!?矛盾しているよ!
この子の言う通りにしたら、せっかく軌道に乗ってきたこの店の商売がまた破綻してしまうだろう。
「お、おい!流石にそれはダメだろ!お前もいつも俺を叱っているじゃ――――――」
「浮気者のお父さんは黙ってて!!」
流石に看過できなかったのだろう、店主も慌てて娘さんを止めようとするが、娘さんの鋭い声にかき消される。
ここで負けたらダメだよ、お父さん!
娘が明らかに間違った方向に進もうとしているのならば、その身を挺してでも引き留めるのが父親というものだ。
とくに、この子は魔法でブーストして激しく間違った道を風のように走り出そうとしているのだ。
さあ、止めろ!
「……はい」
弱い!跳ね飛ばされてすぐに道を開けてしまった!
くそぅ……店主が浮気なんかするから……。
店主がダメなら、僕が何とかしないといけない。
正直、店の中にある果物全部もらったところで有難迷惑だし、それでこの店がつぶれたら僕たちの復興の意味がない。
それに、店主が泣きそうな目で見つめてくるし。
いや、そんな目で見ないで。ちょっとキモイ。
あ、あの……この数だけで十分嬉しいから……。
「あぁ……マスター様はなんて謙虚なお方なのかしら……。私、もっと信仰に励みます……」
僕が恐る恐る遠慮を申し出ると、何だかとても感動したように涙を浮かべ、僕を見上げてくるではないか。
は、はは……そ、そっか。ありがとね。
僕は明らかに引きつった笑みを浮かべながら、この店を後にした。
僕の背中には、何だか凄い妄信とも言えるような目を向けてくる娘さんの視線と、本当に助かったと救世主を見るかのような店主の視線が突き刺さるのであった。
「あれ、なんだったのですか、マスター。なかなかに良い心がけの女でしたわね」
ヴァンピールが僕の背中に追いつくと、そんな風に聞いてきた。
娘さんの態度から、僕が知り合いだと思ったのだろう。
だが、それは違う。僕は、あの子と一切の面識がない。
それなのにもかかわらず、彼女はまるで信仰対象を崇める敬虔な信者のように僕に祈りを捧げた。
こうなった原因は、僕は一つしか思いつかない。
あ、アナトぉぉぉぉぉぉぉっ!!何をやったの!?
僕は心の中でそう絶叫しながら、彼女を求めて歩き出したのであった。




