第三話 ララディとソルグロス
子供の表情から、スッと全ての感情が抜け落ちてしまう。
まるで、能面のように意思を感じさせない顔で、目の前の男を見ていた。
子供を奴隷として売り飛ばそうとしていた男が最期に残した言葉は、何が起きたかわからないといった声だった。
何か巨大なものが大地を割って突きあがってきて、一瞬のうちに男の仲間を『食べてしまった』のだ。
「な、なんだよ、これ……?」
男は呆然と、目の前にいきなり現れた巨大な植物を見る。
その植物は、普通のものではなかった。
まるで、生きているようにうねうねと茎や蔓をくねらせている。
さらに、とんでもなく大きく、男は今までこれほど巨大な花は見たことがなかった。
「お、おい!」
植物の花弁の部分を見ると、そこには男の仲間が上半身だけ外に出していた。
慌てて呼びかけるが、仲間からの返事はない。
「ひ、ひっ……!!」
男が目を凝らして仲間をよく見ると、口から大量の血を吐き出しており目はうつろだった。
仲間がすでに死んでいることを、男は察した。
おそらく、花の中に隠されている下半身を食いちぎられたのだろう。
「だ、誰か……」
「ぎゃぁぁぁぁぁっ!!」
「!?」
男は助けを求めて後ろを振り返る。
そこには、自分と同じく闇ギルド討伐の依頼を受けたギルドメンバーや王国騎士がいるはずだからだ。
だが、耳をつんざくような断末魔の叫びを聞いて、目を見開く。
「あ……しょ、植物が……!?」
ギルドメンバーや騎士たちは、地面から突きだしてきた木の根っこにその身体を貫かれていた。
人間の身体をいともたやすく貫通した木の根の先を見ると、鋭く尖っていた。
そこを、人間の血で濡らして脈動していた。
まるで、人間の血から養分を得て歓喜しているように見えた。
王国騎士が着ている強固な甲冑すら、容易く貫通して身体が動かないように固定していた。
「大丈夫ですか!?」
「お、お前は!生きていたのか!」
「何とか……!」
腰を抜かして不様に座り込む男の元に駆け寄ってきたのは、騎士たちを指揮していた隊長の騎士だった。
彼は頬や頭に切り傷を作り血を垂らしながらも、何とか生き延びていた。
「む。二人、生きているですか」
生きている喜びを分かち合う二人の元に、ゾッとする声が届いてくる。
普通の可愛らしい子供の声なのに、今の彼らには命を弄ぶ悪魔のささやきにしか聞こえなかった。
花飾りをつけた子供は、男たちが生きていることがひどく不満のようで、頬を膨らませながらよちよちと近寄ってくる。
「お前、一体何者だ!?」
男は怯えている心に喝を入れ、子供に怒鳴りつける。
人相の悪い屈強そうな男が、子供に対して怯えを見せながら怒鳴りつけるというのは、傍から見ると不思議な光景だっただろう。
そんな情けない男の姿を見て、子供はクスクスと面白そうに笑う。
「さっきまでララを奴隷にするなんて言っていたくせに。急に変わるですね」
「お前はなんだって聞いてんだ!!」
心底馬鹿にしたような仕草に顔を怒りで真っ赤にして声を荒げる男。
大男から凄まれても、子供はクスクスと意味深に笑うだけで怖がっている様子などは一切見せなかった。
「ララは、おじさんたちが愚かにも刃向った『救世の軍勢』の構成員です。ほら、とっても良い紋章が見えるですか?」
「な……っ!!」
子供は右の頬を可愛らしく突き出して見せる。
そこには、先ほどまでは何も書かれてなく、真っ白で柔らかそうな子供特有の肌しかなかったのだが、真っ黒な線で描かれたギルドの紋章が入っていた。
子供はうっとりとその紋章を手で触る。
その動きはやけに艶めかしく、子供とは思えないほどの色気が含まれていた。
だが、衝撃的な言葉を聞いて騎士や男はそんなことを気にする余裕はなかった。
「こ、こんな子供が闇ギルドの構成員だと!?」
「むっ、失敬ですね。ララ、見た目より全然歳をとっているです」
ぷくーっと頬を膨らませて、心外だと怒る子供。
周りに多くの血だらけの死体がなければ、微笑ましい光景だったに違いない。
「逃げましょう。この子供、我々では太刀打ちできそうにありません」
「あ、ああ……」
顔を近づけ、騎士が小声で話してくる。
男もその考えに異論はなかった。
仲間が花に食べられて死んでしまったが、そもそもグレーギルドに仲間意識なんてあってないようなものである。
逆の立場なら、あの男も彼を見捨てていただろう。
「……どうしたの、おじさん?」
コテリと首を傾げる子供。
何人もの人を殺したというのに、会った当初の子供らしい雰囲気を保っている。
時折、何か陶酔しきった顔を見せるが、それを除けば普通の子供である。
闇ギルドには、このような構成員もいるのか……。
「逃げられないと思うですよ?」
「なんだ?逃がしてくれねえのか?」
「もちろんです。おじさんたちはマスターを狙ったのですから、死んで当然なのです。それに、ララが見逃してあげたとしても―――――」
子供は当然とばかりに殺すと宣言する。
こうして話をさせて、子供の気を紛らわせる。
もしかしたら、逃げ切れるかもしれない。
「―――――拙者が逃がさないでござる」
そんな男の儚い希望は、子供とは別に現れた女によって打ち砕かれる。
「あがっ!?」
騎士の首に、小さな刃物が突き刺さっていた。
それは、はるか東方にあるとされる島国の戦士が使う武器、苦無だった。
「ひっ、ひぃぃぃっ!?」
つい先ほどまで話していた騎士が、首から大量の血を撒き散らしながら地面に倒れた。
こうして、男以外の騎士やギルドメンバーは皆死んでしまった。
植物に貫かれ、苦無に首を刺され、多くの男たちが地面に大量の血を残しながら逝った。
「ソルグロス、何で出てこなかったですか?サボりですか?」
「ち、違うでござる。拙者の能力より、ララディ殿の能力の方が多を相手にするとき便利でござる。拙者は、逃げようとしていた者たちを監視していたのでござるよ。決して、マスターを見て身体が火照っていたわけではないでござる」
緑色の髪を持つ子供―――――ララディのすぐ横に現れたのは、忍び装束を着た女―――――ソルグロスだった。
顔は布で隠されていてほとんどうかがえないが、冷たい目と一つに結われている長い髪の毛だけ見て取れた。
彼女の言う通り、この場から逃げ出そうとした数人の男たちが、首の裏に苦無が刺さった状態で倒れていた。
すでに、息絶えていることは明らかだった。
「ふー。朝からこんなに魔力を使ったら、流石に疲れるです。マスターの魔力をもらわないとです」
もちろん、まだまだ魔力には余分が有り余っている。
これは、マスターとスキンシップをするための言いわけだ。
紋章の入った頬をこすり付け、ついでに身体も密着させる。
そうすると、天に上るような感覚に陥るほど気持ちいいのだ。
「ずるいでござる。拙者も魔力を使いたいでござる」
ソルグロスは今までララディの対応を任せて、眠っているマスターをずっと天井から覗き見ていた。
それだけで、身体がどんどんと熱くなるのだから困る。
天井裏で声を顰めながら処理するのも大変なのだ。
「ち、ちくしょう!なんなんだよ、お前ら!」
「だから、言ったじゃないですか。ララたちは、闇ギルド『救世の軍勢』のメンバーだって」
「うむ。降りかかる火の粉を払っただけでござる」
男は目に涙を浮かべながら、心の内を大声で暴露する。
こんな小さくて力の弱そうな女子供に、このような凄惨な状況を作り出せるはずがないだろう。
こんなこと、誰も想像すらできない。
「このおじさん、どうするですか?」
「うーん……そうでござるなぁ。何か知っているかもしれないし、ちょっと情報をいただくでござる」
「うわ、あれをするですか?マスターを狙った時点で同情の余地はないですが、ちょっとかわいそうに思えるです」
男の処遇を話し合う二人。
ソルグロスの言葉に、ララディが気の毒そうな顔をする。
しかし、半分笑っているので本気でかわいそうとは思っていない。
「な、何だよ!?俺に、何をする気だ!!」
「あー、ララに殺されていた方が幸せだったかもですね。そんなことを、この鬼畜忍者にやられるです」
二人の会話にたまらなく不安を覚えた男は、唾を撒き散らしながら聞く。
しかし、帰ってきたのは非情な未来を彷彿とさせる言葉。
逃げようにも、腰が抜けて立ち上がることすらできない。
そんな男に、ソルグロスが顔を近づける。
「なに、ちょっと脳みそを弄らせてもらうだけでござる。うまくいけば、大丈夫でござる」
「うまくやるつもりが微塵もないですよね」
「ひっ……!!」
ララディのツッコミに返さないソルグロス。
ソルグロスの手が、ドロドロと溶けて人間の手の形を保たなくなった。
人では絶対にできない手の動きから、ソルグロスが魔族であることが分かる。
そのドロドロになった手を、ゆっくりと男に近づけていく。
男は涙を流し、股間部からはアンモニア臭がする液体を垂れ流しにした。
「や、やめてくれ……!助けてくれぇぇっ!!」
「ダメでござる」
男の最後の懇願も、ソルグロスはあっさりと却下する。
そのすぐ後に、男の絶叫が森中に響き渡るのであった。